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始めまして、にぽぽ兵曹長という者です。二つ程質問させてください。 とあるサイトに「零戦はイギリス・グロースターの戦闘機のパクリだぁ〜!」 と書かれており、無茶苦茶こけにされていましたが、果たして本当なのでしょうか。あと、そのサイトには上記零戦の事だけで、「第二次大戦中の日本の航空技術には見るべきところが無い(藁)」とか書いていましたが、超々ジュラルミンとか、中島の層流翼シリーズ等の主翼設計や蝶型フラップ。それに自動空戦フラップ等の技術はドイツやアメリカと比べれば取るに足らないものだったのでしょうか。不安で夜も眠れません。 にぽぽ兵曹長 |
- 零戦グロスターF5/34起源説については、当Ans.Q航空機関係3079、5121をご覧下さい。
片
- 優れたものは真似ます。
ドイツが研究した後退翼を、第二次世界大戦後、アメリカとソ連が真似しました。F86とミグ15です。V2ロケットを真似て、アメリカとソ連がロケットを作りました。ドイツの突撃銃を真似て、ソ連のカラシニコフ銃が作られました。ドイツ軍のヘルメットの形を真似て、現在のアメリカ軍の「フリッツ」(ドイツ)ヘルメットが作られました。
日本を真似て、アメリカとソ連が作ったものがありますか?
霞ヶ浦の住人
- 片さんありがとうございます。よく調べてみるべきでした。
Ans.Q航空機関係3079、5121と読ませていただくと、グロースターの模倣ではないにしろ、機体そのものは凡庸であると感じました。
その機体が大活躍できたのは、時代と場面が零戦を必要としていたからだったんでしょうね。
にぽぽ
- >日本を真似て、アメリカとソ連が作ったものがありますか?
大発などの上陸戦術と聞いておりますが(航空ではありませんが・・。)
にぽぽ兵曹長
- シンガポール占領したあと日本側が押収した英国の書類にYagiとあって、何かとおもったら八木アンテナのことだった、なんてありますね。
まるき
- 日本の大発を真似してアメリカの上陸用舟艇が?
確かに日本の関係者には、そのように主張しておられる方もいらっしゃいます。しかし、アメリカの関係者は一笑に付しています。
trnt@4o
- 上記は霞ヶ浦の住人の書いたものです。
霞ヶ浦の住人
- >優れたものは真似ます。
では、スピットファイアは優れていなかったのでしょうか?P-51は優れていなかったのでしょうか?U-ボートは優れていなかったのでしょうか?
確かに優れた物は真似られるというのは、物の優秀さを証明する要因の一つとして考えられますが、では真似られないから優秀では無いとは言い切れないような気がします。
因みに私の家も霞ヶ浦の近くにあります。
にぽぽ兵曹長
- 結論から言いますと機体の設計技術は無駄がなく、空力特性が優れているといった点がありますが、それ以外の技術に関しては優れていないわけではないが、特に導入の必要性がないといったところでしょうか。 日本機に関する評価については、本当に様々な評価や身びいきといったものがありますので、機会があれば一つの項目に関して複数の文献を見てみるのが一番だと思います。
MG36
- MG36さん。
ありがとうございます。つまり優れてはいるが、唯一無二という訳
では無く、他に代替がきくか、もしくは他国には必要ないという事
でなんでしょうね。
あとは、色々な文献を読んで判断します。英語は苦手ですが・・。
にぽぽ兵曹長
- U-ボートは世界中が真似しています。
第一次世界大戦後、戦利品として引き渡されたU-ボートは、当時の他の国の潜水艦の水準を大きく凌ぐものでした。日本を含めて、世界中か真似しています。特に日本はテッヘル博士に来日してもらい、技術指導を受けました。その後の日本の潜水艦はU-ボートの真似です。
第二次世界大戦後のソ連の潜水艦もU-ボートの真似です。
霞ヶ浦の住人
- ああ、つまり世界中の飛行機はみーんなカーチスのパクりですねえと。
SUDO
- 戦時中における日本の航空技術について論ずるならば、むしろそこへ至るまでの過程…1920〜30 年代のことを調べてみることをお勧めします。
例えば欧州でシュナイダートロフィー華やかなりし 1926 年、日本は昭和 1 年だったわけですが、日本の航空技術は陸軍甲式四型、海軍十年式艦戦など、やっと「外国人技師の指導下による機体の国内設計/生産」や「ライセンス購入したエンジンの国内生産」が始まったところです。1930 年代前期の海軍 90 艦戦や陸軍 91 戦も純国産とは言いがたいもので、エンジンはいまだライセンス生産の中島ジュピターです。
それが僅か 5,6 年後の 96 艦戦・97 戦ではいきなり全金属応力外皮構造・片持単葉という、世界一流レベルの機体設計をやり遂げるレベルへと飛躍します。エンジンはいまだ模倣色の強いものですが、次の隼・零戦では曲りなりにも純国産設計の複列 14 気筒「栄」が実用化され、更に次の「誉」ではお手本なき 18 気筒化に挑戦し、トラブルに悩まされながらも一応の成功を収めています。
日本機設計者による自伝において「世界水準に達した」「独自の技術」が強調されるとき、それ以前に「世界水準から大きく遅れた」「独自性を発揮する余地など殆どない」時代が本当にあったことを考慮しなければならないでしょう。「90 艦戦はボーイング F4B を参考にした」「零戦はボート V-143 を参考にした」どちらも事実だとしても、「参考」の度合いはかなり異なります。そして「参考にした」部分だけを取り上げて模倣だパクリだと騒ぎ立てるのは、「参考にしなかった」部分だけを取り上げて独自だ純国産だと誉め立てるのと同じで、あまり意味のある事だとは私には思えません。
ささき
- 微力ながら・・・一言
飛行機ではありませんが、酸素魚雷など 優れた物があると思います。
たしか、レーダーの基本的なアンテナの理論は日本のヤギアンテナだとも
聞きました。 但し、レーダーやゆくゆくの電子レンジまでの応用力が
なかったのも事実ですが...
以上素人の聞きかじりですみません。
アロー
- トーフ、ショーユ(ソーイソース)は世界中に広まっています。スシのイクラがロシア語だときいたらロシアの船員さんが喜んだ、なんて稚内のお寿司屋さんが言っていました。トヨタのカンバン方式も世界中がまねしていますね。
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と、ここで回答したら大顰蹙だとおもいます。が、霞ヶ浦の住人様、あなたの昨今なさられている諸々のご回答は、みなこれと本質的に大同小異であるとしかみえません。
知らないことに対して黙し、他の諸賢の書き込みを待つのは、なんら恥ではないとおもいますが。
まるき
- 15>「まるき」様への回答
「知らないことに対して黙し、まるき」。私もまるき様と同意見です。
「トーフ」は中国人の発明です。ウィキペディアの豆腐の項目を参照してください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90
ソーイソースと英語で表現した場合は、日本の醤油ばかりでなくて、アジア各国の同様なものも含まれます。なお、日本の醤油の元になったのは、中国より伝来した金山寺味噌です。
ウィキペディアの醤油の項目を参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%A4%E6%B2%B9
スシも外国より伝来したものです。
ウィキペディアのすしの項目の歴史を参照してください
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%97
「と、ここで回答したら大顰蹙だとおもいます。まるき」。私もまるき様と同意見です。
霞ヶ浦の住人
- ウィキペディアの豆腐の項目を再度表示します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90
霞ヶ浦の住人
- 16.17>
そんな事を言い出せば飛行機は全てアメリカの模倣で、戦車は尽くイギリスの真似ということになってしまいます。ま、私も霞ヶ浦さんと論争するのは無駄と思っているので、霞ヶ浦さんがそれでいいというのならそれでいいのですが。
山奥の人
- 霞ヶ浦の住人さま、で、カンバン方式は?
霞ヶ浦の住人さまがお好きなウィキペディアだと、ソイ・ソースでは日本のしょうゆについての言及が一番多いですが
http://en.wikipedia.org/wiki/Soy_sauce
ともあれ、あなたの一連のご回答となさられていることは、やはり大顰蹙だと思われます。私ももうあなたには何もレスしません。好きに生きてください。
まるき
- 工業製品などの技術を習得するには大体最初は1コピーまたは
ライセンス購入→2先人の業績を参考に独自で作る→3独自の技術
といった過程を経ていきます。零戦の出現時は2から3への移行期
であったと考えられます。多くの技術的な面をライセンスまたは
参考にして独自の技術でまとめ上げた、と言うのが適切と思います。
日本の航空技術は短時間で驚くべき進化を遂げますが、戦争の執行
と言う偏った面での進化です。欧米ではいきなり航空産業ではなく
その前に自動車の進化と言う過程を経てきています。一例ですが
主要エンジンはロールスロイス・ダイムラーベンツ・イスパノスイザ
アルファロメオ・パッカード・アリソン(GM)とすべて名だたる
乗用車(多くは高級車)メーカーですが日本では軍事用のトラックとか
で自動車は普及していたものの国産乗用車何って皆無といっても良いでしょう。したがって設計者もそれを生産する側もとても欧米の工業水準になかった、と言えます。
したがって零戦は模倣でもパクリでもなく出現当時としては世界水準の
戦闘機である面では水準を抜いた飛行機であったと言うのが正しいのでは。
また、上記のような背景から日本の航空技術は無理して発展を遂げてきたの
で残念ながら欧米を驚かせるような画期的、決定的なものはなかったと言えるのでは。
霞ヶ浦さんが出てくると皆さん過剰反応して不要な書き込みが多くて残念で
す。これじゃ荒らしと一緒ですね。
ROCKS
- 敬称略
「霞ヶ浦の住人」の歳がいくつか知らないが、一連の書き込みを見ると「言われたら言い返す」という小学生レベルの根性で書かれているものが多く、「批判や反論を謙虚に受け止め反省、検証するする」という「大人の姿勢」がまるで見られない。それでも内容に見るべきものがあれば良いが、それもほとんどない。
「過剰反応」ではなく、常識と良識のある人間にはそれが許せないのでしょう。その気持ち良くわかる。ほとんど読ませていただくだけの小生でも、こうした書き込みしたくなりますもん。
二言目には「記録として残す云々・・」とのたまうが、自分の書き込みが記録としての価値があると思っている所が、この氏の精神の未成熟さを雄弁に物語っている。
よけいな書き込み大変失礼。
TAKA
- 潜水艦探知のための「三式一号磁気探知機」(今日のMAD)を積んだ哨戒機「東海」なんかは、日本を真似て戦後にアメリカが作ってますね。磁気による艦船探知技術そのものは、それ以前に磁気機雷などがあるわけですが、その種の装置を航空機に積んで対潜哨戒を行ったのは日本が最初と言っていいでしょう。
とはいえ八木アンテナやカンバン方式と同じように、霞ヶ浦の住人は自分に都合の悪いことなので無視するでしょうね。
まあ、ある程度基礎技術が熟してくると、その次の段階は同時多発的にあちこちで発明されることはよくあることで、なにがどこまでなにの真似なのかなど軽々しく判断できるようなことではありません。しかし、そんなことは霞ヶ浦の住人には理解できないでしょう。なにしろWikipediaや他人の著書の真似、引き写ししかできない人なのですから。
16の発言など、Wikipediaさえあれば霞ヶ浦の住人など不要、存在価値なしだと自分で証明してるようなものですな。
石垣
- 22>
とても良く理解できますし、その通りだと思います。
再度の余計な書き込み大変失礼。
TAKA
- >22
米国の名誉のために書かせていただきますと、米海軍は1942年にはMADをPBY飛行艇に搭載して対潜作戦に使用しております。
しかし、日本海軍が独自に磁気探知装置を実用化したことは評価に値すると思います。
○林
- >24
実は自分でもアメリカのK型飛行船なんかがMAD積んでたと言う話を思いだしたのですが、そんなこともあろうかと22の後半部を書いておいたわけで、かくのごとく軽々しく真似などと言ってはいかんと言うことですね。
まあ、一番重要なのは最後の一行なので。
石垣