3142 |
今、平賀譲の伝記を読んでいて、ふと疑問に思った事があります。日本の軍艦はイギリスからの影響が強い様ですが、アメリカからは何も学ばなかったのでしょうか? なっとう |
- 補足:明治時代〜WWII開戦前と仮定してです。
なっとう
- 米国からの輸入艦はありますし、電気推進等の米国装備品にも強い興味を持っていましたが、艦船全般で見るならば、米国もまた第一次大戦後まで、英仏の影響を非常に色濃く受けており、言うならば米国艦とその技術は英国の亜流とも言える側面があり、敢えて米国から学ぶ必要性は特に無かったというのが実情です。
勿論、折々に於ける米国の新型艦船と、その技術的背景や戦術戦略面の思想は日本海軍にも影響を与えています。
SUDO
- 定刻海軍の初期タービン主力艦のタービンは米国起源のカーチス式(伊吹、安芸)ないしその発展型(河内型以降のブラウン・カーチス式)です。
また、以前(#2812)にも書きましたが、長門型の主機の「艦本式トリプルフロー高低圧タービン」は米国ウェスティングハウス社が考案した分流式の写しと言えるモノで、減速歯車装置に至ってはもろウェ社からの輸入品です(陸奥は国産)。
以上は一例ですが、米国技術でも良いトコロは上手く取り入れてるって気がします。
駄レス国務長官
- 2の例としては明治期の巡洋艦笠置(かさぎ)、千代田と大正期の給油艦(水上機母艦に改装)神威(かもい)を挙げる事が出来ると思います。
笠置、千代田は政治的判断でアメリカの造船所に発注されたもので、建造は船体のみで、前者はイギリスで、後者は日本でイギリス式の武装が施されました。
神威の場合は、前2者とは異なり、2で挙げられている電気推進の技術導入として発注されたものです。
なお、平賀譲がイギリスで造船学を学んでいるように、日本海軍の造船担当者の多くがイギリスに派遣されています。
http://homepage2.nifty.com/nishidah/pc.htm#00r001は日本海軍の著名造船科士官の略歴を網羅した労作でありますが、ここから「英国」、「米国」の語を検索されると、その辺りがよく分かると思います。
したがって、どうしてもイギリス式になってしまいますが、アメリカの影響が全然なかった訳ではありません。
言わずもがなでありますが、補足と致しまして。
hush
- 皆様、早速の返信ありがとうございました。
電気推進の事はアタマにあったのですが、太平洋の荒波を考えて耐航性の優れた
クリッパー・バウを、日本海軍は早々に採用しなかった点も疑問の一つでした。
(長門はニュー・メキシコよりも後に作られていたのに、何故?)
平賀の伝記では、欧州視察の際のネルソン級解明のくだりは面白いんですけど。
なっとう
- 当時の日本艦の特徴であるS字型艦首は連携機雷を乗り切るためでありました。この事と、太平洋を渡ってくる艦隊を待ち受ける戦略を採るはずでしたので、アメリカ側に較べると耐航性の劣る艦首になったものと思われます。
なお、御存知の事かと思いますが、明治初期においては、イギリスよりもフランスの影響下にあった時代がありました。
hush
- >>4.
hush先生、千代田ぢゃなくて千歳ではあーりませぬか?!
>>5.
クリッパーバウは筑波、生駒、薩摩、安芸、伊吹、鞍馬、摂津、利根、筑摩型に採用されてますケド
駄レス国務長官
- あっ
艦名で間違うとは…
hush
- >>7.
そうでしたね、明治末期〜大正初期の艦は。失礼しました。
なっとう
- >hush 様
便乗質問ですが、あの「スプーンバウ」だと、どういう理屈で連携機雷を避けられるのでしょうか?前から疑問に思っていましたので、よろしければご教示ください。
ベアベア
- >>10.
最初のお題から離れてますので、新規に質問されたほうが宜しいかと存じます
駄レス国務長官