QQCCMMVVGGTT
3137 去る8月28日の読売新聞の文芸欄に「撃沈/雪の海漂う兵たち」について吉村明の寄稿があったが、当該輸送船名や日時、位置などは伏せられていた。海に投げ出された兵たちが、降下された上陸用舟艇に乗ろうとしたら舟艇が沈没のそれから先に舟艇に乗った将校たちが、船べりにしがみうく兵たちの腕を切り、見殺しにしたとの伝聞いついての地元漁民からの聞き取りで、概新聞社に尋ねても確答が得られなかった。本件船名等ご存知の向きは教えてほしい。
菊池金雄

  1. 吉田満「戦艦大和の最期」に同じような記述があり、それに対して「あり得ないことだ」とする反論も存在します。
    BUN

  2.  当該記事は目を当しておりませんが、おそらく同じ題材を基にした吉村昭氏の短編作品「海の柩」(総員起シ/文春文庫に収録)がありますので、興味がありましたらご一読を。ただし、内容が内容だけに、本作品中でも詳細は伏せられております。
     なお、作品に出てくるいくつかのキーワードでWEB検索を行うと、該当すると思われる事件の記事に当たりますが、書き込みは控えさせていただきます。
    れん太

  3. 1945年4月19日
    米潜 Sunfish (SS-281)(第11次哨戒)は残った最後の魚雷を夜間のレーダー攻撃に使用し、
    TSO201船団
    特設砲艦 快鳳丸 1,093総トン 農林省(旧 初代剣埼)
    大誠丸 1,948総トン 大阪商船
    の2隻を撃沈した。

     快鳳丸は、もと給油艦剣埼(初代)で
    1917(大正6年)11月末に呉海軍工廠で完成した。完成以来主として徳山−呉間の重油輸送に使用された。
    1933(昭和8年)に除籍され、
    1935 に農林省水産局に移管、相生の播磨造船所で改造整備され、主機も換装した。その後主に北洋の漁業保護用に用いられた。海戦後は北方部隊(第5艦隊)の気象観測兼哨戒用として千島、アリューシャンで活躍、
    1943-44 年には南方海域に行動した。
    1945.01 特設砲艦となり、軍属に代わって軍人が乗艦、軍艦旗が再び掲揚された。
    1945.04.13 占守島片岡湾発。船団(大誠丸)を護衛し函館に向け航行中、
    1945.04.19 00:30頃 N42.12-E142.21 北海道日高地方三石西方17km で 米潜 Sunfish(SS-281)の魚雷を受け沈没した。

     大誠丸は1D−1型戦時標準船。竣工次第陸軍に徴用。
    1944.02-1945.03 まで、パラオ、マニラ、硫黄島、那覇、基隆などへの輸送任務に従事した。
    1945.03.31 大湊を発して、04.07 幌延島柏原に到着。
    1945.04.13 幌莚島柏原を出港、函館向け航行中、
    1945.04.19 01:55頃、N42.20-E142.12 北海道新冠郡節婦南西12km付近で左舷船尾機関室にSunfish の最後の魚雷が命中。船体が右舷25度に傾斜し進行停止とともに船尾から沈下、その後も沈下は止らず傾斜度が強まり、
    05:20 全没した。
    当時、海上機動第3旅団および便乗者計1,312名 戦車6、乗用車、爆弾2,400発、迫撃砲などの火砲、大発4隻、隊貨600立方米を搭載
    部隊651名、船砲隊2名、船員33名が戦死。

    出典
    The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
    http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron/USN-Chron-1945.html

    Dictionary of American Naval Fighting Ships
    http://www.history.navy.mil/danfs/s20/sunfish-i.htm

    大日本帝國海軍特設艦船DATA BASE
    http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/110/110_086.htm

    野間恒 商船が語る太平洋戦争
    駒宮真七郎 戦時船舶史、戦時輸送船団史
    IWA


Back