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 ▼1941年、日米開戦反対内閣成立  山家 02/2/8(金) 21:07
   ┣Re:1941年、日米開戦反対内閣成立  マイソフ 02/2/8(金) 21:47
   ┣その本は……  12式戦爆 02/2/9(土) 0:10
   ┣その小説は  酒匂135 02/2/9(土) 0:17
   ┣1941年は余りにも遅すぎると・・・。  ルージュ 02/2/9(土) 0:29
   ┣対米戦争を最小限に押さえるためには・・  アリエフ 02/2/9(土) 1:33
   ┃  ┗Re:対米戦争を最小限に押さえるためには・・  TAKA 02/2/9(土) 18:28
   ┃     ┗Re:対米戦争を最小限に押さえるためには・・  アリエフ 02/2/9(土) 21:30
   ┃        ┗Re:対米戦争は回避不能では?・・  TAKA 02/2/9(土) 22:29
   ┣それは非常に困難でしょう!  TAKA 02/2/9(土) 11:24
   ┣海軍の戦争  カンタニャック 02/2/9(土) 14:39
   ┃  ┗Re:海軍の戦争  TAKA 02/2/9(土) 17:41
   ┃     ┣どうも、いろいろとレスをいただきありがとうございます。  山家 02/2/9(土) 20:15
   ┃     ┃  ┗Re:どうも、いろいろとレスをいただきありがとうございます。  ルージュ 02/2/9(土) 22:14
   ┃     ┗Re:海軍の戦争 返事  カンタニャック 02/2/10(日) 1:09
   ┗國民の暴動  あるめ 02/2/10(日) 21:56

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 ■題名 : 1941年、日米開戦反対内閣成立
 ■名前 : 山家
 ■日付 : 02/2/8(金) 21:07
 -------------------------------------------------------------------------
    石原莞爾についてのスレッドを読んで思い出したネタですが。かなり昔、題名も忘れま
したが、バーチャルシミュレーションゲームという設定で、史実の日米開戦を阻止できる
かという小説を読んだことがあります。
 その中で1941年当時、海軍大臣が山本五十六で、陸軍大臣が石原莞爾だったら、日
米開戦には至らなかった(後、外務大臣が東郷茂徳で、大蔵大臣が池田成彬だったと覚え
ています)と書いてあるのを読んで、山本五十六はともかく、石原莞爾は陸軍大臣にはと
ても若いのでなれないのではと考え、それなら、東条英機の代わりに誰が陸軍大臣になっ
ていたら、後、どのようなメンバーで、内閣等が構成されていたら、近衛内閣総辞職後の
日米開戦は阻止できたのだろうか、と時折考えることがあります。実際には、陸軍内の派
閥力学や、日米開戦を避けるためには中国本土からの撤兵は必要不可欠でそんなことをし
たら日比谷騒動どころではない暴動が国民によって起こされ、内閣閣僚全員の命が無くな
るので、そんなことは絶対無理と言われるかもしれませんが、近衛内閣総辞職後、どのよ
うな人材で内閣が構成されていたら、日米開戦は避けられるでしょうか。
 私としては、永田鉄山が存命で陸軍大臣となり、米内光政が首相、山本五十六が海軍大
臣になって、吉田茂が外務大臣になっていたら、何とか日米開戦は避けられるのでは、と
考えるのですが、どんなものでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:1941年、日米開戦反対内閣成立  ■名前 : マイソフ <maisov@iwao.net>  ■日付 : 02/2/8(金) 21:47  ■Web : http://www.maisov.com/  -------------------------------------------------------------------------
    オランダ領東インドを含む日本への石油輸出国はすべて連合国側
ですから、アメリカは日本と交渉などする必要がありません。単に
石油を禁輸し、日本の暴発もしくは自壊を待っていれば、自然に欧
州での戦争に参加する口実が得られます。すでに大西洋でアメリカ
駆逐艦が「国籍不明潜水艦」と交戦を辞さない状況になった後、日
本に「交渉したがる内閣」ができても、実際にはハル・ノートをつ
きつける相手が変わるだけでしょう。

 陸海軍大臣現役武官制は山本権兵衛内閣がいったん緩和(現役・
予備役の中将または大将)したあと、広田内閣が復活させているの
で、石原莞爾をまず一階級進めて大将にしなければいけませんね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : その本は……  ■名前 : 12式戦爆  ■日付 : 02/2/9(土) 0:10  -------------------------------------------------------------------------
   >  石原莞爾についてのスレッドを読んで思い出したネタですが。かなり昔、題名も忘れま
> したが、バーチャルシミュレーションゲームという設定で、史実の日米開戦を阻止できる
> かという小説を読んだことがあります。
 檜山さんの話でしょうか。「太平洋戦争を回避せよ」みたいなタイトルだった記憶が……。主人公は一度目は暗殺、二度目はソ連との戦いに敗北して銃殺。三度目は三国軍事同盟を破棄して、真珠湾攻撃を唱える山本GF長官を海軍大臣に左遷(?)して、最後は陸軍の襲撃から逃げて、とりあえず成功みたいなEDだったと思います(無茶苦茶いい加減ですが)。「あの後、戦争にならないのか?」って感想を覚えていますが。

 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : その小説は  ■名前 : 酒匂135 <m-sakawa@yb3.so-net.ne.jp>  ■日付 : 02/2/9(土) 0:17  -------------------------------------------------------------------------
   >  石原莞爾についてのスレッドを読んで思い出したネタですが。かなり昔、題名も忘れま
> したが、バーチャルシミュレーションゲームという設定で、史実の日米開戦を阻止できる
> かという小説を読んだことがあります。
 『大逆転!太平洋戦争を阻止せよ』(檜山良昭著、光人社)でしょうか?
 いわば「劇中劇」で、近代日本史の研究者が、1941年12月までの首相職を体験するコンピュータゲームに挑戦するお話ですね。文中では、1939年10月のターンで内閣改造の際、「東郷、石原、山本、それに池田らは対英米戦に反対している人たちである。このような人たちが昭和十五年前後の時代に内閣にいたら、太平洋戦争は避けられたのではないか。かつて西条(主人公)はそんなことを考えたことがある。」との記述になっています。
 小説ではこの後、石原と山本が陸海相就任を固辞したため、海相は米内光政が留任、陸相は梅津美治郎が就任しています。

 本題に関係ないことで、失礼しました。
 1941年12月に開戦が避けられるか?ですが、それまでの経過が史実どおりなら、相当困難だと思います。半藤一利氏の対談だったと思いますが、開戦の不可避点がどこだったか、南部仏印進駐と対日石油全面禁輸の時点や北部仏印進駐の時点が挙げられていました(確か…汗)。
 『陸軍省軍務局と日米開戦』(保坂正康著、中公文庫)この本も小説仕立てですが、東條首相も就任後は昭和天皇の意を受け、陸軍省を指揮して日米避戦の道を探ったとしています。(無論、彼らの努力にもかかわらず開戦の日を迎えるのですが。)
 近衛内閣総辞職の時点から政策変更して日米戦を回避するのは難しいように思えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 1941年は余りにも遅すぎると・・・。  ■名前 : ルージュ  ■日付 : 02/2/9(土) 0:29  -------------------------------------------------------------------------
   1941年の最終局面で多少のifを加えても史実より状況は悪くなる可能性の方が高いような
気もしますが・・・。
例え誰が首班についてもルーズベルト大統領の変心が無くならない限りハルノートが
突きつけられる結果になる以上、これを受諾するかどうかの選択になると思います。

それよりも米内光政が首相で山本五十六が海軍大臣に就けるような状況だと
三国同盟が成立していない可能性がありませんか?
山本五十六は三国同盟に強硬に反対したために平沼内閣総辞職後に「飛ばされて」
連合艦隊司令長官に就任したと思っていたりするのですが。
(あの任期の長さはそれが理由じゃないかと・・・)
あまり自信は無いのですけど。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 対米戦争を最小限に押さえるためには・・  ■名前 : アリエフ <ZVK11677@nifty.ne.jp>  ■日付 : 02/2/9(土) 1:33  -------------------------------------------------------------------------
   開戦回避とまでは行かなくても、対米戦争を最小限に押さえるには次のような方策が有効だろう。
1 独伊との三国協定からの離脱
2 米英とソ連との対立を深める。
41年中期時点で、米英国内の反ソ連派の勢力を強めるため、華北以南の中国大陸からの撤兵をする代りに、その兵力を極東ソ連軍の牽制に振り向けることを提案。また、中国国内における共産主義勢力の浸透について米英に強く警告を発する。
そして日本は敢えて米に対する積極的対抗策を取らず、米英の対日姿勢変化を待つ。
とにかく、米の経済封鎖により日本の国力が壊滅状態になった場合、ソ連の進出を抑止する国が無くなることを強く印象付けるんだな。43年頃になれば、米英は背筋が寒くなってくるだろう。
ま、このためには陸軍の主流派を押さえるため、内閣だけでなく元老・枢密院も含めた努力が必要なんだろうが。内閣だけでなく木戸等の元老もかなりの政治的影響力持っていたこと忘れないでね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:対米戦争を最小限に押さえるためには・・  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/9(土) 18:28  -------------------------------------------------------------------------
   > 開戦回避とまでは行かなくても、対米戦争を最小限に押さえるには次のような方策が有効だろう。
> 1 独伊との三国協定からの離脱
> 2 米英とソ連との対立を深める。
> 41年中期時点で、米英国内の反ソ連派の勢力を強めるため、華北以南の中国大陸からの撤兵をする代りに、その兵力を極東ソ連軍の牽制に振り向けることを提案。また、中国国内における共産主義勢力の浸透について米英に強く警告を発する。
 これは華北も含めた「長城線」以南の全面撤退の方が望ましいのでは?
 すなわち「支那事変」以前の状況に無条件で戻すと言うことです。
 これなら蒋介石も乗ってくる可能性があるし、(実際「支那事変」初期には
 この条件を事変終結の前提としていた(トラウトマン工作の時))
 乗ってきて終結したら、蒋介石は共産党への攻撃を強め、中国大陸で共産党
 勢力との対立がクローズアップされるだろう。(対日戦争が終われば、西安事件と
 それによる第二次国共合作の前提が無くなるのだから共産党攻撃に出るのは
 間違いないでしょう)
 それには華北を含めた撤退が必要では?
 そうしないと中国国内の抗日機運は消えないでしょう。抗日機運が消えないと
 言うことは、共産党との戦争は激しくはならないでしょう。
 そうすれば、共産勢力について米英が注目する可能性があるでしょう。
 只それに対しては蒋介石を支援することで対応し、対日政策を切り離し
 難題を吹きかけてきて戦争へ誘導する可能性が有りますけどね。
  
> そして日本は敢えて米に対する積極的対抗策を取らず、米英の対日姿勢変化を待つ。
> とにかく、米の経済封鎖により日本の国力が壊滅状態になった場合、ソ連の進出を抑止する国が無くなることを強く印象付けるんだな。43年頃になれば、米英は背筋が寒くなってくるだろう。

 只経済封鎖が継続されたら43年まで日本の国力は持たないのでは?
 一説によれば「日本の戦前の国力の頂点は39年に有った」という説が
 有ります。(私もこの説を支持しますが)
 この説は原因を1.軍の動員による労働力の低下2.鉄鋼・石炭・セメント等の
 基本的生産物の生産量低下があったのですから、経済封鎖の中では、
 中国撤退により軍の動員を一部解除出来たとしても、石油・くず鉄・工作機械
 等の輸入が止められていては、42年には国力は崩壊していたでしょう。
 42年ではまだソ連は、対独戦で苦戦中でソ連の進出に脅威を感じないでしょうし
 中国でも共産勢力が注目されてない可能性も大きくあります。
 石油の備蓄が無くなり、国力の崩壊した日本に対し、対ソ防波堤として経済封鎖を
 解除して軍事力を回復させるより、衰退した日本を先に潰して刃向かう危険を
 取り除いてその地域に米英主導で、上手く屈服した日本の国力を利用して
 対ソ防波堤衛星諸国を作ろうと考えるのではないでしょうか?
 (こちらの方が現実的の様な気がします)
 こうなるんでしたら、まだ国力のあるあの41年に対米開戦していた方が
 まだ良いという考えになるのではないでしょうか?
 対米開戦も明確な「終結へのビジョン」「世界へアピールできる正義に基づいた
 大義名分」「不敗の作戦方針のビジョン」が有れば、まだ何とかなったのでは?
 と言う気がしますが・・・
 (私は上記ビジョンにあなたの言っている「中国撤退」「三国同盟破棄」
 「米英対ソ連の対立を煽る」は必要であると思います。
  それに加えて考えた方がいいでしょうが・・・)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:対米戦争を最小限に押さえるためには・・  ■名前 : アリエフ <ZVK11677@nifty.ne.jp>  ■日付 : 02/2/9(土) 21:30  -------------------------------------------------------------------------
   >これは華北も含めた「長城線」以南の全面撤退の方が望ましいのでは?
ややこしい書き方だったかな?「華北以南」だから「華北」も含む地域からの撤退という意味だけど。長城線以南の全面撤退に等しい。

> 只経済封鎖が継続されたら43年まで日本の国力は持たないのでは?
積極的対抗策を取らないというのは、真珠湾攻撃のように敢えて米領土内に本格的攻撃を行うことをできるだけ回避する、というような意味。
石油資源は必要だし、蘭印やシンガポール等の要地を押さえ、それを以って英蘭に対する揺さぶりをかける。日本軍引き上げの条件として、対日政策について米と歩調を合わせないようにし、日本との自由貿易・資源輸出を要求する。
とにかく絶大な宣伝努力が必要だろう。40年頃までに米英国内に親日派ないし対ソ連強硬派の人脈を築くことができれば、可能なのかもしれないが。

それから、内閣の顔ぶれが海軍主導となろうと、大蔵省、外務省といった政府官僚組織、元老、海軍の三者が一体となって陸軍主導派に全面対決してでも押さえつける覚悟で臨まんと、三国同盟からの離脱を含む大幅な外交政策変更は難しいと思うよ。41年当時、彼らにそうしたことができるだけの力量、気運が備わっていたかどうか・・?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:対米戦争は回避不能では?・・  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/9(土) 22:29  -------------------------------------------------------------------------
   > > 只経済封鎖が継続されたら43年まで日本の国力は持たないのでは?
> 積極的対抗策を取らないというのは、真珠湾攻撃のように敢えて米領土内に本格的攻撃を行うことをできるだけ回避する、というような意味。
> 石油資源は必要だし、蘭印やシンガポール等の要地を押さえ、それを以って英蘭に対する揺さぶりをかける。日本軍引き上げの条件として、対日政策について米と歩調を合わせないようにし、日本との自由貿易・資源輸出を要求する。
> とにかく絶大な宣伝努力が必要だろう。40年頃までに米英国内に親日派ないし対ソ連強硬派の人脈を築くことができれば、可能なのかもしれないが。

米本土への直接攻撃のみを控えて、蘭印・シンガポールを攻略する、すなわち対英開戦
をすると言うことは、必然的に対米開戦をするに等しいと思いますよ。
確かに米国領土に対し攻撃を加えない以上、直接的には米国が日本に対し
戦争をする理由が無いとも言えますが、英国はシンガポールが陥落したぐらいで、
対米協調路線を崩すでしょうか?
英国は独の攻撃に対し、この時期米国の支援がなければ大西洋の通商路も維持できない
状況ですし、オランダ亡命政府にしたら英米の支援がなければ本土回復は
不可能なのですから、逆に史実にある様に「いかにして米を戦争に巻き込むか?」
と言う謀略に全力を尽くすでしょう。
仏印の場合まだ「ヴィジー政権の承認を得た」と言う言い訳が有りますが、
オランダには占領下政権がない以上この言い訳が有りません。
と言うことは、必然的には対英・対オランダ宣戦布告が必要となります。
又首尾良く蘭印・シンガポールを攻略したとしても、資源を輸送するのに、
米領フィリピンが遮っています。
米がどの様な妨害をするか、想像できると思います。
確かに蘭印・シンガポールを攻略すれば、資源が手に入り、前にも述べた様に
中国から撤退した兵力の動員解除が出来(南方作戦は11個師団にて行ったことを
考えれば再動員する兵力は動員解除兵力の半分以下で十分)労働力問題も解決出来、
上手くやれば国力は崩壊しなくて済むでしょう。
只蘭印・シンガポールを攻略することは、「対米戦争を最小限で押さえる」では済まず
逆に「対米戦争の引き金」になると思いますよ。
(過去に米は「第一次大戦」でルシタニア号事件を口実に参戦しています。
フィリピン近海で第二の「ルシタニア号事件」が起きる可能性は大でしょう。
謀略として起きる可能性も大です)

> それから、内閣の顔ぶれが海軍主導となろうと、大蔵省、外務省といった政府官僚組織、元老、海軍の三者が一体となって陸軍主導派に全面対決してでも押さえつける覚悟で臨まんと、三国同盟からの離脱を含む大幅な外交政策変更は難しいと思うよ。41年当時、彼らにそうしたことができるだけの力量、気運が備わっていたかどうか・・?

確かに41年段階で「対米開戦回避」を「三国同盟解消」「中国撤退」を含む
政策変更をして実施することは、非常な覚悟が必要でしょう。
特に「中国撤退」問題は陸軍のクーデター、最悪の場合「皇軍相撃つ」内戦の可能性
も否定できません。それを防ぐには、天皇陛下の「勅許」「御聖断」が必要です。
只海軍軍人・元老を含む政治家・官僚に陸軍と「皇軍相撃つ」ほどの覚悟が
有ったかも大きな疑問ですし、「開戦回避派」の最後の切り札で、「統帥権」を
使い「勅許」「御聖断」で黙らせることの出来る、天皇陛下にそれだけの覚悟が
有ったのかが疑問です。海軍軍人・元老を含む政治家・官僚が「中国撤退」
「対米開戦回避」と言ったら、陸軍が「統帥権干犯」と言ったら、帝国憲法上は
違憲になりますから、最終的には「内閣」何かより「天皇陛下の意志・覚悟」が
最大の焦点になると思います。
そう考えると、「屈辱的譲歩(ハルノートの受諾)」以外対米戦争回避は不可能で
それも陸軍の抵抗と天皇の覚悟が足かせとなって不可能に等しいでしょう。
そう考えただけでも「対米戦争は回避不能?」ではないかと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : それは非常に困難でしょう!  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/9(土) 11:24  -------------------------------------------------------------------------
   1941年に「日米開戦反対内閣」が出来ても何も変わらないでしょう。
まず最初に「ミクロ的要素」にて考えるなら1941年に内閣が2回替わっています。
1.7月の第二次近衛内閣の総辞職・第三次近衛内閣の成立(松岡外相の更迭)
2.10月の第三次近衛内閣総辞職に伴う東条内閣の成立
この総辞職の理由は1.は日米交渉で米国に忌避された松岡外相の更迭
2.は日米首脳会談を拒否され対米交渉に完全にいきずまった近衛の政権放棄です。
このような状況では誰が政権担当しても対米交渉は「ハルノートの受諾」
位思い切ったことをしなければ、打開できないでしょう。
又誰が政権を担当しても、陸軍他の国内勢力に対し「ハルノートの受諾」という
決定的譲歩を納得させられる指導力のある内閣は出来ないでしょう。
(それが出来るのは天皇陛下の御聖断しかないでしょう)
又1941年の対米交渉では、確かに第一のきっかけは米国の私的外交から
始まったけれども熱心なのは日本でしたし(特使まで派遣しているのですから)
日本は米国の示唆に対する外相の更迭や、首脳会談の準備までしているのに
しかも東条内閣は成立時に天皇陛下から「対米交渉に努力せよ」とのお言葉
を言われ努力しようとしながら、(少なくとも東条首相は天皇陛下への忠誠心は
非常に高い人であったことは事実ですから、対米交渉に努力しようとした事は
間違いないでしょう。それは東郷外相の起用に現れています)不可能だったの
ですから、1941年の段階になってどの様な内閣をIFの考え方で登場させても
対米開戦回避は不可能でしょう。
次ぎに「マクロ的要素」にた考えても対米開戦回避は困難でしょう。
本当に対米開戦回避を考えるなら、対米外交の最大問題は中国問題ですから、
少なくとも満州事変・上海事変・日華事変の回避にまで戻らないと不可能でしょう。
もっと言えば、明治時代中期(日清・日露戦争の時代)以降日本の基本外交政策は
「大陸進出」であり、それは「遅れてきた帝国主義国家の宿命」としての、英国を
筆頭とする欧米帝国主義国家との対立は歴史的必然だったのですから、
1941年という非常に限られた期間だけ抜き出して対米開戦回避を考えても
非常に困難でしょう。あくまでも歴史は流れの中で考えるべきであり、日本の
中国政策は、「対華二十一箇条の要求」「満州事変・上海事変・日華事変」
と言う強硬政策と「ワシントン体制の受け入れ」「幣原外交」という宥和政策
を繰り返しながら、抜き差しならない状況へ進んでいったのですから
又中国政策の泥沼化と平行して対米関係の悪化も進んでいったのですから
そのような一連の流れの中で考えなければならないでしょう。
そう考えれば、歴史の「ミクロ的要素」「マクロ的要素」から考えても、
対米戦争は回避不可能であったと言えるのではないでしょうか。
回避するには、それこそ明治維新まで戻って近代日本国家の国是の変更
(帝国主義の放棄、アジアの帝国主義よりの解放)をしなければ
不可能であるといえるでしょう。
もし1941年に「日米開戦反対内閣」が出来て万が一対米戦争が回避できた
としても歴史の流れの必然から考えて、先送りにすぎない「対米戦争は歴史の必然」
で有ったと言えるのではないでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 海軍の戦争  ■名前 : カンタニャック  ■日付 : 02/2/9(土) 14:39  -------------------------------------------------------------------------
   ご無沙汰しております。
 さて、皆さんおっしゃるように41年となると極めて難しいでしょうが、御題通り「41年で閣僚レベル」で考えると、私に思いつく唯一の可能性は「正直で・勇気があり・希望的観測で自分をだまさない」海軍大臣の就任でしょう。海軍が「ごめんなさい。今の戦力ではアメリカに負けます」といえ(れ)ば、日本は開戦できません。もちろん海軍は陸軍や国民からバカにされ、その威信は地に落ちますが、海軍不満派をおさえるのは陸軍不満派を押さえるよりはるかに楽ですし、海軍と陸軍の不満派の共闘を押さえる仕事なら、それこそ東条さんにぴったりです(海軍が対米屈服の責任を取ってくれるなら、東条さんは平和のためにがんばりますよ、きっと)。
問題は、海軍の名誉や責任問題に立ち向かえる、無骨で頑固一徹な正直者が海軍にいないという点ですね(あ、やっぱり答えになっていない)。

追伸 それからこのネタは絶対仮想戦記にもなりませんね。「屈服帝国海軍!ローズベルトの哄笑」って本を買う人間が何人いるか…。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:海軍の戦争  ■名前 : TAKA  ■日付 : 02/2/9(土) 17:41  -------------------------------------------------------------------------
   >  さて、皆さんおっしゃるように41年となると極めて難しいでしょうが、御題通り「41年で閣僚レベル」で考えると、私に思いつく唯一の可能性は「正直で・勇気があり・希望的観測で自分をだまさない」海軍大臣の就任でしょう。

確かに最初の質問は「内閣」になっていますから「海軍大臣」と言うのも分かりますが
当時の「海軍大臣」には、予算権・人事権と言った事務的な権限しか無く、海軍の
統帥は名目的には「天皇陛下」実体は「海軍軍令部総長」にあったのですから、
海軍大臣ではなく「正直で・勇気があり・希望的観測で自分をだまさない」軍令部総長
と実戦部隊の司令官である連合艦隊司令長官でしょう。
海軍大臣が「対米戦争できません」なんて言ったら、「統帥権干犯」だと大騒ぎに
なりますよ。(ロンドン条約の時には「軍の編成権は統帥権に属する」という解釈で
内閣が倒れたのですから・・「対米戦争出来ません」なんて言ったらどうなることか)
それに山本五十六連合艦隊司令長官は近衛首相に対し、「1年半ぐらいは暴れて
見せますがその後は保証できません」という趣旨の発言をしていますが
(有名な話ですよね)対米開戦を止められなかったのですから、
「正直で・勇気があり・希望的観測で自分をだまさない」発言を曲げない人が居ても
非常に難しかったと思いますよ。
(山本長官の上記発言は「正直で・勇気があり・希望的観測で自分をだまさない」
発言ではないかと思いますが・・・殆どこの通り戦局は推移するのですから・・)


>不満派を押さえるよりはるか海軍と陸軍の不満派の共闘を押さえる仕事なら、それこそ東条さんにぴったりです(海軍が対米屈服の責任を取ってくれるなら、東条さんは平和のためにがんばりますよ、きっと)。

これに関しては同意します。只東条首相の権力基盤は「天皇陛下の信任」と
「陸軍からの支持」に有ります。
ここで対米開戦回避を計るとなると、少なくとも中国からの撤退は迫られるでしょう。
(これで収まれば上出来です)多分中国東三省地域(満州国)からも撤退に近い状況
(関東軍の撤退・満州国の解体・最悪は満鉄の接収)には追い込まれるでしょう。
最悪では朝鮮・南樺太・台湾の内大部分の地域の放棄も米国に迫られる形に
なるかもしれません。(何せ海軍が「戦争できません」という形での屈服なの
ですから、米国が強気に出てくる可能性大です)
このような形になったとき陸軍は東条首相を支持するでしょうか?
上記の地域は陸軍が押さえています。もし政府がこの条件をのんだとしても、
陸軍が従うとは思えません。
それには「天皇陛下の勅許」が必要でしょう。
又陸軍が「クーデター」を引き起こす可能性も有ります。
優柔不断とも言える昭和天皇がそこまでするでしょうか?
もし「勅許」が出ない場合、東条首相は支持基盤を失い孤立し失脚するでしょう。
そうしたら米国は最終的妥協を履行しない日本に対日戦争を宣戦する可能性が
大です。そうしたらどの道対米開戦回避は不可能になります。
東条首相は律儀者ですから言われる様な状況になったら、対米開戦回避に
努力するでしょうし、実際努力しようとしたのは事実です。
只海軍が泥を被るだけでは簡単に回避できないのではないでしょうか?
(何せルーズベルトが一番対日戦争をやりたかったのですから・・)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : どうも、いろいろとレスをいただきありがとうございます。  ■名前 : 山家  ■日付 : 02/2/9(土) 20:15  -------------------------------------------------------------------------
    書きこんだときは個別にレスをしようと考えていたのですが、余りにも多くの意見を頂
いたこともあり、まとめて現在の私の考えを述べます。
 私自身は、はっきり言って以下に述べる2つの考えのどちらが正しいのか、判断が自分
でもついていません。まず第一は、満州事変と5・15事件の処理について判断を誤って
しまったことから、日米開戦は必然だったという考えです。満州事変で、石原莞爾等の満
州事変を引き起こした人物を独断専行を理由に軍規違反者として、軍法会議に掛ける等の
厳正な処分を行い、5・15事件の実行者を死刑に処す等の処分を下さなかったたため、
現地部隊の暴走を食い止めたり(石原莞爾が日中戦争で不拡大を主張したにも関わらず、
現地部隊の暴走等で日中戦争の拡大をもたらしたのは自業自得でしょう)、これは憂国の
念に駆られたやむを得ない行動であるとして行われるテロ(例えば、2・26事件)を押
さえたりということが、事実上不可能になりました。このような中で、日米交渉を行って
も、それこそ天皇の聖断が無い限り、現地部隊は政府の命令を聞かず戦闘を拡大し、右翼
は国賊を討てと政府首脳に対するテロを行いと、米国からは日本は戦争を望んでいるとし
か見えない行動を、日本は取ることになり、日米開戦は不可避であるという考えです。第
二は、1941年10月の段階でも、日米開戦回避は可能だったという考えです。友人か
ら聞き、私自身「日本海軍将官総覧」で読んだのですが、1941年4月に伏見宮軍令部
総長が退任し、永野修身が後任の軍令部総長になります。このとき山本五十六等は、米内
光政を現役に復帰させ、軍令部総長にしようとしました。もし、これが実現していれば、
1941年10月6日の海軍首脳会議で、海軍は陸軍と喧嘩になっても中国本土からの撤
兵を求めることになり、「米英には勝てません」と米内軍令部総長が明言することになっ
ていた(実際に米内大将は1939年8月8日の五相会議で海軍大臣としてこのことを明言しています)と思います。そして、あくまでも陸軍が中国本土から撤兵しないなら、海
軍は、陸軍が米内内閣等を潰したように、海軍大臣を送らないという方法で東条内閣を潰
すと脅すと思います。ただ、これだと日米開戦は避けられても、大規模な国内の混乱は不
可避だとは思いますが、日米戦争を行うよりはましなのではないでしょうか。
 最初の論題とまるで異なりますが、史実どおりならば、以上が私の現在の考えです。実
際に、陸軍大臣として適当な人材が思い当たらず、永田鉄山が生きていれば、と思うので
す。当時、健在な人材では、陸軍を押さえるのは相当困難ではないでしょうか。
 最後になってしまいましたが、例の小説は檜山氏の作品だったのですね。現在は手元に
無く、題名等が分かりませんでした。どうも、ありがとうございます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:どうも、いろいろとレスをいただきありがとうございます。  ■名前 : ルージュ  ■日付 : 02/2/9(土) 22:14  -------------------------------------------------------------------------
   確か史実でも全面的ではないにせよ中国大陸からの撤兵は米国に提出されていますし
その中には仏印からの撤兵も含まれていた筈です。
もう少し前には重慶政府との和平交渉も行われていましたし陸軍が中国からの撤兵を
考えていなかった訳ではありません。
私達が思い付くような事は彼らの間でも十分考えていたと思った方が良いのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:海軍の戦争 返事  ■名前 : カンタニャック  ■日付 : 02/2/10(日) 1:09  -------------------------------------------------------------------------
   TAKAさんレスありがとうございます。
> 当時の「海軍大臣」には、予算権・人事権と言った事務的な権限しか無く、海軍の
> 統帥は名目的には「天皇陛下」実体は「海軍軍令部総長」にあったのですから、
> 海軍大臣ではなく「正直で・勇気があり・希望的観測で自分をだまさない」軍令部総長
> と実戦部隊の司令官である連合艦隊司令長官でしょう。
その通りです。内閣にこだわって海軍大臣と書きましたが、軍令部長の職責にかかわる問題であることはまったくご指摘の通り。ただし、軍令部長だけでなく人事権と予算権を持つ海軍大臣も不戦派の同志で固めることは必須でしょう。

> それに山本五十六連合艦隊司令長官は近衛首相に対し、「1年半ぐらいは暴れて
> 見せますがその後は保証できません」という趣旨の発言をしていますが
> (有名な話ですよね)対米開戦を止められなかったのですから、
> (山本長官の上記発言は「正直で・勇気があり・希望的観測で自分をだまさない」
> 発言ではないかと思いますが・・・殆どこの通り戦局は推移するのですから・・)
ここは不同意。「保証出来ない」と「負けます」は、まったく違います。あの時点で必要な発言は「さきのことはわかりませんなあ」ではなく公に責任を負う場での「負けます」の一言です。この点、山本長官は、「負ける」と思っていたのなら正直でなく、「1年半より後のことはどうなるか判らない」と自分に言い聞かせていたなら希望的観測で自分をだましていたんだと思います。ただし、あの時点で連合艦隊司令長官一人が「負けます」といっても、「勝てる」という人への司令長官のクビのすげ替えで終わる可能性が高いことは認めます。やはり海軍大臣、軍令部長が、「海軍をつぶしてでも戦争を避ける」で一致団結する必要がありますね。一人ならともかく、自己の組織を否定するリーダーが二人ないし三人必要となると、非常に難しいなあ。

> ここで対米開戦回避を計るとなると、少なくとも中国からの撤退は迫られるでしょう…
(中略)
> 上記の地域は陸軍が押さえています。もし政府がこの条件をのんだとしても、
> 陸軍が従うとは思えません。
「中国撤兵宣言」してからが、外交です。いつどこからどれだけ引くのかは、これからの話。そりゃあ、アメリカ政府は即時・無条件・全面撤退させたいでしょうが、日本が条件闘争しているとき、アメリカ議会に対日宣戦布告させるのは大変ですよ。

> 只海軍が泥を被るだけでは簡単に回避できないのではないでしょうか?
ハイそうです。私のレスは、41年の段階で陸軍のクーデタ騒ぎなしで戦争を止める可能性を考えたものですから、あとは野となれ山となれ。こうなると陸軍に歯止めをかけられる勢力が完全に消滅しますから、その後もっとヤバイことになる可能性は充分有りです。

> (何せルーズベルトが一番対日戦争をやりたかったのですから・・)
これはどうでしょうか。ルーズベルトが一番やりたかったことは常にナチスドイツの無力化であり、日本は二次的な問題でしょう。ドイツを片づけるまで日本を「あやしておける」なら、それでいいというのは本心でしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 國民の暴動  ■名前 : あるめ  ■日付 : 02/2/10(日) 21:56  -------------------------------------------------------------------------
   > 日米開戦を避けるためには中国本土からの撤兵は必要不可欠でそんなことをしたら日比谷騒動どころではない暴動が国民によって起こされ、内閣閣僚全員の命が無くなるので

と云うことは無いと思います。満州事変以降、日支事変が長引いて、國民には厭戰氣分と不安が、じわじわ広がっていたときなので、明治の時のような「勝った、勝った、賠償金もとらない政府の弱腰は何事か」と云うような世間知らずの世論は、もう出てこなかったでしょう。それよりも右翼や軍部の実力行使によるクーデターが実際に起こりかねず、そっちのほうが政権担当者を脅かすに十分だったでしょう。近衛さんはそれが怖くて逃げたと一部で未だに云われておりますが、そりゃ怖いですよね、普通の人ならば。
あの頭脳明晰な永田さんがやられちゃったのが、だいぶん陸軍派閥の均衡を崩したことは、たしかに後になると云えますね。あの小説は永田さんに目をつけところが、気に入っています。
満州の権益を放棄するのは、フランスのアルジェリア放棄ではないですが、とてつもない難事に思え、むしろ当事者にしてみれば身命を賭して戦争を回避し、大陸から撤兵するよりは、勝てる「かもしれない」戦争を続けていたほうがいくらか氣がマシだったのではないでしょうか。そういうところ、なんとなく、ありません?

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