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はじめまして誉です。早速ですが質問に参ります。ハ45は2000馬力級エンジンなのにあんなにも速度が遅いのでしょうか。また日本のエンジン開発や性能は欧米と比べてどうだったのでしょうか?よろしくお願いします。 誉 |
- 「ハ45」なんていう飛行機は存在しません…というのはあんまりなので、航空5445、5438、5430、5411辺りを参照してみて下さい。
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T216
- ハ45は元々フルカン付二段過給器装備の十五試ル号(NK9A)として企画されたエンジンだったのですが、いきなりそのような技術的高度な発動機に到達する前に手堅い簡易型として離昇1800馬力の十五試ル号改一(ハ45−11型、NK9B、一段二速過給器)が作られました。次いでその性能向上型として十五試ル号改一〇一(ハ45−21型、NK9H)が現れました。四式戦や紫電改などの戦闘機用発動機としてが搭載されたのはこのタイプです。
このハ45−21型ではブースト圧と回転数をアップすることで離昇1990馬力が達成されたのですが、しかし、燃焼不良、筒温過昇、軸承焼損などの問題が発生したため、19年初頭頃からハ45−11型と同じブースト圧、回転数までレベルを下げた運転制限が課せられてしまいました。従って、少なくとも19年中のハ45−21は事実上、離昇1800馬力しか発揮できなくなっています。19年中期頃には、生産上の初期的故障が複合してさらに出力が低下する事態に陥っています。
これらは暫時改善され、最終的には信頼性向上型のハ45−25型(離昇1970馬力、二速全開高度も向上)に生産を切り替える方針が採られましたが、その道半ばで終戦を迎えています。
片
- >日本のエンジン開発や性能は欧米と比べてどうだったのでしょうか
国内設計による日本初の実用エンジンは昭和 3(1928 年)、東京瓦斯電気工業製の「神風」空冷 7 気筒 150 馬力でした。
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/heiki2/hino/hino.html
昭和 5(1930 年)には中島飛行機が「プラット&ホィットニー・ワスプ」「ブリストル・ジュピター」の強い影響を受けながらも、9 気筒 450 馬力の高出力エンジン「寿」を完成させています。
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima2.html
しかし 1930 年といえばシュナイダーレースも終盤に近づき、イタリアとイギリスは(実用をかけ離れたレース専用機ですが) 1000〜2000 馬力のエンジン開発競争をやっていた頃です。中島がお手本としたプラット&ホィットニーとブリストルの両社とも、それぞれ次世代エンジンの目標を 1000hp として複列 14 気筒の「ツインワスプ」、新型スリーブ・バルブ式 9 気筒 の「ペガサス」開発が始まっていました。
http://www.aviation-history.com/engines/pr-1937.htm
http://encyclopedia.thefreedictionary.com/Bristol%20Aeroplane%20Company
太平洋戦争勃発から 12 年前、日本の航空エンジン開発は欧米から 10 年遅れていたといっても過言ではないでしょう。しかしそれから 10 年、日本は物凄い勢いで欧米を追い上げます。中島だけを取ってみても、9 気筒 450hp「寿」から 14 気筒 1000hp「栄」そして 18 気筒 2000hp「誉」はほぼ連続で開発されています。
「誉」は日本の工業力や燃料事情を無視した無理なエンジンと批判されることもありますが、技術的冒険はむしろ避け培ってきた経験を堅実にまとめたエンジンでもあり、最初の国産エンジンからわずか十数年でここまで辿り着いたことは技術史的に見れば驚嘆の他はありません。
ただ、その十数年の間に諸外国も進んでいました。特に 2. でも述べられている過給器や燃料噴射装置、混合比管制装置など補機類の進歩は目覚しく、日本もそれなりに頑張ってはいたのですが、追いつこうとしてあと一歩追いつけなかったというのが実情だったのではないか、と思います。
ささき
- 回答有難うございます。ハ45は指定の97オクタン燃料を使えば何キロぐらい出たのでしょうか?また大馬力エンジンの性能や開発などを欧米と比べてどうだったのか、引き続き教えてください。よろしくお願いします。
誉
- >4.
1. で述べられているように「誉は飛行機の名前ではありません」が、代表的な誉搭載戦闘機である陸軍の四式戦疾風、海軍の紫電改とも 650〜670Km/h 程度の最高速度は実現できていたようです。
>大馬力エンジンの性能や開発などを欧米と比べてどうだったのか
「誉」は 2000hp 級の空冷星型 18 気筒星型航空エンジンとして、大戦中に量産され実戦化された数少ないエンジンの1つです。他はアメリカのプラット&ホィットニー R-2800 とライト R-3350 しかなく、しかも二次大戦に間に合った R-3350 搭載機は B-29 1機種だけです。イギリスのブリストル・セントーラスは事実上戦争に間に合っていないし、ドイツ(BMW801)もソ連(ASh82)も 18 気筒エンジン開発は早々に諦めて 14 気筒のパワーアップ(1500〜1800hp)で済ませています。
液冷について日本は遅れていたと言われますが、こと 2000hp 級の大出力エンジンに関していえば、そもそも液冷で「大戦中に実用化され」「量産化され戦力化された」 2000hp エンジンは殆どありません。大戦末期に少数が間に合っただけのロールスロイス・グリフォンや DB603 の後期型、誉どころではない故障続出エンジンのネイピア・セイバーくらいでしょう。
1200〜1500hp 級液冷エンジンについて米、英、独、ソに引き離されていたことは事実ですが、「大馬力」ではないので割愛します。
X 型や H 型の 24 気筒、4列星型 28 ないし 36 気筒、6列星型 42 気筒など、既存のエンジンから大きく構造を一新した 3000〜5000hp の「夢のエンジン」開発には各国とも血道を上げ、その殆どが開発途上において戦局悪化、開発遅延、ジェットエンジン実用化の見通しなどによって放棄されています。唯一アメリカのプラット&ホィットニー R-4360(4列 36 気筒 3500hp) だけが実用化され、戦後ジェット時代も輸送機用などに長く生き残るこになります。
日本でも試作レベルで三菱ハ-50 2列星型 22 気筒 3300hp、日立ハ-52 22 気筒 2500hp、空技廠ハ-74 液冷 X 型 24 気筒 3200hp、構想/設計レベルでは三菱ハ-53 36 気筒 3400hp、中島ハ-54 36 気筒 5000hp などが手がけられており、この分野で「大きく遅れていた」とは必ずしも言えません。
またレシプロ以外の航空エンジンについても、国産ジェットエンジン「ネ-20」、ドイツからのライセンスによるロケットエンジン「特呂二号」ともに実機が完成し、それぞれ「橘花」「秋水」の試作機に搭載され終戦間際に実機飛行に至っています。
ささき
- 陸海軍での「指定」は91、92、95オクタンですね。(いずれも水メタ補助噴射使用)
片
- 回答有難うございます。疾風等の搭載機にハ45の指定の100オクタン燃料を使ったら680キロぐらい出ますか?またほかにも高オクタン燃料を使った空冷エンジンを搭載した戦闘機はどれくらいの速度が出たのでしょうか?よろしくお願いします。
誉
- >#5 ささきさん
>アメリカのプラット&ホィットニー R-4360(4列 36 気筒 3500hp)
R-4360って、28気筒では?
>誉さん
>#4
>ハ45は指定の97オクタン燃料を使えば何キロぐらい出たのでしょうか?
T216さんの#1の書き込みは無視ですか?
>#7
>ハ45の指定の100オクタン燃料
片さんの#6の書き込みは無視ですか?
5445番の砲兵さんも同様、回答者の書き込みを読まないまま・理解しないまま鸚鵡返しな質問を繰り返さないで下さい
回答者に大変失礼です
セミララ
- >セミララさん
>R-4360 は 4x7=28 気筒
その通りです。お恥ずかしい。もはや九九も定かではないようです(笑)
ついでに「スリーブバルブのブリストル・ペガサス」も「パーシューズ(ペルセウス)」の間違いです。
>7.
>またほかにも高オクタン燃料を使った空冷エンジンを搭載した戦闘機はどれくらいの速度が出たのでしょうか?
F8F を大改造して R-3350 を積み特製燃料を入れたレーサー「レア・ベア」は 850Km/h くらいの速度を記録していますが、そういう事を聞きたいのでしょうか?
ささき