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425 エース揃いの343空は松山にあったそうですが、なぜ首都防空のために東京近辺に置かなかったのか。どういう理由で四国にエースを集めたのだろう?

  1. 呉の軍港を守るためです


  2. 343空は横須賀で編成されたのですが手狭な為、錬成用の飛行場として松山を選定しました。だから、松山での空戦は本当はあまり戦果のあがっていない3月の空戦くらいで、その損害を回復の後、本来の目的である決戦航空隊として九州へ移動して終戦まで戦います。また、現実には「エース揃いのエリート部隊」という程では無くて、隊長達も割と戦歴の浅い人達です。武藤金義さんを横須賀空から引き抜いたしこりと源田実司令の強引さへの反発が「エリートを引き抜いて編成」という伝説を生んだようです。


  3. ちなみに各隊長たちは先任で戦闘701飛行隊長の鴛淵孝大尉が兵学校68期、戦闘407飛行隊長林喜重大尉が同69期、そして最後任戦闘301飛行隊長の菅野直大尉が70期でした。それとエースばかりではなく搭乗員を育て本隊に編入させる錬成隊の戦闘401飛行隊もあったようです。(全然関係なくてすいません)


  4. 映画「太平洋の翼」をご覧ください。343空の伝説はこの映画と源田実の自伝で始まったのです。でも面白いですよ。



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