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日本陸軍の四式戦闘機は米軍のP-51戦闘機と一般的に互角に戦えたといわれていますが、なぜ互角に戦えたのでしょうか?また紫電改、紫電、五式戦闘機はどうだったのですか。お願いいたします。 砲兵 |
- >なぜ互角に戦えたのでしょうか?
という質問をされるという事は「四式戦が P-51 相手に互角に戦えるはずがない」とお考えなのだろうと推測いたしますが、なぜ互角に戦えなかったとお考えなのでしょうか?
ささき
- ジイサンが、大陸で、疾風に乗っていたらしい。
階級は中尉だったという他、詳しいことは何もわからん。
5〜6歳の頃だと思うが、酒が入ると、孫のワシを膝に抱え込んで、自慢話やら、武勇伝やら、はじめるんだが、要するに、@P51にはまるでかなわなかった。Aアメリカ軍が、日本軍より強いのは、将校なら本音では、みんな知っていた。B日本人の大部分が、今の某半島人みたいなものだった。Cがんばったが、P51に、上海上空で、見事に、撃墜された。という事(も)言っていたな。
通りすがりの歯医者
- エンジンが、まともに動いたら
まさのり
- 「未知の剣」ISBN4-16-724912-Xをお勧めします。
鹵獲P51を使った模擬空戦の模様が記述されています。
(対五式戦が記述のメインです。)
また、四式戦とP-51に実際に操縦した上での比較も
記述されています。
TAK
- 対P51の空戦で優勢な戦いができた、という報告は沢山ありますが、機体の性能面での優劣をつけるならば四戦の不利は否定できないと思います。
ただ、最大速度何キロとか、鹵獲機との比較でどちらがどうであったか、といったことが戦闘の実相にどれだけ影響のあることなのかは何とも言えません。
機種は異なりますが、ある有名なベテラン零戦搭乗員の方から「ガダルカナル上空でF4F相手の巴戦でどうしても相手を振り切れなかった。僚機が掩護してくれなかったらあそこで死んでいた。」というお話を聞いたこともあります。これは格闘戦でグラマンに劣るはずがないと思われている零戦二一型が最も得意とするはずの巴戦で負けた実例の一つです。何々機はこの性能がこんな数値だから、といったことだけで勝敗は予想しにくいということでもあります。
ある戦闘機がある敵戦闘機に対して「互角」であるためにはその機の性能以外の要素が大きく関与するものですから、たとえ日本側にP51があり、米軍に四戦が配備されていたとしても史実の航空戦に大きな変化は無かったように思います。
BUN
- 四式戦がP51に対して互角の戦いが出来ると印象付けられたのは「一般的に」というよりも、19年夏から秋にかけて22戦隊、85戦隊が在支米軍に対して善戦したことによるように思います。四式戦としてはようやく増加試作から抜け出したばかりの頃であり、米軍側もまだこの機種の登場を十分に認識していなかった時期のことです。
片
- 18年から19年にかけての冬以来、ハ45は高ブースト運転が適わなくなりほぼ19年いっぱい運転制限をかけられています。これにより四式戦は最大速度630km/h程度に低下しており、ブースト圧回復による650km/hへの改善努力が講じられつつありました。と、同時に19年夏頃のハ45は吸気系統鋳物不良によりさらに馬力が低下していわゆる額面割れを起こしていたはずです。この時期の四式戦が在支米空軍に対してそこそこ善戦し一時的な挽回を果たしていたということこそ、性能値だけでは図りがたいというひとつの証なのかもしれません。
片
- 回答有難うございます。やはりP-51は四式戦と互角に戦えたんですね、格闘戦、一撃離脱法もでき防弾性もよく旋回性も良かったためでしょうか。もっと詳しく教えてください。よろしくお願いします。
砲兵
- 米軍のテストレポートでは四式戦の空戦能力について「P-51H, P-47N と対等以上に比較し得る」「最大速度では僅かに劣るが、旋回性と上昇力で優れている(運動性は零戦52型よりやや劣る)」「ただし急降下能力は P-51, P-47 が遥かに優れる」と評されています。
細かいところでは「防弾タンク・装甲板・防弾ガラスは装備されているが、消火器や風防緊急投棄機構は装備されていない」「コクピットが狭く、機内暖房装置もないので居住性は良くない」「ラダータブが無いので射撃調整に難がある」「エレベータータブ、座席ロック装置などの作動部にガタツキがある」「人工水平儀など一部の計器に動作不良がある」「プロペラは過回転を起こす傾向がある」「機内の錆止め塗装は省略されており、工作の一部にも粗雑なところが認められる」などが述べられています。
総論としては合理的に良くまとめられた戦闘機であり、その空戦能力は高く評価されるものの、同時期の米軍主力戦闘機とくらべて特に際立って優れたところはない、という評価が下されています。
>8.
「やはりP-51は四式戦と互角に戦えたんですね」
基本的に、皆さんとも「そう単純に言い切ることはできない」という意味のことを回答されていると思いますが。敵味方の数、搭乗員の技量、エンジンの調子などが同条件であれば米軍レポートに述べられているように「対等以上に比較し得る」機体だったでしょうが、実際の戦闘では機体性能以外の要因で勝敗が分かれることの方が多いことが 5. で説明されていますし、逆に「一時期は米軍を圧倒した」と伝えられる四式戦が実は量産初期のトラブルを抱えた状態だったことも 6, 7. で説明されています。
四式戦が日本最良の戦闘機の一機種であり、P-51 とも互角以上に戦える公算の大きい機種であったことは確かでしょうが、それをもって「四式戦は P-51 と互角だった」という一般論に飛びついてしまうと、多くのことを見落とすのではないかと思います。
ささき
- >8
まだ低性能に甘んじている四式戦が19年夏の中国大陸でP51とそこそこやれているのに、四式戦の性能が持ち直してきているはずの20年前半になると今度は対P51用に五式戦待望論のようなものが出てきている。こういうことも良く考えてみなければならないと思います。
片
- 20年4月以降の日本本土上空での対P51戦は、たいていの場合P51側の方が数的に優勢で、高度も優位に占めていることが多く、これを相手にするのは並大抵のことではありません。キ一〇〇は敵戦闘機の攻撃をかわして避けられる「まだしも負けない戦闘機」としての評価だったようにも思います。
片
- 「世界の傑作機」No.17 に掲載されている 244 戦隊・生野文介元大尉の回想でも、5式戦は「絶対に信頼性のあるエンジン」「20 ミリが胴体に付いているので旋回性能が非常によい」「P-51 に撃墜される心配はない、絶対に自信があった」としながらも、7 月 16 日の邀撃戦では「1, 2 機どころじゃない、ものすごい数の敵機」に囲まれ、2 機を撃墜したものの最後には僚機の中井曹長ともども撃墜され落下傘降下されていますね。「絶対に信頼性のある」エンジンのはずが、8 機で上がった機体が次々に「故障で 1 機降り、2 機降りして」邀撃地点に着いたときには 2 機になっていた、という証言も興味あるところです。
ささき
- 結局、その時期の空戦にはどの機種を持って来たって同じような状況だったでしょうね。数的な劣勢は覆せません。
片
- 皆様回答有難うございます。ほかの機種はどうだったのでしょうか?また四式戦についてもより詳しく教えてください、よろしくお願いします。
砲兵