Page 62 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼日本海軍の爆撃機対する構想 タケ 02/6/19(水) 12:30 ┣Re:日本海軍の爆撃機対する構想 二式砲戦車 02/6/19(水) 14:27 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 isao 02/6/19(水) 19:33 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 タケ 02/6/20(木) 12:36 ┣Re:日本海軍の爆撃機対する構想 二式砲戦車 02/6/20(木) 14:45 ┃ ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 勝井 02/6/20(木) 18:24 ┃ ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 BUN 02/6/20(木) 23:22 ┃ ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 勝井 02/6/20(木) 23:30 ┃ ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 BUN 02/6/21(金) 0:52 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 isao 02/6/20(木) 20:48 ┣排気タービンの研究はかなり早い BUN 02/6/20(木) 23:15 ┃ ┗Re:排気タービンの研究はかなり早い isao 02/6/20(木) 23:20 ┃ ┗Re:排気タービンの研究はかなり早い BUN 02/6/20(木) 23:58 ┃ ┗Re:排気タービンの研究はかなり早い isao 02/6/21(金) 19:39 ┃ ┗Re:排気タービンの研究はかなり早い BUN 02/6/21(金) 20:10 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 タケ 02/6/21(金) 12:32 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 isao 02/6/21(金) 19:36 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 タケ 02/6/22(土) 16:20 ┣Re:日本海軍の爆撃機対する構想 BUN 02/6/23(日) 9:01 ┃ ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 勝井 02/6/23(日) 13:13 ┃ ┣Re:日本海軍の爆撃機対する構想 タケ 02/6/23(日) 13:39 ┃ ┗全然違います BUN 02/6/23(日) 13:50 ┃ ┗Re:全然違います タケ 02/6/23(日) 13:59 ┃ ┣機種の概念 BUN 02/6/23(日) 14:37 ┃ ┃ ┗ごみレス isao 02/6/24(月) 20:33 ┃ ┗ゴミレス ささき 02/6/25(火) 14:53 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 isao 02/6/23(日) 14:32 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 タケ 02/6/24(月) 12:32 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 isao 02/6/24(月) 20:25 ┗Re:日本海軍の爆撃機対する構想 タケ 02/6/25(火) 12:46 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 日本海軍の爆撃機対する構想 ■名前 : タケ ■日付 : 02/6/19(水) 12:30 -------------------------------------------------------------------------
ww2時の日本海軍が陸上爆撃機を配備していた根本的な理由な何でしょうか?当時他国の海軍では、主戦場が海上で在り陸上爆撃機を配備する構想が無かった様に思えます。戦争末期につれ深山、連山、富岳等の重爆撃機等の研究、開発、試作へと発展してます。 |
> ww2時の日本海軍が陸上爆撃機を配備していた根本的な理由な何でしょうか? 日本海軍が配備していたのは、「陸上爆撃機」でなく(銀河をのぞく)「陸上攻撃機」です。配備の目的は敵艦隊攻撃のためです。 陸上より出撃し、はるか洋上で敵艦隊に対し雷撃・爆撃を加えて暫減させる目的のため、必然的に双発以上の大型の機体となりました。深山・連山などの四発機にも魚雷を搭載し、艦隊攻撃に使用する予定でした。 陸上目標に対する爆撃に使用されたのは、陸攻のもつ航続力が長距離爆撃にむいていたからであり、あくまで補助的な任務であると自分は考えています。 |
> ww2時の日本海軍が陸上爆撃機を配備していた根本的な理由な何でしょうか? 漸減作戦という構想があったためです。二式砲戦車さんも言っておられるとおり艦隊攻撃のためです。 >戦争末期につれ深山、連山、富岳等の重爆撃機等の研究、開発、試作へと発展してます。 富嶽は別として深山、連山も陸上攻撃機であり、開発においての目標は艦船攻撃でした。二式大艇もそうですね。 日本海軍は持久戦を想定しておらず(あるいは関心度が薄く)、敵への戦略攻撃を行うつもりがあまりなかったのです。 |
> 富嶽は別として深山、連山も陸上攻撃機であり、開発においての目標は艦船攻撃でした。二式大艇もそうですね。 > > 日本海軍は持久戦を想定しておらず(あるいは関心度が薄く)、敵への戦略攻撃を行うつもりがあまりなかったのです。 オーストラリラのダーウイン空襲及びそれ以前の中国戦線等は、陸上攻撃を戦略爆撃機的な運用をしてる様な感じがしますが・・・。開発時の連山は艦船攻撃が目標ですが、同時期海軍は陸軍と重爆撃機の共同研究をしている事から連山のエンジンに排気タービン加給器と取り付け高々度性能を高めて戦略爆撃機的な運用を考えていませんか? |
重慶爆撃・ポートダーウィン爆撃に陸攻が使用されたのは、その作戦が可能な機体が海軍では陸攻しかなかったためです。 また、この重慶は国民党の拠点、ポートダーウィンは南方海域における重要な連合国側の拠点であり、これらに対する爆撃は戦術爆撃に分類されると自分は考えています。 |
> また、この重慶は国民党の拠点、ポートダーウィンは南方海域における重要な連合国側の拠点であり、これらに対する爆撃は戦術爆撃に分類されると自分は考えています。 ポートダーウィンについては同意します。 あれは航空殲滅を狙った純然たる戦術行動でしょう。 けど、重慶はどうかな? あれは国民党政権の屈服を狙っている点で やはり戦略的な意味合いが強いように思います。 |
確かに勝井山の言う通りだと思います。 しかし、開戦劈頭、毒ガスなどを用いて幾つかの主要都市を壊滅させ、敵軍隊ではなく国家そのものを混乱させ戦争を継続できなくさせる、という戦略爆撃の本筋の理論は日本でも広く知られてはいましたが、当初の重慶爆撃はやはり戦術的なものですし、その後、政治的な目的を帯びては来るものの、あれをもって「戦略爆撃の嚆矢」と形容するには規模も効果も方針も全てにわたり小規模、不徹底だったのではないでしょうか。 |
> 規模も効果も方針も全てにわたり小規模、不徹底だったのではないでしょうか。 全くもって同意見ですが、 目的が戦略レベルである以上、 やはりあれは「戦略爆撃」と呼ぶべきだと思うのですよ。 |
> 目的が戦略レベルである以上、 > やはりあれは「戦略爆撃」と呼ぶべきだと思うのですよ。 やっぱり、呼べない。 「戦略爆撃の思想に影響を受けつつ実施された市街地爆撃」に過ぎないのでは? というか、あれは戦略爆撃なんだと主張する旧軍関係者も確かにいますけれど、それも「鳳翔は世界初の空母」と主張するのと何処かニュアンス的に重なりますね。重慶を焼き尽くした所で中国が揺らがないだろう事位は承知していたんですから、やはり「政治的デモンストレーション爆撃」「脅迫爆撃」とでも形容すべきものだと思います。 |
> 開発時の連山は艦船攻撃が目標ですが、同時期海軍は陸軍と重爆撃機の共同研究をしている事から連山のエンジンに排気タービン加給器と取り付け高々度性能を高めて戦略爆撃機的な運用を考えていませんか? 海軍が本格的に排気タービンを用いようとしたのは戦争が始まってからで、それは時勢の変化によるものでしょう。実際に戦争が始まって短期決戦の構想が崩れると、当然飛行機開発も変化するものです。 それと、薄学で申し訳ないのですが、陸海軍はどのような重爆の研究をしていたのでしょうか? |
海軍の排気タービン研究は昭和12年頃から始まっています。 連山や一式陸攻が排気タービンを搭載するのは対空砲火と敵戦闘機の邀撃をかわす目的なのですが、陸攻の運用構想に「要地攻撃」が加えられ段々とその比重を増してきているという背景があります。「要地」とは主に敵航空基地ですけれども。 |
> 海軍の排気タービン研究は昭和12年頃から始まっています。 > 連山や一式陸攻が排気タービンを搭載するのは対空砲火と敵戦闘機の邀撃をかわす目的なのですが、陸攻の運用構想に「要地攻撃」が加えられ段々とその比重を増してきているという背景があります。「要地」とは主に敵航空基地ですけれども。 知ったかぶりをして恥をかいてしまいました(^^;; それでは、ひとつご教示いただきたいのですが、戦争が始まってから電探のように必要に迫られて本腰を入れ始めた訳ではないのですか? |
> 知ったかぶりをして恥をかいてしまいました(^^;; > それでは、ひとつご教示いただきたいのですが、戦争が始まってから電探のように必要に迫られて本腰を入れ始めた訳ではないのですか? あんまり知られていない事なので別にお気になさらずにどうか気楽にお願いいたします。 排気タービンの研究はあの種子島さんがフランス滞在中にスイスから購入した見本を各社に提示して研究させ、最初のタービンが完成したのは開戦前です。それに幾度かの改良を加えたものが零戦に搭載され試験が行われています。 高く飛ばなければ対空砲火と戦闘機から逃れられないという戦訓は中国戦線からも得られていますし、フィリピン攻略戦の戦訓でもあります。ですから陸攻隊の進入高度はガダルカナル戦時でさえ本土空襲時のB29と大して変わりません。高度8000mで護衛戦闘機も酸素マスクを必須の装備としています。 |
> あんまり知られていない事なので別にお気になさらずにどうか気楽にお願いいたします。 > 排気タービンの研究はあの種子島さんがフランス滞在中にスイスから購入した見本を各社に提示して研究させ、最初のタービンが完成したのは開戦前です。それに幾度かの改良を加えたものが零戦に搭載され試験が行われています。 > 高く飛ばなければ対空砲火と戦闘機から逃れられないという戦訓は中国戦線からも得られていますし、フィリピン攻略戦の戦訓でもあります。ですから陸攻隊の進入高度はガダルカナル戦時でさえ本土空襲時のB29と大して変わりません。高度8000mで護衛戦闘機も酸素マスクを必須の装備としています。 ありがとうございます。 なるほど、日中戦争のときから本腰入れていたのですね。 でも、それでもモノにできなかった日本はなんか情けないですね(^^;; |
15年頃までの資料があまり残っていないのですが、日本の排気タービンは当初、大型爆撃機や攻撃飛行艇に搭載する航空用ディーゼルエンジンの出力向上に使用する予定だったようです。それをガソリンエンジン用に転換する際に色々な問題が発生し、その対策に追われているうちに更に代用材料の導入などこの手の機器の死命を制するような問題が加わり、混乱の中、終戦直前になってようやく安定した性能を得るようになります。 |
> それと、薄学で申し訳ないのですが、陸海軍はどのような重爆の研究をしていたのでしょうか? 陸海軍が共同で研究していた機体として上げられるのは、川崎キ91長距離爆撃機だと思います。全幅48m、爆弾搭載量8トン、完成すればB29を凌ぐ重爆撃になる筈でしたが、戦局の悪化により試作計画は昭和20年2月に破棄されてます。 もし完成していれば、陸海軍で採用されオーストラリアへの戦力爆撃に用いれられたと想像しますが・・・。オーストラリアを孤立させ陸海軍共同の戦略爆撃により屈服させれば、日本側が有利に早期に講和を結ぶ事が可能かと思います。 |
> > それと、薄学で申し訳ないのですが、陸海軍はどのような重爆の研究をしていたのでしょうか? > 陸海軍が共同で研究していた機体として上げられるのは、川崎キ91長距離爆撃機だと思います。全幅48m、爆弾搭載量8トン、完成すればB29を凌ぐ重爆撃になる筈でしたが、戦局の悪化により試作計画は昭和20年2月に破棄されてます。 ご教示ありがとうございます。 もしかしたら間違えかもしれませんが、キ91は当初陸軍の研究開発で開戦後重爆の必要性が増したことから海軍も加わったというのだと思いましたが・・・ |
> もしかしたら間違えかもしれませんが、キ91は当初陸軍の研究開発で開戦後重爆の必要性が増したことから海軍も加わったというのだと思いましたが・・・ キ91は昭和18年5月に陸海軍共同で試作機の研究が開始されてますから、開戦前から陸軍が独自に研究はしてないかと思います。 |
陸海軍協同試作には二つの形態があります。 開発過程で陸海軍が役割分担する場合と、それぞれ独自に開発した機体の審査を協同で行い、運用を共通化する場合です。 基本的には後者が主体で、キ91の開発に海軍は関与していません。 キ91は昭和十八年の研究方針を具体化した陸軍の遠距離爆撃機です。 任務は要地撃破。要地とはこの場合、主に敵航空基地と解釈すべきでしょう。 |
> 開発過程で陸海軍が役割分担する場合と、それぞれ独自に開発した機体の審査を協同で行い、運用を共通化する場合です。 後者の代表的な例が4式重爆「飛龍」ですね! |
> 後者の代表的な例が4式重爆「飛龍」ですね! 飛龍に雷装が出来る様になったのは、陸軍でも大戦末期には艦船攻撃の必要性が在った為かと思うのすがどうでしょうか? |
> 後者の代表的な例が4式重爆「飛龍」ですね! 靖国は陸軍の部隊が陸軍機として運用していますので、全く違います。 陸軍雷撃隊のように単純に海軍の指揮下で戦った例なら、陸軍機のほぼ全機種に及びます。 協同試作の例で言うならば藤花などが適当でしょう。 けれども九八陸偵など陸軍機を海軍の制式機として採用する例は戦前からありますね。 |
米軍ではB(ボンバー)A(アタッカー)の2種類が在るのに、日本陸軍では何故無かったんでしょうか? |
> 米軍ではB(ボンバー)A(アタッカー)の2種類が在るのに、日本陸軍では何故無かったんでしょうか? 日本にも米軍のBナンバーに相当する重爆とAナンバーに相当する軽爆があります。 ただ、機種の概念は国ごとに少しずつ異なりますから、それぞれの機種が全て綺麗に対応する訳ではありません。 陸軍ならば軽爆 重爆の二機種から襲撃機、軽爆、重爆の三機種に移行し、その後近距離爆撃機、遠距離爆撃機という行動半径に重点を置いた分類が登場します。 |
私の実家の隣のおじさん(おじいさん)は、戦時中、九州の陸軍基地にいました。 そのおじさんから聞いたところ・・・ おじさんたちは97式、100式、4式など陸軍の代表的重爆を、通称名で呼んでいて、決して重爆と言ったことはないと言っておりました。 また、基地の人々も重爆とは認識していなかったと言います。 それが陸軍全体の認識とは言わないまでも、実際に体験した話を聞くと、本やその他のメディアで得たことが覆されるくらい興味深いことがありますよ、ね? |
> 米軍ではB(ボンバー)A(アタッカー)の2種類が在るのに、日本陸軍では何故無かったんでしょうか? Bomb を「ボム」と発音するように後ろのBは発音せず、 Bomber は「ボマー」と発音します。 ただし「爆撃(砲撃)する」という動詞 Bombard は「ボムバード」と Bの子音を発音する場合が多いです(辞書を引くと「ボマード」でも 間違いではないらしい)。 しかし「爆撃手」である Bombaradier は「ボマーディアー」と Bの子音を省略して発音することが多いようです(これもボムバーディアー と発音しても良いらしい)。 「何故?」と言われてもわかりませんが、参考までに(^^;)。 |
> > もしかしたら間違えかもしれませんが、キ91は当初陸軍の研究開発で開戦後重爆の必要性が増したことから海軍も加わったというのだと思いましたが・・・ > キ91は昭和18年5月に陸海軍共同で試作機の研究が開始されてますから、開戦前から陸軍が独自に研究はしてないかと思います。 昭和18年といえば戦争が始まってからですね。ここで共同開発が陸軍単体か陸海軍共同かはおいておいて、開戦後には確かに海軍も陸地(敵基地など)爆撃が必要になってきてますので、開戦前と開戦後は1色単に考えることはできないと思います。 海軍の構想は漸減作戦でした。戦艦の数が劣勢なため、航空機(空母機も基地機も)、潜水艦までも艦隊攻撃に利用しようとしました。アメリカが太平洋を渡る途中、それらでアメリカ戦艦を撃沈もしくは落伍させて、同数以下で艦隊決戦に持ち込もう、というわけです。 ところが、いざ戦争を始めてみると艦隊決戦は起こらず、要地を奪い合う局地戦の積み重なる戦いとなったわけです。それにより、本来は艦隊攻撃を行うはずだった陸上攻撃機が陸地爆撃に使用されることとなったのです。 大変失礼かと存じますが、陸上攻撃機というのは陸上を攻撃するという意味ではなく、陸上から発進する攻撃機(主に雷撃)という意味です。 それを考えれば海軍の陸攻の存在理由がわかってくるのではないかと思うのですが・・・ |
> 大変失礼かと存じますが、陸上攻撃機というのは陸上を攻撃するという意味ではなく、陸上から発進する攻撃機(主に雷撃)という意味です。 > それを考えれば海軍の陸攻の存在理由がわかってくるのではないかと思うのですが・・・ 確かに海軍の陸攻は艦船攻撃を目的としているのは分かりますが、戦術的、戦略的爆撃に用いるのは本来の用途から外れていると思いませんか? ただ戦術的、戦略的爆撃の主任務は、海軍ではなく陸軍ではなかったと思ったんですが・・・。 |
> 確かに海軍の陸攻は艦船攻撃を目的としているのは分かりますが、戦術的、戦略的爆撃に用いるのは本来の用途から外れていると思いませんか? そのことについては完全に同意します。少し乱暴に書くと海軍の陸攻は1回限りの使い捨てを目的に開発されたものですから。 しかし地上爆撃が必要となり、それを行う適当な機体が他になかったのですから仕方がありません。 > ただ戦術的、戦略的爆撃の主任務は、海軍ではなく陸軍ではなかったと思ったんですが・・・。 当時の日本は陸軍と海軍の間でそういった意思の疎通がうまく出来ていなかったのでは? |
> > ただ戦術的、戦略的爆撃の主任務は、海軍ではなく陸軍ではなかったと思ったんですが・・・。 > > 当時の日本は陸軍と海軍の間でそういった意思の疎通がうまく出来ていなかったのでは? 太平洋戦争の場合、主な主戦場が太平洋に浮かぶ小島で海軍と違い洋上飛行が不慣れだった陸軍に対し海軍主体で戦術爆撃等を行ってないでしょうか?陸軍の戦術爆撃は、何だか海軍の戦術爆撃の陰に隠れてしまっている様に見えます。現実はそうでは無いにしても、一般的にはそう見れているのも確かなんですが・・・。 |