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 ▼発動機開発について  傍聴者 06/11/12(日) 19:49
   ┣わからない  片 06/11/12(日) 20:01
   ┣三菱と中島  BUN 06/11/14(火) 12:14
   ┗普通は逆。  む 06/11/18(土) 6:05
      ┗工場なんて抱え込みたくない  片 06/11/18(土) 7:45
         ┗勉強になります。  む 06/11/18(土) 17:48
            ┗「メインバンク」は政府そのもの  片 06/11/21(火) 7:07
               ┗押しつけ  む 06/11/22(水) 11:43
                  ┗Re:押しつけ  片 06/11/22(水) 12:16

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 ■題名 : 発動機開発について
 ■名前 : 傍聴者
 ■日付 : 06/11/12(日) 19:49
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    既に言い古された感が有りますが、空冷発動機開発に於いて、三菱は中島に先手
を取られ焦る場面が非常に目立っていました。発動機開発競争に負けた三菱は矜恃
を捨てて中島飛行機に発動機部門を全て売り渡し、自社による空冷発動機生産を一
切止める決断に踏み切ることが必要ではなかったかと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : わからない  ■名前 : 片  ■日付 : 06/11/12(日) 20:01  -------------------------------------------------------------------------
   営利を目的とする私企業であるのに、何故そのようなことをしなければならないのでしょうか?

ましてや、三菱は中島に対して天と地ほども惨敗していたわけでもなく、その製品は充分に存在意義のあるものだったのに。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 三菱と中島  ■名前 : BUN  ■日付 : 06/11/14(火) 12:14  -------------------------------------------------------------------------
   別のところにも書きましたが三菱の航空発動機開発はむしろ中島を一歩リードしていたと見ることもできます。両社の比較はかなり微妙ではありますが、大雑把に言えば次のようなものです。

☆技術的側面の比較

気化器まわりの開発
中島の優位

燃料噴射装置の開発
三菱の優位

小型18気筒発動機の開発
誉の実用化によって中島が優位

大型発動機の開発
ハ五系の失敗と火星系の成功により三菱優位

排気タービン、ジェットロケット技術
三菱優位


☆採用実績、設備、生産面での比較

戦闘機用発動機
栄系、誉系による中島の圧倒的優位

爆撃機用発動機
金星系、火星系、ハ一〇四系による三菱の圧倒的優位

その他小型機用発動機
瑞星、金星系の広範囲な採用による三菱の優位

量産工場としての規模と設備
三菱名発の規模と設備水準によって三菱の優位

生産実績
昭和19年度まで三菱の優位


戦時の発動機生産は陸海軍から生産能力以上の発注内示を受けて全力で進められていましたから受注減による生産数量の低下はあり得ませんので、三菱と中島の生産実績の違いは両社の量産能力をほぼそのまま反映しています。
機体の量産では中島がリードしているように見えますが、より高度な設備と技術を必要とし育成、拡大の難しい航空発動機生産の分野では「量産の三菱」なのです。

こんな具合で三菱の発動機開発と生産には非常に見るべきものがあるのですけれども、戦闘機用発動機として華々しいエピソードに恵まれないことから「栄、誉の中島」という印象が強く金星、瑞星、火星といった三菱発動機のラインナップは地味に見えてしまいます。
しかし三菱製発動機が存在しなければ飛行艇、陸攻、重爆が満足に飛ばないのですから、誉以外に独自の地位を占めていない中島よりも日本陸海軍の航空戦力充実に寄与するところは大きかったとの評価もできるでしょう。

また三菱重工内では零戦設計者の堀越二郎氏を凌ぐ評価と人望を集める金星の育ての親、名発所長の深尾淳二氏という伝説的な大スターが存在しその業績が顕彰されているのですけれども飛行機ファンへの知名度は地味なものです。深尾所長が社内スターに留まってしまったことが三菱製航空発動機への評価が固まらない理由の一つなのかもしれません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 普通は逆。  ■名前 : む  ■日付 : 06/11/18(土) 6:05  -------------------------------------------------------------------------
    ふつうは、超巨大企業の岩崎さんが、小さい割に技術のある中島さん
を食うことになりますね。まぁ、三井さんも軍も、戦時にそんなM&A
のドタバタはさせないでしょうが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 工場なんて抱え込みたくない  ■名前 : 片  ■日付 : 06/11/18(土) 7:45  -------------------------------------------------------------------------
   >  ふつうは、超巨大企業の岩崎さんが、小さい割に技術のある中島さん
> を食うことになりますね。まぁ、三井さんも軍も、戦時にそんなM&A
> のドタバタはさせないでしょうが。

三井は15年初頭までには中島と切れさせられています。
支那事変中に取扱契約料が莫大なものに膨らみ過ぎたためなのですが、それと同時に陸海軍には各航空機製造会社に対して強力な統制をもって臨みたいという意向があります。民間に兵器生産を委ねざるを得ないのは経済的な事情に過ぎず、その事情を除いたところでは各メーカーが出来る限り軍と一体化してゆく方向が望まれていました。
仮に三菱の一部門を中島に譲渡するようなことがあり得たとしたら(実際問題としてそれはどうかと思いますが)、それは軍と政府側の事情に基づいて何らかの強制が行われた場合ということになるのではないかと思います。戦時中に各メーカー内で濫立された「○○製造所」の新開設も、ほぼ軍と政府からの命令によるものであり、民間会社の経営側としては(勝ち負けにかかわらず)いずれ終わる戦争なのであり、そのときにやって来る受注激減は当然予想されることでしたから、莫大なインフラストラクチャー整備は本来避けたいはずのものでした。老舗である三菱・中島両社には、第一次大戦後の軍用機発注冷え込みの強烈な記憶があります。戦争が終わればまだしも民需が期待できる自動車産業に転換せざるを得ない、すでに自動車部門を持っていた三菱でならともかく、飛行機一本の中島においてすら戦時中にすでにそのようなことが考えられていたのでした。中島は、いずれ自動車でも作らせるしかない三菱の工場など引き受けたくないはずですし、三菱としても同様だったことでしょう。

航空機分野での創業の古い中島、三菱は陸海軍両方から受注する形になっており、ゆえに陸海軍どちらかの隷下に置きにくい位置にあります。しかし、その後に現れた航空機製作会社はほぼ陸海軍どちらかの専管になっています。この場合、より強力に傀儡化が進められることになり、中島から独立して成立した川西などは、経営の最高幹部に前空技廠長が座っただけでなく、かなりの数の「天下り」が海軍から入り込み、また、技術部門のトップも海軍出身者によって取って代わられています。(このため、創業以来の中島出身技術者たちは他へ転じざるを得なくなり、日国を興しています)それまで小型水上機メーカーだった川西が大艇メーカーになり、次いで大戦勃発とともに戦闘機、陸攻などの海軍主力機メーカーに転じて行った裏にはそうした事情もあったのです。
このように軍出身者が経営の深部に入り込む事態を極力避けようとしていたのが三菱であり、中島だったのでした。三菱は、時代の流れに逆行して造艦部門と航空機製造部門を合併一社化することで(戦車もですね)、海軍艦政本部と陸海軍各航空本部のどれかが突出した統制を試みにくくなるような体制を作り上げています。経営側としては、軍と政府の意向に振り回されることを拒みたい気持ちがありました。工場も出来るならば抱え込みたくなかったのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 勉強になります。  ■名前 : む  ■日付 : 06/11/18(土) 17:48  -------------------------------------------------------------------------
   >三井は15年初頭までには中島と切れさせられています。
 そうすると、当時の中島のメインバンクは興銀ですか。

 それにしても、今も昔も軍ベッタリだと思っていた三菱の番頭さんたちは、強大な軍
の圧力に対して、深謀遠慮というか、すごいことをやっていたんですね。これまで気に
もしていなかった「○○製造所」のような物もそんな事だったとは。
勉強になります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 「メインバンク」は政府そのもの  ■名前 : 片  ■日付 : 06/11/21(火) 7:07  -------------------------------------------------------------------------
   > >三井は15年初頭までには中島と切れさせられています。
>  そうすると、当時の中島のメインバンクは興銀ですか。

三井は三井でも、中島との関係で肝心なのは三井物産の方です。
川西資本からの離脱時に援助を受けた際に交わされた約束により、中島の対外契約関係のうち、最も重要な陸海軍との販売契約、海外との契約関係は三井物産機械部が担当することになっていました。
当時の大財閥のうち、三井のみが航空機製造への直接参入が遅れたのは、このような関係が良好に機能していたからと思われます。
中島がダグラスの技術を導入できたのも三井との関係(そして三井と大日本航空との関係)があったからです。
しかし、支那事変による軍用機生産の爆発的拡大に伴い、三井への中間マージンも巨額に膨らむことから陸軍は12年に中島との契約から三井を外させています。海軍は同じことを15年まで持ち越してから行いますが、十三試大攻試製のためにダグラスDC-4を輸入するために三井の窓口機能を利用する必要があったためと思われます。

興銀の対中島融資額は最終的に莫大なものに膨らんでいますが、これは国家総動員法11条の発動により行われた命令融資の結果です。
国家総動員法11条は、政府が「会社の設立、資本の増加、合併、目的変更」等を行えるとしたもので、付随して「会社経理への立ち入り」「金融機関に対して資金の運用、債務の引受け、債務の保証に関して必要な命令を下すことができる」としています。
興銀は立法措置によって設立された重工業会社の興業を目的とする特殊銀行ですので、この11条のために利用されたに過ぎません。いわゆるメインバンクとしての「意思」の持ち主だったのは、政府そのものです。
その意思の結果として、工場設立、生産施設の拡大が行われているのです。

こうしたことの延長上で、中島の生産設備が政府に接収されて第一軍需工廠が設立される事態に至りますが、このとき中島側は「一軍廠内の幹部人事は民間会社当時のままとし軍人を運営に立ち入らせないこと」などを条件に提示し、認めさせています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 押しつけ  ■名前 : む  ■日付 : 06/11/22(水) 11:43  -------------------------------------------------------------------------
    中島は、国主導の債権債務とそれで膨らんだ欲しくない工場等を全部まとめて政府に渡して身軽になっておき、後で優秀な人は確保できるように、社員が帰属する会社の体裁を残す道を選んだということですか。これまで、中島は工場を接収されたと思っていましたが、意識的に国に押し付ける方向に持って行ったのかもしれないですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:押しつけ  ■名前 : 片  ■日付 : 06/11/22(水) 12:16  -------------------------------------------------------------------------
   中島が一軍廠となった要因として、空襲被害に対する対従業員補償、資材損害に対する補償などの負担を、負債が限界まで膨らんでいる中島に背負わせるのはもはや無理と考えられた、という理由が挙げられています。
単純に会社を召し上げられたということではないようです。

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