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787 武蔵は最後まで副砲は12門だったのでしょうか?

  1. 「大和」同様に防空能力強化の為、中央の副砲は撤去しましたが、12.7cm高角砲が間に合わなかったので25mm3連機銃で代替しました。


  2. しかし大和型の副砲の不格好さはないと思います。あんな間に合わせ的な事をやるとは・・・そこが弱点になるかもしれないのに。


  3. 両舷に発砲できるよう中心線配置に固執したのでしょう。一応、砲塔基部の揚弾筒まわりの防炎シェルターを強化してはいるようです


  4. 大和の副砲防御は巷で言われている程、弾火薬庫の防御は脆弱では無い様です。それと、個人的に大和の初期の砲塔配置はとても美しいと思います。


  5. 大和の副砲防御の問題は建造中に指摘されたものの、根本的な解決策がないのと建造が遅れるのを避けるためにそのまま建造されて2番艦の武蔵でいくらかの対策が施されたと書かれた本がありましたが、具体的にはどのような対策が施されたのでしょうか?


  6. 最上級の主砲を大和級の副砲に流用された時点では、砲塔自体は周囲に防熱板を追加し8m測距儀が装備された程度で、砲塔の装甲厚は25mm程度で「大和」級搭載時点でも増厚されていません。大口径砲弾に対しては揚弾筒の中甲板貫通部には蜂の巣甲鈑を採用し直撃弾の弾火薬庫侵入を防ぎ、万一砲塔内で砲弾が爆発した場合には砲塔の防焔装置にて弾火薬庫への誘爆を防ぐ事になっていました(建造時)


  7. (続き)大和が竣工後、副砲防御が主砲に比べて著しく脆弱な事がGF司令部で問題となり、この為に建造後に強化実施された項目は次の通りです。まず1、4副砲を支える円筒支筒が甲板上に高く露出している為、この円筒の支筒に28mm程度の装甲板を追加し、また砲筒旋回部から進入した貫通弾の爆発に対しは、元々の防焔装置の板厚を増し、揚弾筒中甲板貫通部にも防焔板を出来るだけ多数増設しました。これにて、一応は副砲防御は耐800kg爆弾となりましたが、実戦で本当に有効だったかどうかは不安があった様です。


  8.  出典は定かでは内のですが、大和型は沖縄特効の時に副砲の被害が結構致命傷になったような記述がありました。けれども、所詮は巡洋艦の砲台ですから、防御力はたかが知れたものではないですか? 戦艦の副砲が砲塔型というのは結構問題のような記が・・・賛否両論ですが私は決して大和型は美しいとは思えないのです。ビスマルクが一番美しい。まあ美というものは主観的なので皆さんあんまりいじめないでね。(MINOWA)


  9. 根本的に、条約後の新式戦艦では副砲(その下に高角砲があるから中間砲かな)の存在が時代遅れだったのですけど(日独伊)、米英の新型戦艦の様に小口径でも対空対艦両用の両用砲を装備した方が結果的には正解でしたね。


  10. 日本海海戦では30センチ主砲とともに12ー15センチ副砲が上構造の破壊に役立ったのでその戦訓を重視したからでない?副砲は金剛によるガ島砲撃でそれなりに役立ってますし、、、。いちがいに否定はできないとおもふ


  11. ↑ワシントンやサウスダコタの両用砲は(第三次ソロモン海戦で)もっと役に立っているので、十分否定できると思ふ。両用砲で充分、充分。


  12. 戦艦の副砲は、日露の時代のモノは交戦距離の増大から中間砲、そして主砲へと収斂吸収されましたが、代わりに従来補助砲の役割だった軽艦艇撃退任務が駆逐艦等の大型化に伴って担わされる事になり、それがWW1末期からのトレンドだったのです、昼間砲戦で駆逐艦や軽巡対策をするならば、日独の6インチ級副砲は正解です、ラプラタやサマールでの戦例もそれを支持していると思われます/SUDO


  13. でもって、新時代の水雷艇とも言える航空機対策を重視するなら米軍の両用砲がベストなのですが、これでは水上打撃力に不安が生じるのも事実です、英軍では133mmにすることで両者を満足させようとしましたが、これは対空火器としては失敗で、KG5は主砲に続いて副砲も中途半端な存在に・・・、また米軍で両用砲配備がすんなりと進んだのは、連中の高角砲・副砲がもともと5インチで、また旧式で低性能だった事があると思われます、決して素晴らしい先見の名ダケでは無かったと愚考します/SUDO


  14. ↑別に米軍の高角砲が他国のものに比べて旧式で低性能とは言えないでしょ。当時の副砲としては5インチは小さいけどね。やはり副砲廃止して両用砲にしたってのは先見性の賜物とみるのが適当かと愚考します。



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