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「紫電改」は航続距離・離艦性能等について、元が陸戦であるためか「烈風」に比べ劣っているように思えます。それでも「烈風」の不調が判明する以前に、「零戦」の次期艦戦と位置づけられたのは、その速度性能の期待の他に、「性能標準」の改訂、艦上戦闘機の優先度の低下等が関係しているのでしょうか。 はなみ |
- 海軍の試作各機種に大鉈を振るって整理順位が定められたのは19年7月ですが、この時期にはすでに烈風の不振は明白なものになっています。でなくとも烈風のように試作に手間取っている機種はこの際切り捨てられるべきだったのです。
また、試作だけでなく、生産機種の統合も重要なテーマとなっていました。海軍として甲戦は紫電改に生産重点を絞り、多数の廠社で一斉量産を目論んでいましたから、(もはやそれほど重要ではない)艦戦も紫電改に統合してしまうのが得策でした。
片
- 航続力については、単純化して燃料積載量で比較してしまうと、
紫電改(防弾なし) 機内1010立 増槽400立
紫電改(防弾あり) 機内 840立 増槽400立
烈風 (防弾なし) 機内 912立 増槽600立
烈風 (防弾あり) 機内 855立 増槽600立
ですから、ほとんど増槽の大小の差程度のものです。
片
- 紫電改を艦上機として使用するという方針が生まれたのは烈風の初飛行以前のことで、艦戦型を三菱に生産させるという計画も同時期に生まれています。これは戦闘機生産を紫電改に集中させるという19年末から20年初の動きからは数ヶ月早く、三菱での転換生産計画は他社よりも抜きん出て早いんです。
この動きは紫電改への生産集中ではなく、質問者の方のご推察通り、甲戦闘機の派生型を艦戦とするという概念がそのまま紫電改という比較的試験成績良好な機体へと反映したものだと考えられます。
また紫電改の艦戦としての適性は100%良好と判断された訳ではなく、視界不良などの改善項目があり、実際に生産される艦戦型は紫電改とはかなり顔つきの異なる機体になる予定でした。
BUN
- 20年初頭に決定された紫電改への超集中生産計画と艦戦案は無関係ですけれども、昭和18年度末から活動を開始した軍需省の視点に立てば、艦戦と陸戦を一本化することは理想に近く、強力に推し進めたい施策のひとつですから軍需省の政策は紫電改艦戦化の重要な背景となります。
BUN
- 片様 燃料積載量の比較についてのご教示ありがとうございました。市販の書籍で回答が得られるものは、自分で調べてから質問するようにしてみます。
BUN様 紫電改艦載型の背景や経緯について、丁寧なるご説明ありがとうございました。
以下は全くの仮想戦記ですが、海軍の「烈風」への要求がもう少し低く抑えられていれば、大戦後期には、三菱製の「紫電改のような烈風」が、史実の「紫電改」より活躍していたのかなと妄想してしまいます。
はなみ
- いわゆる性能表のようなものに載せられている航続力をダイレクトに比較する前に、それがどの段階の燃料タンク容量に基づいたものであるのかチェックしておいた方が良いと思ってのですが、紫電改の燃料積載量は市販の本ではなかなか見当たらないかもしれません。紫電改も烈風も、途中で設計変更されて防弾仕様に変わっており、その前後で容量が違っているのです。
とにかく烈風は試製が遅れたことが致命傷になりかけた機種なのでして、遅れた理由としては零戦や雷電の試製、改造が同一設計班内に重なったことが大きいです。
ということから、「紫電改のような烈風」だとしても紫電改より遅く現れる可能性がやはり大きく、その場合はやはり(同じような性能であるだけになおさら)紫電改が優先され、烈風は中止されていたのではないかと想像されてしまいます。
また、紫電改への統合がはかられたのは烈風だけでなく、陣風もそうであったことを忘れることが出来ません。
各社の試製能力の実態を見るにつけ、実際に開発できる機種数を出来る限り絞りきる必要があったことは拭えません。
片
- 片様 重ねてのご回答、ありがとうございました。
はなみ
- 横空の意見として、紫電改(防弾実施済み)の防御をA7M1(防弾未実施)程度に落とせば航続力が増えて艦戦として使える、というものがありました。
そういうことなのだと思います。
片