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以前こちらで、第3次ソロモン海戦の第1ラウンド(といっていいでしょうか)にて比叡、霧島の戦闘について質問し、回答をいただきました。このとき活躍していたのは霧島と聞き、納得したのですが、その後、こちらの過去ログを読ませていただくと、第3ラウンドの霧島vsサウスダコタの戦闘にて、霧島の初弾は陸上砲撃のために装填していた三式弾であったことになっています。 ガ島に戻った目的というか、受けていた命令は再度の飛行場砲撃だったのでしょうか? 昔読んだ本では、輸送船団の護衛と、遊弋している水上艦艇の排除とあったのですが。 TOTO |
- >ガ島に戻った目的というか、受けていた命令は再度の飛行場砲撃だったのでしょうか?
そのとおりです。「霧島」が合流した第2艦隊(旗艦・重巡「愛宕」)の当日の任務は「ガ島飛行場砲撃」です。
Ranchan
- 回答ありがとうございます。もう少し教えてください。
比叡の損傷後、鈴谷、摩耶によるガ島飛行場砲撃が行われていますが、この結果を受け、再度の砲撃が必要、ということで第2艦隊がガ島へ向かった、となるのでしょうか?
また、この時の輸送船団は大した護衛もなくガ島に向かっていた、或いはたまたま偶然、この海域を通り過ぎていった、ということになるのでしょうか?
TOTO
- 近藤長官直率の第二艦隊主力と挺身砲撃隊の残余を合同の上、再編成・補給の後にガダルカナル飛行場への艦砲射撃実施が命じられたのは、外南洋部隊へのガ島飛行場に対する砲撃実施命令と同時です。
この発令の時点で、輸送船団がガ島へ到達・揚陸を行なうまでガ島飛行場を長期間無力化するため、外南洋部隊が13-14日に、対して第二艦隊が14-15日に分けて艦砲射撃を実施することが命令されて居ます
因みにこの時輸送船団は護衛の駆逐艦11隻からなる護衛艦隊と、空母及び陸上基地航空隊の戦闘機による護衛を受けてガダルカナルに向かいつつありましたので、「大した護衛もなく」ガ島に向かっていた、というのは酷では無いかと。
大塚好古
- 回答ありがとうございます、また御礼遅くなりました。
こうして第3次ソロモン海戦を見ますと、ガ島を巡る天王山とも言うべき戦闘だったようですね。
私が読んだ「戦艦 比叡」という本は、比叡の沈没まででかつ比叡の戦闘の描写にとどまっており、海戦全般を見渡すものではありませんでした。また著者の吉田 俊雄氏自身、あとがきの中で「比叡は私が一番好きな戦艦」云々とも書いていますので、この点でも「第3次ソロモン海戦」を総括できるものではなかったようです。
TOTO