3082 |
日本戦艦で迷彩塗装をしていた艦艇は居たのでしょうか?伊勢が迷彩をしていた・・・と、言うのは聞いた事があります。 戦艦も巡洋艦も、迷彩をしている艦艇をお教えいただけないでしょうか?宜しくお願いします。 日本軍大好き |
- 迷彩塗装に「偽装」までを含めるかどうかで変わってくる問題だと思います。
烈風天駆
- ・昭和17年頃の北方海域における軽巡洋艦「多摩」「木曾」
・終戦時の戦艦「長門」「伊勢」「日向」「榛名」、重巡洋艦「妙高」「高雄」
が写真もあり「迷彩をしていた日本戦艦・巡洋艦」として有名では・・・と。
厳密なことを言えば、灰色一色塗装も迷彩ですけれどね。
Ranchan
- 空母ですが、瑞鶴も迷彩塗装してます。上空から見ると着艦しずらそうですが・・・。
8bd
- 戦艦の甲板を黒く塗粧したのも迷彩目的のはずです。
迷彩塗粧は艦長の権限でも実施できたようですが、命令によって艦種のほぼ全艦に迷彩塗粧が施されたのは昭和19年1月から実験が開始された航空母艦が最初ではないかと思います。当時在隻の主要空母はほぼ全てが側面に商船のシルエットを描き、上面は商船に見えるよう船首楼、ブリッジ、煙突、デリックなどを描いています。
BUN
- 迷彩の目的というのは潜水艦、水上艦、航空機、
あと陸上?などからの発見を遅らせたり
攻撃データを幻惑するための物だと思いますが、
それぞれの時代や艦によって迷彩目的はどのあたりに
あったのでしょうか?
瑞鳳の飛行甲板にあった放射線状の迷彩は砲塔に見せかけたと
聞いたことがありますが、これは航空機からの目視を誤魔化そうと
しているわけですよね?
剣高
- >5
瑞鳳でも千代田でも飛行甲板迷彩は商船に擬装されています。
どこが砲塔に見えるのでしょうか。
BUN
- 斜めの線は砲身ではありません。
BUN
- 記憶違いだったようで申し訳ありません。
剣高
- >瑞鳳の飛行甲板にあった放射線状の迷彩は砲塔に見せかけたと
聞いたことがありますが、
その説は私も聞いたことがありますが、私個人はあれは商船のクレーンやデリックのアームを描いたものではないかと思います・・・が如何でしょう?(で、四角の枠や図形はコンテナを搭載しているように描いたものではないかと)
でもあれ、上空から商船に見えたのでしょうか?
Ranchan
- 米軍のレポートが「商船だ」と言っていますから見えたのでしょうね。
あの模様は「商船だ」と確信して前から順番に見て行くと、ああ、これが船首楼なのか、これがデリックでこれブリッジか、そしてこれは煙突だな、と見当がつくようになります。
BUN
- 皆様、有り難うございます。
何かで、利根?も、迷彩をしていた・・・と聞きました。
本当に参考に、なりました・・・ご協力して下さった皆さん、本当に有り難うございました。
それでは。
日本軍大好き
- 私も剣高様やRanchan様同様、「飛行甲板上に描いた砲塔説」をどこかで見聞き、それを半ば信じていた者です。本題よりも「砲塔だと言った(書いていた)出所は何か?」がやたら気になってこれを探す事に終始してしまいました。お2人様も恐らくこれを見られた(あるいは、おひれが付いた上で人から聞いた)からではないかと。
1.ウォーターラインシリーズ1/700「瑞鳳」組立説明書より
舷側に対潜用として貨物船のシルエットを施し、飛行甲板上には爆撃の照準を惑わす為に、右方向に進む戦艦のシルエットを描いていました。
2.モデルアート臨時増刊「軍艦の塗装」P85〜86より
(前略)いずれのパターンも艦首と艦尾を実際の首尾線よりずらして描くことで急降下爆撃の軸線を見誤らせんと意図したもので、中には戦艦の砲塔らしきものをデザインして艦種を誤認させようとしたものもあるが、実験の結果、被発見防止や艦種誤認の役には立たないとの結論に達したようである。しかし、千歳に施された迷彩案は無塗装の飛行甲板よりはましと考えられたのか、レイテ沖の「瑞鳳」に採用されており(以下略)
と、いうものです。いずれも「瑞鳳の飛行甲板迷彩中の斜線は砲身である」とは何処にも書いていませんが、1.の「戦艦のシルエット」という記述から「じゃぁこの斜線は砲塔と砲身なんだろうな」という解釈が起こるのは大いにあり得ると思います(私がそうでした)。
また、2.では「実験段階で砲塔(らしきもの)のシルエットを施した例があったが採用されなかった」という事だと思いますが、「戦艦の砲塔らしきものをデザインして艦種を誤認させようとしたもの」という記述が「役には立たないとの結論に達したようである」を飛び越して、「レイテ沖の「瑞鳳」に採用されており」と合体し、さらに1.を混合する事により「やっぱり瑞鳳のアレは砲身と砲塔なんだ」という一説が固まった可能性があります。もっとも「なぜ4本(四連装)2つなのかなぁ???」という疑問を引きずったまま。
なお、この説を広めたのは私ではありません(苦笑)。質問者の方が締めくくった後で登場するのは申し訳ございませんが、記憶違いの根本は恐らくこれではないかというのを知って頂きたくて。
素人モデラー
- モデルアート臨時増刊「軍艦の塗装」は大変な力作ですけれども、航空母艦の迷彩に関しては米軍の技術報告があり、各艦で実験される予定の迷彩パターンの概念図や雲龍、千歳などの甲板の迷彩塗粧を示す図面が付属しています。このために白黒写真から想像するよりも正確に色とパターンが把握できるのです。
こうした基本資料無しに眺めた場合、写真上では一部のパターンが読み取り難いこともあり、何を描いているか判断しかねる奇妙な模様に見えます。
瑞鶴のパターンが長く誤解されていたのもこのためです。
誤解を広めたのではなく、勇戦激闘各所で目覚しい戦果を挙げるも一部力尽きている部分もある、といったものでしょう。
BUN
- 自説なのですが、瀬戸内に永く暮らしたものとしては、あの空母の飛行甲板の放射状の迷彩は、江田島や倉橋島の棚田(段々畑)の石垣の影だと思っています。
http://www.history.navy.mil/photos/images/g490000/g490226.jpg
http://www.history.navy.mil/photos/images/g490000/g490224.jpg
IWA
- >14.(補)
陸岸にネットを懸け、植木や小屋を置いて島の一部に見せようとしたものです。
IWA
- >14
想像としても余り現実的ではありません。
そもそも19年前半に内海停泊時の迷彩を発案し、実施するでしょうか?
BUN
- >16.
もともと何の形か分からないように見せようとするのが迷彩ですので、何かに積極的に似せようとしていると主張するものではありません。
自分が(シンガポールで特設巡洋艦の迷彩設計を任された福井静夫氏のように)空母の迷彩設計を任されたらと考えたのですが、マリアナ沖海戦(昭和19年6月)前後、さらにサイパン島からの航空脅威の現実化、で当事者にとって偽装の意義(設計条件)は変わったのだと考えています。空母と商船が同じ緑色に塗られるようになったのも、空母も基本的に陸岸を背景とした迷彩が適当と考られたためと考えます。載せるべき航空隊が再建されるまで、そのプラットフォームの保全を第一義に考えたのだと思えます。結局囮艦隊として、迷彩効果を全て打ち消すセンターライン他のマーキングをして出撃しました。
IWA