5439 3月6日の日経に18年春、占守島(しむしゅ)に軍医長として赴任した人が書いているのですが、夏に飛行場(片岡)が完成し、宴のさなかB-29が襲来、零戦の迎撃で難を逃れたと思ったつかの間、グラマンの機銃掃射を受け、近くにいた軍人が死亡した、と回想されています。B-29は早すぎると思いますし、グラマンは?という感じです。相当する戦闘記録がないか調べたけれど分かりません。どの程度の攻撃でどのような機種が参加していたのでしょうか。日時は間違っていないと思います。
Mit

  1. 43年8月11日、第11空軍所属でアッツ島から飛び立った9機のB24による爆撃のことと思われます。なお、戦闘機としたら同じくアッツ島にいたP38かP40ではないかと。
    (参考)
    (和文・解説)
    http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/jun44.html
    (英文・原資料)
    http://permanent.access.gpo.gov/lps51153/airforcehistory/usaaf/chron/43/aug43.htm
    アリエフ

  2. 日本時間では18年8月18日ですね。B−24が正しいのでしょうが、幌筵から一式戦で邀撃に上がった54戦隊は「B−17 9機」と報告していたようです。
    18年中のこの方面への空襲は8/12、9/12の2回しかないようなのですが、いずれにしても戦闘機の来襲は報じられていません。両日とも米軍爆撃機は単機ごと、あるいは数派に分かれて超低空攻撃を行っていますので、機銃掃射があったとしてもこれら爆撃機からのものだったのではないかと思います。


  3. ↑1行目「日本時間では18年8月12日」です。



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