Page 218 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼供出した物資はどこいっちゃったんでしょう? G4M2 06/11/18(土) 8:27 ┗Re:供出した物資はどこいっちゃったんでしょう? Ranchan 06/11/18(土) 11:33 ┗似たような話をもうひとつ FLAKPANZER 06/11/18(土) 23:21 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 供出した物資はどこいっちゃったんでしょう? ■名前 : G4M2 ■日付 : 06/11/18(土) 8:27 -------------------------------------------------------------------------
皆様こんにちは 戦時下の生活で必ず出てくる兵器を作るための物資供出ですが、取られた側の記録はたくさんあります。靖国神社の大鳥居、全国の二宮金次郎、なべ、かま、結婚指輪、ブリキのおもちゃなど徹底した物資供出はどのくらい効果があったのでしょうか? 南方からの物資輸送がどんどん減ってゆき、やらざるを得なかったのはわかるのですが、実際に一度なべやら釜やら、二宮金次郎になっている金属をまた兵器用に仕立て直すのには結構な手間がかかったのではないかなあと考えています。溶かすエネルギーもバカにならなかったのではないでしょうか? 次第に激しくなる空襲と燃料不足によって国内輸送も危うくなりつつある中で、供出した物資はどこにいっちゃったのでしょうか? 唯一例として靖国神社の鳥居から作った兵器には、マークがついていたというのだけ聞いたことがあります。 |
> 次第に激しくなる空襲と燃料不足によって国内輸送も危うくなりつつある中で、供出した物資はどこにいっちゃったのでしょうか? > 与太話の類としてお聞き頂ければ幸いです。 私はとある老人ホームでデイサービスに従事しておりますが、お客様の中には当然戦前生まれの方が数多くいらっしゃいます。 その中のお一人(現在68歳の男性)はある時雑談でこう話されていました。 「私の実家は伊丹にあったんですが、門は鉄製で中々立派なもんやったんですわ。 しかし戦争中の金属供出で持ってかれてしまいましてな、後ガラーンとなってしもたんですわ。 ほんで戦争終わってから近くの空き地に行きますやろ、他のもんに雑じってウチの門柱そのまんま置いてあるんですわ。何してるんやらわかりまへんわ。 まあ持ってって使う余裕なかったんですやろなあ、あれじゃあ勝てんと思いましたわ。」 かなり記憶モードの伝聞ではありますが、「まあこういう事例もあったのだろう」との一例として、ご参考まで。 |
「能勢電鉄の社史によると「撤去された(妙見鋼索鉄道の)資材はそのまま近くの用地に山積みにされて戦後も風雨にさらされて赤錆の山を見せ、関係者の胸を長く痛めさせた」」そうです(車両発達史シリーズ51 能勢電鉄 関西鉄道研究会刊 P.17)。 どこもかしこも似たようなものだったようです。 |