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米国が、航空機用機銃として、あそこまでM2、12.7mmに固執したのはなぜでしょうか。 陸海軍ともに同じ中口径多連装、という方式を選択したのには、統一された戦術上の思想があったとか、何か国防省から指導がなされたとか、政治的な背景があったのか?と思ってしまいます。 ねのひ |
- http://www.warbirds.jp/truth/s_gun3.htm
↑のささきさんの考察にあるように、単に12.7o以上の機関銃の開発に失敗し、他国からの導入も遅れたためではないでしょうか。
T216
- Anthony Willams 氏「Flying Guns of WW2」によれば、戦前における米軍の航空機銃研究では「一発の威力や発射速度を上げるより、初速を上げることにより命中確率を高めたほうが有利である」という提案がなされていたようです。このため小〜中口径で 1000m/s 級の超高初速機銃開発に熱中し、ドイツからコピーしようとした MG151/15(T-17) も含め軒並み失敗してしまいました。
20mm 級の機銃も国内開発に失敗し、陸海軍ともデンマークのマドセン 23mm に期待したところ二次大戦勃発で入手不能となり、イギリスからイスパノを導入したもののミリ図面の Mk.I(フランス HS.404 と同仕様)をもとに開発を始めてしまい、アメリカ独自の図面に書き直したあとにイギリス仕様インチ図面の Mk.II の設計図が届いたので、その特徴を取り入れたところ薬室の寸法を変わってしまったが、既に Mk.I 仕様の弾薬四千万発を製造してしまった後だったとか、陸軍砲兵工廠で生産したところ「.60in 口径以上の火器は砲である」との規定に基づき大砲の製造精度が適用されてしまったので精度不良が著しかったなどのドタバタ騒ぎがあったことが氏のページに紹介されています。
http://www.quarry.nildram.co.uk/US404.htm
米戦闘機が 12.7mm を使ったのは「とりあえず、使えるのがそれしかなかったから」で、6〜8 挺の多連装にしたのは「2〜4 挺では威力が足りなかったから」というかなり結果論的なものではなかったか、と私は考えています。
ささき
- 質問者です。ご回答ありがとうございます。
日本のホ−5が事実上、ブローニングのコピーであったことを思うと、米国は独力でも簡単に20mmを開発できたのではないか、F8FやP-61に至ってようやく20mmの採用に踏み切ったのはなぜか。
小口径多連装の威力不足を感じたスピットファイアやハリケーンが、しかし、米国と違い、異口径混載の方へ向かってしまったのはなぜか?と思ってしまいます。
ねのひ
- >3.
Willams 氏は著書のなかでホ5を「M2 12.7mm より僅かに重く大きいだけで遥かに大威力」の機銃だと絶賛し、「米軍こそこの機銃を装備すべきだったであろう。12.7mm 用の動力銃塔を小改造するだけで収まるため、ドイツ戦闘機の大口径機関砲への対抗策として有用だったに違いない」と述べています。結果論から言えばそうだったんでしょうね。ソ連も 12.7mm 機銃として競作に破れた ShVAK をボア・アップした 20mm 機銃を主力にしていたのですし、ドイツの主力機銃も 15mm からのボア・アップ版ですし。
ただ、共に米重爆の重防御に苦しんだ日独と異なり、アメリカは 12.7mm 機銃について深刻といえるほどの威力不足は感じていなかったのではないか、と思います。
>F8F や P-61
夜戦/迎撃機への大口径機関砲装備はブラックウィドウにはじまったわけではないでしょう。陸軍は戦前からゲテモノ多発多座戦闘機 XFM-1 エアラクーダ(37mm 動力砲 2 門)なんてのを作っていますし、高高度迎撃機として開発された XP-38, XP-39 ともに 37mm 砲搭載が要求されちえます(量産型の -38 は 20mm に換装していますが)。でっちあげ夜戦 P-70(A-20 の夜戦型)にも 20mm ガンパックを搭載しています。
しかし海軍の動きについては、私にも不明なところがあります。高速迎撃艦戦として試作されたグラマン XF5F(スカイロケット), ボート XF4U(コルセア), ベル XFL(エアラボニタ)のうち機関砲(マドセン 23mm)装備は XF5F だけで、XF4U のオリジナル武装は翼銃 12.7mm x 2 + 機首同調 7.62mm + 12.7mm 連装だけですし、XFL はプロペラ軸内砲をわざわざ 12.7mm に換装しています。これら3機種には空対空小型爆弾(!)の搭載が要求されていたため、対大型機攻撃兵器の本命はそっちだったのかも知れませんが…。
それが量産型 F4U-1 では機首武装を全廃して翼銃 6 挺となり、F4F も原型では同調 12.7 x 2 だったのがやはり機首銃を廃止して翼銃 4 挺(-4 では 6 挺)になっています。「KANON in the AIR」ではボカして書きましたが、この方向転換の裏にこそ何らかの意思決定があったのではないかと思います。
また米海軍は大戦後期に戦闘機のみならず、SB2C ヘルダイバー艦爆も含めた翼銃の 20mm 化を行っていますが、それが何に基づいた意思決定なのかも私は把握しておりません。
>スピットやハリケーン
ハリケーン IIC、グリフォン・スピット、タイフーン/テンペスト/フューリー、海軍のファイヤフライ、試作に終わったマーチンベイカー M.B.5 やファイヤーブランドがすべて 20mm x 4 で統一されていることを考えると、スピットファイヤ VC や IX の中途半端な混載武装はむしろ例外だったのではないかと私には思えます。「KANON」では全銃 20mm にすると装弾数不足、重量過大となることが問題だったのではないかと推測しました。
ささき
- 揚げ足を取るような言い方になりますが、第二次世界大戦当時にはアメリカに国防省は存在しません。
陸軍省海軍省並立で、陸軍長官海軍長官は同格の閣僚でした。
従って両省に装備や戦術の統一を指示する上級機関はないし、両省の協議もあまり熱心ではありませんでした。
実際それぞれが別個の考えで開発を行っていたことは、ここまでの回答でもお分かりと思います。
便利少尉
- 質問者です。
再々のご回答ありがとうございます。
>4
グリフォン・スピットの"C-wing"や"E-wing"の装備機が例外というのは、すこし疑問に思えるのですが。
>5
米国が、陸海軍、別個の考えで開発を行っていたにしては、M2を共通して大量に採用し、それが結果的に生産性やメインテナンスの効率向上につながり、うまくいった、というのは、偶然にしてはできすぎで、予定調和的でありすぎる、と思ったのです。
ねのひ
- >6
そもそもスピットファイアは後継機のタイフーンが準備されており、本来の予定では戦争中盤にはリタイアするはずの旧式戦闘機です。
タイフーンの事実上の失敗から、武装を追加せざるを得なくなったと見なすことも可能でしょう。BウィングもEウィングも20mmx4が出来る構造になっており、混載専用なのはCウィングだけ(Aは7.7専用、Dは非武装)ですから、スピットといえども、状況が許すならばスピットも20mmに統一したかったと考えていたのも明らかでしょう。
SUDO
- >7
スピットの混載専用はVBが使用したBウィングで、VC以降が搭載したCウィングこと「ユニバーサルウィング」は、下記ページに書かれるように20mm×4の装備が可能ですけど。
↓
http://www.wpafb.af.mil/museum/early_years/ey24.htm
実際のところBウィング及びCウィングで7.7mmの混載が行われたのは、イスパノのみを装備したIBがBoBで実戦で使用不能とまで評されるなど、当初イスパノの機械的信頼性が低く、発砲時に故障する可能性が非常に高かったことによるものです。このためBウィング以降ではバックアップとして7.7mmの装備が行われることになります。因みにEウィングで12.7mm装備が行われたのは、7.7mmが威力不足と見なされるようになったことと、12.7mm機銃がスピットに配備するに足るだけ余剰となったことが大きく影響しています。
大塚好古