5383 B29が高高度で爆撃したときは大して被害はないという記載をよくみかけますが、素人考えで、大都市など密集した地域を無差別に爆撃する場合、どの高度でもあまり変わりがないような気がするのです。これはどういう現象なのしょうか。
ナナ

  1.  無差別爆撃じゃないからです。
    SUDO

  2. B-29の日本爆撃のイメージは日本の戦闘機が上がれないほどの
    1万メートル以上の高高度から爆撃して悠々と引き上げていった
    といったイメージがありますがけっしてそうではありません。
    B−29による日本爆撃の初期は比較的高高度からの戦略拠点への
    精密爆撃でした。三鷹の中島飛行機工場へは再三爆撃を繰り返しています。
    ヨーロッパで成功したと言われる精密爆撃はうまくいきませんでした。
    その高度で(特に冬は)日本上空のジェット気流にに乗ってしまい
    対地速度があがり充分な照準ができず成果が上がりませんでした。
    成果が上がらないことで米指令が更迭され悪名高いルメイが着任し
    低高度からの焼夷弾による無差別爆撃が主流になって行くのです。
    日本本土のB−29の爆撃に先立ち偵察型のF−13が東京上空に進入し
    陸海軍ともになすすべなく逃してしまった事実がB−29=高高度=日本戦闘機迎撃困難と言う一般的なイメージに固まってしまったのではないのでしょうか。
    ROCKS

  3. ウィキペディアの「カーチス・ルメイ」の「無差別戦略爆撃の立案」の項目をお読みください。

    主なポイントを4点挙げています。言い換えれば、第21爆撃集団司令官の前任者ヘイウッド・ハンセルは、その反対のことをしていたということになります。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4

    霞ヶ浦の住人

  4. 航空機工場などへの高高度精密照準爆撃はでは、雲に視界を遮られて「精密照準」自体が困難となった例がかなりの比率に上ります。
    「雲量10/10」つまり雲に完全に覆われている場合には、効果の高い市街地無差別空襲に切り替えられていたりもします。


  5. 米軍は当初、密集編隊飛行による高高度昼間精密爆撃を、(ヨーロッパ同様)日本に対しても戦略爆撃の基本的な方針としていました。

    B-29の防御火器は、密集編隊飛行においては非常に強力であり、爆撃による地上目標の破壊と並んで、空中でも敵の戦闘機を破壊して防空戦闘能力を漸減させようという「防御」から一歩踏み込んだ思想を持っていました。

    しかしながら、高高度飛行はエンジンへの負担が大きく、整備のため機体稼働率の低下を招きました。

    また、高高度飛行は燃料消費量が大きく、編隊飛行維持も燃料消費量を増すため、多量の搭載燃料が必要となり、結果として搭載できる弾量も制限されました。

    さらに、すでに回答にもありますが、冬季のジェット気流に乗った場合、対地速度が著しく増大し、ノルデン爆撃照準機の設計仕様を超えてしまったらしく、正確な照準が困難でした。

    日本の戦闘機も、昼間であれば、高高度でもかなりの脅威になったようです。

    以上が、日本本土に対するB-29の初期の高高度爆撃の成果が期待以下であった主な原因です。

    ルメイは、冷徹な分析により、夜間の日本軍の防空戦闘能力が著しく低いこと、低高度目標に対する対空火器の配備が不十分なことを見抜き、夜間に編隊を組まず、比較的低高度から焼夷弾を大量に投下することで「効率的に」戦果を上げることに成功しました。

    >4
    多くの場合、目視照準による第一目標と、レーダー照準による第二目標が設定されていました。天候により目視照準が困難な場合は、第二目標をレーダー照準により爆撃しましたが、一応「軍事目標」を狙ったものなので、この時点では「無差別」ではありません。
    ただし、その時期のレーダー照準では精度が低いので、結果として市街地に投弾してしまうことになりましたが。
    OPD

  6. >5
    第二目標「市街地工場地帯」を爆撃することは、本質的には3月9日と同じです。


  7. とにかく日本本土への戦略爆撃を3月9日以前以後で分類しつくしたつもりになると、2月25日の昼間高高度レーダー照準による東京下町焼夷弾空襲のような事例を見逃してしまうことになります。この日は本来は中島武蔵製作所攻撃予定日でしたが、事前に天候不良による目視困難が伝えられ、目標を市街地(ミーティングハウス)に変更して出撃されています。この作戦がミーティングハウス1であり、3月9日の同じ目標に対する夜間低空焼夷弾空襲がミーティングハウス2になります。


  8. 片様
    ご指摘ありがとうございます。2月25日の作戦任務第38号に関しては、確かにその通りで、これはその後の夜間焼夷弾爆撃の前触れと言えるでしょう。

    『ルメイの焼夷電撃戦―米軍資料』(奥住喜重, 日笠俊男 著、岡山空襲資料センター、ISBN:4860690834、2005年)
    によれば、高高度(昼間)精密爆撃、低高度焼夷夜間攻撃の他に、「精密爆撃目標に対する低高度夜間高性能爆弾攻撃」や「白昼に雲を通しての焼夷弾爆撃」も検討されていたことがわかりますが、様々な観点から最も「効率的」なものは低高度焼夷夜間攻撃であると結論付けられたようです。


    OPD


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