QQCCMMVVGGTT
702 |
紫電改三一型はどのようなコンセプトの元に計画されたのでしょうか?二一型からどのような改良がなされたのでしょうか?
|
- 機首上面に3式13mm固定機銃4型2挺を追加した武装強化型。13mmも翼の20mmも3度上向きに装備。爆撃装備は懸吊装置は97式懸吊鈎のままだが弾体抑えが引っ込み式になり、電気投下式となる。これらの改修で重心位置が変化した為、発動機架を150mm延長。機首両側面のスリットが2列となっていることが特徴。エンジンは誉21型。生産201号機以降の後期生産型はこの型。以上モデルアート臨時増刊No.304「紫電/紫電改」より抜粋。
- 31型は鳴尾工場製5501,5502の2機のみで、20年2月生産開始「予定」だった。というのが正しいのでは?3月末に乗り換えた菅野大尉の2機目の愛機が21型の初期型であることも状況証拠のひとつになるように思います。
- モデルアート臨時増刊の発売日を見たら「昭和62年」。同じ内容のことが書いてある資料を見つけたと思ったら、これがエアワールド1985別冊日本海軍機写真集で昭和60年。紫電改については古い資料しか持っていませんでした。こいつはもう“誰か教えてくれー"ですね。
- 航空ファン別冊日本海軍機写真集に2機だけ試作されたと書いてあったので「これか?」と思ったら、こいつは昭和54年だった。どんどん古い資料ばかり見つかるぜ。
- 横須賀航空隊編 「戦闘機隊長必携」では「予定」と。二〇年四月の略符号一覧では「開発中止」となっています。結局やめちゃったのでは?BUN
- 世界の傑作機を立ち読みしてきましたが、やはり201号機から三一型となっていますね。2機のみで終わったのは三二型のようです。でも量産されたにしては、あまりにも写真がありませんねえ。戦争末期とはいえ。
- こんなことを言うと、顰蹙ものでしょうが、1次資料で「中止」となっているのだから、その後の2次、3次資料(惰性的記述でしょう)が何と言おうと、やっぱ中止と考えるのが妥当だと思うのですが・・・。だってほんの一昔前まで、読み物系の資料では中島での零戦生産さえ、正確に伝わっていなかったじゃありませんか。
- ↑同時代の一次資料がそう書いているからと言って鵜呑みにするのもどうかと思いますが。「戦闘機隊長必携」の記述が正しいのかは他の資料と照合しなければなんともいえません。現在の通説というのも複数の一次資料を検討した結果のものでしょうから、それを簡単に否定するほどの信憑性があるかというと疑問です。
- それは確かにその通り。無礼をお詫びいたします。ただ平気で引き写しを行う市販の出版物の記述に少々不満があったのです。
Back