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連続質問になります。申し訳ありません。 軽巡川内型ですが、当時の燃料事情の都合により球磨型、長良型より混燃缶を敢えて増やし補助艦艇の重油消費節約に(ある程度)貢献した分かるのですが、後に続く古鷹型、青葉型は専燃/混燃の混載であるものの以降竣工の巡洋艦は専燃ばかり、駆逐艦は峯風型より専燃ばかりと益々重油燃料化が進んでいるようなのですが、これは八八艦隊計画が消えた事による影響でしょうか。それとも重油燃料のメリットの多さに川内型設計当時のような配慮が薄れてしまったからでしょうか。 素人モデラー |
- 性能キチキチで力量の低いボイラーを混ぜる余地が無くなったと見るべきではないかと。
SUDO
- >>1. に駄足
巡洋艦は、妙高型以降は華府条約(大11年)の制約内で目一杯性能アップするためと思われ
駆逐艦は、浦風型(明44年度計画)は特殊ケースで除くとしても、谷風型(大5年度計画)以降ずっと専焼で、峯風型(大6年度計画)にしても八八艦隊計画の一環(高速化)であり、その計画放棄とは無関係と思われ
駄レス国務長官
- SUDO様、駄レス国務長官様、ご回答ありがとうございます。
5,500t型はゆとりのある船体だったと伺っております(夕張型との比較はよく目、耳にします)。それ故に混載+4本煙突になっても大丈夫であった、という事ですね。それ以降の巡洋艦群のキチキチさについては華府条約の件と併せ、外見は一目瞭然としても艦内のレイアウトに関しても自分なりに調べてみます。
素人モデラー