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P39が、東部戦線のような、ラフな整備環境でも問題なく稼動した、技術的な要因は、何でしょうか?あとP39Q型やP63では、何故翼内機銃がゴンドラ式になったのでしょうか? まさのり |
- 機銃については、P-39 の翼内銃はもともと 7.62mm を前提に設計されており、Q 型で 12.7mm に換装したとき翼内に収まらないためゴンドラ式にしたものと思います。この実装テストは P-39D-2 の一機 41-38405 号を使って行われた記録が残っています。
3機が試作された発展型の XP-39E では主翼を改設計(翼根の翼型を NACA 0015 から NACA 0018 に変更し 3% 増厚、ただし「層流翼に換装した P-63 の原型」と伝えられるのは誤解)して片翼あたり2挺の 12.7mm 機銃を搭載しています。
P-63 キングコブラも当初は XP-39E と同様に片翼2挺(+機首同調2挺で合計6挺)の 12.7mm 機銃を搭載する予定でしたが、1941 年 12 月 12 日(真珠湾攻撃の 5 日後)に軍から「設計中の新戦闘機は全備 7500 ポンド以下、翼面過重 30 ポンド/平方フィート以下にすべし」と要求され、徹底的な重量削減の改設計を行う過程で翼銃は完全に削除され、しかる後に量産型 P-63A では「やはり 12.7mm 機銃4挺は必要である」と方針改定されたものの、いまさら翼内機銃を搭載するスペースはなくポッド式になってしまったようです。
ささき
- ちなみに P-63 は胴体内に燃料タンクを持たず、主桁後方・主脚格納庫から外側に 136 ガロン/514 リッターの翼内タンクを持つだけです。機内タンクのみの戦闘行動半径は 65 マイル(104Km)しかなく、タンクを削って機銃を内装するのは出来ない相談でした。ゴンドラ銃の弾倉(300 発)は主桁前方の主翼前縁に沿って設けられ、ゴンドラ銃は横倒しに搭載され真上から給弾・真下に排莢する構造になっています。
P-39Q のゴンドラも同様の構造だとは思いますが、確証はありません。弾倉は 7.62mm 用の容積を流用したらしく、主脚すぐ外側にポッドのつく P-63 に対してかなり翼端寄りの位置に機銃が付きます。ガンポッドによる運動性低下は P-63 より著しかったのではないかと推察されます。
また P-63 のガンポッドは P-39Q のそれに比べて丸っこく野暮ったい形状ですが、試作段階では前後に長い整流フェアリングを付けたものも試されました。しかし抵抗減少の効果はほとんど見られず、大差ないということであの形状が採用されたようです。
以上、上とともに「COBRA!」Birch Matthews, Schiffer Military History を参照しました。
ささき
- ささきさん、ありがとうございます。便乗で申し訳ないのですが、ソ連では、翼の機銃を12.7mmから23mmに変えようという考えは、なかったのでしょうか?
まさのり
- ソ連の P-39/63 に関しては確たる情報が少ないのですが、同著によれば「火力よりも運動性を優先し、主翼銃を外して運用することが多かったようだ」と記されています。
ささき
- > 3.
とあるHPで読んだソ連エースの方の話では、会敵するドイツ機がMe109やFw190、Me110といった戦闘機が多いためか、ソ連の腕利きのパイロット達はそのままでは火力は大きい代わりに重くて運動性の鈍いP-40やP-39から翼内銃を外して飛行性能の改善していたそうですので、パイロットの側から火力強化の要望が出てくる可能性は低いように思えます。
P-39は翼内銃なしでも20oまたは37o×1+12.7o×2とMe109G-6と同等以上の火力がありますし、より火力の必要な爆撃機や装甲車両を攻撃する場合はロケット弾を使用したようですので、その程度の火力でも十分だったのかもしれません(ロシアの空に雲霞のようなB-17やB-24がいた訳でもないですし)。
T216
- 元々ソ連軍の整備技術は高いレベルにあります。
第二次大戦中に、さほど急速な空軍兵力の拡大をしてない(できない)こともあって、地上要員のレベルは他国と比べても高いレベルにあったと考えてもよいと思います。
また、当時の操縦士等の回想によれば、頻繁に予備エンジンに交換したこと、予備のエンジンはひっきりなしに届いたことが記されていますから、レンドリースの物資が充実していたことも大きな要因でしょう。
SUDO