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アガリクス茸高級お茶 投稿者:珍しい天然麝香(じゃこう 投稿日:2023/12/29(Fri) 23:11 No.4823  

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新シリーズ「限界への挑戦」 投稿者:サバニ 投稿日:2003/08/31(Sun) 01:17 No.1422  
水雷艇シリーズまだ続いていますが、新シリーズスタートさせます。軍艦籍の中にぽっかり空いた大穴、砲艦たちを紹介していくことにします。題して、「限界への挑戦」。
けっこう長くなりそうなので、こちらの板を使うことにしました。



Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 サバニ - 2003/08/31(Sun) 01:18 No.1423  

 旧日本海軍では長江流域で自国権益の保護のための艦種として河用砲艦が多数建造されました。このシリーズではその国産第一号である鳥羽以降に建造された河用砲艦と、外洋航行も可能な航洋砲艦を含めた各クラスを紹介していきます。

砲艦鳥羽(1911年)
〔解説〕
 河用砲艦として日本が最初に運用したのは隅田と伏見(初代)でした。この2隻はいずれも英国製でしたが、排水量がいずれも150トン前後と小型で、速力も低かったため長江で三峡を越えて遡上するには難しいものがありました。
 この鳥羽は、そこからの大型化と高速化を目指して初めて国産された河用砲艦です。要目は基準排水量220トン、兵装は短8センチ砲単装2基など。就役した年にちょうど辛亥革命がおこり、できるだけ早く派遣することが望まれたので、いったん佐世保工廠で完成させた上で、重量物を取り外し、浮きドックに入れた状態で巡洋艦笠置に曳航してもらうという荒技で上海に到着しました。続く第一次大戦の際は、当初中国が中立を取ったので、交戦国艦艇として抑留されたこともありました。
 ちなみにこの時代のカラーリングは船体が白、上甲板以上の構造物がクリーム色というものでした。



Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 サバニ - 2003/08/31(Sun) 01:20 No.1424  

砲艦鳥羽(1936年)
〔解説〕
 鳥羽の新造当初の艦橋は吹きさらしでしたが、やがて固定天蓋や後檣などが取り付けられ、兵装も機銃が増設されているほかに防盾がつけられるなど物々しさが増しています。カラーリングは上海事変(1932)以後、白一色とされましたが、さらに37年の日中戦争勃発以後は鼠色となりました。ちなみに太平洋戦争の開戦時には上海で英砲艦ペテレルを撃沈、米砲艦ウェーキを捕獲するなどの戦果を挙げます。大戦中は上海〜南京間の警備を務め、上海で終戦を迎えたのち、中国軍に接収されました。



Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 まなかじ - 2003/08/31(Sun) 13:05 No.1430  

こりゃまた・・・河用砲艦ときましたかー♪


Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 レギオン - 2003/08/31(Sun) 21:19 No.1431  

こ、こんなに小さいものを・・・


Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 kiyochan@しもべ - 2003/09/01(Mon) 00:34 No.1436  

砲艦ちっちゃい! これを再現するとは・・・
新シリーズ嬉しいです


ありがとうございます〜 サバニ - 2003/09/01(Mon) 09:28 No.1437  

ちっちゃいのもそうなんですが、日中戦争前はカラーリングが白一色だったりするので、フォルムを浮かび上がらせるのが難しいんですよ。
 だから、とりあえずパイロット版的にひとつアップしてみて皆様の反響をうかがいたかったのですが、おおむね好評のようですのでこの調子で進めていきたいと思います。


砲艦 宇治(初代)1903年 サバニ - 2003/09/21(Sun) 21:20 No.1480  

日本の砲艦シリーズ、かなり間が空いてしまいましたが、ひさびさの投稿です。

1903年に竣工した国産最初の砲艦です。乾舷が比較的高く、いわゆる河用砲艦ではないものの、艦首は亀甲型なので、外洋航行にはあまり適していませんでした。それでも日本海海戦にまで参加しているから強者というべきか、それまで動員しなければいけなかったのか、よくわかりません。
 使用実績はあまり芳しくなかったのですが、その経験が後の艦に活かされることになりました。1936年に現役から退いて潜水艦母艇となりますが、老朽化が著しく進んでいたのでその年のうちに除籍されました。常備排水量620トン、兵装7.6センチ×4門など。



鳥羽差し替え サバニ - 2003/09/21(Sun) 21:23 No.1481  

ついでに鳥羽(1911)のボートを白く塗るのを忘れていたので、差し替えお願いします。



Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 kiyochan - 2003/09/22(Mon) 07:24 No.1487  

シリーズ再開(わーい)

鳥羽差し替えました。


砲艦 隅田(初代) 1910 サバニ - 2003/09/25(Thu) 23:29 No.1510  

伏見(初代)とともに河用砲艦として初めて建造された艦。1906年に英国ソーニクロフト社で建造され、外洋航行能力がないためいったん分解されたのち、上海で組み立てられて竣工しました。低速力のため(13ノット)三峡を越えて遡上することはできなかったものの、1935年に除籍されるまで中国での権益保護に活躍しました。ちなみに本艦は建造から解体されるまで生涯一度も日本本土に来ることのなかった珍しい艦です(他には回航中に消息を絶った巡洋艦畝傍があるだけ)。
常備排水量126トン、主な兵装:4.7センチ単装砲×2



Re: 砲艦 隅田(初代) kiyochan - 2003/09/26(Fri) 07:02 No.1513  

>建造から解体されるまで生涯一度も日本本土に来ることのなかった珍しい艦です
 日本の砲艦シリーズ でよかったでしょうか?


Re: 砲艦 隅田(初代) サバニ - 2003/09/26(Fri) 09:59 No.1514  

>Kiyochan様
>>日本の砲艦シリーズ でよかったでしょうか?
 はい。このツリーにぶら下げるやつはそうです。


日本の砲艦 嵯峨(1936年) サバニ - 2003/09/26(Fri) 23:53 No.1517  

 宇治(初代)だけでは手薄な、中国の沿岸部を含む比較的広い区域での警備を担当できるよう新たに建造されたのが本艦で、1912年竣工しました。宇治では不十分とされた航洋性、居住性、兵装などすべての面の改善が図られ、艦型も大型化しています。
基準排水量685トン 兵装は12センチ単装砲×1、8センチ高角砲×3など。
 第二次大戦開戦時にはかなり老朽化していましたが、そのまま参戦、香港攻略に参加後はその周辺を中心に行動、44年9月にいったん触雷沈没ののち浮揚され、香港で修理中の45年1月、爆撃により再び沈没し、その生涯を終えました。



Re: 砲艦 嵯峨 kiyochan - 2003/09/27(Sat) 04:20 No.1519  

「限界への挑戦シリーズ」毎回すごいですね
やはり少しでも大きい艦だと、描き込みがし易そうです。


砲艦 安宅(1922年) サバニ - 2003/09/28(Sun) 23:47 No.1526  

 第一次大戦後に対中国の権益拡大にともなって警備強化の必要性が生じたので、八八艦隊計画に計上される形で建造され、1922年に就役しました。とくに重視されたのが旗艦設備で、居住性と通信施設の充実がはかられ、兵装も駆逐艦と同じ12センチ砲を採用するなど強化されています。基準排水量725トン、主兵装は12センチ単装砲×2、8センチ高角砲×2など。
 当初の艦名は「勿来」を予定していましたが、漢文読みにすると「来る勿(なか)れ」となり、ただでさえ対日感情が悪化している中ではさすがにこの名前はマズいだろうということで改められたのはわりと知られた話ですね。



砲艦 安宅(1943年) サバニ - 2003/09/28(Sun) 23:50 No.1527  

 長江での行動を考慮して吃水を深くできず、また居住性の向上を図るうえで乾舷も高くなり、さらに重武装化といったことが重なり、復原性に不安を生じて1934年と1937年に性能改善工事が実施されています。この際、バラストの追加、艦橋の固定天蓋化、後部構造物の拡張と、戦尾籠前檣の短縮と三脚化、後部の12センチ砲を撤去などがなされ、中央部におかれていた高角砲を後部主砲跡に移設しています。
 第二次大戦中は長江下流域と中国沿岸部を中心に船団の護衛などにたずさわり、終戦時は上海で中国側に接収されました。
 かつては全体が白色に塗られていた砲艦は、1937年の日中戦争勃発以来鼠色にされたので、今回、シリーズ初の軍艦色塗装となっています。



安宅タン 戦艦乞食 - 2003/09/29(Mon) 00:23 No.1528  

平時は白い妖精さんみたいで
ため息がでるよに可憐だったのに・・・
苦労したのね(涙)


Re: 安宅タン サバニ - 2003/09/29(Mon) 01:07 No.1529  

>戦艦乞食さん
 大戦末期はもっと過酷になってきますですよ。
 まあ、見ていて下さい(一応、伏見二代のときを予定)。


Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 kiyochan - 2003/09/29(Mon) 07:07 No.1532  

>平時は白い妖精さんみたい
 たしかにそうですね


Re: 砲艦 安宅(1943年) サバニ - 2003/09/29(Mon) 10:25 No.1533  

>>戦尾籠前檣の短縮と三脚化
 やぱし、急いで書くとろくなことおまへん。

 素材集に解説文入れるときは「戦尾籠」削除して下さい。
 よろしくお願いします。


砲艦 勢多(1923年) サバニ - 2003/10/01(Wed) 22:53 No.1538  

 安宅と同様、八八艦隊計画で建造されたこちらは河用砲艦。鳥羽をベースに大型化と速力向上をはかっています。勢多のほか比良、堅田、保津と同型艦4隻が一挙に建造されて、昭和初期における長江警備の主力となりました。これらの艦はみな、国内の造船所で建造されたのち、ノックダウンで漢口と上海にて組み立てられるというかたちで就役しています。基準排水量330トン、速力16ノット。主な兵装は8センチ高角砲単装×2



砲艦 勢多(1938年) サバニ - 2003/10/01(Wed) 22:56 No.1540  

 勢多型各艦も上海事変等の戦訓により、艦橋の固定天蓋化や高角砲への防盾取り付け、機銃の増設などがなされています。また日中戦争開戦後は他の砲艦と同様、鼠色に塗り替えられましたが、色調は通常よりも明るめだったということです。
 太平洋戦争のあいだも長江の警戒につきますが、戦局の悪化とともに敵航空機からの攻撃も激しくなり、熾烈な対空戦闘へと巻き込まれていきました。その後、勢多以外のすべての艦は空襲により大破擱座、あるいは行動不能といった状況で終戦を迎えています。



Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 kiyochan - 2003/10/02(Thu) 22:52 No.1541  

安宅で、だいぶ大きくなってきたと思っていたら、また小ぶりな艦ですね。(でかけりゃいいってものでもないでしょう)


Re: サイズの話 サバニ - 2003/10/02(Thu) 23:30 No.1542  

>kiyochan様
>>安宅で、だいぶ大きくなってきたと思っていたら、また小ぶりな艦ですね。

 ああ、これはですね、Kiyochanさんに言うのも釈迦に説法かも知れませんが、安宅と勢多型とは在中國的砲艦のなかでも系統が違うからですよ。

 まず、初代宇治〜嵯峨〜安宅とつづくのは、ある程度の航洋性をもち、中国近海まで行動できる能力を備えた航洋砲艦の系統になります。旗艦設備や指揮通信能力、居住性などが重視されるので、必然的に大型化し、最後の橋立型では千トンクラスになります。
 一方初代隅田・伏見〜鳥羽〜勢多型と続くのは、純然たる河用砲艦の系譜で、長江流域での行動のみを想定しています。ですから要求される仕様によって大きさも若干変わってきています。実際、次の熱海型では勢多型より小さくなってますが、これはより上流まで遡航できるように考えられたからです。


砲艦 熱海(1929年) サバニ - 2003/10/05(Sun) 14:13 No.1547  

さて、その小さくなったという熱海です。

〔一口解説〕
 昭和2年度の補充計画で勢多型の改良型として2隻建造され、1929年に熱海が、翌30年に二見が竣工しました。減水期でも長江上流まで遡上できるように一回り小型化されたほか、これまでの河用砲艦の使用実績を加味した設計となり、初代の伏見・隅田から勢多型に至る英国式の設計からは一線を画した形態となりました。速力は三峡の急流を乗り切るためにやはり16ノットを与えられています。
 また、これまでの河用砲艦はノックダウンを現地組み立てという形がとられてきましたが、このときはいずれの艦も好天の日程を選んで内地から自力で航行しています。
 基準排水量205トン。主な兵装は短8センチ高角砲単装×1、7.7ミリ機銃×5など。のち、太平洋戦争前には後部上構天蓋上に13ミリ連装機銃が増設されたほか、戦時中には短8センチ高角砲が長砲身のものに換装されたりしています。
 開戦後はやはり長江での哨戒活動にたずさわり、たびたび空襲で損傷を受けながらも同型艦の二見ともども終戦まで生き残って、いずれも中国に接収されました。熱海は「永平」、二見は「永安」と改名され、1960年頃まで使用されたということです。
 竣工時の塗色はこの年代だと上構が黄褐色のはずなのですが、写真を見る限りどう見ても白塗り一色にしか見えないので、このようにさせてもらいました。



Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 kiyochan - 2003/10/06(Mon) 06:50 No.1549  

>写真を見る限りどう見ても白塗り一色にしか見えない
 解説にこのように入れていただくと、どのように解釈して作られたアイコンかわかっていいと思います。


砲艦 伏見(二代)1939年 サバニ - 2003/10/10(Fri) 01:33 No.1550  

 日本の建造した最後の河用砲艦で、マル三計画で建造されました。従来の各艦が年代を経るごとに重量増により乾舷が低下、ひいては航行能力の低下に悩まされてきたので、前の熱海型より大型化し、かつ余裕を見込んだ設計となりました。また、艦型のわりには高速が要求されるため、機関に初めてタービンが採用され、17ノットを発揮できるようになっています。基準排水量304トン 主な兵装は短8センチ高角砲1門、25ミリ連装機銃×1。同型艦は隅田(二代)。
 竣工後はやはり自力で中国まで回航されました。また、完成が日中戦争勃発後であったため、当初から塗色は鼠色となり、これまでの艦のような白塗装がなされることはありませんでした。



砲艦 伏見(二代)1945年 サバニ - 2003/10/10(Fri) 01:35 No.1551  

 太平洋戦争中は、この伏見型の2隻も他の河用砲艦と同様に長江流域の哨戒任務につきますが、大戦中盤以降になるとたびたび空襲を受けるようになります。そのため、塗色も1943年以降は褐色塗装となりました。いわゆるカーキ色ですね。また、平時のような外交上の意義も薄れて格式も必要なくなったために、44年10月1日付で軍艦の類別から除かれ、菊花紋章も取り外されてしまいます。なお、この間艦首の8センチ砲は長砲身のものに換装され、機銃も増設されました。
 伏見、隅田の両艦とも終戦まで生き残り、中国に接収された後はそれぞれ「江鳳」「江犀」と改名され、60年代まで使用されたといいます。



Re: 砲艦 伏見(二代)1939年 サバニ - 2003/10/10(Fri) 01:53 No.1552  

ミスがありましたので、こちらでアップ願います。



Re: 砲艦 伏見(二代)1945年 サバニ - 2003/10/10(Fri) 01:54 No.1553  

上に同じ。こちらでアップお願いします。



Re: 砲艦 伏見(二代) kiyochan - 2003/10/10(Fri) 06:58 No.1554  

修正版でアップしました。

>塗色も1943年以降は褐色塗装となりました。
 「軍艦」という感じが薄れてしまいますね


砲艦 橋立(二代)1940年 サバニ - 2003/10/15(Wed) 00:55 No.1566  

 日本が建造した最後の砲艦です。伏見型(二代)と同じマル三計画で、安宅などの旗艦設備を有する航洋型砲艦の代艦として計画されました。上海事変の戦訓から兵装が強化されたうえ、凌波性と居住性を両立させるために船首楼が長くなり、その反面後部の構造物はシンプルになったので、規模も外観もほとんど海防艦と変わらなくなっています。主砲が12センチ高角砲3門というのはのちの甲型海防艦と全く同じですが、前部が連装、後部が単装というのはちょうど逆ですね。ただし、吃水を浅く、乾舷を高くとらなければならないのと、比較的重兵装が求められたので、適切な復原力を得るために設計上苦労させられたそうです。そのため、防弾版などは取り外し式になっていて、外洋航海の際には艦底部に収納する必要がありました。
 基準排水量999トン、速力19.5ノット。
 1940年に竣工した後は同型艦の宇治(二代)とともに中国沿岸部から近海の船団護衛や哨戒活動に就いていました。44年5月に橋立は米潜にやられてしまいますが、宇治の方は最後まで生き残り、中国に接収されました。当初は国民党軍の「長治」として活動しますが、やがて共産党軍に寝返ったのち「南昌」と改名され、1980年代まで使用されたといいます。

 ということで、国産砲艦の歴史はここまでなんですが、シリーズはまだまだ続きますよ〜(って、バラエティ番組のエンディング前でコマーシャルに入るときみたい)。。。



Re: 新シリーズ「限界への挑戦」 kiyochan - 2003/10/15(Wed) 07:44 No.1567  

>シリーズはまだまだ続きますよ〜
 おおっ!
 活目して待て!! ですね(笑


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