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日本戦艦艦首の主錨についてお教え下さい。三笠以前の戦艦が左右2つずつで計4つ。三笠〜長門型が左1つ、右2つの計3つ。この2つ目の錨は予備主錨という名称との事ですが、昭和に入ってからの近代化改装の際に撤去されて最終的に左右1つずつになった理由はなんなのでしょうか。また、3つの時に右側に2つとした理由はどういった理由によるものなのでしょうか。 ジョナサン |
- ハキーリとは存じませぬが、改良によって錨鎖が切れにくくなったコトに加え、錨本体・錨鎖・揚錨装置一切の重量および錨鎖庫などのスペース節減ではないでしょうか?!
なお、「三笠〜長門型」でも香取は右1・左2、安芸は右2・左2、河内型は右1・左1となってます
海外では英仏が右2・左1、米独が右1・左2のものが多いようで、或いは設計者の好みかも知れません
(錨孔が左右各1つしか無いのに舷側の錨台に予備錨を載せた艦も仏露に見られます)
駄レス国務長官
- はっきりしたご回答がないようなので、まったくの推測ですが、接岸方向と関係があるのでは。船は一見左右対称に見えるのですが、車や飛行機と同じく内部構造は左右対称ではありません。接岸時に荷積み、荷降ろしの作業がしやすい側の反対に錨を多くつけるのではないでしょうか。錨はヨットやクルーザー程度の大きさの物での経験ですが船体と投錨位置の距離が長い方がききがいいです。(テコの原理の一種かな?ちなみにこれらのレジャーボートや小型漁船程度の小船でも接岸・離岸作業がしやすい側があります。だから神経質なやつだとたかだか1〜2メートルの差でもアンカの取り付け場所にこだわります。あまり小さな船はバランスも関係するけど) 大きな船で接岸側から長めに投錨するのはむつかしいと思います。空母や自動車運搬船のように左右非対称でゲートやエレベータがある船は接岸方向が決まっています。でもあくまでも推測です。
トロッター
- どこで読んだのかソースが見つからないので書き込まずにいたのですが、流れる前にとりあえず記憶モードで。特に日本戦艦ということではなく、一般論です。
錨の数が減ったのは、(1)で言われるように軽量化と建造費削減が最大の理由のようです。また、荒天を泊地で多数の錨とともに踏ん張るよりは、エンジンをかけて沖へ出たほうが良いという考え方が支配的になり、無理に多くの錨を持たなくても良くなったそうです。アメリカのOHペリー級フリゲイトなどは、主錨を1個しか持っていません。
(2)の方は勘違いなさっておられますが、岸壁へ係留する場合には錨は使いません。代わりに桟橋などへもやいを取るわけです。現代の錨はほとんど邪魔になりませんので、関係はないと思われます。アンカー・ベッドがあった頃ならば、荷役や載炭作業の邪魔になり得ますので、いくらかは関係したかも。
ロープの先に杭をつけ、杭を土に立てたと考えてください。地面に近い位置から水平に引けば杭はなかなか抜けませんが、上から引けば簡単に抜けます。錨は杭で、錨鎖はロープなのですが、杭を上から抜かないためには錨鎖の重さが利いてきます。
これが重く長ければ、船がかなり強い力で引かれても、錨鎖は海底から持ち上がらず、錨の爪は引き抜かれないわけです。ですから、同じ量の錨鎖がある場合、多数の錨を打つより、錨鎖を長くするほうが有利になります。当然、(1)で述べられたように錨鎖が切れにくくなっていることも関係してきます。これでも危ないようなら、出港してしまえということだとか。
左右を非対称にしてまで、3個というような数を装備した理由は判りません。4を3に減らしたのかもしれません。さすがにアンカー・ベッドが五つ以上あった船は知りません。
志郎
- 回答ありがとうございます。日本戦艦は英艦の流れを汲んでいるようなので、>1 で仰るように英仏が右2・左1だから日本艦もそれに倣って・・・というのも納得がいくように思います。また、錨本体の引っかけ能力よりも錨鎖の重さで船を留めるという >3 の解説は例えが分かりやすく参考になりました。ロープが長いほど杭の食い込み以上にロープ自体の重さの方が負荷になるのは用意に想像がつきます。
質問と内容が逸れますが海底に強力に食い付き過ぎる錨では抜けなくなると大変ですね。
ジョナサン
- >4.
>〜海底に強力に食い付き過ぎる錨では抜けなくなると大変ですね。
ここも大事な視点だと思います。
ここから先は個人的な考えになるのですが、錨の大型化(=船体の大型化)に対して、錨の回収能力が追いつかなかった事が、片側だけでも(回収できる程度の大きさの)主錨を2つ載せたり、沖出ししてエンジンを回したほうが良いといった判断を促したのではないかと考えています。
また、錨が海底にくらいついてしまう事による捨錨が多かった事(ウィンチの能力が足りない)も2つ目を残した理由の1つではないかと思います。
能登