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日本重巡洋艦についてお伺い致します。 日本重巡陣は、第2次改装次に施設済の「妙高」を除き太平洋戦争開戦後の昭和17年〜昭和19年頃に羅針艦橋天蓋部に防空指揮所を新設しておりますが、戦艦・空母陣と比較して2〜3年防空指揮所の設置が遅かったのはどうしてでしょうか?防空指揮所は重巡クラスには不急の設備だったのでしょうか? よろしくお願い致します。 Ranchan |
- 重巡の運用が夜戦メインだったからじゃないですか?
SUDO
- ご回答有難うございます。
1つお伺い致したく思いますが、「日本重巡は夜戦重視の運用方針のため、昼間戦闘となる対空戦闘は太平洋戦争中期までは軽視されていた(「自分たち重巡が本腰を入れる仕事じゃない」と思っていた)」ということでしょうか?
Ranchan
- これは艦橋天蓋上の防空指揮所を実用するには、遮風装置の完成を待つ必要があり、その初期テストに妙高型が用いられ、次いで戦艦群で試用されて仕様が定まったという経緯を見る必要があります。この完成が結構遅いんですよ。
仕様が定まった後の、工事優先順位は、艦としてのランクが低く夜戦メインの重巡が、戦艦や空母よりも下位になるのではないかというだけの事です。しかも戦争に入ってしまう頃に順番が来たら、余計にその機会を得るのも難しくなるでしょう。
SUDO