Page 159 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼栗田艦隊「謎の反転」は謎ではない、というのはほんとでしょうか? ぽぷら 03/4/25(金) 23:56 ┣それで言質を取った、という訳ではない BUN 03/4/26(土) 4:00 ┃ ┗まあ、確かにそうなんですけど ぽぷら 03/4/26(土) 8:17 ┃ ┣栗田艦隊だけがレイテ海戦じゃないですよ BUN 03/4/26(土) 8:29 ┃ ┃ ┗確かにレイテ沖海戦は3方面でおこなわれましたが? ぽぷら 03/4/26(土) 8:49 ┃ ┣このような問題を考える時は BUN 03/4/26(土) 8:51 ┃ ┃ ┣Re:このような問題を考える時は ぽぷら 03/4/26(土) 9:18 ┃ ┃ ┃ ┗Re:このような問題を考える時は ポトマック 03/4/26(土) 14:45 ┃ ┃ ┃ ┗私、戦記ものは大好きですが ぽぷら 03/4/26(土) 18:31 ┃ ┃ ┃ ┗Re:私、戦記ものは大好きですが SUDO 03/4/26(土) 19:36 ┃ ┃ ┃ ┣Re:私、戦記ものは大好きですが ポトマック 03/4/27(日) 2:08 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:私、戦記ものは大好きですが ぽぷら 03/4/27(日) 6:52 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗資料の信頼性の判断基準 ポトマック 03/4/28(月) 3:49 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗資料の判断基準について ぽぷら 03/4/29(火) 22:39 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re:資料の判断基準について SUDO 03/4/29(火) 22:47 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:資料の判断基準について ポトマック 03/5/2(金) 2:25 ┃ ┃ ┃ ┗Re:私、戦記ものは大好きですが ぽぷら 03/4/27(日) 6:57 ┃ ┃ ┣天佑による大勝利 大名死亡 03/4/26(土) 12:28 ┃ ┃ ┃ ┣Re:天佑による大勝利 いちょう 03/4/26(土) 14:01 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗この視点はいい BUN 03/4/26(土) 19:41 ┃ ┃ ┃ ┗Re:天佑による大勝利 BUN 03/4/26(土) 17:58 ┃ ┃ ┣資料の扱い方について ぽぷら 03/4/27(日) 7:47 ┃ ┃ ┃ ┣Add:資料の扱い方について sinn 03/4/27(日) 8:35 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗軽薄 BUN 03/4/27(日) 8:44 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:軽薄 sinn 03/4/27(日) 9:22 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:軽薄 BUN 03/4/27(日) 9:34 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:軽薄 sinn 03/4/27(日) 10:29 ┃ ┃ ┃ ┣まず、手を付けてから口を聞けば? BUN 03/4/27(日) 9:10 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗戦史を含めた歴史との向き合い方について 伊号 03/4/27(日) 11:41 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣その通りなのではありませんか? TETSU29 03/4/27(日) 12:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣そんな大袈裟な話ではなく・・ BUN 03/4/27(日) 13:26 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗大事なことは… ぽぷら 03/4/27(日) 21:00 ┃ ┃ ┃ ┣戦記の価値 TETSU29 03/4/27(日) 10:21 ┃ ┃ ┃ ┗Re:資料の扱い方について SUDO 03/4/27(日) 16:24 ┃ ┃ ┃ ┗それではどうなる? ぽぷら 03/4/27(日) 17:57 ┃ ┃ ┃ ┗Re:それではどうなる? 薩摩 03/4/27(日) 18:33 ┃ ┃ ┃ ┗それでは余りに悲惨… ぽぷら 03/4/27(日) 20:01 ┃ ┃ ┃ ┣いいかげん見苦しいですよ ヒロじー 03/4/27(日) 21:49 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗失礼ですが、それは世間知らず… ぽぷら 03/4/29(火) 20:01 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗別に世間知らずである可能性については否定しませんが ヒロじー 03/4/29(火) 20:38 ┃ ┃ ┃ ┗Re:それでは余りに悲惨… いちょう 03/4/27(日) 22:03 ┃ ┃ ┃ ┣冗談でも tackow 03/4/27(日) 22:41 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗いえいえ、よく読んでくださいよ ぽぷら 03/4/29(火) 20:04 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re:いえいえ、よく読んでくださいよ TETSU29 03/4/29(火) 20:14 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re:いえいえ、よく読んでくださいよ ぽぷら 03/4/29(火) 22:21 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:いえいえ、よく読んでくださいよ 伊号 03/4/29(火) 23:35 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗それを引っ張って来た者が責任を取るべきです BUN 03/4/30(水) 0:21 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗んなことは誰も言ってない どんべ 03/4/29(火) 21:04 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗それもどうでしょうか? ぽぷら 03/4/29(火) 22:14 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗んなことは問題ではない どんべ 03/4/29(火) 22:33 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗そう思いますよ。 ぽぷら 03/4/29(火) 22:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗グダグダ言ってないで tackow 03/4/29(火) 23:13 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗「謎」が「謎」であるためには ポトマック 03/4/30(水) 1:59 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:「謎」が「謎」であるためには ぽぷら 03/5/20(火) 0:41 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re:「謎」が「謎」であるためには SUDO 03/5/20(火) 0:59 ┃ ┃ ┃ ┗ため息・・ BUN 03/4/28(月) 0:07 ┃ ┃ ┃ ┗反省 いちょう 03/4/28(月) 6:59 ┃ ┃ ┗Re:このような問題を考える時は ぽぷら 03/5/20(火) 1:17 ┃ ┣Re:まあ、確かにそうなんですけど いちょう 03/4/26(土) 9:02 ┃ ┣やっぱり「ナゾ」じゃない tackow 03/4/26(土) 10:05 ┃ ┃ ┗Re:やっぱり「ナゾ」じゃない ぽぷら 03/4/26(土) 12:57 ┃ ┃ ┗Re:やっぱり「ナゾ」じゃない tackow 03/4/27(日) 0:17 ┃ ┃ ┗やはりなぞですよぉ ぽぷら 03/4/27(日) 6:20 ┃ ┃ ┣私も素人です 酒匂135 03/4/27(日) 10:19 ┃ ┃ ┗Re:ちょっと想像してみました T216 03/4/27(日) 11:01 ┃ ┃ ┗Re:被りました T216 03/4/27(日) 11:03 ┃ ┗あのぅ… ねんど 03/4/26(土) 13:25 ┗Re:国家としての目的 畝傍 03/4/29(火) 12:53 ┗Re:国家としての目的 いちょう 03/4/29(火) 20:51 ┗訂正 いちょう 03/4/29(火) 22:29 ┗Re:訂正 畝傍 03/5/8(木) 13:07 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 栗田艦隊「謎の反転」は謎ではない、というのはほんとでしょうか? ■名前 : ぽぷら ■日付 : 03/4/25(金) 23:56 -------------------------------------------------------------------------
過去のWarbirdsにおける論調をみますと、栗田艦隊の反転について 1)防衛庁戦史叢書によれば「あれでよかった」ということになっている。 2)小柳参謀長は出撃前、神大佐から「敵機動部隊ト接触シタル場合、此レト交戦スルコトモ有ルベシ」との了解をとりつけてあった。 3)栗田艦隊は敵機動部隊(実際は護送空母)と会敵し、サマール島沖海戦によって(少なくとも当時の報告では)空母3乃至4撃沈、1大破、重巡2、駆逐艦4撃沈の戦果を挙げ、成功裡に帰投した、と信じられていた。 1)〜3)の理由によって、栗田艦隊は所期の目的を達成の上、反転したのであり、「謎」でも何でもない、「謎の反転」は戦後に形成された謬見だ、という意見が大勢を占めているように思われます。 しかし、栗田中将は、戦後、伊藤正徳のインタビューに答え、 「レイテ湾口まで迫って引き返してしまったのはどういう訳か」 「その時はそれが最善と信じたが、今考えると僕が悪かったと思う。何しろ命令なんだから。その命令を守らなかったのは軍人として悪かったという外はない」(連合艦隊の最後)と言って自らの指揮の誤りを認めています。 捷号作戦は日本海軍の存亡を賭けた大作戦であり、そのために西村艦隊は全滅し、小沢機動部隊は空母の全てと貴重な艦載機の大部を失っています。 にもかかわらず当初の目的であったレイテ湾突入は遂に実施されませんでした。 これはやはり、「謎の反転」としか言えないのではないでしょうか、というのが私の意見です。 皆様、碩学のご意見をお待ちします。 |
> 「その時はそれが最善と信じたが、今考えると僕が悪かったと思う。何しろ命令なんだから。その命令を守らなかったのは軍人として悪かったという外はない」(連合艦隊の最後)と言って自らの指揮の誤りを認めています。 戦後、実状が明らかになった後で当時の行動を問い直された場合、 こう発言する以外、どう答えれば良かったのでしょうか。 そう考えたことはありませんか? この人は当時、最善の道を選んだのだと主張しているのです。 その時確信した「最善」が何を根拠にしていたかを知ることの方が大切でしょう。 |
> この人は当時、最善の道を選んだのだと主張しているのです。 > その時確信した「最善」が何を根拠にしていたかを知ることの方が大切でしょう。 ・レイテ湾内の輸送船はすでに空船となっているであろう。 ・レイテ湾に入ればタクロバン飛行場から新たな航空攻撃をうけるであろう。 ・北方に2群、レイテ湾南方に1群の新たな機動部隊が待機しているらしい。 ・自隊は既に敵機動部隊と交戦して相当の戦果を挙げている。 といったところが、当時の栗田中将の言い分でしょう。 しかし作戦発起から、仮にレイテ湾橋頭堡破砕に成功したところで生還する確率はほとんど無いことはわかっていたはずなので。米軍の絶対的航空優勢下に、袋叩き覚悟で行くんですから。現に小沢機動部隊は囮部隊となった上、空母4隻を失い、西村艦隊は壊滅しています。 大本営陸軍部も「自殺的作戦」と受け取っております(種村孝中佐「機密日誌」)。 まして、当時の大本営海軍部にとってみれば、突入中止は到底受け入れがたい行動ではなかったのではないかと。 サンベルナルディノ海峡通過後、何度も何度も反転を繰り返した栗田くん、よっぽど迷っていたと思うんですよ。 あげく、結局突入を止めてしまったの、やっぱりナゾだと思いません? |
>まして、当時の大本営海軍部にとってみれば、突入中止は到底受け入れがたい行動ではなかったのではないかと。 サンベルナルディノ海峡通過後、何度も何度も反転を繰り返した栗田くん、よっぽど迷っていたと思うんですよ。 戦記ではなく戦史を読めばそうでないことがわかります。 |
> 戦記ではなく戦史を読めばそうでないことがわかります。 ??BUNさんの主張、もう少しくわしく説明していただけません? |
まず、事実関係の把握をしっかりと行い、前提とする情報の精度を上げるために戦記読み物ではなく公刊戦史などを読むことが大切ではないでしょうか。 その上で考えてみませんか。 そうすれば軍令部と栗田艦隊それぞれの考え方にさほど距離が無いことや、当時の栗田艦隊への評価がわかります。そして栗田艦隊の突入の成功不成功などは比島戦の中では椿事に過ぎないこともわかります。「謎の反転」というのは面白おかしく物語を飾るために作られたドラマでしかありません。戦記読み物はレイテ湾突入にカタルシスを求めるように読者を仕向けて殊更に栗田艦隊の撤退を取り返しのつかない出来事の如く書き立てているだけです。 追伸 「君」づけで呼ばれていますが、栗田提督の同期の方ですか? |
もしこの作戦が成功していれば、米軍の補給計画は大幅に狂ってマッカーサーの第六軍が撃滅、とまでは行かなくてもレイテ地上戦の様相は変わっただろうと推測されます。 ハルゼーの第三艦隊はウルシー泊地に帰って再編を強要されたはずで。 当時日本の航空機生産は激減しはじめていましたから、所詮、昭和20年中に日本の戦力が尽きてしまうにしても、局地戦の展開は変わったものとなったでしょう。私はその辺りの事情から、興味を覚えるのであります。 >戦記読み物はレイテ湾突入にカタルシスを求めるように読者を仕向けて殊更に栗田艦隊の撤退を取り返しのつかない出来事の如く書き立てているだけです。 ま、それがWarbirdsの公式見解なのでしょうが、それをもう一度レビューしてみたいと。 |
恵比寿のとあるところで勤務している人間として とうとう黙っていられなくなりました。 たとえば、「利根」の黛艦長は、「あの時はあれが正しい判断だった」と 佐藤和正氏の『艦長たちの太平洋戦争』におけるインタビューで答えてますよね。ということは、やはり現場の判断としては「謎」でもなんでもないのでしょう。 また、「レビュー」というからには、 あなたの義務として、反証として一次資料を挙げる必要があります。 そのあとの議論はそれを土台にするものです。 戦史叢書や、「公式見解」についてとやかく言う前に、 「戦記」ではなく「史料」に基づいたきちんとした反証を挙げてください。 |
恵比寿でご勤務とはうらやましい限りです!一次資料の宝庫じゃないですか。 事実関係に誤りがなければ戦記だって良いと思うんですが。 『艦長たちの太平洋戦争』も戦記ものじゃないんですか? 当方からは戦記に基づく馬鹿話を提出致しますので、もし間違っている点があればポトマックさんのような碩学から、当議論ボードで大いにご批判頂き、楽しくお話したいと存じますので、よろしくお願いします。 |
つまりね。 「艦長たち・・」が二次資料であるのは事実ですが、つまり二次資料ですらも、ぽぷらさんが主張するような「謎」を否定するものが存在するというだけの話でしょう。 私が知る限りの一次資料は謎を否定しており、二次資料でも公刊戦史や艦長等の記述等の信頼性の高いと思われるものは謎の存在を否定します。 その上で、個人的主観で謎の存在を信じるのは勝手ですが、他者にその主張するところを理解させ納得させるには、資料なり根拠なりを提示したらどうかというだけの話です。 |
あると思っていたつっこみが来ましたね。 伊藤正徳氏の本における栗田氏のインタビューだけでなく、 海戦参加者の意見としてこのようなものもあるということで引用したわけです。 もちろん「艦長たち・・」は二次資料です。 ただ、きちんとカギ括弧付きで発言者の言葉を引用している文献ですから、 完全なオーラルヒストリーとは言えませんが、 証言内容については普通の戦記物 (つまりインタビューや史料をパラフレーズしているもの) よりも信憑性は高いと判断できます。 さて、「謎」の件ですが、一言で言ってしまえば、 米軍にとって「謎」だったとしても 日本軍にとっては「謎」というわけではない、 ということなのではないのでしょうか。 つまり、米軍は、反転した理由が理解できなかったとしても、 当時の日本側の記録を見る限り、他の方がたびたび指摘しているように、 どうもあの時点における日本側の現場の判断としては、 反転は「謎」ではないと考えられるわけです。 「大本営海軍部にとってはとうてい受け入れがたいことではないか・・」 とおっしゃるなら、 それを裏付ける史料を挙げる必要があるのではないでしょうか。 |
> 証言内容については普通の戦記物 > (つまりインタビューや史料をパラフレーズしているもの) > よりも信憑性は高いと判断できます。 > でもそういった基準で史料の正誤を判断するのは難しいのではないでしょうか。 結局は読者の恣意的な判断が混入してしまうように思います。 さて、ポトマックさんの仰られる「謎でない謎」です。 宇垣中将の「戦藻録」には栗田中将の指揮について 「大体に闘志と機敏性に不十分の点ありと同一艦橋にありて相当やきもきしたり」との不満が述べられ、 「一三一三再び動揺してレイテ湾内突入を止め」と、やや嘲笑的な記述があります。反転の是非について栗田艦隊幕僚との間で激しい応酬があったとの説もあります。 当時の日本側現場でも混乱と逡巡があったのではないでしょうか。 だからやはり謎、というのが私の考えなのですが。 |
方法論については、別ツリーの方で議論が進んでますが、 資料(史料ではなく)の信頼性の判断基準についてここに返事しておきます。 (ここでは二次、三次資料について論じます) もちろんここは軍事史学会でも国際政治学会でもないので、 本当な意味での学問的厳密さが要求されるべきなのかどうか私にはわかりません。一つのアカデミックスタンダードとしてご理解いただければ幸いです。 もっとも信頼性が高いものは、 事実経過について1対1できちんと脚注が振ってあり、 しかもその出典が一次史料であるものです。 なぜ信頼性が高いかというと、 その事実経過をどう把握したかが明記されているため、 欠落や著者の誤解に対して第三者の検証が可能だからです。 1対1で脚注が振っていない資料の場合は、 それがどれほど精緻に描写されたものであろうとも、 それがどれほど歴史文学として評価できるものであったとしても、 資料としての信頼性は低いといわざるを得ません。 なぜなら、内容について第三者の検証ができないからです。 上記の理由から、インタビューについては 一般的には信頼性が高い資料とは言えないものがあります。 なぜなら、その発言内容に関して 第三者からの検証を加えることができないからです。 (特に脚注に「○○氏とのインタビュー」と書かれていた場合などは、 ねつ造である可能性が否定できない) ただし、出版物において、カギ括弧付きで引用されているものは、 その誤りに対してインタビュー対象者からの修正が入ると考えられます。 したがって、インタビュー対象者が間違っているかどうかは別にして、 そこに記載されている内容は インタビュー対象者が「確かに発言したもの」であると考えられます。 > 結局は読者の恣意的な判断が混入してしまうように思います。 「読者の恣意的な判断」が資料の信頼性を左右することはありません。 これは「著者の恣意的な判断」の誤りではないでしょうか? もちろん著者の恣意的な判断は入るんですよ。 論文とは自分の主張・解釈を述べるために書くものですから。 ただ、その裏付けとなる事実経過、論理展開について、 第三者による検証ができるかどうか、また説得力を持つかどうかということが、 信頼性を左右するのです。 #もし「読者」が正しく、認識論的な観点から #歴史研究の方法論について論じようとされているのでしたらお詫びします。 |
レスありがとうございます。 概ね、ポトマックさんの意見には同意できますが、御承知の通り二次、三次資料はまさに玉石混交で膨大な数が存在します。読者が恣意的に自分の好きな資料だけ選択していけば、いかような結論にも到達できるのではないかと危惧しているのです。 ・ミッドウェー海戦は五分の差で勝ちであった。 ・ガダルカナル第一次総攻撃は握り飯がもう2個あれば成功していた。 などなど、やや首を傾げざるを得ない主張でも、それなりの論陣を張ることは可能でしょう。 そして、その妥当性についてはまさに皆さんを説得できるかどうかにかかっていると思うのです。せっかくの議論ボードなのですから、大いに利用すればよいとおもうのですが。 |
> 概ね、ポトマックさんの意見には同意できますが、御承知の通り二次、三次資料はまさに玉石混交で膨大な数が存在します。読者が恣意的に自分の好きな資料だけ選択していけば、いかような結論にも到達できるのではないかと危惧しているのです。 著者の結論じゃなくて、事実関係を見れば良いだけでは? |
> 御承知の通り二次、三次資料はまさに玉石混交で膨大な数が存在します。 > 読者が恣意的に自分の好きな資料だけ選択していけば、 > いかような結論にも到達できるのではないかと危惧しているのです。 確かにその通りで、たとえば、 ノンフィクション作家の保阪正康氏は、著書「昭和史七つの謎」 において「真珠湾奇襲攻撃の際、なぜ上陸作戦を行わなかったか」 を謎の一つとしています。 おそらくこの議論ボードを読まれる方は、 そんなもん謎でもなんでもないとお考えだと思いますが、 中にはこうしたことを「謎」としてしかも市販の本にまで書く人がいるわけです。 歴史の「謎」というのは、資料(あらゆる意味で)を 読み手が読んで自分なりに解釈した際、 読み手が納得できない事象があったときに生まれるものでしょう。 (ほかに資料の欠落から生まれる「謎」もあるでしょうが) ただ、場合によっては、それは ほかの資料で事実関係に関する理解が深まれば解消することもあるでしょう。 そういうわけで、自分の考え方やその裏付けとなる 手持ちの資料をぶつけ合って議論する場として、 この議論ボードがある、というように私も思います。 (今さらいうことでもないでしょうが) そうやって議論を重ねて、お互いの主張を検証し合うことによって、 「恣意的な結論」は修正されていくのではないでしょうか。 (ただ、おのおのの資料を明らかにして、 その信頼性を含めて議論を進めることが必要条件だとは思います。) |
根拠と資料はできるだけ記載するようにしておりますので、私の書きましたツリーを今一度ご覧いただきたく、お願い致します。 |
アメリカ側から見ると、 「あのまま栗田艦隊が進んでいれば、護衛空母部隊を一掃し、上陸船団を攻撃できたろうに、なぜしなかったのだろう?」 という疑問はあったと思います。 「謎の反転」というキャッチフレーズは日本側から見たものでしょうが、同じようなことを思ったアメリカ人は少なくないのでは。 少なくともC.A.F.スプレイグ提督は「万能の神の一方的なごひいき」といっていますよ。 なぜみなさん日本側の話ばかりなさる(日本側の話だけ見れば十分だと思っている)のでしょう? |
ここにぶら下がるのは変ですが... 多くの日本人が、戦後、食べるのに精一杯で戦史を省みる余裕も、公式資料もなかったころ、「あのとき、なぜ、栗田はレイテ湾に突入しなかったのか」という点に着目したのが、J・フィールドの「レイテ湾の日本艦隊」だったと思います。つまり、元々言い出しっぺはアメリカ人です。 その後、伊藤正徳の「聯合艦隊の最後」が、生活にゆとりのでてきた日本人に広く読まれ、高木彬光の「連合艦隊ついに勝つ」に至っては、栗田艦隊がレイテ湾でオルデンドルフの艦隊を完膚無きまでに叩きのめす痛快なシーンを描き、いつのまにか、レイテ沖海戦が太平洋戦争の一つの転換点になり得たのではないかという幻想が、多くの日本人の一般「常識」として定着したのではないでしょうか。 しかし、その後、戦後アメリカに持ち帰られた多くの日本側公式資料が返還され、また、そうした資料が専門家以外の一般の人たちにも公開され、ここの常連さんをはじめとする新しい世代の人たちによって評価され、これまで「事実」とされてきた「常識」が見直されてきています。 蛇足ですが、「いよいよ、これから自分たちはレイテ湾に死にに行くのだと、諦めとともに覚悟を決めていたのに、結果的に乗ってた艦が引き返し、今日まで命を永らえることができた。でも、戦死した多くの戦友のことを思うと、あのとき突っ込まなくて本当によかったと、心から喜ぶことには今でも抵抗がある。」とおっしゃる元乗員の心情は、決して見栄や建前ではないと思います。 |
こういう視点は大切だと思います。 ある逸話が生まれ、それが成長して行く過程はその逸話を生んだ事実の検証と同じくらい興味深いものがあります。さまざまな伝説がどうやって生まれ、どのように語り継がれたのか、あるいは、誰によってどのように売り込まれたのか、といった検証も重要なことだと思います。 |
>「謎の反転」というキャッチフレーズは日本側から見たものでしょうが、同じようなことを思ったアメリカ人は少なくないのでは。 「謎の反転」の出所を勘違いしてらっしゃるのでしょう。 どうして米側の史料を読まれないのでしょうか。 |
一次資料に比べ、戦記ものの資料価値は低いとおっしゃっているのでしょうか。 でも一次資料(公刊戦史)にも欠点はあります。 私の知るのは防衛庁戦史叢書、国防省公刊戦史、モリソン「第二次大戦海戦史」くらいですが、実際の作戦・戦闘は錯誤と失敗の連続だったはずなのに、それを合理化するために作為が働いているのを見逃すわけにはいきません。大体、一次資料の基となるべき、例えば「陣中日誌」がそもそも事実を彩る傾向にあることを承知した上で読む必要があると思います。 軍隊は元来、愚劣で非情なことを行い、しかもそれを隠蔽する組織です。 また一次資料でさえ、それが読まれ、理解された段階で、既に我々によってフィルタリングされていることも忘れてはならないはずです。資料はあくまで「テクスト」として扱わなければならないのです。 事実関係に誤りが無ければ戦記ものでも十分資料価値はあると思います。公刊戦史に無い戦闘の細部を知ることができるのですから。 |
> でも一次資料(公刊戦史)にも欠点はあります。 > ・・・実際の作戦・戦闘は錯誤と失敗の連続だったはずなのに、それを合理化するために作為が働いているのを見逃すわけにはいきません。大体、一次資料の基となるべき、例えば「陣中日誌」がそもそも事実を彩る傾向にあることを承知した上で読む必要があると思います。 > また一次資料でさえ、それが読まれ、理解された段階で、既に我々によってフィルタリングされていることも忘れてはならないはずです。資料はあくまで「テクスト」として扱わなければならないのです。 > 事実関係に誤りが無ければ戦記ものでも十分資料価値はあると思います。公刊戦史に無い戦闘の細部を知ることができるのですから。 横合いから失礼いたします。 このスタンスには賛同します。どんなカタチであれ、我々(いや戦後世代には特に)は、取捨選択後の情報しか得られません。その意味で、いわゆる一次資料も、その他にも優劣(?)は無いと思っています。 ただ・・・・戦争には結果が伴い・・ 「勝ち戦」の指揮官の判断は、その経過をなんとなく受け入れて結果を享受します・・・。 結果が伴わず「あの時、あ〜すれば良かった・・・」なんて悔やまれる時は、様々な意見が出ます。 とはいえ、その場の指揮官の判断が当初から別プロセスで展開した筈もなく・・・ それぞれ、最善を尽くしたのは間違い無い。 そうして追ってみると現場の判断には「謎」は無く、詳細を調べれば「納得出来ない行動」も「理由あった行動」である事が多いと感じます。 |
>いわゆる一次資料も、その他にも優劣(?)は無いと思っています。 考える作業さえせずに何を言っているんでしょう。 「・・・」やら体言止やらを多用した読みにくい文章もいつも迷惑なんですけれども、今度は意味さえもわかりません。 |
> いつも迷惑なんですけれども そうですか。了解しました。 それでも、このジャンルに興味を持つ人間全てが、膨大な資料を基に考察しているとも思いません。 私は、この分野に実績があるわけでもなく、第一人者でもありません。 しかし、そんな排他的な攻撃を受ける理由も無い筈です。 |
> > いつも迷惑なんですけれども > そうですか。了解しました。 > それでも、このジャンルに興味を持つ人間全てが、膨大な資料を基に考察しているとも思いません。 > 私は、この分野に実績があるわけでもなく、第一人者でもありません。 > しかし、そんな排他的な攻撃を受ける理由も無い筈です。 資料の多寡じゃないでしょう? 言っている言葉の意味の問題です。 その意味で今回の発言はいつになく軽薄だと思います。 だから撃ちます。 |
> > > いつも迷惑なんですけれども > > そうですか。了解しました。 > > それでも、このジャンルに興味を持つ人間全てが、膨大な資料を基に考察しているとも思いません。 > > 私は、この分野に実績があるわけでもなく、第一人者でもありません。 > > しかし、そんな排他的な攻撃を受ける理由も無い筈です。 > > 資料の多寡じゃないでしょう? > 言っている言葉の意味の問題です。 > その意味で今回の発言はいつになく軽薄だと思います。 > だから撃ちます。 迷惑!!で軽薄!!・・・そして撃たれ!ました事を、認めます。 |
> 一次資料に比べ、戦記ものの資料価値は低いとおっしゃっているのでしょうか。 当たり前でしょう。 娯楽用に書かれたものですから精度を問われない性格の出版物です。 そこに書いてある事に事実が含まれているので貴重と言うならば、多くのフィクションなり稗史なりにも事実は描かれていますので、それらと歴史的史料が等価という倒錯した話になります。しかし何がどうあれ、間違っている点はやはり間違っています。 > でも一次資料(公刊戦史)にも欠点はあります。 この論法はよく聞きますが、そう言い放つ人間がまともに論拠を挙げて反論している姿を見ることは極めて稀です。私は公刊戦史と異なる見解を発表することがしばしばありますが、それには常に然るべき論拠を提示しています。 しかし、ここで問題となっているのは戦史叢書の本文執筆者による評価ではなく、そこに引用された史料によって事実経過がわかるという話です。 事実経過がわかるのは、公刊戦史としての第一の機能です。そこに引用された史料の真偽は殆どが公開された史料によっている以上、誰にでも検証可能です。だいたい公刊戦史というものは金科玉条として抱え込むものではなく、史料の索引のようにして使い「ああ、あの史料だな」と当りをつける為にあるようなものなのです。 公刊戦史の本文執筆者の姿勢を批判するならまだしも、一次史料の細部の食い違いや、その評価等はその先に控えているハードルです。それを飛び越せる実力と経験を身に付けてから言うべき言葉でしょう。 わかったような事を言う前に、具体的に手をつけては如何でしょうか? 基礎資料を読んでいないから基本的な部分で勘違いをしている、と指摘されているだけですから、言い訳せずに早く確認すればよいのです。あれも信じられない、これも駄目、そもそも軍隊とは、と始まっては、もうレイテ海戦どころか、何か他の星の歴史のようです。 |
機会があれば上記の内容で議論したいと思いましたがいい機会ですので参加させて頂きます。 さて、BUN様の書き込みは何時になく痛烈な内容ですが、気になる点が多々有りますので書き込み致します。 > > 一次資料に比べ、戦記ものの資料価値は低いとおっしゃっているのでしょうか。 > > 当たり前でしょう。 > 娯楽用に書かれたものですから精度を問われない性格の出版物です。 > そこに書いてある事に事実が含まれているので貴重と言うならば、多くのフィクションなり稗史なりにも事実は描かれていますので、それらと歴史的史料が等価という倒錯した話になります。しかし何がどうあれ、間違っている点はやはり間違っています。 一次資料と戦記との資料的優劣についてですが私としては物によりけりではないのかと思います、大岡昇平や高木俊朗等は私の愛読書ですが「レイテ戦記」や「インパール」は彼らが受けた痛烈、強烈な体験が元になり、我々が調べるには手の余る内容を彼らが人生を賭して彼らの体験した事象や前後の経緯に対して徹底的な調査をして生まれた物です、間違いもあるのでしょうが娯楽用として書かれた物であたかも資料的価値は低い物だと断ずるのはいささか軽率ではありませんか? > > > でも一次資料(公刊戦史)にも欠点はあります。 > > この論法はよく聞きますが、そう言い放つ人間がまともに論拠を挙げて反論している姿を見ることは極めて稀です。私は公刊戦史と異なる見解を発表することがしばしばありますが、それには常に然るべき論拠を提示しています。 > しかし、ここで問題となっているのは戦史叢書の本文執筆者による評価ではなく、そこに引用された史料によって事実経過がわかるという話です。 上記のお二人や戦記を書く作家の方々が執筆する際、各種一次資料を調べるに当たって一次資料にも作為(作意?)が見受けられ、戦争における醜悪さの一面として提示している例はBUN様はどうお考えでしょうか? > 事実経過がわかるのは、公刊戦史としての第一の機能です。そこに引用された史料の真偽は殆どが公開された史料によっている以上、誰にでも検証可能です。だいたい公刊戦史というものは金科玉条として抱え込むものではなく、史料の索引のようにして使い「ああ、あの史料だな」と当りをつける為にあるようなものなのです。 この点に関しては全面的に同意です。 > 公刊戦史の本文執筆者の姿勢を批判するならまだしも、一次史料の細部の食い違いや、その評価等はその先に控えているハードルです。それを飛び越せる実力と経験を身に付けてから言うべき言葉でしょう。 > わかったような事を言う前に、具体的に手をつけては如何でしょうか? この点に関しては戦史との向き合い方によって違いが出ると考えます、善し悪しはともかく大多数の方々は市井で出回っている出版物を主な資料としている方が殆どでしょう、ここに出入りしている大多数の方々は好事家なのです、その好事家を捕まえて実力と経験を身に付けてから発言しろとはいささか酷ではありませんか?BUN様のような方は非常に稀な存在で、私を含めた大多数の方々とBUN様の間には「実力と経験」に大きな開きが有るとは思いませんか? 高みに立って大上段に斬るのではなくもっと建設的にタクトする事もBUN様程の実力者であれば出来ると思いますし、その方が各々の戦史に対するスタンスも判り、戦史に対する理解を深めるという点で有益であると思います。 |
戦記の価値に関する私の考えは既に「戦記の価値」の項に書いたのでそちらをお読み頂くとして・・・ > 一次資料と戦記との資料的優劣についてですが私としては物によりけりではないのかと思います、大岡昇平や高木俊朗等は私の愛読書ですが「レイテ戦記」や「インパール」は彼らが受けた痛烈、強烈な体験が元になり、我々が調べるには手の余る内容を彼らが人生を賭して彼らの体験した事象や前後の経緯に対して徹底的な調査をして生まれた物です、間違いもあるのでしょうが娯楽用として書かれた物であたかも資料的価値は低い物だと断ずるのはいささか軽率ではありませんか? その「徹底的な調査」とは具体的に何を行ったのでしょうか?それこそ一次資料を徹底的に調べたということではないのですか? であれば一次資料とその一次資料の内容に基づいて書かれた戦記との資料価値の優劣は自明なのではありませんか? 十把一絡げに「戦記は一次資料に劣るのか」と言われれば「その通り」という答えしか無いでしょう。 戦記の資料価値とは何を知りたいかによって変わるのです。それこそ自分が知りたい事柄に対して関連する個々の戦記について吟味すべき話でしょう。一般論と各論をごっちゃにして話題にしても得るものはないでしょう。 > 上記のお二人や戦記を書く作家の方々が執筆する際、各種一次資料を調べるに当たって一次資料にも作為(作意?)が見受けられ、戦争における醜悪さの一面として提示している例はBUN様はどうお考えでしょうか? この部分は、一次資料の作為の事例を具体的に示して頂かないことにはコメントしようがないのではありませんか? ご自身で一次資料を調べられた上で具体例を挙げられるならともかく、「作家の方々がこう言っている」という程度の話しにコメントを期待する事は無理がありませんか。 この点に関しては戦史との向き合い方によって違いが出ると考えます、善し悪しはともかく大多数の方々は市井で出回っている出版物を主な資料としている方が殆どでしょう、ここに出入りしている大多数の方々は好事家なのです、その好事家を捕まえて実力と経験を身に付けてから発言しろとはいささか酷ではありませんか?BUN様のような方は非常に稀な存在で、私を含めた大多数の方々とBUN様の間には「実力と経験」に大きな開きが有るとは思いませんか? ありていに言ってしまえば、BUNさんは発言そのものをやめろと言っているわけではありません。「一次資料が間違っているというならば、何所がどう間違っているのか具体的に示せ、それが出来ないのであれば『一次資料にも間違いはあります』なんて言うな。」と言っているだけではありませんか?別に酷でもなんでもない話でしょう。 一つ一つ具体例を挙げて議論を展開している相手に対して、具体例も挙げずに「一次資料も間違っている」とだけ言って済ませる方がよほど酷な話ではありませんか? > 高みに立って大上段に斬るのではなくもっと建設的にタクトする事もBUN様程の実力者であれば出来ると思いますし、その方が各々の戦史に対するスタンスも判り、戦史に対する理解を深めるという点で有益であると思います。 「栗田艦隊の反転」についてはこの議論ボードでも度々話題になってますが、その都度、親切丁寧に当時の事実関係を教えてくれています。それでもなお「謎だ」と言っているから、「じゃあご自分で納得いくまでお調べなさい。」と言っているだけでしょう。 この議論ボードでは伊号さんが主張なさっている通りのことが正に行われているではありませんか。 |
こういう返答もあるだろうと思っていました。 今回は、ある事実に対する誤認を指摘された者が、それを再確認せずに基本的な資料さえ「間違っている」「疑わしい」と何の論拠もなく述べ立てているだけのことです。 一次資料がどうした、等という問題ではまったくありません。 個別の問題の白黒をつけることを棚に上げて、戦記一般、史料一般といった話に逃げ込む姿勢にはどうにも感心できません。その事、その問題について娯楽用の戦記物語ではなく史料に当れば良いというだけの話です。 それが面倒臭いなら、大仰に「公刊戦史が間違っている」などと放言しないことです。 私が批判しているのはそういう姿勢のことです。 >大岡昇平や高木俊朗等は私の愛読書ですが「レイテ戦記」や「インパール」は彼らが受けた痛烈、強烈な体験が元になり、我々が調べるには手の余る内容を彼らが人生を賭して彼らの体験した事象や前後の経緯に対して徹底的な調査をして生まれた物です、間違いもあるのでしょうが娯楽用として書かれた物であたかも資料的価値は低い物だと断ずるのはいささか軽率ではありませんか? 個人的な思い入れはあるでしょうけれども、今回のような作戦レベルでの論争にこれらを持ち出されても正直言って困ります。それらは名作として文学的に楽しめば良いものであって、そこから受けた印象なり、切り口なりを手掛かりに何かを調べるのであればともかくも、何かの論拠とするには多少の無理があります。個人の回想、体験談というものは、どうしてもその個人に直接関係する物事を除き、資料的価値は低くなります。これは仕方の無いことです。あの作品、あの回想録で描かれた何々とは実際にはどんなもの、どんなことだったのか?という思考の糸口とすればよい物なのです。 >上記のお二人や戦記を書く作家の方々が執筆する際、各種一次資料を調べるに当たって一次資料にも作為(作意?)が見受けられ、戦争における醜悪さの一面として提示している例はBUN様はどうお考えでしょうか? 作為が見抜けるなら大したものです。同じような事をしようとする場合、どうすれば良いか、少しは参考になることでしょう。我々のオフ会でも以前、ゲストとしてお招きした搭乗員だった方がある海戦のある記述について「絶対にそうではない」と論陣を張られた事を覚えている方もいるでしょう。そういう例は幾らでもあることです。ある事実に対して間違っているなら、その隣りに書かれている事も間違いだ、と主張することはできません。ひとつひと論証して行く必要のあるものです。 >実力と経験を身に付けてから発言しろとはいささか酷ではありませんか? いいえ、違います。 手と頭を働かせる意思の無いまま、適当な事を述べ立てれば批判されるのは当たり前だというだけの話です。少しでも何かを調べる気持ちがあるのなら、周囲の反応も全く異なるのではないでしょうか。 とにかく解らないことについては大袈裟に発言しなければ良いのですし、自分の印象であれば「というような印象を受けたが、みんなどう?」思うと聞けば良いのではないでしょうか。 また、誤解されているようですが、私は一次資料に当れとは言っておりません。 市販の本で足りる範囲で事実のあらましは理解できる、そして参考にするなら史料と物語は区別して読むべきだと言っているのです。 |
つまり、みなさん、自分のタネ本について批判されることに耐えられないんですよ。(だんだんわかってきましたネ!) |
> 事実関係に誤りが無ければ戦記ものでも十分資料価値はあると思います。 その一番肝心な「事実関係に誤りが無い」ことは何によって裏付けをとるのでしょうか? 戦記ものの事実関係を最終的に裏付けるものは、現存している当時の計画書や個々の戦闘詳報、方針を決定するに際して行った会議の議事録等の一次資料、あるいはそれらの資料や当事者への聴き取り調査に基づいて作成された公刊戦史などではないのでしょうか? その意味において、戦記の資料価値は決して高いものではありません。 戦記の価値は、読む側が何を求めるかによって決まるのではないでしょうか? 戦争全体の流れを大掴みに把握したいのであれば、多少精度は粗くとも、新書本1冊程度の本を読めばそれで十分用は足ります。それで物足りなければ、より詳しく書いてある本に移ればよろしい。 個々の戦闘での様相が知りたければ、最前線で戦った兵士の回想録を読めばいいでしょう。それこそ雰囲気まで味わうことが出来るでしょう。 ある一つの会戦について詳しく知りたければ、その会戦に関わった様々な立場のひとの回想録などが参考になるでしょう。 繰り返しになりますが、読者一人一人が何を求めるかで個々の戦記の価値が決まるのです。 私は戦記の中でも特に当事者の回想録を好んで読みます。私自身の娯楽として読んでいるので、あまり精度には拘らずに、戦史の狭間に埋もれている個々のエピソードを味わうつもりで読んでいます。 十把一絡げに「戦記の資料価値」なんて論じても得るものは無いんじゃありませんか。 |
> でも一次資料(公刊戦史)にも欠点はあります。 公刊戦史は二次資料だと思います。 |
> 公刊戦史は二次資料だと思います。 混乱してきました。 では一次資料とは何を指すのでしょう? はっきりさせておきませんか。 |
> では一次資料とは何を指すのでしょう? > はっきりさせておきませんか。 公刊戦史はあくまでも戦後に一次資料を基に製作されたものである、という意味で 二次資料なのではないでしょうか。 この場合の一次資料とは戦争当時作成された書類・文献等を指すのだと思います。 |
> 公刊戦史はあくまでも戦後に一次資料を基に製作されたものである、という意味で 二次資料なのではないでしょうか。 > この場合の一次資料とは戦争当時作成された書類・文献等を指すのだと思います。 では、一次資料に物理的にアクセスできる人間はごく少数、ということになってしまいますねぇ。 あぁ悲しき哉! |
> では、一次資料に物理的にアクセスできる人間はごく少数、ということになってしまいますねぇ。 > > あぁ悲しき哉! 失礼ですが、本当に一次資料に当たったことがおありでしょうか? 個人所蔵のものを除けば、太平洋戦争に関する現存している一次史料はほとんどすべて一般に公開されています。 失われたらそれっきりという性質上貸し出しこそされませんが、所定の手続きを踏めば(恵比寿で言えば、営門で名前を書いて入所証を受け取るだけ)誰でも望む史料にアクセスできますし、利用に当たって料金を取られることもありません(複写は別)。 私事ですが、たかだか卒論を書いているに過ぎない大学生の私であろうとも、何ら問題なく一次史料に触れることができているのです。 地方在住の方にとってはいささか不便なのは事実ですが、東京までの旅費と自由になる時間を捻出できれば史料に触れることができます。 これは「物理的に」制限されているといえる状態でしょうか? 付け加えるならば、一次史料、二次史料の区別などは、大学で歴史をやれば一番最初に習わされます。 別に大学に入って勉強しろとは言いませんが、史料の一次だ二次だが大事だと騒ぐなら、せめて歴史学の入門書くらい読んでからにしてください。 |
失礼ながら、平日の昼間から恵比寿へ出かけて資料を閲覧するなんて、学生さんか、プロの戦記作家か、よほど恵まれた境遇の方でないと無理です。私が「極少数」と申しあげたのはそういう意味からです。少なくとも、関西在住の勤め人にとっては非情にむずかしいですねぇ。 |
事実関係のみ。 http://www.nids.go.jp/military_history/military_archives/index.html 上記リンク中の、[ 戦史史料に関するお問い合わせ ]の項をご覧ください。 要するにその気さえあれば、そして自分の「目」で史料を見るということにこだわらなければ、一次史料を利用するのに制限はありません。 |
> > 公刊戦史はあくまでも戦後に一次資料を基に製作されたものである、という意味で 二次資料なのではないでしょうか。 > > この場合の一次資料とは戦争当時作成された書類・文献等を指すのだと思います。 > > では、一次資料に物理的にアクセスできる人間はごく少数、ということになってしまいますねぇ。 > > あぁ悲しき哉! そのとおりです、ぽぷら様。 まず、大部分の地方在住者に大きな顔で戦史を語る資格はありません。 次に、東京及びその近郊に住んでいる人のうちでも、営業をさぼって、恵比寿で下車して、しばらく行方をくらましても会社を首にならない人、または土曜、日曜は仕事で、平日に休める人、あるいは妻子がないか、あっても頼りにされてない人。オタクの中でも、こういうほんの少数の幸運な人たちだけが戦史を語り、新たな真実を発掘し、世に伝導する使命を帯びているのです。 そして、我々のような大部分の地方在住戦史ファンは、伝道師の偉大な業績に、ネットやムック本を通じて触れることができるわけです。その意味では、われわれはエンド・ユーザーなんだという誇りを持ってがんばりましょう。 冗談です。 |
こういう事を書き込むのは止めてください。見苦しいです。 一次(史)資料がどうしたなどと騒いでいるのは、ぽぷら君だけです。大体にして、このツリーにおける議論で一次資料などは必要ないでしょうに。 |
戦記ではなく、戦史(一次資料)をもとに議論しなければならぬなどと主張される方が出現したので、こんな事態になっているのです。時系列でツリーをもう一度ご確認くださいよ。 |
> 戦記ではなく、戦史(一次資料)をもとに議論しなければならぬなどと主張される方が出現したので、こんな事態になっているのです。時系列でツリーをもう一度ご確認くださいよ。 あなたが戦史=一次資料と混同していたからではありませんか? |
> あなたが戦史=一次資料と混同していたからではありませんか? はいはい、ですから「一次資料」とは何か、について皆さんのご意見を伺いはっきりさせておきたいと思ったわけです。いったいどうなんですかねぇ? |
> > 戦記ではなく、戦史(一次資料)をもとに議論しなければならぬなどと主張される方が出現したので、こんな事態になっているのです。時系列でツリーをもう一度ご確認くださいよ。 > > あなたが戦史=一次資料と混同していたからではありませんか? この部分は、一次資料の作為の事例を具体的に示して頂かないことにはコメントしようがないのではありませんか? ご自身で一次資料を調べられた上で具体例を挙げられるならともかく、「作家の方々がこう言っている」という程度の話しにコメントを期待する事は無理がありませんか。 思い込みや勘違いであれば御容赦を。 私も穿った見方をしていた様ですが、戦史=一次資料の混同はともかくあたかも私が提示した作家の方々が一次資料を調べた上で導き出した結論を彼らが調べた一次資料をトレースして論証しろと言う様なこの書き込みはどうするのでしょうか? |
> 私が提示した作家の方々が一次資料を調べた上で導き出した結論を彼らが調べた一次資料をトレースして論証しろと言う様なこの書き込みはどうするのでしょうか? 伊号さんは一般論で「戦記も為になりますよ」とだけ言いたいのだろうと思います。しかし、もし仮に今ここで話されているような「栗田艦隊と海軍中央との間に深刻な意見対立は無い。それは公刊戦史を読めばわかることだ」といった具体的な内容に対して、伊号さんの論法でそれを否定しようとするならば、まさにそうする以外無いでしょう。 具体的な事例に対して具体的な論証が必要、というごく当たり前の話です。 |
> 戦記ではなく、戦史(一次資料)をもとに議論しなければならぬなどと主張される方が出現したので、こんな事態になっているのです。時系列でツリーをもう一度ご確認くださいよ。 「まず、事実関係の把握をしっかりと行い、前提とする情報の精度を上げるために戦記読み物ではなく公刊戦史などを読むことが大切ではないでしょうか。 その上で考えてみませんか。」 と、書かれている方は確かにいます。 そして、「公刊戦史は二次資料」です。 「一次資料をもとに議論しなければならぬ」などと主張している人はいません。 よく読んでくださいよ。 |
戦記ものをベースに議論することには多くの方からご批判いただきました。 そして、たとえば、ポトマックさんは、一次資料をもとに議論せねばならぬ、とおっしゃっているような気がしますが。 そして、確認しておきたいのですが、「戦記もの」は二次資料にはあたらないのでしょうか? |
> そして、確認しておきたいのですが、「戦記もの」は二次資料にはあたらないのでしょうか? もう一度読んでください。 「まず、事実関係の把握をしっかりと行い、前提とする情報の精度を上げるために戦記読み物ではなく公刊戦史などを読むことが大切ではないでしょうか。 その上で考えてみませんか。」 資料が「一次」であるか「二次」であるかを判断し、 優劣をつけなさいなどとは言ってはいない。 |
誤解のないように申しあげますがわたしもどんべさんに同意見ですよ。 ただ、これまでの諸氏の議論の進め方が 一次資料→○ 二次資料→× 戦史→○ 戦記→× なる悪しき二分法に陥っていることに危惧をおぼえ、対抗上、定義をはっきりさせようと思い、不本意ながら疑問を呈したわけです。 |
> 一次資料→○ > 二次資料→× > 戦史→○ > 戦記→× > なる悪しき二分法に陥っていることに危惧をおぼえ、対抗上、定義をはっきりさせようと思い、不本意ながら疑問を呈したわけです。 不本意だか対抗だか知らないけども、そんな下らない事を議論する場所じゃないでしょう。ぽぷら君が危惧しているのは結構だけども http://www.warbirds.jp/BBS/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=3526;id= で、答えが出てるんじゃないのかな。どうしてもぽぷら君が納得できなければ、新しいツリーをこしらえて。そちらで議論すればいい。 そんなコトよりも、栗田艦隊が反転したのはナゾなのかどうか、ぽぷら君が現在どう考えているのか。この掲示板の読者はそちらに興味があるんじゃないかな。 :まぁ、自分的には。戦史叢書の栗田艦隊についての記述中、どこで「間違い」や「フィルタリング」されているのか、そこが知りたいですね。 |
資料調査の方法論の話になってしまった責任の一端は私にもありますので、 ここで本筋の「謎」にもどしてみたいと思います。 (ただ、説明不足だったかもしれませんが、 私は一般論として一次史料が必要だといったつもりではなく、 「大本営海軍部にとっても受け入れがたいのでは?」と論ずるのであれば、 当時の海軍部の評価を一次史料で裏付ける必要があるのではないか? ということが言いたかったのです) 通常、指揮官が自部隊の行動を判断するときには、 ・自分の理解した作戦目的 ・味方の状況(自部隊および他の部隊) ・敵の状況 ・達成している成果 といったファクターを考慮するものと考えられます。 レイテ沖海戦のいわゆる「謎」が「謎」であるためには、 これら4つのファクターをふまえた場合に 通常下されるであろう決定とは異なる決定を 栗田提督が下したことが立証されればいいわけです。 そこで各論に入りますが、以上の4つのファクターに照らしてみると、 ・作戦目的の理解 :敵船団ないし機動部隊の撃滅 ・味方の状況 自部隊:武蔵および重巡多数の喪失 他部隊:状況不明 ・敵の状況 一個空母群と接触 その他不明(北方に一個空母群ありとの情報) ・達成した成果 一個空母群の撃破 ということになると思います。 であるのならば、栗田提督の判断は これまで何人かの方が指摘しているように、 それほど「謎」ではないと結論できるのではないでしょうか。 それでも敢えて「謎」であることを証明するには、 たとえば、実は 「艦隊司令部は、ハルゼー部隊や小沢部隊を含む敵味方の状況を 正確に把握していた」 といったようなことを立証する必要があると思われます。 (ほかにもあるでしょうが、とりあえず一例として) そしてそのときには、 推測ではなく一次史料(あるいは一次史料にさかのぼれる資料)が 必要になるでしょう。 ちなみにいえば、戦藻録の描写から想像される 司令部の混乱はそれだけで「謎」にはならないでしょう。 混乱していれば「謎」めいた判断を下す可能性は高くなるとは思われますが、 混乱していれば必ず「謎」めいた判断を下すわけではないわけですから。 |
栗田艦隊出撃の第一目的は、何はさておき、レイテ湾突入であったことはご賛同いただけるのではないかと思います。 そのために西村艦隊は全滅し、小沢機動部部隊は囮部隊となって空母4隻を失いました。 捷号作戦全体の意味を考えれば敵機動部隊の撃滅など副次的な意味でしかないはずなのです。 そして、栗田中将はこれらの状況を承知した上で、反転してしまったのです。 レイテ湾南方に新たな敵機動部隊が待機しているという情報が反転の材料となったとよくいわれますが、 一三一三「第一遊撃部隊ハ「レイテ」泊地突入ヲ止メ「サマール」東岸を北上シ、敵機動部隊ヲ求メ「サン・ベルナルヂノ」海峡ヲ突破セントス」なる報告を聯合艦隊司令部に送っています。 現に目の前のスプレイグ護送空母群を取り逃がした上で、新たに敵空母群との接触を求めるとは一体何の意味でしょうか。理解しがたいことです。 ちなみに、私は艦隊突入が成功したところで比島戦の経過に大きな変化があったとは思っておりません。米軍の進撃速度が数週間遅れた程度でしょう。 |
> 栗田艦隊出撃の第一目的は、何はさておき、レイテ湾突入であったことはご賛同いただけるのではないかと思います。 賛同しません。 |
ため息が出ますね。 無料でアクセスできる公開資料程度で他人様から御金を取れるような情報が得られると勘違いしているのでしょうが、市販の本でわずかな代金を払って得られる情報の原本がたかだか首都圏に住むだけで手に入るなら、そんな楽な話はありません。図書館に行こうが泣こうが喚こうが手に入らないものを探し出す作業に地方も首都圏もありません。 調査、取材はお金を掛け時間を掛けて人に頭を下げて地道にやるしかないものです。個人を狙って皮肉を書き込んでるような根性では道は遠いでしょう。 しかし、よほど細部に踏み込んだ事柄か兵器そのものの資料でない限り、必要な情報は市販の出版物で得ることができます。戦史叢書が一次資料か二次資料かなんて全く意味の無い話をする前に、あんなものはただの本なのですから、必要であればどんどん入手して読めばいいだけのことです。古書でしか手に入らないものも多数ありますけれども、ネット上からの発注が出来る今は地方も首都圏も大した違いはありません。まして日本には優れた図書館のネットワークがありますからそれを利用しない手もありません。また海外へのアクセスに関しては地方も東京も同じ日本国でしかありません。 そこで行き詰まったら、それこそこうしたサイトで知り合った同好の人達に個人的に相談すれば良いのです。そうすれば意外にも地方在住の方々が多いことにも気が付くでしょう。そしてお互いの信頼関係さえあれば色々な手段もわかれば情報そのものも入手できるかもしれません。人を揶揄する前に友達になりましょう。真面目に地道な調べ事を続けている人は何の含みも無く「仲間」だと私は思っています。 |
すいません、BUN様、反省してます。 おっしゃるとおり、私の道は遠いです。 |
> そして栗田艦隊の突入の成功不成功などは比島戦の中では椿事に過ぎないこともわかります。戦記読み物はレイテ湾突入にカタルシスを求めるように読者を仕向けて殊更に栗田艦隊の撤退を取り返しのつかない出来事の如く書き立てているだけです。 > 司令部と栗田艦隊の間に齟齬があったことなど、公刊戦史は書かないでしょう。 >「比島戦の中では椿事」 結果からみればそうですし、個人的にはレイテ湾突入の成否が比島戦の経過に大なる影響を与えたとも思っておりません。 我々が後知恵で批評するのは容易ですが、聯合艦隊にとっては水上部隊と虎の子の機動部隊の八割を投入した大作戦だったはずです。当時の海軍は乾坤一擲の大博打に打ってでたのです。戦記作家にとって格好のネタになるのも当然かと思います。 |
> まして、当時の大本営海軍部にとってみれば、突入中止は到底受け入れがたい行動ではなかったのではないかと。 大本営海軍部は、栗田部隊のサマール島沖の「大戦果」を聞いて、欣喜雀躍したんではなかったでしたっけ。 どうしても、栗田部隊に突入させたければ、マニラ会談に神参謀ひとりを派遣したりしないで、草鹿参謀長か豊田長官自らが出てきて、栗田長官に直に突入を説けばよかったんです。「敵機動部隊は基地航空部隊が引き受けるから、遮二無二レイテ湾に突っ込め。」とさえ命令すれば。 神参謀が小柳さんに、敵機動部隊撃滅とレイテ湾突入の二者択一の場合の行動の自由を与えてしまったために、栗田部隊の行動は正当なものとなったのです。 ポプラさんが割り切れなく思われる気持ちは理解できます。 |
以前にも書きましたが、栗田提督はGHQに対して陳述書を提出しています。サマール沖での状況を時系列順にその一部を抜粋すると以下のようになります。 ○私はこの時戦っている相手は「ハルゼー隷下の快速空母部隊」と思っていた ○尚、第一戦隊宇垣中将は当面の南方の母艦群以外に北方に敵らしい「マスト」を認め之を攻撃のために向首してはどうかと意見具申したが、自分は「レイテ」突入が遅れるので此の意見には同意しなかった。 ○二五日〇九一一部隊に集合を命じたのはレイテ湾突入の主目的達成を考えたためである。敵機動部隊が二時間以内に戦場に到着するという敵側情報も戦闘を切り上げた理由の一つであった。 ○一一二〇私は「レイテ」湾突入のため進路を北西にとった。此より先基地航空隊から「スルアン」島灯台五度一一三浬に敵機動部隊があることの通知をうけていた。私は既に想定時間を遙かに遅れて「レイテ」湾に突入することは敵の対抗準備なれるところに徒に好餌となり突進する事となる虞あり一方「レイテ」湾の状況は不明であり、南方から突入する第三部隊は既に潰えている。更に敵航空機の波状攻撃は既に始まって居るし敵機動部隊が北方にいるのを感じている。斯かる状況に於いては寧ろ予定を変更して北方の敵機動部隊を攻撃するを可と認めた。それで十二時三六分「レイテ」湾突入をを取りやめて反転したのである。 こういう具合ですけど、この海戦における栗田提督の判断は決して間違っているとは思えません。「北方の敵機動部隊」が偽電であるとか、「集まれ」の命令が既にレイテ湾から遠ざかる方向であったとか色々言われますが。不意の遭遇戦で混乱した状況下、しかもGPSなどもない時代ですから、そのような錯交生じるのは致し方ないでしょう。「全滅を覚悟して」という艦隊特攻論も、十九年の十月であればそれを根拠にして「なぜ突入しなかった」と責めるのは無理があるかと思えます。 レイテ湾突入を前にしての「謎の反転」は、米軍側から見ての状況であって。我が軍の視点からは決して間違った判断とはいえないでしょう。仮に、栗田提督が現在我々が知り得る情報を持っていれば突入したのでしょうし、これが「謎」ならば、ハルゼーが小沢艦隊に突進したのはもっと「謎」に思えてきます。事実、ハルゼーの北上は米軍内部でも問題視されていたようですけど。 |
レスありがとうございます。 戦略爆撃調査団の報告ですね。 しかし、0910に艦隊を組み直したとき、なぜレイテ湾から遠ざかる方向に集合命令「ヤヒセ四三」を出してしまったかは、やはり疑問です。 米空母群の追撃方向、西南方向に整形すればそのままレイテ湾口に到達していたはずなのです。 栗田くんは尋問に答え、「早く突入するのが最善ではない」と回答していますが、全く説得的でありません。彼をして逡巡せしめたのは何でしょう? 0910には米側は完全に混乱していたのです。 >これが「謎」ならば、ハルゼーが小沢艦隊に突進したのはもっと「謎」に思えてきます。 この理由は、栗田艦隊が空襲回避のため一時転針したのを、サンベルナルディノ海峡突破の意図を放棄したとハルゼーが誤判断したためです。 |
> しかし、0910に艦隊を組み直したとき、なぜレイテ湾から遠ざかる方向に集合命令「ヤヒセ四三」を出してしまったかは、やはり疑問です。 今の視点から見るとそうかもしれませんが。先に触れた通り、GPSや航海用レーダーの装備無しに、煙幕やスコールが散在している状況で自艦あるいは隷下各艦の艦位を正確に把握できたのでしょうか? > この理由は、栗田艦隊が空襲回避のため一時転針したのを、サンベルナルディノ海峡突破の意図を放棄したとハルゼーが誤判断したためです。 主題とは別なのでこれ以上触れませんが、そういう細かいことを問題にしているわけではありません。 |
> 今の視点から見るとそうかもしれませんが。先に触れた通り、GPSや航海用レーダーの装備無しに、煙幕やスコールが散在している状況で自艦あるいは隷下各艦の艦位を正確に把握できたのでしょうか? > たびたびのレスありがとうございます。 艦船関係はど素人なのでアホ言ってるかもしれませんが、いくら当時、視認の困難な中でも艦列の再編成ぐらいはできたのではないでしょうか。そうでなければ艦隊運動などできたわけないようにおもうんですが。 また、いずれにしても第十水雷戦隊の襲撃後、それを主力艦の周囲に集めて輪形陣を組み直す必要はあったわけで、それをわざわざ針路零(真北)に向けて整形しようとした訳は、やはりなぞですよぉ。 |
また、資料も知識も大して持ち合わせていませんので、口出しすべきでないでしょうが、素人なりに思ったことを書いて見ます。 このとき、栗田艦隊はかなり分散していたのではなかったでしょうか。互いに視認も困難な状況となれば、再編成が可能としても相当の時間と手間がかかると思います。 これをレイテに向かって進撃しつつ行うとすると、散開した状態のままどんどんレイテへ接近するわけで、場合によっては陣形を組みなおす前にレイテ方面の米部隊から反撃を受けるのではないでしょうか。例えとして適切でないかもしれませんが、私には日本海海戦直前のバルチック艦隊の混乱ぶりが想起されます。 まず間合いを取って陣形を立て直すため、あえて離れた位置に集合をかけたのではないかと思いますが、いかがでしょう。 栗田艦隊の反転は、ぽぷらさんや私にとっては「なぞ」ですが、栗田提督や大本営にとっては「謎」ではないということではないでしょうか? |
> いくら当時、視認の困難な中でも艦列の再編成ぐらいはできたのではないでしょうか 第二艦隊は日本海軍の水上戦闘部隊の精鋭だったと記憶しています。 その精鋭でも隊列を整えるのに二時間近い時間(0911〜1056)を要しています。 これはそれ以前の二時間に及ぶ戦闘により艦隊が大きく分散していたためだと考えられますが(分散していたのは直径20kmぐらいの範囲でしょうか)、艦隊運動の訓練を散々やっている彼らですらこれだけかかるのですから、当時の装備でこれ以上速く隊列を整えるのは困難だと考えます。 > わざわざ針路零(真北)に向けて整形しようとした訳 大きく分散した味方を集結させるのに、どこから敵が出て来るか分からない方向に向かってに向かってするのは非常に危険だと思うのですが。 ましてや、このとき第二艦隊の各艦は空襲を受けていますし。 それに針路零度を取っていたのは1054から二分間だけで、1056に一斉回頭して針路を270度(真西)に、さらに1100にさらに一斉回頭して225度(南西)にしています。 これらを見る限り、隊列を整えている最中で最も敵の襲撃を受けたくないときだけ最も安全と思われる針路を取っていたのではないでしょうか。 |
すいません、上の酒匂135さんと被りました。 |
私は議論に参加する知識が無いので一つ質問したいのですが、この「謎」と言うのは栗田艦隊の反転そのものではなくて、栗田艦隊が向かったとされる敵機動部隊「発見」の報が「どこから沸いたか?」という事が「謎」とされているのでなかったでしたっけ? |
あまりそういったものが感じられない時代でしたが、 『一勝して講和に持ち込む』 というのはよく聞く話です。 命令として伝達はされていませんが、期待されるべき 行動とは米軍に人的被害を与えることになるのではないかと 思われます。 それを「なぜ、しなかった」と言う権利はありませんが 栗田提督の行状を見ているとどうにも根底の目的を失った 官僚主義的な動きが目に付きます。 |
反省中ですので、遠慮しながら申し上げます。 > 命令として伝達はされていませんが、期待されるべき > 行動とは米軍に人的被害を与えることになるのではないかと > 思われます。 > それを「なぜ、しなかった」と言う権利はありませんが > 栗田提督の行状を見ているとどうにも根底の目的を失った > 官僚主義的な動きが目に付きます。 このご意見については、否定も肯定もいたしません。また、純粋な戦術的見地から、第一遊撃部隊がレイテ湾に突入すべきであったか否かも、私の能力では判断できません。 しかし、もしGF司令部がどうしても第一遊撃部隊をレイテ湾に突入させたかったのであれば、2F司令部に対して作戦目的の徹底を図り、現場の裁量の余地を奪う(この場合、突入せずに引き揚げたら抗命罪に問われる可能性あり)か、あるいは2F長官を更迭するか(直接の人事権はGFにはありませんが)、いずれかを行うべきであったでしょう。 根拠はありませんが、栗田長官が機動部隊撃滅にこだわったのは、2Fが永らく務めてきた機動部隊前衛の戦策に原因があったのではないか。また、伊藤正徳の表現を借りれば、GF司令部に対する彼一流の「レジスタンス」が存在した可能性も十分考えられます。 いずれにしても、マニラ会談における小柳、大谷と神重徳の合意により、1YBの敵KdB撃滅のため反転、その後サンベル海峡を西進離脱した行動は正当なものとなり、結果として捷号作戦に破れてしまった責任は、本来、すべてGF長官が負うべきであったと思うのです。 にもかかわらず、豊田長官はなんら責任を問われることなく、軍令部長まで昇りつめ、一方の栗田長官のみが戦後批判を浴び続けてきたことには、なにか割り切れないものを感じています。 |
2カ所訂正します。 > 結果として捷号作戦に破れてしまった責任は、本来、すべてGF長官が負うべきであったと思うのです。 ↓ 結果としての水上部隊によるレイテ湾突入作戦の失敗を含め、捷一号作戦全般が失敗に終わった責任は、本来、すべてGF長官が負うべきであったと思うのです。 ついつい、「第一遊撃部隊のレイテ湾突入作戦=捷一号作戦」と勘違いしてしまいますね。 > 軍令部長まで昇りつめ、 ↓ 軍令部総長まで昇りつめ、 |
うんうん、個人攻撃の対象となって叩かれ過ぎという点においては同意します。 しかし、悪徳弁護士的というか感情面で多大に、理性面で少し割り切れません。 情報が不足しているのは情報を求めなかったから? 過去にも所在不明癖があるようですし・・・ |