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私の祖母が戦時中、日本軍機がB-29に特攻してB-29を撃墜した瞬間を見たそうなんですが、このような事は頻繁にあったのでしょうか? また、あったのならどの機種が使われたのでしょうか? 分かるかたがいたらぜひ教えてください。お願いします。 デルタ |
- http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2003-39,GGLD:ja&q=B%2D29%E3%81%AB%E7%89%B9%E6%94%BB
http://www.google.co.jp/search?num=20&hl=ja&rls=GGLD%2CGGLD%3A2003-39%2CGGLD%3Aja&q=B-29%E3%81%AB%E4%BD%93%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8A&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja
kazz
- 頻繁にというのがどの程度の頻度を想像されているのか分かりませんが、体当たりは正式な作戦であり突発的なものではありませんでした。
調布にあった244戦隊の場合、19年12月3日から20年4月15日にかけて、計18回の体当たりが行われています。うち、戦死7、生還11。
使用機種は3式戦が主だったようです。
244戦隊にかんしてはこちらが参考になるかと思います。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~s244f/index.htm
また、まとまった本などもあるのではないでしょうか。
富士見町
- 武装を外して軽量化した専用機と、原則志願の搭乗員による組織的な空対空特攻は陸軍によって昭和19年の暮れから20年春頃にかけて行われたもので、士気高揚と国民への宣伝効果を狙って「震天制空隊」の名が与えられました。(西部防空隊には同様に「回天隊」が組織されたようです)。「震天隊」という個別の部隊があったわけではなく、既存の防空部隊の中から抽出されたため、機材は二式単戦鍾馗、二式複戦屠龍、三式戦飛燕など所属部隊の主用機がそのまま流用されています。
関連過去ログ
http://www.warbirds.jp/ansq/1/A2000792.html
また操縦者自身の自発的な意思による体当たり攻撃については、陸海軍ともに幾つかの例があるようです。有名どころでは 244 戦隊長の小林少佐が体当たりによって B-29 一機を撃墜しています。また本土の B-29 ではありませんが、ラバウルに夜間来襲した B-24 に斜銃の故障した「月光」夜戦が体当たりした例が渡辺洋二氏の著作に紹介されています。
ささき
- 参考になりました。
皆様ありがとうございました。
デルタ
- 体当たりでは、本土防空戦ではありませんが、ラバウルの253空の川戸正治郎上飛曹がすごいです。18年10月ラバウル配属から1年半ほどの間に体当たり3回、被撃墜2回、落下傘降下4回という記録保持者です。3回の体当たりのうち2回は戦闘中の衝突のようですが、3回目は19年2月6日B-24に尾翼体当たりを計画実行し生還しています。その後、20年3月9日複座零戦で出撃後行方不明になり戦死と認定されたのですが、駆逐艦攻撃中対空砲火で被弾、海岸に泳ぎ着きジャングルで一人生活中、豪軍捕虜となり戦後帰国しました。そのまま映画のストーリーになりそうなエピソードです。
Mit
- > 3.
ちょっとだけフォロー。
渡辺洋二氏の著作で紹介されているのは、ラバウルではなくダバオにおける中川義正一飛曹・大住勇上飛曹機による戦果の話かと思います。
T216
- >6.
確か、タイトルも「ダバオ上空、月光対B24」となっていたと思います。
流星艦攻
- >6, 7
フォローありがとうございます。B-24 の機長と中川氏が戦後に再会したくだりが感動的だったのでストーリーはよく覚えていたのですが、場所は「南方の海軍基地」といううろ覚えで書いてしまいました。
ささき