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日本の戦車の実力は、イタリアの戦車と比べてどうだったのでしょうか?共に走行が薄く、打撃力もないと聞いているけれど、どっちが強かったの?
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- 日本製の25mm厚の装甲板を57mm戦車砲は穴は開けても弾体が砕けて貫通できませんでした。37mmは少しましでしたが、伊軍の戦車砲のほうがはるかに良質でした。反則だけど3式戦車はp40より強いかな?強いといいな、と思います。
- 司馬遼太郎氏のある短編エッセーの中で、97式戦車の表面をやすりで削ると、装甲はやすりを受付けなくで感動したが、3式中戦車の表面を削ると、戦車の表面はいとも簡単に傷がついた、というような話がありました。
- そりゃ、いくらなんでも嘘でしょう。そもそも司馬氏は戦車第一連隊の砲戦車中隊長で、3式には触れてないはず。司馬氏の発言は戦車将校としての日本軍に対する愛憎半ばした想いがこもっていて虚実相半ばするところがあります。でも、ホントだったりして。
- 司馬氏の戦車第一連隊が満州から本土決戦用に前橋の近くに配置替えが行われたころ、三式中戦車を見たそうです。
- kono[
- kono[yasuri]
- ↑司馬氏は素晴らしい作家ですが、はっきりいって勘違いもとてもヒドイです。たとえば戦国最強は薩摩の島津軍団だとか(頻繁にくり返し強調している)中国清王朝の満州八旗兵を世界最強ともとれる書き方をしたりと。ましてやWW2についてはちょっとね。(イタリア戦車は砲はそこそこいいでち。あいてがマチルダだったのがいけないんでち)
- (↑だっせー、やっちまったぜ)この「やすり」の話は有名ですね。司馬氏は日本戦車の装甲の質が低下していたというようなニュアンスで書いていますが、表面硬化処理した鍛造鋼鈑と鋳造鋼鈑の違いだとも言われています。
- ↑戦国最強というのが兵の強さという意味なら間違っているとはいえないはずです。確か司馬氏もそのようなニュアンスで言っていたように思います。八旗兵の話は知らないので分かりませんが、案外17世紀初頭のレベルなら実はそうだったりするのかもしれません。確かに司馬氏のうんちくに怪しい点は多々ありますが、3式戦車の話は実体験なのでそれとは同一にはできないでしょう。
- いかに実体験といえど、鍛造鋼板と軟鋼板の違いは明らかでしょう。しかし、本当の問題は戦車兵にすらその教育を施さなかった陸軍にあると思います
- ↑(話ズレてすまんでち)実は戦国時代は飛び道具が戦の主力であり、実戦で刀と刀で切り結ぶのは100回に1度程度だったのです。島津軍団は銃を基幹とし他国とはまったく違い大量の弓を装備していました。その意味では確かに非常に強かったのですが、白兵戦を主力にしていたわけではありません。また満州兵の弓は極めて速射がきいたのですが、射程は劣り600メートルは飛んだトルコ弓(インド軍-アクバル)に比べるとかなり貧弱です。昔の戦いを白兵戦中心だったと考えてはいけません。どこでも遠戦兵器がハバをきかせたのです。白兵戦を信奉していたのはヨーロッパ民族であり、他民族はまったくそうではなかったのです。
- (いかんズレてますよね、と思いつつ)薩摩兵の強さというのは戦国末期から西南の役まで一貫して言われている事です。まあそれはおいといて、確かに文禄慶長の役から関ヶ原の時点に関して言えば、薩摩の銃装備率が高かったのは定説ですし、当時の戦闘が既に火器主導だったのは確かですが、「百回に一回」はちと言い過ぎでしょう。射撃戦で相手を制圧したり撃退する事は結構あったはずですが、両者が対置しての射撃戦となればそうそう方はつきません。白兵突撃がやはり戦闘の主体であったでしょう。
- (えーい、居直って続けたろ)戦国末期の戦闘が銃主体で白兵戦はほとんどなかった。というような極端な説の根拠となっているのは、負傷原因の記録を使っている例が多いですが、例として出される記録が攻城戦(あるいはその防御側)の場合が多いです。こうした場合は確かに刀傷より銃傷が多くなるのは必然ですね。また白兵戦の場合は負傷に止まらず、首を取られての戦死が多くなることも考えに入れなければなりません。最後に付け加えれば、薩摩軍団といってもどの時期のそれなのか限定しないとなんとも言えませんね。
- (みんな石を投げないでくれ、これで最後)「白兵戦を信奉していたのはヨーロッパ民族であり、他民族はまったくそうではなかったのです。」この部分は賛成です。遊牧民族の影響でしょうが、ヨーロッパを除けば騎射を戦術の基本にするのが主流でした。しかし白兵戦がやはり重要だったのもまた事実で、それは自動火器の登場まで続いたとみていいと思います。
- 司馬氏の「三式はヤスリで削れる」に対し設計側から「厚い装甲板は処理方法が違うから削れる」ってな反論が出ましたが工場関係者が「ただの鉄を使った」と言ったのでもめました。その後、結論が出たかどうか、私は知りません。
- ↑アクバルはティムールの間違いでした。
- 脱出!(^^)/^ それはそうと、私はイタリア戦車については全く知りません。代表的なのについてどなたか教えてください。
- ↑司馬氏に限らず他の作家達の明らかな誤解・間違い(薩摩軍)は山程ツッコミやタネアカシができるんですが、ここではふさわしくないですね。どこか邪魔にならないところに書きたいんですが。
- ↑じゃあ議論ボードはどうでしょう。是非ともタネアカシとやらを拝見したいです。あそこなら邪魔にはならんでしょう。
- ↑書きました^^
- 日本戦車はディーゼル機関の採用が光ってますが(ただT34の機関と比べるとクソ重いけど)、イタリアも魚雷艇用の優秀な国産高速ディーゼルがあるからその気になれば可能か?
- 装甲が薄い、火力が弱い、数が少ないなど似たもの同士で比較する意味すらないが、、、、、敢闘精神は買うにしろ、無駄死にはいやだなぁ
- 両国とも戦艦はまともなのに(イタリア戦艦はカッコいいと思う、特にローマ級)、力の入れ方が違うのですね。
- ↑大和とか、まともでしょうか?
- ↑技術的に機関や装甲や火砲の性能なんかで外国艦に比べて戦車程には決定的な差が見られないとの意味です。
- どっちも弱かった(爆)、けどイタリアの方が同じ条件で作らせたら強いんでは?
- ↑ドイツから直接、技術導入や供与を受けられますからね(場合によってはドイツ戦車のライセンス生産も可能)、イタリアの方が条件はいいです。
- 少なくともOTOメララは優秀な火砲だったでしょう
- 機銃しか装備してない豆戦車隊が英軍の軽戦車に全滅させられたというエピソードは泣ける^^;
- ↑北アフリカでのイタリアのことです。
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