Page 49 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼旧日本軍における対戦車戦 伊号 02/4/23(火) 22:45 ┣Re:旧日本軍における対戦車戦 二式砲戦車 02/4/24(水) 3:01 ┣考えられる可能性を一つ挙げるならば・・・ BUN 02/4/24(水) 11:24 ┃ ┣空白の7年間とその間に起きたノモンハン 伊号 02/4/25(木) 2:02 ┃ ┃ ┣37mm級速射砲の経緯 BUN 02/4/25(木) 7:44 ┃ ┃ ┃ ┗92式歩兵砲との対比 伊号 02/4/25(木) 21:56 ┃ ┃ ┃ ┣Re:92式歩兵砲との対比 SUDO 02/4/25(木) 22:44 ┃ ┃ ┃ ┗Re:92式歩兵砲との対比 BUN 02/4/26(金) 2:54 ┃ ┃ ┣Re:空白の7年間とその間に起きたノモンハン あるめ 02/4/25(木) 11:59 ┃ ┃ ┗参考までに モーグリ 02/4/25(木) 17:20 ┃ ┃ ┗戦車を含む対戦車兵器の発達 伊号 02/4/26(金) 0:22 ┃ ┗失礼しました 伊号 02/4/25(木) 17:58 ┣Re:帝国陸軍は対戦車戦闘を重視していなかったのでは? TAKA 02/4/25(木) 21:10 ┃ ┣見てのように極めて常識的です SUDO 02/4/25(木) 22:35 ┃ ┃ ┣Re:「作戦要務令」は確かに常識的ですが・・・現実ではないのでは? TAKA 02/4/25(木) 23:47 ┃ ┃ ┃ ┣Re:「作戦要務令」は確かに常識的ですが・・・現実ではないのでは? 新参親爺 02/4/26(金) 0:01 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:「作戦要務令」は確かに常識的ですが・・・現実ではないのでは? TAKA 02/4/26(金) 0:21 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗早速のご回答有難う御座います 新参親爺 02/4/26(金) 9:14 ┃ ┃ ┃ ┣Re:「作戦要務令」は確かに常識的ですが・・・現実ではないのでは? SUDO 02/4/26(金) 0:48 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:確かにそうですが・・帝国陸軍に近代戦遂行能力がないのですから TAKA 02/4/26(金) 1:21 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re:確かにそうですが・・帝国陸軍に近代戦遂行能力がないのですから SUDO 02/4/26(金) 2:03 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗袖なし(余談 駄レス ) SAW 02/4/26(金) 11:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:確かにそうですが・・帝国陸軍に近代戦遂行能力がないのですから 二式砲戦車 02/4/26(金) 2:21 ┃ ┃ ┃ ┗戦力自乗の法則をご存知でしょうか? あきんど 02/4/26(金) 14:02 ┃ ┃ ┗どうもこの前後から 伊号 02/4/27(土) 1:45 ┃ ┗訂正させて戴きます BUN 02/4/26(金) 3:29 ┃ ┗Re:では現実をどの様に説明すればよいのですか? TAKA 02/4/26(金) 8:28 ┃ ┣言葉に敗因を求めるのは簡単 tackow 02/4/26(金) 8:47 ┃ ┣「考えてなかったから」出来なかったのでしょうか ささき 02/4/26(金) 9:01 ┃ ┣Re:では現実をどの様に説明すればよいのですか? R 02/4/26(金) 10:42 ┃ ┃ ┗考えていたけど、できなかった? ささき 02/4/26(金) 17:24 ┃ ┣Re:では現実をどの様に説明すればよいのですか? SUDO 02/4/26(金) 11:24 ┃ ┗もっと調べてからレスした方が モーグリ 02/4/26(金) 23:23 ┃ ┗枝葉末節というものですが まなかじ 02/4/27(土) 1:33 ┗私なりの結論 SUDO 02/4/27(土) 3:11 ┗はたしてそうでしょうか? 伊号 02/4/27(土) 19:05 ┣Re:はたしてそうでしょうか? まなかじ 02/4/28(日) 1:32 ┃ ┗議論の整理にお付き合い願えないでしょうか 伊号 02/4/28(日) 4:03 ┃ ┣私見ですが・・・ ささき 02/4/28(日) 17:12 ┃ ┣Re:議論の整理にお付き合い願えないでしょうか まなかじ 02/4/28(日) 20:50 ┃ ┃ ┗早速の御返事有難うございます 伊号 02/4/28(日) 23:44 ┃ ┃ ┗少し視点を変えると BUN 02/4/29(月) 9:51 ┃ ┃ ┗成形炸薬弾の実態 ベロウ 02/4/30(火) 1:24 ┃ ┃ ┣Re:成形炸薬弾の実態 BUN 02/4/30(火) 5:14 ┃ ┃ ┣Ans.Qみたいなれす(をひ まなかじ 02/4/30(火) 20:38 ┃ ┃ ┃ ┗Re:Ans.Qみたいなれす(をひ ある 02/4/30(火) 21:55 ┃ ┃ ┃ ┗いよっ、日本一!(本題とは無関係で済みません) VV 02/4/30(火) 22:05 ┃ ┃ ┗ちょっと待った。 いおーじま 02/5/1(水) 4:50 ┃ ┗Re:議論の整理にお付き合い願えないでしょうか SUDO 02/4/30(火) 0:10 ┗間に合わなかった「和製ナスホルン」 ささき 02/4/29(月) 4:05 ┣Re:間に合わなかった「和製ナスホルン」 まなかじ 02/4/29(月) 20:07 ┣「あの時、この手が」という考え方 BUN 02/4/30(火) 5:52 ┗Re:間に合わなかった「和製ナスホルン」 SUDO 02/4/30(火) 9:23 ┗泥沼ですね ささき 02/4/30(火) 11:40 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 旧日本軍における対戦車戦 ■名前 : 伊号 ■日付 : 02/4/23(火) 22:45 -------------------------------------------------------------------------
初めて議論ボードに新規投稿する伊号と申します。 日頃から拝見させて頂き投稿いたしますが私の短見、不勉強等有りましたらご教示、ご指導のほど宜しくお願いします。 又、拙い文書ですが御容赦下さい。 投稿するきっかけは議論ボードにおける特攻に対する議論と旧日本軍における白兵戦に関する議論を見たのがきっかけです。 航空特攻を扱った書籍や研究、議論や評論は良く見受けられるのですが太平洋戦争後半において航空特攻と並んでアンパンや携行爆薬、刺突爆雷を抱えて敵戦車に突っ込んでいく様な悲劇的戦闘を演じた対戦車戦に対する研究や議論は航空特攻と比較してあまり活発な印象を感じません。 日本の国力を勘案して多数の戦車部隊を擁するのは不可能としても対戦車兵器、特に対戦車砲、歩兵が携行する対戦車兵器等の配備は可能であったと思います。 特に強く思うのが旧日本軍が英米軍の戦車と戦闘を行った地域は島嶼や密林等ではむしろ対戦車兵器の活躍に相応しい環境だっただけに残念に思うのです。 ドイツのパンツァーファウストやパンツァーシュレック、イギリスのPIAT、アメリカのバズーカ等と日本軍におけるそれとは登場の時期が決定的に遅い様に思うのですが何故旧日本軍は有力な対戦車兵器を前線の兵士達に供する事が出来なかったのか、皆様の御意見をお聞かせ下さい。 |
二式砲戦車と申します。議論ボードに初めて書き込みをさせていただきます。 沖縄戦でのM4シャーマン戦車の損害は、一式機動47mm速射砲や97式戦車改による待ち伏せ攻撃など、特攻以外の戦法よるものがその大半を占めています。米軍戦史によると、沖縄戦で特攻攻撃によって破壊された戦車は10台程度であるのに対し、日本軍砲兵によって破壊された戦車は143台であるとされています。 バズーカ砲に対しては日本軍も研究を行い、「試製4式7センチ噴進砲」と呼ばれるものを作っています。実戦には間に合いませんでしたが。 バズーカ砲の配備は間に合いませんでしたが、日本軍は自らの装備と地形を最大限に利用して米軍戦車と戦ったと自分は考えています。 |
対戦車戦闘用兵器と戦術の立ち遅れについては大東亜戦争開戦により陸戦兵器製造開発の優先順位が下げられ、船舶、航空機にその重点が置かれた事が最大の理由と言えるでしょう。昭和十九年度まで戦車、対戦車兵器の製造開発は明らかに抑制されているのです。 これが再び順位を上げるのは昭和二十年度に本土決戦を意識した軍備計画立案時で、この時、対戦車兵器はその種類、構想においては多種多様でそれなりの性能を持ったものが現れますが、御存知の通り、実績を上げるには至っていません。 では戦前から研究開発が行われていた従来型の対戦車兵器である対戦車砲についてはどうなのかと言えば、これも技術的問題よりも戦術構想面での要因が大きいと言えます。 対戦車砲についての注目は非常に早い時期からあり、昭和8年〜9年の時期でさえ、軍の中央では航空用とされる陸軍輸入のエリコン機銃も含めて機関砲類には対戦車戦闘への適性が最初から研究課題となり、昭和10年代に入ると諸兵科の中でまず砲兵の側から、あらゆる既存砲の対戦車戦闘への適応を検討しています。この頃の砲兵科の研究がそのまま維持拡大されていれば日本の対戦車戦闘兵器の中核は最初から野砲となる可能性もあったかもしれません。野砲とは75mm砲の事ですから75mm級汎用カノン砲が対戦車戦闘の主力となり得るか細い可能性が存在したということです。 代表的な新型野砲である九〇式野砲と基礎を同じくするシュナイダ−系野砲をPak40と同様の砲架に搭載した例がドイツにありますから、軽量砲架に搭載した九〇野砲の登場は全くあり得ない話でも無いでしょう。 しかし、現実には歩兵砲からの流れによる対戦車目的の速射砲が37mm、47mm、57mmと口径と初速を拡大して行く中、歩兵部隊に随伴して機動する高初速75mm対戦車砲は牽引式では不可能であるとの見解により、日本では75mm口径以上の対戦車砲について自走式のみに開発を絞り込むことになります。理屈の上では合理的な発想ですが、先に書いたような製造開発の優先順位の中では先送りになる事は目に見えていたと言えるでしょう。要は機動戦に対する認識の問題なのでしょうが、牽引砲を諦めるのは早過ぎたのかもしれません。 最後に戦争末期の対戦車肉迫戦闘についてですが、重火器を持たない歩兵部隊が戦車に対してこのような戦術で立ち向かうことそれ自体は世界共通の事で、さして奇異なものではありません。戦車に対して絶望せずあらゆる手段を尽くして対抗するという姿勢はごく真っ当なものなのですが、後詰の重火器が存在しない事が悲惨さを際立たせていることにつては伊号さんにまったく同感です。 |
二式砲戦車様、BUN、早速の御返事有難うございます。 さて、対戦車砲についてですが昭和9年制式化の94式対戦車砲以降に(95軽、97中を除く)有力な対戦車兵器が現れなかったのは軍縮期に入ったとしても少々長すぎるような気がします。 更に94式対戦車砲の後継としての登場した1式37mm対戦車砲は時期的に見れば明らかな役不足であり、同時期に出た1式47mm対戦車砲一つに絞るべきと思います。 私見ですがこの1式37mm対戦車砲が太平洋戦争において旧日本軍の対戦車能力が低水準 のままであった原因のヒントを示してくれるように思うのです。 更に一つ、昭和14年に発生したノモンハン事件を一つの奇貨として対戦車装備の近代化を計る数少ないチャンスであったと思うのですが皆様の御意見は如何でしょうか。 (歩兵が携行する対戦車兵器については折を見てこの議題中に提起したいと思います) |
結論から言えば37mm砲は対戦車砲ではなかったのです。 これは軍需審議会でも説明されていますが、歩兵砲的な任務を兼ねさせた一種の万能砲として開発されており、弾薬の信管形状も対戦車用途の徹甲弾ではありません。 まして軽戦車搭載の37mm戦車砲は「対戦車砲ではない」とはっきりと否定される歩兵支援用の軽量砲なのです。 こうした37mm砲に対して対戦車砲としての機能を前面に出し、タングステン鋼心弾などで装甲貫徹力を強化する方向が見出され、その中で第二世代の対戦車砲として一式のシリーズが存在します。一技研内の一部などには口径拡大が必要との強い意見も存在したようなのですが、それと同時に装甲貫徹力が強化されるのであれば37mm口径による軽量機敏な砲も支持できるという判断もあった為、一式の試作研究は継続されています。 |
> 結論から言えば37mm砲は対戦車砲ではなかったのです。 > これは軍需審議会でも説明されていますが、歩兵砲的な任務を兼ねさせた一種の万能砲として開発されており、弾薬の信管形状も対戦車用途の徹甲弾ではありません。 > まして軽戦車搭載の37mm戦車砲は「対戦車砲ではない」とはっきりと否定される歩兵支援用の軽量砲なのです。 BUN様の仰る通りとするならば92式歩兵砲と対比すると94式速射砲(前述の「対戦車砲」と書いてしまうとBUN様との議論に支障をきたしそうなのでこれ以降は正式名で書きます)ではいささか非力なのでは・・・。 又、編成上でもBUN様の仰る通りなら一個連隊に配される場合、歩兵砲中隊として編成され、「対戦車戦闘もこなせる歩兵砲」として歩兵砲としての側面が強くなり速射砲中隊として編成上において歩兵砲中隊とは別に編成する必要がなくなると思うのですが。 実際の例としては大陸方面から転用された師団には速射砲中隊が無いため南方に転進の際には臨時的に歩兵砲中隊の中に94式を供給し速射砲隊(編成規模不明、おそらく小隊規模の部隊を師団隷下の連隊に分散配備))別途編成し、南方に派遣している場合があります。(第三十五師団) 94式速射砲は対戦車戦闘をこなせる歩兵砲としての側面が強い速射砲なのかそれとも歩兵砲の任務をこなせる対戦車砲としての側面が強いのか主従どちらでしょうか? |
昭和十三年作戦要務令 第二部 第二十九 配属速射砲隊 師団長は配属せられたる速射砲隊を必要の部隊に適宜配属し 以て対戦車戦闘の重点を構成するを通常とす となってますから、一応は対戦車砲が主というタテマエではあり、かといって対戦車戦闘をする機会が非常に少ないので、実態としては歩兵砲としての運用が主になってしまったという事ではないでしょうか? |
速射砲は対戦車砲として研究開発されたものですが、 榴弾射撃を重視している砲でもあり、 その事が対戦車砲としての機能を損なっている、ということです。 「泥に落ちても炸裂するように大きな信管を付けてある」故に 装甲貫徹能力が劣るのだという説明が一技研側からなされています。 運用の問題ではないのです。 |
ノモンハンで、たまたま速射砲で戦車を迎撃したところ、効果大で、對戰車兵器として俄然注目されたと聞いています。 |
>昭和14年に発生したノモンハン事件を一つの奇貨として対戦車装備の近代化を計る >数少ないチャンスであったと思うのですが皆様の御意見は如何でしょうか。 ノモンハンでは現場の判断で九〇式野砲を使用して戦車を撃破しています。 九〇式野砲が対戦車砲として注目されたのはノモンハンだったそうです。 |
> ノモンハンでは現場の判断で九〇式野砲を使用して戦車を撃破しています。 > 九〇式野砲が対戦車砲として注目されたのはノモンハンだったそうです。 モーグリ様はじめ皆様に御教示願いたいのですが対戦車兵器の中でも主役は火砲だと思うのですが94式速射砲に始まり1式37mm速射砲、一式機動47mm速射砲及び97中改と来たのですがそれ以降の対戦車砲(戦車砲)にどのような展望を持っていたのでしょうか?機動一式47mm速射砲以降の対戦車戦闘に供する事が出来る火砲や戦車砲に一貫性を見出せないのですが何方か御教示のほど宜しくお願いします。 |
すみません、「様」を入れ忘れてしまいました。 激しく失礼しました。 |
あくまでも私見に基づいた考え方ですが、帝国陸軍の対戦車戦闘について 述べさせて貰います。 基本的に帝国陸軍では対戦車戦闘を重視していなかったのではないでしょうか? 対戦車戦闘の基本には、1.戦車には戦車で対抗する考え方 2.戦車に対し歩兵に 対戦車兵器を持たせて対抗させる考え方 の2つがあると思います。 その内1.に関しては帝国陸軍には少なくとも97式中戦車に47mm戦車砲を積んだ 97式戦車改を開発した昭和17年までほとんど無かったでしょう。 何故なら97式中戦車開発当初、帝国陸軍の一部には38式75mm野砲を積むべきとの 意見がありましたが、帝国陸軍参謀本部の中で「戦車はと金である。歩兵を支援して 敵陣地に突入して其処で砲が威力を発揮すればよい。戦車兵が対戦車戦を夢見るのは 騎兵が抜刀突撃に憧れるのと同じである」と言うことを言った人がいるそうです。 これはあくまでも一部の意見かもしれませんが、帝国陸軍内の対戦車戦に関する 考え方を象徴しているのではないかと思います。対戦車戦闘に戦車を用いれば 高性能の戦車を大量に揃えなければならない、しかしその国力は日本にはない、 だから戦車は歩兵の支援兵器に甘んじさせておけばよい。と言う考えが終戦直前の 4式中戦車の開発時点まであったのではないでしょうか? 又2.に関しても、基本的には「陸上の戦闘を決着させるのは歩兵であり、 対戦車戦闘を重視する必要は高くない」という考えがあったのではないでしょうか? 基本的には帝国陸軍は歩兵重視の考え方です。そこでBUNさんが言われている様に 歩兵砲を基準に対戦車砲を考え、歩兵が運用しやすい対戦車砲を中心に考えたら 当然対戦車砲も37mmや47mmを中心にした軽砲が中心になります。 そうなったら中口径砲を対戦車砲に使用する発想は生まれなくなります。 その上に帝国陸軍のお得意の肉弾戦の発想が加わったら(この考えが正しいとは 思いませんが・・・)必然的に有効な対戦車兵器は登場しなくなるのでは? はっきり言って、帝国陸軍の兵器体系の中に対戦車戦闘に転用可能な既存兵器は 数多くあったと思います。例えば90式野砲や各種の75mm高射砲等です。 実際90式野砲は3式中戦車の主砲に用いられていますし、沖縄戦では高射砲を 対戦車戦闘に転用している例もあります。これらの兵器は歩兵が携帯とか運用可能 なほど軽便な兵器ではありませんが、陣地での戦車を迎え撃つ形での対戦車戦闘なら 十分運用可能です。実際ドイツはロンメルの行った様に、高射砲を対戦車戦闘に転用し 大成功を納めています。 この様な兵器は確かに日本の砲の生産力(陸軍砲兵工廠)では大量生産の困難な技術を 使用していますので、本来の目的から転用するほどの大量生産が出来ないですが、 上手く任務を兼用する(陣地の野砲なら砲弾の種類を変えて支援砲撃と対戦車戦闘を 兼用できる様に運用するとか・・・でもそうすると陣地構築が難しいかな?) 等の方策はあったと思います。 この様に考えると帝国陸軍の対戦車戦闘を縛っていたのは、帝国陸軍内の 対戦車戦軽視の発想・高性能の対戦車兵器を生産や運用するだけの砲生産力の不足や 運用の為の自動車の生産能力の決定的不足・高性能の物が出来ないなら、簡易かつ 有効なバズーカ砲の類の対戦車兵器を開発する方向へ向かわなかった帝国陸軍内の 技術開発方針の硬直性ではないでしょうか? 少なくともノモンハンで対戦車戦闘が出来ない帝国陸軍の現実を知るのは 昭和14年で終戦の6年前です。太平洋でM4シャーマンに苦戦するのは昭和19年 ノモンハンから5年後です。日本の対戦車戦闘が全然進化していないと言う状況を 生み出した事が有る意味で教訓に学べなかった帝国陸軍の悲劇ではないでしょうか? 長々とくだらない文章書き込みさせて頂きましてすいませんでした。 皆さんの意見と異なる間違った考えがあるかもしれませんがお許し下さい。 |
昭和13年の作戦要務令 第二部 第百九十八 敵の戦車に対する処置 敵の戦車に対しては速やかに其の使用方面を偵知し 要すれば機を失せず該方面に対して対戦車火砲、対戦車地雷 時として一部の野(山)砲等を増加す 之が為後方部隊所属の対戦車火砲を一時前方に使用する事あり 砲兵は優勢なる戦車群を発見せば 其の待機中なると前進中なるとに拘らず 状況之を許す限り有効なる火力を集中し速やかに之を破壊するを要す 対戦車専任火砲は其の有効射程内に戦車現出せば所属部隊の正面に来ると否とを問わず直ちに之を射撃するものとす 爾余の対戦車威力ある火砲(砲兵を含まず)は所属部隊の正面に来る戦車に対しては状況之を許す限り独断射撃を指向し所属部隊以外の正面に来るものに対しては状況に依り該所属指揮官射撃を命ずるものとす 至近距離に迫る戦車に対しては対戦車威力少き重火器と雖も一般の状況之を許せば所属指揮官の命令若くは該隊長の独断に依り一時対戦車射撃を行い 又状況之を許し且必要なる場合に於ては軽機関銃及小銃と雖も覘望孔に対する射撃を行い又各隊は肉薄攻撃を決行す 戦車我が陣地内に侵入せば 準備しある火砲は友軍に危害を及さざる如く直ちに之を射撃すべし 他の砲兵も亦自衛上必要なるときは適宜射撃するものとす 此の際友軍に危害を及さざるを要す 対戦車射撃に任ぜざる各種火器は極力敵歩兵を射撃し戦車に追随する能わざらしむること極めて緊要 此の際所要に応じ我が対戦車火砲を射撃する敵砲兵を制圧すること亦緊要なり |
確かに仰有るとおり、「作戦要務令」には本当に教本の様に忠実な対戦車戦闘の 方法について述べています。 例えばノモンハンでの戦い方はこの「作戦要務令」に忠実な 戦い方をしていたと思います。(満州内の戦車団や内地から重砲連隊まで動員して 戦ったのですから、内容的には「作戦要務令」以上に忠実な対戦車戦闘を行ったとも 言えます。でも何故ソ連の戦車部隊に大敗したのでしょうか? その根本には、やはり帝国陸軍が対戦車戦闘を重視しておらず、柔軟な発想を 持たずに戦った事が原因であると思いますが・・・ 帝国陸軍の戦車はソ連のBT戦車にうち勝てず、砲兵は対砲兵戦で敗退し対戦車戦にも 有効に活用できず、火炎瓶等を使った歩兵の肉弾攻撃に頼り、それも最終的には勝利を 導く事が出来なかったと言う現実があります。 この同じ悲劇は太平洋の島々でも繰り返されたのではないですか? 只私は帝国陸軍の既存の装備(野砲・高射砲)を有効利用すればもっとそれこそ 「作戦要務令」に書かれている理想の対戦車戦を実施できたのではないでしょうか? と考えて、その原因は実質的に対戦車戦闘を軽視していた帝国陸軍考え方に あるのではないかと考えて前の様に書き込みました。 私は幾ら文章による教科書に素晴らしい常識的事が書かれていても、現実として それが実施できないでいたら、その教科書の内容は結果として現実的でないと 考えるのですが・・・ |
予めお断りしておきます。以下は例え話にいささか疑問があるゆえの発言で あり、帝国陸軍の作戦等とは何ら関連がありません。 申し訳ございませんが予めご了承くださいませ。 >TAKA様 教科書に素晴らしい事が書かれていても、現実として学級崩壊によりそれが 実施できないでいたら、その教科書の内容は結果として現実的でないという ことでしょうか。 同じ教科書できちんと授業を行っている学校がある場合は、その教科書の内 容は如何な評価が下されるものなのでしょうか。 |
> 予めお断りしておきます。以下は例え話にいささか疑問があるゆえの発言で > あり、帝国陸軍の作戦等とは何ら関連がありません。 > 申し訳ございませんが予めご了承くださいませ。 > > > > 教科書に素晴らしい事が書かれていても、現実として学級崩壊によりそれが > 実施できないでいたら、その教科書の内容は結果として現実的でないという > ことでしょうか。 その様な場合、その学級崩壊しているクラスに対しては、その実施できない教科書は どの様な意味があるのですか?実施できなければ結果として幾らそれが常識であれ 現実的ではないのでは無いですか?当然その方向へ向かえる様に修正するか、 より実施できる内容の教科書に変えないと意味がないのではないですか? > > 同じ教科書できちんと授業を行っている学校がある場合は、その教科書の内 > 容は如何な評価が下されるものなのでしょうか。 実施できる学級に対しては、現実的でしょう(当然)内容が常識的であり 正解であっても、状況によって適用できない場合その適用できない状況に即した 工夫をするのが現実的なのではないですか? 私はその常識的な内容の教科書を否定はしませんが、現実としてそれを実施できない 場合には現実に即して工夫をするべきではないのですか?と考えますが・・・ あくまでも内容が常識的であり正しくても、実施できないところにそれを完全に 実施しろと押しつけるのは教条主義的ではないかと考えます。其処でこそその正しい 常識的内容と現実を摺り合わせる為に工夫するのが正しいと考えますが・・・ 以上ご質問に対しご回答させて頂きます。 只あくまでも私の私見としての見解としてお答えさせて頂きます。 見解の相違等はあるかと思いますが、其処はご容赦下さい。 |
御自身が発言された言葉の意味を、冷静に、そして深く御考察される事を望みます。 議論にはなり得ないと判断致しましたのでこの話題からは失礼させて頂きます。 有難う御座いました。 |
ノモンハンの事例は砲兵戦で負けたから、戦車に対して投入すべき砲兵戦力がなくなっただけの事では? ちなみに戦術レベルでは砲火がある限りは(戦車も含む)日本軍はソ連戦車に対して有効な戦闘を行っています。 作戦要務令にあるように、まずは砲兵の火力で接近する戦車を粉砕するものとされていたわけで、その砲火を用意できなかったのは、砲兵戦での敗北や、弾薬の補給といった問題でしょう。 対戦車戦闘だけを見ても、作戦要務令では、事前準備、砲兵による阻止、対戦車砲による阻止、歩兵重火力による迎撃、そして肉弾と段階を経ているわけです。 一つの武器や戦術が重要なのではなく、艦隊の防空戦闘がそうであるように多重化された一つのシステムであり、そそて戦車を用いた攻撃も攻勢等の一つの動きの中の一要素に過ぎません。 ノモンハンでは要するに根幹である兵站の失敗が砲兵火力の劣位につながり、結果として敵戦車への対抗にも不都合を生じ、最終的に其のしわ寄せが歩兵にかかってしまっただけの事です。 兵器の性能とか、戦車への備えがどうのではなかったのです。 砲や戦車がある限り(そして弾薬や燃料がある限り)日本軍はきっちりと戦っています。 砲と弾薬が少なかったのは対戦車戦への備えの意識ではなく、ソ連軍の砲兵火力と兵站能力への認識の問題だったのです。 戦闘レベルでの話をもって、日本陸軍の意識がどうのと言うのは、根本的に認識の範疇が狭すぎます。戦争ってそう言うものじゃないでしょ? |
確かに仰有るとおりですが、帝国陸軍の兵器は残念ながら質において兵器の 個々の能力は赤軍に劣り、物量に置いては足元に及ばない状況で、近代戦の象徴である 対戦車戦闘や、対砲兵戦なんか優秀な赤軍に挑むのですから、対戦車戦闘云々より以前に 帝国陸軍には近代戦遂行能力が存在しなかった、だから近代戦の象徴の戦車戦闘や 対戦車戦闘の能力は当然存在しなかった。と言う結論になるのではないでしょうか? 現実として考えれば、戦車を見ても、89式や97式戦車は対戦車戦闘では 赤軍のBT-7に劣りますし、帝国陸軍の野砲・重砲も射程等で赤軍の物に劣ります。 ましてや物量に至っては比較したくないほどの差があります。其処に加え帝国陸軍の 兵站能力は鉄道と馬に頼る日露戦争時と大差ない状況です。 確かに対戦車戦闘でも赤軍に大苦戦していますが、確かにノモンハン敗戦の原因は その様な「日露戦争当時なら一流だが・・・30年近く時代遅れの一流陸軍」という 帝国陸軍の現実にあります。 そう考えれば、「帝国陸軍には近代戦遂行能力は無い」と言う事になります。 (この原因を云々するのは又別の機会に・・) だからこそ近代戦の象徴の対戦車戦闘は決定的に劣る状況になるでしょうし、 当然その状況に甘んじているのですから、近代戦や対戦車戦闘に関して認識が低く 意識が低い、だからこそ有る装備で工夫が出来ない、「作戦要務令」には書いてあるけど その通りの戦闘をしようとしても完遂できなく負ける。と言う状況になるのでは ないでしょうか? |
だから、認識の問題じゃないんですよ。 認識はしているのです。 単に砲兵の充実が優先されるので(砲兵は余裕があれば対戦車戦闘にも使えるのです)対戦車火器は後回しになっただけで、そしてその問題点は各氏が既に述べられていたように認識も対策も考えられていたのです。 それが果たせなかったのは国力の問題になるわけです。勿論戦車戦力が太平洋戦域で死活的重要性を持たないという事も大きな要素です。劣る要素、改善すべき要素は多々あり、いうならば対戦車戦闘能力なんぞ下位極まりないものだったのです。 そして、これは近代能力云々ではないのです。例えばソ連やドイツにはまともな機動部隊がありません。では独ソ海軍は近代海軍ではなかったのでしょうか?違いますよね。 もし日本により一層の充実した対戦車火力を持たせようとしたら、何かを削らなければなりません。何を削るのですか? 例えば海軍を縮小しましょうか?ドイツ軍みたいな小海軍にすれば戦車も対戦車砲もいっぱい作れるでしょう。 考える力が無かったのではなく、振れる袖が無かったのです。 |
> 考える力が無かったのではなく、振れる袖が無かったのです。 以前の「白兵重視」の話題の時も今回も一つの話を思い出しました。 当時陸軍大尉で、戦後陸将補までなられた方が将校斥候だかなんだかに 出た時に(中国戦線)、味方の山砲が据砲してるところに出会ったそうです。 おりしも陣前では味方歩兵が敵陣に肉薄中だったそうですが、敵陣 から盛んに「チェッコ」が撃ってきて味方歩兵は危ない状況なのに、 なぜか山砲は発砲しなかったそうです。 その大尉は指揮官に「味方の危機に何故撃たぬ。」と聞いたところ 「弾が少ないのでもったいない。」という返事だったそうです。 見てる間に歩兵は敵機銃に制圧され伏せてる周りにどんどん弾着する 状態になったので、大尉が「いいから撃て。」と指揮官を叱ると(こちら が階級が上だったらしい)ようやく山砲が発砲、1発で敵機銃は沈黙し 敵陣占領に成功したそうです。 記憶モードによるミクロな戦場の1エピソードにしか過ぎませんが。 参謀以上の高級将校 マニュアルも作ったし新兵器の開発や生産には最大限努力したのだ。 現場指揮官 そんなこと言われても現場では弾も兵器も少ないしほんとに「ない袖は触れない」。 だからと言って命令は守らんといかんから兵を無理やり前に進めるしかなかった。 兵隊さん 日本陸軍は大砲で援護射撃もしてくれないし、ろくな対戦車兵器もくれんかった。 ほんとに精神主義だけの軍隊だ。 なんていうこと戦後になったのではないかと勝手に妄想したりしてます。 |
> そう考えれば、「帝国陸軍には近代戦遂行能力は無い」と言う事になります。 > (この原因を云々するのは又別の機会に・・) > だからこそ近代戦の象徴の対戦車戦闘は決定的に劣る状況になるでしょうし、 > 当然その状況に甘んじているのですから、近代戦や対戦車戦闘に関して認識が低く > 意識が低い、だからこそ有る装備で工夫が出来ない、「作戦要務令」には書いてあるけど > その通りの戦闘をしようとしても完遂できなく負ける。と言う状況になるのでは > ないでしょうか? 認識が低い=戦闘能力が低いというのは違うと自分は考えます。 日本軍もソ連戦車に対し、砲があれば砲で対抗し、戦車があれば戦車で対抗し、それらが無い場合でも歩兵が火炎瓶などでソ連戦車と戦い、ソ連戦車隊に多数の損害を与えました。日本軍が対戦車戦闘に対し認識が低かったのであれば、戦力に勝るソ連戦車隊に対しこれだけ組織的な戦闘はできなかったはずです。 戦力の差は経済・技術などの客観的な要因によるもので、認識といった人間の主観に基づくものに対して、その原因を求めるのは少々乱暴ではないかと自分は考えます。 |
> 例えばノモンハンでの戦い方はこの「作戦要務令」に忠実な > 戦い方をしていたと思います。(満州内の戦車団や内地から重砲連隊まで動員して > 戦ったのですから、内容的には「作戦要務令」以上に忠実な対戦車戦闘を行ったとも > 言えます。でも何故ソ連の戦車部隊に大敗したのでしょうか? 当然です。 兵力数が違います。 ソ連軍が準備した兵力は常に日本軍の2倍〜3倍 装備が同じである場合 勝てるはずがありません。 兵の質・装備が多少勝っていても勝てません。 > その根本には、やはり帝国陸軍が対戦車戦闘を重視しておらず、柔軟な発想を > 持たずに戦った事が原因であると思いますが・・・ > 帝国陸軍の戦車はソ連のBT戦車にうち勝てず、 一対一の戦車戦では日本軍の勝ちです。 しかし 悲しいかな 絶対数が違います。 3倍〜4倍の兵力差です。 よって 勝負になりませんでした。 これを持って日本戦車が劣っているとは間違っております。 >砲兵は対砲兵戦で敗退し対戦車戦にも 悲しいかな皇軍の砲兵は 初期の砲撃戦で壊滅しております。 >火炎瓶等を使った歩兵の肉弾攻撃に頼り、それも最終的には勝利を > 導く事が出来なかったと言う現実があります。 戦車部隊・砲兵部隊が壊滅した後 肉弾戦で対抗せざる得ないのでは > この同じ悲劇は太平洋の島々でも繰り返されたのではないですか? > 只私は帝国陸軍の既存の装備(野砲・高射砲)を有効利用すればもっとそれこそ > 「作戦要務令」に書かれている理想の対戦車戦を実施できたのではないでしょうか? > と考えて、その原因は実質的に対戦車戦闘を軽視していた帝国陸軍考え方に > あるのではないかと考えて前の様に書き込みました。 > 私は幾ら文章による教科書に素晴らしい常識的事が書かれていても、現実として > それが実施できないでいたら、その教科書の内容は結果として現実的でないと > 考えるのですが・・・ 太平洋の島々の戦闘を云いますと 孤立した部隊が 空陸海の圧倒的な敵兵力と戦う別けです。 しかも 前もって準備していた訳でなく 陣地構築などの準備不十分のまま 戦いを強いられております。 しかるに あれだけの戦果をあげています。 十分に評価すべきだと思われます。 事実、当の戦闘をした米軍が評価してくれています。 |
間違えや誤解で有ったら大変申し訳ありませんが どうも最初に提起した話からだんだん遠ざかっているような気がするのですが・・・私はただ最初に提起した事に対して知的探求を深めたいだけで皆さんのお知恵をお借りして知りたいのです。 そう、ただ皆様のお考えを知りこの問題に対しての知識を深めたいのです。 なのに当初の内容から離れ、前の議論の第2ラウンドの様になってきているのは真摯にお答え下さっている方々にも失礼になりはしないでしょうか? 誤解で有ったらお詫び致します。 |
私の発言を引用されていますが、 「対戦車戦闘を重視していない」と私が主張しているが如き印象を受けます。 それは違います。 対戦車戦闘を軽視していないからこそ昭和初期から対戦車砲の開発とあらゆる砲の対戦車射撃を研究しているのです。高射砲など対空火器の水平射撃についても同様で、別にロンメルが始めたことではありません。ロンメルは対戦車砲としても使用するように造られ準備されている高射砲をその通りに使用しただけなのです。その場の発想であれば何で専用の徹甲弾が存在したのでしょうか。 戦車に対して戦車で当るという考え方は遅くとも昭和十四年頃には既に公式書類に記載され始めます。それだからこそ一式中戦車以降の中戦車は対戦車戦闘用に造られているのです。「開戦直後」の昭和十七年に研究開発を開始した四式中戦車も同様です。 「終戦直前」ではなく「開戦直後」に路線転換を果たした日本陸軍の戦車観が致命的に遅れていたかと言えばそうでもありません。米軍が歩兵直協の機関銃戦車から対戦車戦闘能力をも重視した形態の戦車へ転換するのもほぼ同時期です。操縦手が操舵する事で照準する前方固定機銃を装備している戦車を生産していた米陸軍の戦車観もまた独特のものでしょう。 また「陸上の戦闘を決着させるのは歩兵であり、対戦車戦闘を重視する必要は高くない」という考え方は日本陸軍の歩兵操典には無いものです。戦車に支援されて戦車と戦い、飛行機に支援されて飛行機と戦うのが大東亜戦争期の日本陸軍の認識でしょう。誰でも読めば理解できる事だと思います。「お得意の肉弾戦」などは何処を探しても出て来ません。 現実の敗北を説明する為に「帝国陸軍の硬直性」といった言葉を安易に持ち出すのはどうかと思います。もし「硬直」しているのなら、我々はその「硬直」の内容と経緯を知りたいのです。 |
仰有られている内容は分かりました。確かに戦車での対戦車戦闘も帝国陸軍は 考えていたでしょう。その証拠は97式中戦車改に砲の口径を落としてでも 高初速の対戦車戦闘が可能な47mm砲を導入した事がその証明ですよね。 (確かフイリピンでM3戦車に歯が立たなくて慌てて導入が決定した様な記憶が 有りますが・・・)その点から考えれば、又1式47mm対戦車砲等を開発している 事からも少なくとも軽視はしていなかったと言うことは事実ですよね・・・ その点は認識の間違いであったと思います。 只仰有られているとおりノモンハンでの敗北の5年後に太平洋の島々で、 米軍の戦車に肉弾攻撃を仕掛けなければならない状況に追い込まれたのでしょうか? 例えばサイパン戦では帝国陸軍は1個師団ですが東条首相が「定数の倍の装備を持つ」 と豪語するほどの重装備を送り込みながら、上陸直後の海岸への突撃で戦車は 1個連隊が全滅し、その後はやはり肉弾攻撃です。その後の硫黄島や沖縄では 陣地・地形・装備等を創意工夫して敵戦車に打撃を与えていますが、フイリピンでも 戦車師団がM4シャーマンに打撃を与えられて全滅しています。 これではノモンハンの戦訓は何処へ行ったのでしょうか? 5年間は対策を考えるのに短い時間ではありません。この間に確かに世界の流れは 進んでいますが、それでもこの状況を考えれば結果的に「対戦車戦闘を重視していない」 「帝国陸軍に現実を改善するだけの思考の柔軟性がない」「硬直した思考で考えるから 創意工夫が出来ない」となると考えるのですが・・・ 戦車には戦車という発想があったのは事実ですが、これは非常に高価な戦い方です。 私見では日本に贅沢な兵備をする国力は何処にもありません。対戦車戦闘で一番 コストパフォーマンスの高い戦い方は、対戦車兵器での対抗です。 これならば創意工夫とローコスト兵器の開発も可能だったのではないでしょうか? そう言う方向に向かなかったのだから結果的には「思考が硬直している」という 事になると思います。 少なくとも大陸軍と大海軍を揃える国力が当時有ったのはアメリカだけです。 当然日本にはそのかけらぐらいの国力しか有りません。 日本は対戦車戦闘の要と考える戦車の生産を昭和18年以降大きく減少させています。 この状況を認識できていなかっただけでも「現実を直視できない思考の硬直性」 が歴史の中で兵士の血を持って証明されていると考えますが・・・ もし柔軟な発想で対戦車戦闘を指導し、それに対するローコスト対戦車兵器体系を 作る事が出来ていれば、陸軍の将兵はもう少し米軍戦車に効果的打撃を与える事が 出来たと思いますよ。内容や経緯も非常に重要ですが歴史ですから、現実が見えている のですからそれをどの様に説明するのですか? だから私は重視していてもそれを現実の中で今ある物を有効利用して対応する様な 思考の柔軟性に欠けていた(=思考が硬直している)と言うことになり、その根本は 思考の柔軟性で創意工夫をしなければ有効な対戦車戦闘を行えない程 日本には装備を揃える国力がなかったと考えますが・・・ |
申し訳ないのですが、ここで書かれている事をしっかりと読んで欲しいと思います。 47mm砲は「M3に対抗して」開発された訳でもないですし、対戦車戦闘を目的とした戦車の開発に着手したのは開戦直後です。 これらを評価できるか出来ないか、その辺に認識の違いがあると思うのですが、戦場でこれらの兵器が活躍できなかったのは主に「国力」の問題で「硬直化」の影響ではないでしょう。これも既に指摘があるところです。 「硬直化」という言葉に我が軍の苦戦・敗北の原因を求めるのは安易かつ安直だと思います。 |
単純に 『考えてはいたけど、できなかった』 ことと 『考えていなかったから、できなかった』 とは違うのではないでしょうか。 >私見では日本に贅沢な兵備をする国力は何処にもありません。対戦車戦闘で一番 >コストパフォーマンスの高い戦い方は、対戦車兵器での対抗です。 >これならば創意工夫とローコスト兵器の開発も可能だったのではないでしょうか? 今回に限らず、TAKA さんの発言にはいつでも「歴史を通して正解を 知っている後世の視点から当時を批評する」観点が感じられますね。 TAKA さんにとって、それが歴史という事象の見方なのでしょうか。 確かに「あの時こうしていれば」という局面は多いです。 それを以って教訓を得ることも可能でしょう。 しかし、「そうならなかった」事を「思考の硬直」や「旧弊思想」 「銃剣突撃万能主義」に直結させるのは如何なものでしょうか。 更に、その事を以って当事者を批判糾弾するのは的外れになり かねないと考えます。 >少なくとも大陸軍と大海軍を揃える国力が当時有ったのはアメリカだけです。 >当然日本にはそのかけらぐらいの国力しか有りません。 …中略… >思考の柔軟性で創意工夫をしなければ有効な対戦車戦闘を行えない程 創意工夫でどうにかできるレベルの国力差ですらなかった、と思います。 それほどの相手に全面戦争をふっかけてしまったのは政治的な大失敗であり 数々の悲劇を生む引き金になっていますが、それは兵器開発や運用戦術での 失敗とはまた違う話ではないかと思います。 |
日本陸軍は対中国用の装備として考えられてたのではないでしょうか。 実際アメリカ軍がM4シャーマンを投入した時期もかなり遅いですし 相手の能力によって装備の方向性も変わってくると思います。 ごく普通に考えると戦車に一番有効なのは 戦車です。 あのドイツのパンターもT34が無ければなかったでしょうし。 T34/85も同じく・・・ M3に対抗して1式。 M4がでてきて大慌て。(笑) 気づいた時にはすでに遅かったのでは。 |
> M3に対抗して1式。 > M4がでてきて大慌て。(笑) > 気づいた時にはすでに遅かったのでは。 ほとんど学研の「戦車と砲戦車」からの抜粋ですが… 一式中戦車は採用時期(1941 年)から言っても M3 との直接対決を 意識したものではないでしょう。昭和14年のノモンハン事変から 「戦車には対戦車戦闘能力が必要である」との教訓を得て日本の 戦車体系が見直され、自走対戦車砲的性格を持つ一式砲戦車とともに 整備された車種だと思います。 (もっとも、M3 軽戦車相手の苦戦が 47mm 砲の迅速な前線配備を促した ことは確かですが) 一式中戦車採用と同じ昭和 16 年には、47mm に次ぐ次世代対戦車砲と して長砲身 57mm 砲の開発が決定しています。また既存車体の改造強化で ある一式中戦車も暫定的なものと考えられており、翌 17 年には 47mm 砲の 搭載を前提とした新車体「チト」の開発が開始されます。チト車はその後 57mm 搭載案を経て長砲身 75mm 砲搭載の四式中戦車として完成しますが、 既に戦局は絶望的であり量産に着手する以前に終戦を迎えました。 日本陸軍ではソ連・米国重戦車の情報も把握しており、それに対抗するには 75mm チト車でさえ能力不足であると考えていた節があります。 自動装填付き 75mm 戦車砲を持つ五式中戦車「チリ」や、まるで夢物語の ような 125mm 前面装甲と自動装填 105mm 砲を持つ砲戦車「ホリ」が 開発されていた事は、少なくとも陸軍で戦車開発に関わる部署が決して 欧米の趨勢に鈍感だった訳でも、対戦車戦闘能力を軽視していた訳でも ないことの証明だと思います。 しかし、何故それが間に合わなかったのでしょう? ドイツやソ連がほとんど半年ごとに新型戦車を繰り出していたのと同時期、 なぜチト車の完成に3年もかかり、チリ車に至っては量産の目処すら 立たなかったのでしょう? 『戦車と砲戦車』には、稼動しはじめたばかりの日本製鋼・北多摩の 戦車工場が昭和 17 年(1942) 9 月には戦車生産停止・航空機製造への設備 転換を命じられた話が引用されています。南洋での島陵作戦において 戦車は重要な兵器と考えられていなかったのではないでしょうか。 常識的に考えて、上陸してしまった戦車を幾ら潰しても戦争には勝てません。 戦車を運ぶ揚陸部隊、その通行を保証する戦闘艦艇群を潰さなければ。 しかし、上陸してしまった戦車を効率的に潰す手段は検討されるべきです。 そしてドイツ軍が多用した歩兵用成形炸薬弾は有効な兵器だったでしょう。 日本も研究はしていましたが、大量配備には漕ぎ着けられずじまいでした。 対戦車戦闘を研究する部署の認識や見解がいかに先進的なものであったと しても、陸軍の総意としては歩兵用成形炸薬弾応用火器の量産整備に 積極的ではなかったことは否めないとも思います。 しかし、だから「対戦車戦のことを考えていなかった」「欧米の趨勢を 見過ごしていた」というのは少し違うような気がします。逆にいえば、 「戦車さえ潰せば」陸上戦闘において勝機があったのでしょうか? 日本陸軍が対米戦で苦戦したのは徒に対戦車戦闘能力の欠如によるもの だったのでしょうか?山砲も重機も軽機もトラックさえ慢性的な員数不足に 悩む貧乏軍隊で、そういった主要正面装備を減らしてでも対戦車専門の 火器を充実させるべきだったのでしょうか? …あるいは、そうしていれば戦争の帰結は変わらなくとも、絶望的な 島陵の防衛戦闘は日本軍にとって少しはマシなものになっていたのかも 知れません。しかし、そうすべきだったかどうかの「歴史の if の 正当性検証」は私には判断しかねます。 |
取り合えず、ノモンハンとサイパンとフィリピンの戦闘をちゃんと調べてから述べられたらいかがでしょうか? ノモンハンの日本軍戦車はソ連戦車に負けていません。 サイパンの日本戦車は砲兵火力で随伴歩兵を切り離された挙句、対戦車砲とバズーカに阻止されました(まるで作戦要務令のそれとそっくり)そうなった原因は作戦要務令にもあるように、敵対戦車火力や砲兵を事前制圧すべき自砲兵火力が無かったからです。 フィリピンの日本軍戦車師団は半年余り抗戦しています。全滅といっても鎧袖一触だった訳ではありません。きちんと近代的な陸戦をそれも厳しい防戦と退却戦を良く果たしています。 イメージだけで語りたいのなら、前にも述べましたが、そういう場を探してください。 誤った認識と思い込みから、自分の好む答えを導きたいなら一人でなさると宜しいかと思います。 |
TAKAさんの書き込みを読んでいての感想ですが。 TAKAさんの意見を聞いていると、世間一般で言われている「日本軍が米戦車に対抗できなかったのは無能な上層部や高級参謀のせいだ」俗説そのものだと思います。普通の場所での話題ならそれでいいかもしれませんが、ここ「議論ボード」で俗説を鵜呑みにして書き込むのはここの趣旨から言ってまずいのではないかと。 実際は上記のそれとは全然違っていたことはここの皆さんの意見ですでに述べられています。他にもWARBIRDSの方々が手がけた『戦車と砲戦車』にも載っています。少なくとも『戦車と砲戦車』に掲載された日本戦車の戦闘記を一読していれば > 例えばサイパン戦では帝国陸軍は1個師団ですが東条首相が「定数の倍の装備を持つ」 > と豪語するほどの重装備を送り込みながら、上陸直後の海岸への突撃で戦車は > 1個連隊が全滅し、その後はやはり肉弾攻撃です。その後の硫黄島や沖縄では > 陣地・地形・装備等を創意工夫して敵戦車に打撃を与えていますが、フイリピンでも > 戦車師団がM4シャーマンに打撃を与えられて全滅しています。 ということは書かないと思います。 ルソンでは戦車第2師団<撃>の一式砲戦車がサクラサク峠でシャーマンを撃破して奮戦しています。以前、レイテの話題の時に「英霊」という言葉を使ったTAKAさんなら、当然サクラサク峠の死闘のことも知って然るべきかと思います。 きついことを書いてしまったとは思いますが、少なくともこの議題でTAKAさんの意見だけが他の人から非常に浮いている気がしたので書き込みました。 |
> ルソンでは戦車第2師団<撃>の一式砲戦車がサクラサク峠でシャーマンを撃破して奮戦しています。以前、レイテの話題の時に「英霊」という言葉を使ったTAKAさんなら、当然サクラサク峠の死闘のことも知って然るべきかと思います。 サラクサク峠(Salacsac Pass)です 「サクラサク」になっている記述もけっこうあるのですけどね… フィリピンの地名は日本人にとっては語呂が悪い(笑)のが多いせいか、ほかにもこういう例がけっこうあります |
各国の対戦車砲を眺めてみると 英国は40mmの2ポンド砲が主流で、6ポンド57mm砲の完成は1938年、部隊配備は戦況もあって1942年からとなっています。大戦後半には17ポンド砲が登場しています。 ドイツは高名な37mm砲が主流で、50mmPak38は見てのように1938ですが配備は中々進まず、東部戦線開始時にも少数派。そして75mmのPak40は大戦末期においても数量は揃っていません。 ソ連軍はドイツの37mmのライセンス版を拡大した45mmを1932年式として大量配備しており、1942年式という長砲身高威力型も登場しています。そして57mm対戦車砲は1941年採用で大戦後半の主力対戦車砲になってます。 なお、ソ連軍の76mm野砲は状況によっては対戦車戦闘に巻き込まれていますが、対戦車砲ではありません。例えるなら日本軍の90式野砲が対戦車戦に巻き込まれたのと状況は似ているでしょう。 また参戦時の米国対戦車砲は37mmでした。代わりになる対戦車砲が無かったのでアメリカは英国の6ポンド砲をライセンス生産して配備。平行して76mm対戦車砲の開発を行っています。 これから見てみると、主流が37mmで、新型47mmへと置き換えが始まりつつあった開戦時の日本軍の状況は、他国と比較してもそう劣るものではありません。 絶対的な配備数や弾薬備蓄等の問題点はあるにせよ、対応策の検討と対処は比較的早期にはじまっていたのが理解可能かと思います。 確かに日本軍には75mm級対戦車砲の配備が果たせませんでしたが、それはBUNさんが述べられたように自走砲化することと、その結果生産順位が下げられてしまった事が原因と言えるでしょう。 実際に各国の75mm級対戦車砲は重量面から機動性に欠け、拠点防衛兵器にしかならなかった例も多く、また各国でその多くが自走砲化された事を思えば、考え方に間違いがあったとも言い切れないでしょう。 日本軍の対戦車装備は常識的で、国力や戦況や煽情の条件が強いた範囲において、最高とは言わなくても最善の回答をしていたと思います。 現実的に考えても、75mm級対戦車砲を作るぐらいなら野砲や高射砲作った方が全然良いのですから(そっちが切実に足りない) 日本軍に携帯対戦車火器が無かった事は確かに責められるべきではありますが、あれほどの対戦車砲や戦車を持っていたソ連軍も対戦中には対戦車ライフルだけで済ませています。 対戦車砲に多くを期待できるなら、歩兵にそのような肉薄攻撃前提装備を持たせる必要は無いのです。対戦車火器の死活的不足をきたした英国や新型対戦車砲の無い米国、あまりにも彼我の能力に差があり否応無く肉薄攻撃をせざるを得なかったドイツといった、開発行政の失策や絶望的な兵站状況が携帯対戦車火器という応急兵器の登場を即したといえなくは無いでしょうか? つまり、本来ならば、そんな兵器は必要が無く、配備計画等は、そんなモノを必要としない方策を考えるのが常道だといえなくは無いでしょうか? 結果的に、米国のバズーカは優秀な対戦車兵器として成立し、歩兵の重要装備として花開きましたが、それは結果論に過ぎないでしょう。対戦車装備の開発と配備に大きな問題を生じなかったソ連軍はそのような物を最後まで必要としませんでしたし、本来そうであるべきだったのです。 ですから、そういった死活的状況に追い込まれてからは、日本軍も携帯火器の開発に邁進したのです。大戦中盤にそのような物を用意するという事は、それ以前に対戦車戦で致命的な敗北を延々と繰り広げるか、そういう事態を予想したという事です。 海面を埋め尽くすかのような上陸用舟艇の群を予想できたいう事です。そしてその場合、最初に手を打つべきはバズーカ砲の開発と配備ではなくて、各種対艦攻撃装備の開発と配備でしょう。 日本軍の対戦車装備の開発と配備は至極常識的に、そして哀しいほど小規模で進んでいただけだったのです。そこには何か大きなIFを組み込めるほどの「理由」は存在しなかったのです。 |
> 日本軍に携帯対戦車火器が無かった事は確かに責められるべきではありますが、あれほどの対戦車砲や戦車を持っていたソ連軍も対戦中には対戦車ライフルだけで済ませています。 それはソ連軍だからこそだと思うのですが、火力優勢主義を地でいっているソ連軍は米軍からの援助物資も受けながらドイツ軍だけを敵としているからではないでしょうか?更には戦う地域も砲兵戦、戦車戦、これらを複合した機動戦を行うには格好の広大な土地を持ち、自国の特性を生かしてきたソ連軍も戦後すぐにRPGシリーズを作ったことから見ても日本軍にこれらを当てはめるには無理があるように思うのですが。 > 対戦車砲に多くを期待できるなら、歩兵にそのような肉薄攻撃前提装備を持たせる必要は無いのです。対戦車火器の死活的不足をきたした英国や新型対戦車砲の無い米国、あまりにも彼我の能力に差があり否応無く肉薄攻撃をせざるを得なかったドイツといった、開発行政の失策や絶望的な兵站状況が携帯対戦車火器という応急兵器の登場を即したといえなくは無いでしょうか? まず、肉薄攻撃と仰りますが蛸壺や壕から踊り出て戦車に文字通り肉薄するのと蛸壺や壕から出る事無く数十メートルから100メートル離れて「射撃」するのでは根本的に違います。 対戦車火器の不足が携帯対戦車火器の登場を促したとの御意見ですがバズーカ砲などの登場以前に小銃用擲弾の形で成形炸薬弾を使った携帯対戦車火器は実戦に供されており、それ以降の成形炸薬弾の発射方法としてロケットとの組み合わせによりバズーカ砲は誕生した訳で、PIATのスプリング式、パンツァーファウストの使い捨て式等各国独自の発展を遂げ、応急的に登場した兵器ではありません。 > つまり、本来ならば、そんな兵器は必要が無く、配備計画等は、そんなモノを必要としない方策を考えるのが常道だといえなくは無いでしょうか? 第二次世界大戦以降の携帯対戦車火器(もっと広義な意味に変化しておりますが)の発達を説明出来ないと思うのですが。 > 結果的に、米国のバズーカは優秀な対戦車兵器として成立し、歩兵の重要装備として花開きましたが、それは結果論に過ぎないでしょう。対戦車装備の開発と配備に大きな問題を生じなかったソ連軍はそのような物を最後まで必要としませんでしたし、本来そうであるべきだったのです。 上記にも有りますが結果論ではなく成形炸薬弾の登場から発達し導き出された物であり、バズーカはその過程から導き出された成功例の一つに過ぎません。 > ですから、そういった死活的状況に追い込まれてからは、日本軍も携帯火器の開発に邁進したのです。大戦中盤にそのような物を用意するという事は、それ以前に対戦車戦で致命的な敗北を延々と繰り広げるか、そういう事態を予想したという事です。 日本の携帯対戦車火器の発達はドイツから成形炸薬弾とその発射装置(パンツァーファウストかパンツァーシュレックかは失念)の技術提供からスタートし(技術提供された後からの経緯は議論の対象としてとても興味有る内容です)実戦に供されること無く終わってしまいました。 |
> ソ連軍も戦後すぐにRPGシリーズを作ったことから見ても日本軍にこれらを当てはめるには無理があるように思うのですが。 ソ連軍は戦後すぐの段階では牽引対戦車砲をあきらめていません。 しかし、大戦最終世代〜戦後第一世代の戦車を仕留め得る対戦車砲は、攻撃作戦についていくにはあまりに重い(すでにドイツ軍がPAK43/41やPAK43で経験しているように)ことから、歩兵師団の対戦車大隊に対戦車砲を配置することが困難となります。 RPGはそれを補う存在であって、決して主力対戦車火器として開発されたものではありません。 > > 対戦車砲に多くを期待できるなら、歩兵にそのような肉薄攻撃前提装備を持たせる必要は無いのです。対戦車火器の死活的不足をきたした英国や新型対戦車砲の無い米国、あまりにも彼我の能力に差があり否応無く肉薄攻撃をせざるを得なかったドイツといった、開発行政の失策や絶望的な兵站状況が携帯対戦車火器という応急兵器の登場を即したといえなくは無いでしょうか? > まず、肉薄攻撃と仰りますが蛸壺や壕から踊り出て戦車に文字通り肉薄するのと蛸壺や壕から出る事無く数十メートルから100メートル離れて「射撃」するのでは根本的に違います。 根本的には違いません。 編隊を組んで前進する戦車や随伴歩兵を有する戦車に対しては、携帯対戦車火器も火炎瓶もさしたる違いを持ちません。 携帯対戦車兵器で止められるのは、味方の戦車や歩兵との連携を欠いた、陣地内に突出してきた戦車だけです。 機関銃に支援された対戦車砲ならば、敵戦車が味方陣地内に突入する前に仕留めることができます。 どちらが本来的な意味で有効な対戦車兵器であるかは明らかだと思いますが。 パンツァーファウストは仕事を楽にはしてくれますが、火炎瓶よりも威力と確実性が高いというだけの兵器です。 そして、その開発は東部戦線で集束手榴弾や対戦車地雷を手投げするような壮烈な肉薄攻撃を強いられている歩兵(擲弾兵)の仕事を少しでも楽にしようという方向でのものです。戦車狩りの本職である戦車猟兵はパンツァーファウストなどには頼りませんし、戦車猟兵がいるところであれば歩兵はパンツァーファウストを使うような羽目に陥らずに済むのです。 成型炸薬弾は万能というわけではありません。 > 対戦車火器の不足が携帯対戦車火器の登場を促したとの御意見ですがバズーカ砲などの登場以前に小銃用擲弾の形で成形炸薬弾を使った携帯対戦車火器は実戦に供されており、それ以降の成形炸薬弾の発射方法としてロケットとの組み合わせによりバズーカ砲は誕生した訳で、PIATのスプリング式、パンツァーファウストの使い捨て式等各国独自の発展を遂げ、応急的に登場した兵器ではありません。 対戦車砲が足りない、あるいは現用対戦車砲の威力が不足しているから、歩兵にそういう荷重がかかるわけです。 > > つまり、本来ならば、そんな兵器は必要が無く、配備計画等は、そんなモノを必要としない方策を考えるのが常道だといえなくは無いでしょうか? > 第二次世界大戦以降の携帯対戦車火器(もっと広義な意味に変化しておりますが)の発達を説明出来ないと思うのですが。 それは話が逆です。 第二次大戦以降の戦車を仕留めるためには牽引対戦車砲が大きくなりすぎました。 本来、できるだけ遠くで敵戦車を倒したいわけですから大威力対戦車砲が正道でしょう。 たとえば、ソ連軍には戦後も50年代に入って完成した100ミリ滑腔対戦車砲なんてのもあります。 しかし、大威力化の過程で、歩兵が戦場機動させるのには対戦車砲はあまりに大きく重くなってしまいました。 成型炸薬弾に頼らざるを得なくなってしまうのです。 成型炸薬弾は低初速、ライフリング不使用が理想なので、接近して撃ち込む必要性にかられます。まあ、だからこそ発射器も簡単軽量にできるのですけれども。 このため、数を配備する必要があり、歩兵にばらまくかたちになるのです。 > 上記にも有りますが結果論ではなく成形炸薬弾の登場から発達し導き出された物であり、バズーカはその過程から導き出された成功例の一つに過ぎません。 成型炸薬弾の利用そのものが、運動エネルギー弾のいろいろな意味での「不足」に対する逃げなのです。 成型炸薬利用の(無誘導)兵器には明らかに限界があります。 > > ですから、そういった死活的状況に追い込まれてからは、日本軍も携帯火器の開発に邁進したのです。 つまり、フィリピンや沖縄、あるいは台湾やそれこそ本土決戦という事態が明確に予想される段階ということです。 絶対国防圏の外周の島々を守るのには、バズーカなんかいくらあっても役に立ちません。 それよりも、部隊を積んでやってくる船団、それを護る艦隊を潰さなければ、奥行きの無い小さな島です、妨害なしに上がられてしまったら、その時点で守備隊はおしまいです。 だから、飛行機と艦隊にリソースを突っ込むのです。 > >大戦中盤にそのような物を用意するという事は、それ以前に対戦車戦で致命的な敗北を延々と繰り広げるか、そういう事態を予想したという事です。 これは、そういう兵器を実際に開発したドイツやイギリス、アメリカにかかる文ですね。 日本は中盤においては勝負は海空戦にあるとし、それは間違っていなかったと思います。 その間、ごく限られたリソースを海上(あるいは水中)および航空兵器に投入したのはごく常識的な判断だったと思います。 |
まなかじ様御返事有難うございます。 SUDO様御意見有難うございます。 見解の相違が明確になってきたと思うので私の考えとお二方のお考えを整理させて下さい(私の知識不足や自分の知識に観念が入り込んでいないかを確認したいのです。決してお二人の御意見や知識を否定や疑いを持ったりした訳ではありませんので御不快でなければお付き合い願えないでしょうか?)。又、お二方以外の皆様の御意見、御批判も伺いたいので大変申し訳ありませんがお付き合い願えないでしょうか? 又、私の文書上でかみ合わなかったり明らかに間違いであるとの御指摘もあわせておねがいします。 1・携帯対戦車兵器について まず、対戦車火器(砲?)の不足が携帯対戦車火器の登場を促したとの御意見ですが私の考えでは対戦車火器の不足に関係なく成形炸薬弾の登場により携帯対戦車火器の登場が可能になり、かつ発達を見たと思うのですが実際はどのような物だったのでしょうか? 2・携帯対戦車兵器による攻撃は肉薄攻撃と同義か 成形炸薬弾+発射装置の組み合わせが肉薄攻撃という戦術から前述の組み合わせによる結果として登場した兵器群による「射撃」は根本的には変わらない物なのかどうか 3・成形炸薬弾は運動エネルギー弾(対戦車砲?)不足を補う「逃げ」なのか 成形炸薬弾は運動エネルギー弾(対戦車砲?)不足による逃げの手段なのかどうか、この部分に関して私は戦車に対する有力な、そして新たな手段だと思うのですが如何でしょうか? 4・私が想定した戦場 私は日本軍が対戦車戦闘を演じた地域はヨーロッパやロシア等と違い「編隊を組んで前進する」戦術が難しく、かつ歩兵の対戦車戦には有効だと思いました。簡単に言うと戦車の得意な戦場ではない地域(山岳、島嶼、密林など)においてはかなり有効で又、戦車の活躍できる地域は少なかったと考えたのです。 5・対戦車兵器の発達について これは反省なのですが「第二次世界大戦以降の携帯対戦車火器(もっと広義な意味に変化しておりますが)の発達を説明出来ないと思うのですが」と書いたのは誘導弾も含めた発達を考えていたのです。説明不足、舌足らずで申し訳ありません 6・スケールについて >日本は中盤においては勝負は海空戦にあるとし、それは間違っていなかったと思います。その間、ごく限られたリソースを海上(あるいは水中)および航空兵器に投入したのはごく常識的な判断だったと思います。 私の考えは日本陸軍のみを念頭に考えていました。 なかまじ様の場合だと陸海軍あわせて考えると仰るとおりですが陸軍としてはどうだったのでしょうか? 又、日本軍の携帯対戦車火器についてもお話を伺いたいです。 以上ですが皆様の御指摘、御意見をおねがいします。 |
> 1・携帯対戦車兵器について > まず、対戦車火器(砲?)の不足が携帯対戦車火器の登場を促したとの御意見ですが私の考えでは対戦車火器の不足に関係なく成形炸薬弾の登場により携帯対戦車火器の登場が可能になり、かつ発達を見たと思うのですが実際はどのような物だったのでしょうか? > 2・携帯対戦車兵器による攻撃は肉薄攻撃と同義か > 成形炸薬弾+発射装置の組み合わせが肉薄攻撃という戦術から前述の組み合わせによる結果として登場した兵器群による「射撃」は根本的には変わらない物なのかどうか 1、2をまとめてみます。 第二次大戦初期〜中期の戦車に対して対戦車砲は千メートル以上、少なくとも 数百メートルの有効射程を持ちました。これに対し成形炸薬兵器は比較的射程の 長い「バズーカ」で 300 メートル、動目標に対する有効射程は更に短く なります。迫撃砲式の PIAT では約 100 メートル、無反動式のパンツァー ファウストでは 50 メートル、これらは日本軍の破甲爆薬による肉弾攻撃より マシとはいえ、相当にリスクの高い近接射撃にならざるを得ないと思います。 > 3・成形炸薬弾は運動エネルギー弾(対戦車砲?)不足を補う「逃げ」なのか > 成形炸薬弾は運動エネルギー弾(対戦車砲?)不足による逃げの手段なのかどうか、この部分に関して私は戦車に対する有力な、そして新たな手段だと思うのですが如何でしょうか? > 5・対戦車兵器の発達について > これは反省なのですが「第二次世界大戦以降の携帯対戦車火器(もっと広義な意味に変化しておりますが)の発達を説明出来ないと思うのですが」と書いたのは誘導弾も含めた発達を考えていたのです。説明不足、舌足らずで申し訳ありません 3、5をまとめてみます。 第二次大戦中期〜後期にかけて戦車(特にドイツ・ソビエト)の防御能力が 比較的に向上し、車両牽引砲ではもはや機動力を確保できなくなった ため対戦車砲は必然的に自走砲化してゆきます。しかし自走砲は高価な ため数が少なく、また戦車隊に組み込まれてしまい歩兵直援にならない 事もあり、歩兵にとって有効な対戦車兵器は成形炸薬兵器しか残らなかった のではないかと思います。 ノイマン効果そのものは 1880 年頃既に発見されていたようです。 しかし、それが兵器として完成したのは 1940 年頃の事でした。 世界に先駆けてこれを実用化したドイツでも、初期の応用例は 小銃擲弾や磁石吸着爆薬でした。自衛兵器というか、戦車や 火砲の支援が期待できない時最後に使う武器という趣があります。 この時点では、あくまで補助的な装備だったと見てよいでしょう。 無反動砲と成形炸薬弾を組み合わせた本格的な対戦車兵器、 ファウストパトローネの開発が始まったのは 1942 年です。 東部戦線で激化する戦車戦の影響が感じられます。 しかし、この時点でも対戦車砲の不足を補う補助兵器として 扱われていたようです。 しかし戦車の進化・戦局の悪化に伴ってパンツァーファウストへの 要望は日増しに高まってゆき、威力増大型のパンツァーファウスト30型 (1943)、射程を延長した60型(1944)、更に射程を延長した150型 (1945)とエスカレートしてゆきます。 射程の延長に伴い低初速による命中精度低下が問題となったようで、 間に合わなかった250型は弾頭にロケットブースターを内蔵した RPGとなっています。しかし、これも対戦車砲を完全に置換する には至っていないように思えます。それには戦後の誘導兵器の完成を 待たなければならなかったのではないでしょうか。 > 4・私が想定した戦場 > 私は日本軍が対戦車戦闘を演じた地域はヨーロッパやロシア等と違い「編隊を組んで前進する」戦術が難しく、かつ歩兵の対戦車戦には有効だと思いました。簡単に言うと戦車の得意な戦場ではない地域(山岳、島嶼、密林など)においてはかなり有効で又、戦車の活躍できる地域は少なかったと考えたのです。 > > 6・スケールについて > >日本は中盤においては勝負は海空戦にあるとし、それは間違っていなかったと思います。その間、ごく限られたリソースを海上(あるいは水中)および航空兵器に投入したのはごく常識的な判断だったと思います。 > 私の考えは日本陸軍のみを念頭に考えていました。 > なかまじ様の場合だと陸海軍あわせて考えると仰るとおりですが陸軍としてはどうだったのでしょうか? 4、6をまとめてみます。 私見ですが、陸軍は南方のジャングル戦についてあまり詳しい研究は していなかったのでないかと思います。氷山の一角でしょうが南方に 送られた部隊の弾薬包の水密性が悪く、弾薬が湿気てしまい不発が 多かったという話を聞いたことがあります。 また、ジャングル戦の研究をしていたとしても、米軍がどういう風に 攻めてくるのか予想し得ないところが多かったのではないでしょうか。 山の形が変わるほどの艦砲射撃、海を埋め尽くす上陸舟艇、 ドーザー付き戦車を先頭に立てて密林を押し潰しながら進む機甲集団… おそらく当の米軍も含めて、こんな形の戦争が起こることは予想を 越えていたのではないかと思います。 欧州で毎年のようにニューモデルが出現する歩兵用対戦車火器、 予想を遥かに越えていた米軍の物量と機動力、 その両方に振り回されて何ら有効な策を打ち出せない内に戦争が 終わってしまった、という感じではないかと思います。 最初からこうなる事がわかっていたなら、もっと有効な手が打てたの ではないかと思いますが…というか、それがわかっていたら そもそも対米戦なんて初めていなかったでしょうけど。 |
> 1・携帯対戦車兵器について > まず、対戦車火器(砲?)の不足が携帯対戦車火器の登場を促したとの御意見ですが私の考えでは対戦車火器の不足に関係なく成形炸薬弾の登場により携帯対戦車火器の登場が可能になり、かつ発達を見たと思うのですが実際はどのような物だったのでしょうか? 携帯可能な「まともな」対戦車火器としては、対戦車ライフルの存在を忘れてはいけないでしょう。 戦前までの歩兵携帯用対戦車火器の主な流れは対戦車ライフルにあり、イギリスのボイス、ドイツのPzB38/39、ポーランドのM35、スイスのソロターン、フィンランドのラティ、決定版ともいえるソ連のデグチャレフ/シモノフ、そしてわが国も九七式自動砲を開発しています。 > 2・携帯対戦車兵器による攻撃は肉薄攻撃と同義か > 成形炸薬弾+発射装置の組み合わせが肉薄攻撃という戦術から前述の組み合わせによる結果として登場した兵器群による「射撃」は根本的には変わらない物なのかどうか 少なくとも、PIATとパンツァーファウストは純然たる肉攻兵器であると考えます。 刺突爆雷のような「特攻兵器」は論外としても、とにかく味方陣地の生残火力が敵戦車と随伴歩兵を引き離せている状態でなければ使える兵器ではないという点で、戦術的には火炎瓶やアンパン地雷、フトン爆雷と変わらないでしょう。 対戦車砲は歩兵戦における機関銃であり、パンツァーファウストは言ってみればデザートイーグルのような大威力拳銃というところでしょうか。 どのみち白兵戦にならなければ使い道はなく、いざ至近距離での白兵戦となれば、使い込まれた円匙との優劣をつけるのが難しい。 あまりよいたとえではないような気がしますが、そういったような兵器ではないでしょうか。 > 3・成形炸薬弾は運動エネルギー弾(対戦車砲?)不足を補う「逃げ」なのか > 成形炸薬弾は運動エネルギー弾(対戦車砲?)不足による逃げの手段なのかどうか、この部分に関して私は戦車に対する有力な、そして新たな手段だと思うのですが如何でしょうか? 敵戦車の味方陣地突破を防ぐ最終防衛手段という側面から見るならば、成形炸薬使用の携帯対戦車火器は火炎瓶や対戦車ライフルと戦術的地位は同じです。 そして、本来味方陣地前面で喰い止めるはずの対戦車砲がないから、味方陣内に敵戦車に喰い込まれるのであり、その意味では「逃げ」に他なりません。 対戦車砲を「補完」するものという見方ももちろんできます。 しかし、これを主要な対戦車手段とするのは、つまるところ火炎瓶を主な対戦車手段とするのと大きな差はありません。 仕事は多少楽になるかもしれないけれど、確実にその仕事は存在し、こなさなければならない。対戦車砲が十分にあれば、その仕事はしなくて済むものなのです。 > 4・私が想定した戦場 > 私は日本軍が対戦車戦闘を演じた地域はヨーロッパやロシア等と違い「編隊を組んで前進する」戦術が難しく、かつ歩兵の対戦車戦には有効だと思いました。簡単に言うと戦車の得意な戦場ではない地域(山岳、島嶼、密林など)においてはかなり有効で又、戦車の活躍できる地域は少なかったと考えたのです。 まさにだからこそ日本陸軍は携帯対戦車兵器の優先度を下げてしまったのではないでしょうか? 対米英蘭戦争が起こらず、陸軍が満州の広野でひたすら北を睨んでいる状態が長く続けば、かなり変化したはずだとは思いますが。 > 5・対戦車兵器の発達について > これは反省なのですが「第二次世界大戦以降の携帯対戦車火器(もっと広義な意味に変化しておりますが)の発達を説明出来ないと思うのですが」と書いたのは誘導弾も含めた発達を考えていたのです。説明不足、舌足らずで申し訳ありません 対戦車誘導弾は既に大戦中にドイツが手をつけていて、終戦時には実用化寸前にありました。 低初速・短射程で弾道不安定になりがちな成形炸薬弾頭を、いかにして命中させるかが重大問題であったことが窺われます。 裏を返せばパンツァーファウストやパンツァーシュレックには満足できないということの顕れでしょう。 > 6・スケールについて > >日本は中盤においては勝負は海空戦にあるとし、それは間違っていなかったと思います。その間、ごく限られたリソースを海上(あるいは水中)および航空兵器に投入したのはごく常識的な判断だったと思います。 > 私の考えは日本陸軍のみを念頭に考えていました。 > なかまじ様の場合だと陸海軍あわせて考えると仰るとおりですが陸軍としてはどうだったのでしょうか? 国家全体として陸軍に割くべきリソースが慢性的に不足しているので、陸軍としては「既に存在している巨大な軍隊を維持」していくのに、陸軍向けとされる大部分の資源と資金と労力を注ぎ込んでしまうことになります。 開発に回せるリソースなど陸軍予算からすれば微々たるもので、それも金喰い虫の航空兵器が優先です。 陸軍の新兵器開発がどうにも低調で、かつ遅々として進まないように見えるのはこのためです。 ありそうもない話ですが、たとえばなにかの拍子で関特演が本番になってしまったとしたら、史実のようには海軍には予算も資源も回っていかないでしょう。 |
ささき様、まなかじ様御返事有難うございます。 私なりにお二人の意見を咀嚼した上での自分の感想です。 まずは肉薄攻撃と携帯戦車火器の件ですが、第二次世界大戦期の携帯対戦車兵器は近接射撃出来る兵器ではあるが程度の差こそあれ歩兵が負うリスクは肉薄攻撃とさほど変わらない。 成形炸薬弾の発達については第二次世界大戦期の成形炸薬弾や携帯対戦車兵器は過渡期であり、補助的な兵器に留まり、有力な戦車攻撃の手段とするには誘導兵器の完成を待たねばならなかった。 旧日本軍の携帯対戦車兵器や成形炸薬弾を使用した兵器やその発達については前記の兵器を発達させる苛烈な戦車戦は生起せず、戦場においてもその戦域は大規模な戦車戦を成立させることが出来ない環境(国力の面も含め)であり、急激な発達は起きなかった。 大体こんな感じでしょうか。 お二人の丁寧な回答有難うございました。 所でこの議論が進むたびに興味ある内容が出てくるのすが(対戦車ライフルや第二次世界大戦以後の成形炸薬弾を利用した兵器の発達や第二次大戦以降の対戦車砲の現状、日本の携帯対戦車兵器等々)長々とお付き合い頂いているお二方をはじめ皆様に色々伺っても良いものでしょうか? |
成形炸薬弾が話題になっていますが、このあたりはもう少し違った見方もできます。 1.「タ弾には頼れない」という認識がある 陸軍の成形炸薬弾は昭和十七年頃から野砲以下の低初速砲の対戦車能力向上の目的で様々な口径のものが生産に入っているのですが、これに対しての陸軍側の公式な評価とその運用上の留意点が文書化され配布されています。 その中で成形炸薬弾=タ弾について、低初速砲の戦闘力向上には有効だが、通常の砲弾に比べて威力が小さく貫通することは出来ても敵戦車を撃破できず、決定打にならない為、「タ弾を万能視してはならない」との記述が見られます。 タ弾は低初速砲の戦力向上用に導入されたものなのですが、低初速砲の中でもある程度以上の大口径砲でなければ威力が無いということを認識していたということです。 タ弾が主に四一式山砲に導入された事、能力改善が急務だった主力戦車砲である57mm短カノン用タ弾は計画はされても本格的に配備されなかった事などは、このあたりの研究が反映しているのでしょう。 大口径タ弾を発射するべき既存の大口径低初速旧式砲が無い為にその発射器を開発しなければならず、その為には未知の分野であるロケット関係技術を急速導入しなければならないという状況で、これらの簡易タ弾発射器の配備が昭和二十年にずれ込むのは無理も無い事だと思います。対戦車戦闘に対する認識の問題ばかりでは無いでしょう。 2。陸軍の対戦車戦は満州平野を想定 また陸軍が考えていた対戦車戦は満州の平野部で戦われるものでしたから、東部戦線の状況とさしたる違いはありません。南方での対戦車戦闘を意識し始めるのは早くとも十八年後半、または十九年からです。兵器体系が対米戦を反映するのは更に遅れます。兵器体系は旧体系のまま、新情勢に対応しなければならない状況下で、昭和十九年頃からまず初めにマニュアル類が刷新され「対戦車戦闘の参考」「敵軍戦法早わかり」などの具体的、実用的マニュアルが登場するのです。これらのマニュアルが、情報的には豊かでリアルな認識を持ってはいるものの、敵戦車対策としては既存兵器を利用した応急的かつかなり無茶な戦術を要求している事は、そんな状況を反映しているのでしょう。「無茶」にもある程度の合理的理由はあるのです。 3.歩兵の対戦車戦闘は伝統的に陣内戦 日本陸軍が想定した最初の対戦車兵器は平射歩兵砲です。 機銃陣地に対抗する為の兵器である戦車が陣地内に突入して来るのは自明の事で、敵戦車陣内侵入後をどうするかが歩兵の対機甲戦なのです。対戦車砲もその一連の対抗策の一つですから、ドイツの88mm砲のようなアウトレンジ射撃は例外中の例外と言えるでしょう。 ロケット兵器もこうした歩兵の対機甲戦用の手段のひとつとして発達したものなので、それ自体は新しい認識の産物では無いと言えるかもしれません。従来の戦術体系にそのまま当て嵌まる兵器だからこそ末期に多種多様な兵器を導入できたのです。 |
初めまして、ベロウと申します。軍事初心者ですがここは時々見てます。 横レスですが「成形炸薬弾」の話題が出たので質問です。 > 陸軍の成形炸薬弾は昭和十七年頃から野砲以下の低初速砲の対戦車能力向上の目的で様々な口径のものが生産に入っているのですが、これに対しての陸軍側の公式な評価とその運用上の留意点が文書化され配布されています。 > その中で成形炸薬弾=タ弾について、低初速砲の戦闘力向上には有効だが、通常の砲弾に比べて威力が小さく貫通することは出来ても敵戦車を撃破できず、決定打にならない為、「タ弾を万能視してはならない」との記述が見られます。 BUNさんの発言では成形炸薬弾には問題が多いようですが、どうしてですか? 山本弘会長は近著『こんなにヘンだぞ!「空想科学読本」』のなかで「成形炸薬弾は通常の徹甲弾より装甲貫通効果が高い」「対艦ミサイルは成形炸薬弾頭で対戦車ミサイルより炸薬量が大きいので一撃で装甲を貫通し軍艦を轟沈させる」と書かれてますが。 |
> BUNさんの発言では成形炸薬弾には問題が多いようですが、どうしてですか? > 山本弘会長は近著『こんなにヘンだぞ!「空想科学読本」』のなかで「成形炸薬弾は通常の徹甲弾より装甲貫通効果が高い」「対艦ミサイルは成形炸薬弾頭で対戦車ミサイルより炸薬量が大きいので一撃で装甲を貫通し軍艦を轟沈させる」と書かれてますが。 山本弘さんがご自身でトンデモ本を書かれたということでしょう。 成形炸薬弾の限界については陸軍だけではなく海軍もまた貫通力はあるが万能ではなく威力が小さいと結論しています。陸海軍の報告は共に装甲に穴を開けられても内部を破壊できないので効果が小さいという内容です。 |
> BUNさんの発言では成形炸薬弾には問題が多いようですが、どうしてですか? > 山本弘会長は近著『こんなにヘンだぞ!「空想科学読本」』のなかで「成形炸薬弾は通常の徹甲弾より装甲貫通効果が高い」「対艦ミサイルは成形炸薬弾頭で対戦車ミサイルより炸薬量が大きいので一撃で装甲を貫通し軍艦を轟沈させる」と書かれてますが。 成形炸薬弾の見かけの「貫通力」と通常徹甲弾の「貫徹力」の単純比較は間違いのもとです。 成型炸薬弾とは、炸薬を円錐形にえぐった形(これが「成形」の所以)で砲弾にチャージすることで爆発時のエネルギーを前方象限に集中(ノイマン効果)し、なおかつ銅などの軟らかくて融点が比較的低い重金属のライナーをそれに施し、その溶融金属の衝撃力をプラス(モンロー効果)して、装甲を熔かし「穿孔」しようという砲弾です。 こういう原理なので、ライフリングで旋動を与えると遠心力によってジェットが細くならず一点集中の度合が下がるので貫通力が低下しますし、命中・炸裂のプロセスで装甲板との間に適切な距離を置かないとジェットが焦点を結ばないうちに装甲板に達してしまうのでやはり貫通力が低下します。 なんというか用語のニュアンス的な話になりますが、装甲を「貫通」するのは超高速超高温の噴流(但し溶融金属混み)であって、砲弾自体が装甲を「貫徹」するわけではないのです。 従って、戦車内部に与える脅威の度合は、噴流が装甲に穴を穿ってなお残存している熱エネルギーの量如何にかかってきます。 つまり、カタログにある「貫通力」に対してかなりの余裕を見ておかないと、装甲に穴は開けたものの残存エネルギーが足りなくて中の装備や人員に致命傷を与えるには至らないことになるわけです。 これは結局炸薬の量を多くすることで対応するしかないですから、成形炸薬弾頭は大口径であればあるほど貫通力が大となると思っていいでしょう。 また、成型炸薬弾は運動エネルギーに依存しませんから、どの射距離であっても貫徹力は変わりません。 この点で「成形炸薬弾は通常の徹甲弾より装甲貫通効果が高い」と単純に言うわけにはいかないことがわかります。要するにまったく作動原理が違う砲弾なのです。 また、上記のようにライフル砲からの発射が不利、高初速発射の場合の技術的問題が大なので、誘導機構を組み合わせでもしないと長距離狙撃及び動目標狙撃は一般に不得意です。 パンツァーファウストの「貫通力」がややオーバースペックに見えるのも、確実に敵戦車をノックアウトするにはあれくらいの「余力」が必要だった、ということでしょう。 また、バズーカで狙われたドイツの重戦車にも、数発以上の砲弾を受けてことごとく装甲は貫通されながらも中の乗員は軽いやけど程度で戦闘力を維持できたという例がいくつかあります。 これに対して、通常は徹甲弾には榴弾に比べれば微々たるものとはいえ中に炸薬が仕込まれており、貫通後に炸裂して車内で破片効果を発揮します。 ドイツ式の硬芯徹甲弾や連合軍が使った分離送弾筒式徹甲弾(APDS)では炸薬は使用しませんが、弾芯の持つ極めて高い運動エネルギーが破片と同じような効果を発揮します。 貫通さえできれば通常形式徹甲弾(いわゆる徹甲榴弾)が最も効果的だといえるでしょう。 |
成形炸薬弾の説明について、ささいな間違いがあるようですので、僭越ながら書き込みさせて頂きます。 >成型炸薬弾とは、炸薬を円錐形にえぐった形(これが「成形」の所以)で砲弾に >チャージすることで爆発時のエネルギーを前方象限に集中(ノイマン効果)し、 >なおかつ銅などの軟らかくて融点が比較的低い重金属のライナーをそれに施し、 >その溶融金属の衝撃力をプラス(モンロー効果)して、装甲を熔かし「穿孔」 >しようという砲弾です。 炸薬のえぐり方には、円錐形・半球形などのパターンがあって、スタンドオフ距離や、侵徹効率への 影響がありますが、効率的なのは円錐形で、現在はこれが最もポピュラーです。 ライナーの材質は、必ずしも、融点が低かったり、柔らかい必要はありません(むしろ逆だったりします)。重要なのは、比重と衝撃波速度なのです。銅はライナーを形づくるための成形性と前述の性能から、選択されたに過ぎません。なぜならば、融点が低く、柔らかい金属の代表に鉛がありますが、鉛は、比重が高く、成形性も良好なのですが、衝撃波速度が低いので、結果として、銅のライナーより侵徹効率が低かったりします。また、柔らかすぎるというのも、兵器の一部と考える場合、問題です。 装甲を穿孔するのは、炸薬の爆轟波で流体化したライナー材質の効力がほとんどです。燃焼ガスは、質量が低すぎて有効な穿孔力を持ちません。また、ライナー材質は、爆轟波による圧力で流体化しているだけで、一般的にいわれている高温における溶融状態とは、同一と考えない方が良いと思います。また、装甲側も流体化したライナー材質の衝突による高圧により、流体化しているに過ぎませんので、こちらも「溶かす」とか「溶融」という表現は、適切では無いと思われます。 >従って、戦車内部に与える脅威の度合は、噴流が装甲に穴を穿ってなお残存している熱エネルギー >の量如何にかかってきます。 車内に被害を与える、主要因は炸薬の燃焼ガスです。主要因とは別に流体化したライナー材質がありますが、これは穿たれた孔から拡散角度が狭いので、主要因とはなりえないようです。燃焼ガスは高温、高圧で、乗員を殺傷、車内の弾薬や発射薬を誘爆させます。 成形炸薬弾の侵徹孔は、装甲表面から離れるにつれて小さくなる傾向があり、侵徹限界付近では、孔径が小さく、主要因たる燃焼ガスの流入が阻害される場合があります。また、この場合、侵徹に寄与しない速度の遅いライナー材質(スラグと呼ばれます)が、せっかく穿った孔を後から塞いでしまう場合もあります(結果として、燃焼ガスの流入がストップしてしまいます)。 >これに対して、通常は徹甲弾には榴弾に比べれば微々たるものとはいえ中に >炸薬が仕込まれており、貫通後に炸裂して車内で破片効果を発揮します。 >ドイツ式の硬芯徹甲弾や連合軍が使った分離送弾筒式徹甲弾(APDS)では >炸薬は使用しませんが、弾芯の持つ極めて高い運動エネルギーが破片と同 >じような効果を発揮します。 >貫通さえできれば通常形式徹甲弾(いわゆる徹甲榴弾)が最も効果的だと >いえるでしょう。 徹甲弾系の貫徹の場合は、弾丸の貫徹とともに装甲裏面の剥離が発生します。この剥離した装甲材質は、徹甲弾本体とともに、車内を跳ね回り、人員や機材に被害を与え、赤熱した弾丸や破片は、弾薬や発射薬を誘爆させる場合もあります。 |
その調子で自己鍛造弾に付いても教えてください。 |
> 初めまして、ベロウと申します。軍事初心者ですがここは時々見てます。 > BUNさんの発言では成形炸薬弾には問題が多いようですが、どうしてですか? > 山本弘会長は近著『こんなにヘンだぞ!「空想科学読本」』のなかで「成形炸薬弾は通>常の徹甲弾より装甲貫通効果が高い」「対艦ミサイルは成形炸薬弾頭で対戦車ミサイル >より炸薬量が大きいので一撃で装甲を貫通し軍艦を轟沈させる」と書かれてますが。 山本弘の「こんなにヘンだぞ『空想科学読本』」は私も購入し読みましたが、ベロウさんが言われるような記述を見かけませんでした。「成形炸薬弾は通常の徹甲弾より装甲貫通効果が高い」はゴジラとを自衛隊がいかに撃退できるかを語った198ページの「モンロー効果に脅威」と言うパラグラフの要約、「対艦ミサイルは成形炸薬弾頭で対戦車ミサイルより炸薬量が大きいので一撃で装甲を貫通し軍艦を轟沈させる」はそれに続く「東宝自衛隊は間違っている!」と言うパラグラフの「対戦車ミサイルより威力の大きなミサイルもたくさんある。たとえばフランス製の対艦ミサイル<エグゾゼAM39>は、1982年のフォークランド紛争でアルゼンチン海軍の駆逐艦シェフィールドを一発で沈めたことで有名になった。標準的な対戦車ミサイルTOW2は直径15cm、炸薬量は6kg。それに対し、<エグゾゼAM39>は直径35cm、炸薬量は165kg。まさに威力が桁違いなのだ」を不正確に要約したものだと思います。前者に関しては他の方がフォーローしているので後者に関する私見を述べさせてもらいます。山本弘は対艦ミサイルが成型炸薬弾頭だとも書いていませんし、一撃で装甲を貫通して轟沈させる、とも書いていません。確かに「アルゼンチン海軍のシェフィールド」は首をかしげますし(私の記憶ではシェフィールドはイギリス海軍所属のはず)正直シェフィールドが如何様に撃破されたかその詳細を山本弘が知らないと私は思います。ただそもそも「自衛隊はゴジラに勝てない」のかと言う議論ですし、おそらく当著作巻末の参考資料自体がいい加減だったのでしょう。 うまくまとめられませんが、私が言いたいのは山本弘があとがきで述べている「科学的な態度とは、誰かの書いたことを鵜呑みにすることではない」と言うことが本当に難しいということです。 |
ほぼ、まなかじさんの見解と同じなんですが > 1・携帯対戦車兵器について > 2・携帯対戦車兵器による攻撃は肉薄攻撃と同義か 歩兵による対戦車戦闘は外周の防御が全て破られた場合に意味を持ってきます。 またそれには敵戦車に歩兵の随伴が無い、停止しているといった条件が要求されます。 バズーカと言えども、随伴歩兵が居て走行中の戦車をしとめられる兵器とはいえないでしょう。日本戦車が南方戦域で連合軍の携帯対戦車兵器に撃破された事例でも、まずは砲兵等によって随伴歩兵を切り離された後に起こっています。 では随伴歩兵を始末して対戦車障害物等で敵戦車を停止させられるなら? 冬戦争のフィンランド軍はそれでソ連戦車を撃破しましたね? 彼らがそれよりも対戦車砲の拡充に熱心だったのは言うまでも無い事ですが、携帯対戦車火器とは本質的に対戦車砲が駄目だった場合の最終手段の一つでしかなく、それを有効兵器にするには他の各種手段による支援が必要になるものだったのです。 > 3・成形炸薬弾は運動エネルギー弾(対戦車砲?)不足を補う「逃げ」なのか 運動エネルギーだろうが化学エネルギーだろうが、それは本質ではないと思います。 作戦要務令にあるように、対戦車戦闘とは、事前準備・砲兵による阻止・対戦車砲による阻止・歩兵火器と肉攻による阻止と順序があるのです。 火器・火力の威力向上手段の一つが成形炸薬であり、それは各武器というか対戦車戦術手段を変えるようなものではないのです。 > 4・私が想定した戦場 戦車の活躍できる余地の少ない戦場なら、戦車なんか無視しても良いのではありませんか? 47mmの対戦車砲もあったのですから、それで間に合うのではないですか? 勿論、結果的には間に合ってませんが、対戦車砲の数と砲弾の数が十分にあれば間に合ったのでは無いですか? 勿論、将来も想定した場合は、敵戦車の重装甲化から対戦車砲の大型化は必須であり、既存の手段では対処不能になり、何らかの抜本的対策を考えるべきでは有りますが、それには自走対戦車砲という回答を既に出していたわけです。 そして、それは将来を睨んだ回答であり対策だったのですから、緊急案件が山のようにある状況では後回しになるのは当然。 まなかじさんが述べられたように、山の形まで変えてスチームローラーみたいに攻めて来るなんて誰に想像できるというのです。そしてそれに和製バズーカが有ったところで何が出来るというのです。 勿論、あればあったで役立ったと思いますし、無かった事で日本軍将兵の苦労は更に倍加したのですが、実際問題として和製バズーカなんぞ送るよりも野砲弾や食料や医薬品を送るべきでしょう? 和製バズーカは、残念というほどのものではないと個人的には考えます。っていうか残念な物があまりにも多く、和製バズーカは残念度で言ってもかなり下位になるのではないかと。 > 5・対戦車兵器の発達について 誘導対戦車兵器・対戦車ミサイルは対戦車砲に相当する兵器でしょう。 |
どこに付けてよいかわからないので、ここにレスします… 自走 75mm 対戦車砲「ナト」は昭和 17 年(1943) 2 月に計画が開始されて いますが、開発に着手されたのは翌 18 年 2 月、砲の試作品完成が 19 年 7 月、19 年末に砲・車体が一通りの完成をみたところで四式中戦車の 主砲と部品を共用化した II 型砲への換装が命じられ、その作業が終了する のが 20 年(1945) 7 月の終戦直前になってしまっています。 「新世代の戦車には 47mm, 57mm 砲では威力不足」 「長砲身 75mm 対戦車砲は自走化の必要がある」 「本土決戦に備え大量の対戦車兵器が必要であり、部品を共用化して 生産数を確保すべきである」 ひとつひとつの認識と決定は正しいのですが、結果としてナト車は大戦には 間に合っていません。 理由は理解できます。将来に来るべき対戦車戦闘の形態が予測できなかった というのも、航空機や代用素材研究にリソースを取られて開発に注力 できなかったというのも。 しかし、やはり認識が甘かったと言わざるを得ないところも多いと思います。 「リソースを取られた」先は本当に必要なプロジェクトばかりだったので しょうか。 たとえば昭和 18 年頃には 37mm 一式戦車砲の開発が行われていますが、 これが完成しても使い道がない(二色軽戦車 29 両に搭載されただけ)ことを 判断できなかったでしょうか? また「20世紀航空エンジン史」には、鹵獲した M3 軽戦車の星型ガソリン エンジンを参考とした星型ディーゼルエンジンの開発が日野自動車に 命じられた話も出てきます。日野では「生産中エンジンの改良や代用素材 研究に必要な人材を回し」このプロジェクトに当てたそうですが、 未経験の形式のエンジンを戦時に新規開発させる判断は合理的とは 思えません。 一式戦車砲や星型ディーゼルをやめればナトが間に合ったとは言わないし、 仮にナトが間に合っても戦争の帰結は変わらなかったでしょう。 むしろ「結局間に合わなかった」ナトや 105mm ホリ砲も中止して、 そのリソースを歩兵用対戦車火器に回すべきだったのかも知れません。 バズーガもパンツァーファウストも理想的対戦車戦闘の姿とはほど遠く 様々な制約のある火器ではありますが、「今ここにない対戦車砲」や 「今ここにある破甲爆薬」よりずっとマシなのですから。 日本陸軍における「欧米戦車の動向」や「あるべき対戦車戦闘の形」の 認識は理論としては正しかったと思うのですが、現実から乖離していた 面は否めないと思います。「短射程低初速兵器の限界」も理論としては 確かにそのとおりであっても、日本戦車隊はインパール戦で PIAT に・ グアム島でバズーカに痛打を受けており、使い方次第で絶大な威力を 発揮することも知っていた筈です。 敢えて傲慢な言い方をさせて貰えば、「他のプロジェクトにリソースを 取られて開発が滞った」というのも「忙しいからやらなかった」という 言い逃れに過ぎません。そして対戦車兵器が本当に必要になったとき、 1年間停止していたプロジェクトを慌てて再始動したわけです。 その1年の間に戦車と対戦車兵器の様相は大きく様変わりしていたのに、 多分それはわかっていたのに、今更見直しの出来ないところまで追い詰め られていたのでしょう。(今日・明日対戦車兵器が必要なとき、既に図面は ある対戦車砲と、図面すらないパンツァーファウストと、どちらを優先 して量産すべきでしょうか?)「忙しい、忙しい」と戦時緊急プロジェクトに かまけている間に、基礎研究さえ止めてしまったことのしっぺ返しが来た のではないでしょうか。 バブル期に「忙しい、忙しい」と量産設備の充実ばかり図って次期製品の 開発を怠り、バブルが終わった途端に不良債権を抱えて倒産した企業が 沢山ありました。私には日本の対戦車兵器開発の姿がだぶって見えます。 後世の視点から歴史を断罪するのは簡単です。 欧米にだって無駄なプロジェクトの例は掃いて捨てるほどありました。 生産と研究のリソースの振り分けとか、急激に変わる動向の未来を 予測するのは現在でも難しいことです。 …弁護の余地はいくらでもあります。 しかし、彼等の政策が結果として間に合わず・量が足りずで失敗だったこと (相手が相手ですから何をどうやっても負けたでしょうが、もう少し方法は あったのではないか)、その失敗の穴埋めを前線の将兵が肉弾攻撃で補わねば ならなかったことは否定できない事実だと思います。 |
それはまったくそのとおりなのです。 大戦中の日本軍(陸海軍ともに)の戦略といい兵器開発行政といい、『間違ってないけど合ってない』と思います。 一点非の打ちどころのない理論ですが、彼らの視点には、自己の能力でそれをやってのけられるかどうか、というか、自国はどれだけの力を持っていて、どのくらいの速さで力を出せるのかという観点が、致命的なほど多くの場合において欠落していたように思えます。 兵棋の駒ならばそれもよいでしょうが、現実に戦争をしており、戦うのは駒ではなくて実兵です。 「できなかった」理由を説明すべく、あえてその視点からは離れて書いてみましたが、ではアレでよかったか、アレが正しかったかといえば、とてもそうは思えません。 書類とハンコでしか動かない硬直した官僚制のせいにするのはたやすいことですが、この傾向は今でもあちらこちらで見られるような気がします。 |
戦い終った後の感想戦で「あの時、この手が打てた」という話は幾らでも可能ですが、実際にその時、その場所で「その手」が打てたかどうかは誰にもわかりません。 同じ様な事は機銃にも言え、野砲にも言え、無線機にも、電探にも言え、飛行機にも潜水艦にも護衛艦艇にも言え、突き詰めれば戦争そのものにも言えてしまうでしょう。 「あの時、この手が」と思えるのは自国の戦史を読む者の共通した思いですが、それではその時に数ある選択肢の中からその手を選べたかどうか。 その手を実際に打てる環境はあったのか? 誰がその手を打てたのか? そしてそれは本当に妙手なのか? どうも慎重にならざるを得ません。 我々が今の視点からそうした批評をする際、これらの点をよく考えた上で「たやすく可能なもの」「本当に現実的だったもの」を提議すべきでしょう。地に足をつけた議論をする為には「何がその障害となったのか」を明確にして行く作業こそが必須だと思います。 そうすれば「それはやらなくてよい」と断じだ者が何者なのか、やがて明らかになるのではないでしょうか。 |
> 未経験の形式のエンジンを戦時に新規開発させる判断は合理的とは > 思えません。 > して量産すべきでしょうか?)「忙しい、忙しい」と戦時緊急プロジェクトに > かまけている間に、基礎研究さえ止めてしまったことのしっぺ返しが来た > のではないでしょうか。 新世代エンジンの開発研究という基礎研究を優先させたらいけなかったんですか? 未経験の携帯型対戦車ロケット砲を戦時に新規開発させる判断は合理的だったとでも? 英米独は開発して配備していますが、ソ連やイタリアはやってませんよね? 対戦車兵器一つをとっても、例えばAPCBCの開発とか、タングステン砲弾の開発配備も必要だったのではないですか? 日本軍に携帯対戦車兵器があっても米軍は砲撃と爆撃の時間を倍にして日本軍将兵をいぶりだし、戦車ではなく歩兵の大群で攻め寄せるだけの事です。そしてそうなったら、役に立たない携帯対戦車火器なんぞに労力支払うぐらいなら自動小銃や機関銃の改良や配備に注力するべきだったと誰かが言い出すのです。 言うまでもなく、日本軍の装備には足りないというか不足しているものが非常に多くあります。携帯対戦車兵器なんてどうでも良いレベルの事なのでは有りませんか? それこそ新型エンジン開発よりも優先度が低くも当然のものだったのではありませんか? 対戦車自走砲だってそうですよね。ナト車がフィリピン戦に間に合うと何か変わりますか?一式砲戦車は十二分に活躍しましたね、あれが少数しかなかったのは何故でしょう。ナト車はその数十倍の効果をあげられるとでも? しょっちゅうアチコチで主張してますが、兵器なんぞ相手に通用する性能が有れば良いのです。シャーマンを粉砕できる最低限の対戦車火力は47mm砲で成立します。T-34相手では75mm野砲程度が最低値。 どうせパーシングやスターリンが出てきたらナトでも不足でホリが欲しい。開発が停滞するのもある意味当然。ナト車は緊急性も無ければ将来性も無い兵器だったんですよ。あればあったで役立ちますが、何か新たな展望を開かせる代物じゃないのです。とにかく何でも対戦車火力が欲しいとなって復活したに過ぎず、そんな物に頼ったり作ったりする時点で終わってるんです。そしてそれは恐らく和製バズーカも同じなのです。 > しかし、彼等の政策が結果として間に合わず・量が足りずで失敗だったこと > (相手が相手ですから何をどうやっても負けたでしょうが、もう少し方法は > あったのではないか)、その失敗の穴埋めを前線の将兵が肉弾攻撃で補わねば > ならなかったことは否定できない事実だと思います。 そして、ナトがあっても数量が無ければ同じく肉攻させられます。 バズーカは肉攻兵器です。随伴歩兵を切り離せるだけの各種火力を投入しない限り射撃兵も無事ではすみません。地雷抱いて突っ込むとの結果は変わらないのです。 砲火や支援火器を用意できるのですか? 現実にはそれもなかったことを忘れていませんか? 支援火力さえ十分に用意できるなら、既存の兵器でも敵戦車への対抗能力はそれなりにあったのではありませんか? 大戦末期の日本軍携帯対戦車火器は、事実上自殺強要兵器でしかないのでは有りませんか? 大戦末期になってようやく携帯対戦車火器に手をつけたこと、それは戦争に負けた事を認めた上で、それでも戦争が続く事を認めた結果なのではないでしょうか。 私は、携帯対戦車火器の早期配備案は、桜花や剣をもっと早期に作ってフィリピン決戦に間に合わせればよかったと主張しているようにも感じます。 |
> 言うまでもなく、日本軍の装備には足りないというか不足しているものが非常に多くあります。携帯対戦車兵器なんてどうでも良いレベルの事なのでは有りませんか? > それこそ新型エンジン開発よりも優先度が低くも当然のものだったのではありませんか? 足りないものが沢山あったことは同意します。 しかし、携帯対戦車兵器については考慮の余地があったのではないかと 思うのです。あくまで後知恵ですが。 > 対戦車自走砲だってそうですよね。ナト車がフィリピン戦に間に合うと何か変わりますか?一式砲戦車は十二分に活躍しましたね、あれが少数しかなかったのは何故でしょう。ナト車はその数十倍の効果をあげられるとでも? 多分何も変わりません。発見されれば重砲と飛行機で袋叩きでしょう。 だから「ナトもホリも止めてしまったほうが良かったかもしれない」 「そのリソースを防御兵器に回すべきだったかもしれない」と言って いるのです、これも後知恵に過ぎませんけど。 > バズーカは肉攻兵器です。随伴歩兵を切り離せるだけの各種火力を投入しない限り射撃兵も無事ではすみません。地雷抱いて突っ込むとの結果は変わらないのです。 > > 砲火や支援火器を用意できるのですか? > 現実にはそれもなかったことを忘れていませんか? バズーカやパンツァーファウストで戦車を止めても、そこまでです。 反撃できる戦力がなければ、敵はいずれまたやって来ます。 反撃に必要なのは重砲であり、戦車であり、航空機です。 やって来る戦車を幾ら破壊しても戦争には勝てません。 島の防衛戦の場合、戦車を揚陸する輸送船団や、その安全を保証する 戦闘艦艇群を潰さなければ勝利など夢のまた夢ですね。 揚陸後の戦車の対処の問題など枝葉末節だったでしょう。 それはわかっています。 戦車に踏み込まれた時点で戦争は負けなのですから。 それはノモンハンで既に証明されています。 歩兵が肉薄攻撃で戦車と対峙するのは最悪の状況における 最後の手段であると。踏み込まれた戦車を潰すことより、 戦車に踏み込ませない事こそ肝要であると。 しかし、日米の戦力差はそれすら許さないほど圧倒的でした。 日本は揚陸船団を、そして戦闘艦艇を潰すために特攻機や 人間魚雷すら投入しています。それこそありとあらゆる リソースを全力で投入して、それでも防ぎきれずに戦車の 揚陸を許してしまったのです。 こうなってしまった以上、バズーカがあろうが無かろうが 戦闘の帰結は何も変わらないでしょう。 しかし、それでも一抹の無念が拭えないのです。 沖縄でもグアムでも、日本の肉弾攻撃班は多大な損害と引き換えに それなりの戦果を残しています。これは米軍戦車が必ずしも 教科書どおりの連携機動・歩兵随伴で行動しなかったことの 証ではないでしょうか。そして、その状況下ならばバズーカの ような兵器は有効に使えたはずです。 しかし戦車を潰して時間を稼いでも、稼いだ時間を使って 反撃する能力はなく…それを整備するためには、歩兵用火器の整備は 後回しにしてでも攻撃兵器にリソースを割かねばならず…泥沼ですね。 > 大戦末期になってようやく携帯対戦車火器に手をつけたこと、それは戦争に負けた事を認めた上で、それでも戦争が続く事を認めた結果なのではないでしょうか。 こういう戦闘形態は本当に予想できなかったのでしょうか。 「最悪の危機的状況における最後の手段」が日常化するほどの 激戦になることを、対米戦という重大事を決定するときに 全く予想すらできなかったのでしょうか。 > 私は、携帯対戦車火器の早期配備案は、桜花や剣をもっと早期に作ってフィリピン決戦に間に合わせればよかったと主張しているようにも感じます。 最初から負けることがわかっていて、負ける用意(特攻兵器や 歩兵用対戦車兵器の量産)をして戦争を始めるのは大馬鹿者です。 日本が対米戦を決意したのは彼等なりに勝算があったからでしょう。 そしてその予測は外れた。 外れたときの準備は出来ていなかった。 それが準備できる位なら、最初から戦争など始めなかった。 …やっぱり泥沼ですね…。 |