5451 |
少なくとも川西飛行機に97大艇や2式大艇といった4発の大型機の製造技術があるのに、1式、2式の4発輸送機や爆撃機が無かったのはなぜでしょう。大型機用降着装置が実用化されていなかったのでしょうか。それともまだ参考にするべき大型機が公になっていなかったからでしょうか。 哲 |
- http://www.warbirds.jp/BBS/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=10132;id=
- 海軍として最初の四発機が離着陸距離に制限のない飛行艇である九七大艇として出現したのは理解に容易いところです。
その次の二式大艇すなわち十三試大艇には平行して十三試大攻が作られています。単にこれが失敗に終わったというだけのことではないでしょうか。
片
- 平行して設計される十三試大艇と十三試大攻の一番の違いは翼面積にあります。滑走距離に制限のない水上から飛び立つ十三試大艇の翼面積は小さく、一方、定められた滑走距離内で離陸させなければならない十三試大攻は低翼面荷重であり、より一層大型の主翼が必要とされています。このような大型主翼構造の範をとるためにダグラスの四発旅客機が輸入されたのですが、このあたりからこの計画は怪しくなってゆきます。
しかし、成功していれば、十三試大攻が二式陸攻となることもスケジュール上ではあり得たことでしょう。むしろ短い試製期間で成功に導くためにダグラスを母体に使おうとしていたはずです。
片
- ご回答ありがとうございます。攻撃機、爆撃機はスピード、強度、耐弾性等いろいろファクターがあるので実用化はむつかしいとは思っていましたが、あらためて欧米の輸送機を調べてみましたら、C-54(2代目DC-4)アブロ ヨークその他旅客機などがあるだけで、開戦時に実用化していたものはほとんど無かったようですね。
哲
- 強度だけでいうなら、大攻・大艇はもっとも強度要求の低い強度類別I類ですから、適当な輸送機から転用することへのハードルも低かったように思います。但し、超大型の機体に雷撃時の機動力を持たせようとして操縦舵に油圧によるパワーアシストを備えようとしたのですがこれがうまくいっていません。
それよりなにより十三試大攻がうまくいかなかったのは、構造設計がうまくいかず大幅な重量超過があったこと、それを埋め合わせる発動機換装が出来なかったこと、それらの諸々から肝心の航続力が一式陸攻と同程度に落ち込んでしまったことです。中攻と同じ攻撃距離では大攻を作る意味がありません。
片