5487 とある本で、三菱の10式艦上偵察機が民間に払い下げられて、新聞社や連絡通信機として使用されたという記述をみつけました。当初より民間機型が存在した96陸攻や97大艇などの例はありますが、そのような例を除き、軍で使用された後、民間に払い下げられた機種は他にも多数あったのでしょうか。
富士見町

  1.  海軍が輸入したセバスキー2PA-B3複座戦闘機は実戦部隊で使えないと判断された後に民間に払い下げられ、九七式司偵の民間型等と一緒に新聞社の連絡機に使用されたと記憶しています。
     当時は大陸でのニュースをいち早く内地に伝えるスクープ合戦が激しく行われており、各新聞社が競って高速機を導入していたそうで、陸軍の最新鋭機である九七式司偵の導入なんかはその最たるものですが、戦局の悪化と共に下火になっていったとか。

     また海軍機では試作一号機は二号機以降が海軍に領収されると開発会社に返還され、会社側の試験研究用に供することが一般的に行われていたようです。
    T216

  2. 多数あります。
    特に初期の海軍機は相当数が逓信省や民間に払い下げられていました。


  3. T216さん、片さん、ありがとうございました。

    >セバスキー2PA-B3複座戦闘機は実戦部隊で使えないと判断された後に民間に払い下げられ、

    セバスキーの方は1938年に輸入されているので、使えないと判断されたとはいえ、結構最新の機種が民間に払い下げられたのですね。

    >初期の海軍機は相当数が逓信省や民間に払い下げられていました。

    上記セバスキーは例外として、大戦近くになると払い下げが減ってきたとすると、その理由は、1)軍用機の性能が向上(あるいは特化)し、民間に払い下げても用途があまりない、2)軍で機体を長期間使うようになり、結果払い下げてもメンテ費用などで民間側のメリットが少なくなった、3)情勢がきな臭くなってきたこともあり、軍用機の数を確保したかった、などが想像されますが、実際の理由はどのあたりだったのでしょうか。
    富士見町

  4. 最終的には「民間がなくなった」。


  5.  昭和17年正月から秋にかけて、戦時新聞統合令による新聞社の合併統合が進められた結果、地方新聞の航空部が解散しています。
     また同じころ、朝日・毎日・読売・同盟通信の大手4社が軍の指導により取材戦域を分担することになったことでマスコミ業界全体の必要機数が減ったことも新聞社・通信社機の減勢の一因となっています。

     それに先立つ昭和16年後半から順次、操縦士もろとも軍の用務飛行(物資や高官の輸送、偵察、「空飛ぶ通信所」等)に充てるため、軍用機の払い下げではなく、貸与による運行(民間籍から徴用したうえで貸与、もあり)が主流になってきており、海軍機としては九六陸攻、零式輸送機等が、陸軍機としては九七重爆/百式輸送機等がマスコミ各社によって運行されています。
     むろん、民間機記号なし・軍用迷彩で軍人の同乗も常態となれば敵機の攻撃は免れえず、各社とも数名から十数名の殉職者を出しています。
    Schump

  6. ありがとうございました。
    富士見町


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