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なぜ海軍は、中島に対し昭和19年中頃まで零戦二一型を作らせたのでしょうか。発動機の生産も栄二一型に絞った方が効率的に思えますし、前線では五二型を要望していたようですが。 はなみ |
- >発動機の生産も栄二一型に絞った方が効率的に思えますし、
こういう問題は零戦だけに絞って考えない方が良いのかも。
例えば、栄一一型を積んだ九七艦攻も同時期に使われ続けていますよね。
片
- なるほど、発動機に関しては考え方が狭かったようです。
回答ありがとうございました。
はなみ
- 直接の原因は海軍が昭和18年度の中島への発注を二一型で内示したことによります。
中島への発注分は19年度からA6M3(の改良型)に切り替わる予定でしたから19年半ばまで引っ張ったと言うよりも18年度中は計画通りA6M2を生産したということになります。
三菱への発注分がA6M3で、中島への発注分がA6M2となったのは、昭和17年夏の「二号零戦問題」で三二型の航続距離が問題視され、応急改造型の三二型、根本改良型の五二型へと改設計が続けられ評価が定まらなかったことが主な理由で、18年度の生産計画は二号零戦問題解決の真っ最中に立案されていたからです。
BUN
- そうですね。時期的には「19年中頃まで」ということはなくて、きれいに19年4月の会計年度アタマで五二型に切り替わっていたようです。
片
- あくまでちなみにの話ですが、>1で述べた十一空廠製九七艦攻もほぼ18年度いっぱいです。19年度に入ると中島半田製の天山の生産が軌道に乗ってきます。ちょうどこの頃が艦上機生産のかなり明確な区切り目になっているようです。
片
- 18年度の発注でしたか。
BUN様、片様、ご教示ありがとうございました。
はなみ