Page 138 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼大慶油田が発見されていたら 高村 駿明 03/2/4(火) 10:01 ┣満州国の道は険しい クリスティー 03/2/4(火) 17:12 ┗Re:大慶油田が発見されていたら 山家 03/2/4(火) 21:28 ┗大慶油田自体の評価 Jack 03/2/5(水) 5:22 ┗米国と提携する道もあるでしょう クリスティー 03/2/5(水) 9:18 ┗Re:米国と提携する道もあるでしょう 山家 03/2/6(木) 19:33 ┗Re:米国と提携する道もあるでしょう Jack 03/2/7(金) 8:41 ┗もっと単純に クリスティー 03/2/7(金) 10:50 ┗米国と戦争にはならないのでは 高村 駿明 03/2/7(金) 18:23 ┗Re:米国と戦争にはならないのでは 山家 03/2/8(土) 21:48 ┗知ったかぶり プリンス 03/2/8(土) 23:22 ┗満州なんぞ飾りです(以下略) alphabette 03/2/10(月) 2:13 ┗Re:満州なんぞ飾りです(以下略) Jack 03/2/12(水) 9:41 ┗Re:満州なんぞ飾りです(以下略) Jack 03/2/12(水) 9:44 ┗Re:満州なんぞ飾りです(以下略) 山家 03/2/12(水) 20:32 ┣Re:満州なんぞ飾りです(以下略) プリンス 03/2/13(木) 0:28 ┗Re:満州なんぞ飾りです(以下略) 高村 駿明 03/2/13(木) 11:55 ┗油田の日米共同開発の可能性について 山家 03/2/16(日) 23:10 ┗Re:油田の日米共同開発の可能性について 高村 駿明 03/2/19(水) 14:02 ┗満鉄日米共同経営の夢 山家 03/2/22(土) 17:37 ┗Re:満鉄日米共同経営の夢 高村 駿明 03/3/5(水) 10:30 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 大慶油田が発見されていたら ■名前 : 高村 駿明 <c.ajiro@tgweb.net> ■日付 : 03/2/4(火) 10:01 -------------------------------------------------------------------------
最近、コミックの「ジパング」や架空戦記「覇者の戦塵」シリーズでも取り上げ られている北満州の大慶油田ですが、この油田が満州事変直後に発見されていた 場合、どのような歴史の変化が起こり得たでしょうか。 例えば「米英が満州に対する資本の参入を強く望み、満州国を承認した」 「日本が石油資源を手に入れることは、国家戦略上問題があると見て、むしろ 米英中ソが共同で満州国潰しを図った」とか、「石油問題が解決するので、昭和 16〜17年に、独ソ戦の推移を見極めることができ、第二次世界大戦参戦を避け られた」「油田の存在が対米英開戦派を元気づける結果にしか作用せず、開戦は 避けられなかった」など、色々考えられると思います。 「これが正しい」という答えがある議題とは思いませんので、議論ボードに いたしました。皆様の所見をお聞かせ頂ければ幸いです。 |
面白いお題ですね。 そもそも、石油があろうと無かろうと、満州帝国の国際的承認は困難でしょう。 満州、中国(朝鮮、台湾もだが)市場開放を要求する国々と、自国の植民地として独占を狙った日本との衝突が日本を国際的孤立へと追い込んだと思います。 そこに、満州に石油資源があるとわかったら、市場+資源の重畳効果で、ますます状況は加速されて動いたと思います。 中国(国民党):領土返還(満州国の併合)を強く主張 中国(軍閥):自己の権力を強く主張 米国:市場、資源開発への投資の機会均等を主張し、独占を狙う日本と対立激化 ソ連:もともとロシアが押さえていた満州における復権を狙う。ノモンハン事変は、もっと本格的な軍事侵攻になっていたか といった状況だと思います。 大きく歴史が変わるかもしれないのは、日本が国際圧力に負け、あるいはソ連の侵攻に敗北して北満州を失うなどした場合ですね。 日本国内が、南進論から北進論に切り替わった場合、米英蘭豪と協調してソ連と戦う道を進む可能性はあると思います。(石油の利権は山分けで) その場合、ドイツとソ連が戦った際に、米国がソ連を支援しない可能性もあり、ソ連も二正面戦争となって敗北したかもしれませんね。 |
いつ発見されて開発が決意されるのか、が最大の問題の一つになると思います。大慶油田自体は、満鉄によって発見されていたそうです(Ans.Qの何番かにあったと思います)。ただ、満鉄はそれ程の大油田とは想像も出来ず、開発しようとしなかったとか。例えば、清帝国時代、日露戦争以前に発見され、開発されていたら、ロシア革命に伴うシベリア出兵は、史実より大幅に変わったものになったのではないでしょうか。 大慶油田の開発自体は、そう難しいものではなく、大正時代以前の技術、それこそ手掘りで開発可能だそうです(これが油田層が深いところにあり、高度のボーリング技術が必要となってくると議論の前提が成り立たなくなってきます)。 いつ発見されて開発が決意されるのか、余りにも場合分けが多すぎて、私にはすぐ思いつけません。ただ、1941年以降に開発が決意される場合では、開発が間に合わず、史実とそう変わらないとは思います。それ以外の場合は、ちょっと考えてみたいです。 |
はじめまして、Jackと申します。 宜しくお願いします。 大変面白いお題なので厚かましくも参加させて頂きたく思います。 さて、議題の大慶油田ですが、油田が早期に発見されたとしても果たして日本がその恩恵に授けられたかどうかについては甚だ疑問に思います。 一般的に油田の活用についていささか楽観的ではないかと考えます。 それというのも大慶の原油は重質かつ硫黄分が多いので当時の日本の精製技術では荷が重過ぎるのではないかと推測されます。原油は先ず先制されなければ話になりません。最低でも触媒を使って水素添加脱硫等によって硫黄分を抜かなければなりません。 特に航空用エンジンに必要不可欠な高オクタンな油を精製するには接触分解, 接触改質, アルキル化,更に異性化等の技術が必要とされます。(さらに当時実用できた技術の殆どはアメリカ企業がパテントを持っています) ちなみに最初に接触分解が出来る精製場が出来たのが1936年のアメリカのニュージャージー州です。それまで高温による分解か原油に含まれる少量の軽量油に頼ってましたが、大慶油田からは難しいでしょう。 また、これらに必要な大電力を賄うのもまた難しい物があります。 掘り出した原油で発電所を作れますが、当時食糧の生産効率の影響で国民の三分の二までが農業に従事しなければ国内の食料を賄えなかった事を考えるとやはり難しいのではないでしょうか。 更にアメリカは当時は世界でも独占的な石油輸出のシェアを誇っていましたので(圧倒的な洗練技術もこの為)新たな競争相手を望まないでしょう。 |
精製技術に問題があるなら、米国資本と提携し、共同開発に進んだかもしれません。 資源が無かったから、市場としての満州(あるいは、市場としての朝鮮を守る防壁としての満州)に固執したわけでしょう。 だから、豊富な資源があるならば何も米国と対立を深める必要も無いわけで、利権を分け合いながら・・・という「アラブの王族モデル」はあるかも。(でも、ほとんどの権利を持っていかれて、どこかでキレるでしょうなあ) また、日本で精製技術の発達が遅れたのは、石油資源が乏しく、石油の大量消費などという考えがなかったためで、資源があるならおのずと技術投資も行われ、それなりの成果も上がったと思います。(必要は発明の母) なにせ、松根油で飛行機を飛ばそうとしていた国ですから、脱硫装置ぐらいは・・・? |
このあたり、当時の国際情勢をどう考えるか、イデオロギーも下手をすると絡んできて、悩ましいところなのですが。 とりあえず、1931年満州事変後、日本が国際連盟を脱退した後で、満鉄が大慶油田を発見したということで、以下は考えていきます(国際連盟脱退以前、日本が大慶油田を発見するというのは、時間や油田の存在地域の治安等から困難でしょう)。 この場合、油田開発のために、米国の協力を求めるというのは、日米双方の事情から困難であると私は考えます。日本国内では、「米国資本の参加を認めるのは、米国のただ乗りを認めることで、祖国を守るために命を捧げた日清日露の英霊に何と申し訳をするのか。断じて認められん。」と世論が沸騰するでしょう。米国では、大慶油田の開発は、日本海軍の燃料不足(軍艦の燃料は重油ですから)解消へとつながり、日本海軍の日米有事の際の燃料不足という足枷を無くすものだという判断がなされ、歓迎されないものだと思われます。 従って、日本独自で開発していくしかない(英仏等の欧州諸国が、米国並に肩入れするとは私には考えにくいです。それに肩入れしても、特許等の問題から、影響は小さいでしょう)と私には思われます。 その結果がどうなっていくか、私にはとても想像がつきません。私としては、ソ連国内の5ヵ年計画の問題等から、1930年代前半から半ば等に掛けて、ソ連が軍事介入することはないが脅威はより増大するのでは、日中戦争はソ連の脅威から回避されるのでは(ソ連がいつ満州に軍事介入するか、という緊張状態で、日本が日中戦争を決断するとは思えません)、とは思うのですが。そして、少なくとも1950年頃まで、日米関係は破綻することなく、微妙な緊張状態が続く可能性が一番高そうに思われるのですが。 どうも、推論ばかりで申し訳ありません。 |
>クリスティー様 成る程、必要は発明の母とも言われます。 しかし実際に海軍は盛んに研究しておりましたが、残念ながら目立った成果を残してないように思われます。しかしこれは私の勉強不足かもしれません。 さすがに松根油で飛行機を飛ばそうとしていたのは流石に戦争末期だったと思いますが。 米国については私もほぼ同意見です。 少なくともなるべく早く油田を有効活用且つ米国との緊張緩和に役立つでしょうが、それでどこまで日本に利益があるかについては推測しかねますね。 >山家様 ではとりあえず山家様のシナリオ通りに話を進めてみましょう。 最も日本にとってリスクが低いのは米国との提携です。 まず、経営不振に喘いでいた日本にとってそれなりに魅力的である上に米国との緊張が緩化できますし、満州の資本を守る為に満州防衛の為に米国からのある程度の支援は期待で切るのではないでしょうか。当時の米国陸軍の規模から言って主に外交面での支援になりそうですが。 しかしこれも山家様がおっしゃるように民主国家である戦前日本では受け付けられにくい形ですね。 では、もう一つの可能性、日本が独自に開発して行く可能性についてはどうなるのでしょう。 史実では1930年代後半当時の日本の主力輸出品であった綿製品が国際競争力を失なった影響で大赤字になりました。米国でsynthetic fibreが出回り始まったせいで主な輸出先であった米国で売れなくなった為です。 外貨を獲得できなくなった日本は当然米国が石油禁輸処置を施すまでもなくどこからも石油を買えなくなるわけです。 油田が発見された場合、すぐに有効活動できなくても少なくても今後の展開に希望が持てる分海軍の対米宣戦布告しなければますます石油の備蓄が減るといった強迫観念に捕らわれないので開戦に踏み切る可能性が減るのではないでしょうか。 私自身はいささか米国陰謀説には懐疑的ですが、少なくとも当時いかにルーズベルトが米国民を鼓舞しようと米国から自発的に日本に対して開戦は出来ないでしょう。 当時パールハーバーが無ければ大半の米国民はモンロー主義に賛同するでしょう。 次に驚異なのはソ連ですが、当時の関東軍でソ連の本格的な侵攻にどれ程耐えられるのかは微妙なところです。 日中戦争が始まっていれば手薄になっている上に装備も史実のままですし、始まっていなくとも史実と同じだけの国防予算はつかないので五十歩百歩でしょう。 大規模な軍縮でも行なえば装備改変は可能ですが、満州防衛の為にはそうもいかないし。 ソ連の出方次第ですね。 上手く1950年代辺りまで耐えられれば日本の重工業も史実並みに発達するのではないでしょうか。 財閥等いくつか障害はありますが、戦前において鉄鋼生産は上がりっぱなしだったそうですし。 >どうも、推論ばかりで申し訳ありません。 ifの話をしているとどうしても可能性が上がる下がると言った内容の話になってしまいますね。 自戒を込めて言えば概して都合の良い可能性を見がちですから。 |
単に、「原油輸出国として、のんびり暮らし、北方からの侵略に備えることにした」というまさにクウェートやサウジアラビアのようなモデルは考えられないですかね。(少なくとも満州帝国は) 埋蔵量とか、採掘量とか、まあ問題はありますが。 それだけで食っていくには人口も多すぎるし。 いずれにせよ、満州や樺太(そんなことは言ってないって?)で石油が取れたら、南進論=英米対決になる必要も無く、対米融和、すなわち、中国本土からの撤兵と石油加工の利権を条件に和睦し、日米英体制でソ連と対峙することになったのではないでしょうか。 国連脱退後であっても、関係正常化できないということは無いと思います。 (外交能力には???ですが) 関係が回復できなかった場合、北方重視、すなわち、南方は防衛に徹する方針となったと思います。 米国と開戦状態になっても、攻め込まず、来寇する敵を陸上&空母で叩き、米国世論の風向きが変わるのを待つ。 (たぶん、準備が整うまで1年間は米国も守勢で攻めてこない。ドゥーリットルのような奇襲のみ) 英蘭豪は攻勢に出る余裕無し。 北方は、生産設備を満州に移転し、関東軍を強化。 たぶん、ソ連と開戦となったでしょう。 真珠湾ではなく、浦塩港や、シベリア鉄道要地への空爆が第1撃。 マレーやフィリピンに行くはずだった戦力が、ソ満国境を越え、あるいは、日本海沿岸から上陸を敢行したと思われます。 |
大変含蓄深いご意見で、興味深く拝見しております。 歴史のイフは難しいものだということは、ここでは よく勉強させて頂いております。 米国との関係についてですが、確かにイデオロギーの 影響は大きかったと思いますが、祖父祖母に伺った限り では、日本人は「戦前から米国の文化には親しみを持って いた。日中戦争が始まったころから、反米宣伝は強く なったが、それでも英語のレコードを親しむ人もいた」 とのことであり、それほど強い反米感情はなかったのでは ないかと考えております。政府が経済的メリットを提示 できれば、米国との連携を受け入れる世論もありえたの ではないかと思いました。 米国が日露戦争後から、中国・満州市場に関心を持って いたことは確かであり、米国に石油資源の開発に協力して もらう代わりに、日本側は満州を市場解放するという 選択肢はなかったのでしょうか。 建前上は満州は独立国ですし、米国のメンツが立つ 形で、経済的メリットを提示すれば、のってくること もあるのではないかと思うわけです。 米国から見れば、満州は米国製重機の運用に適した 地形(市場)ですし、中国本土と異なり、ある程度の インフラ整備や治安維持は日本がやってくれている わけですから、美味しい部分もあるのではないかと 思います。日本としても、jackさまが言われるように、 大慶油田がそのままでは技術的に使えない以上、米国 との連携は現実的な選択肢のはずであり、常に油不足 に悩んでいる陸海軍にとっても、メリットがあるの ではないでしょうか。ソ連からの満州防衛についても、 米国の満州開発参加はメリットがあるわけですし。 旧ソ連の崩壊などを見ても、イデオロギーは現実の 経済的メリットの前には、それなりに左右されるように 思うわけです。 上記のような、満州の相互開発さえ実現すれば、 対米開戦はないように思います(当時の日本は、屑鉄 や製造機械なども、米国に依存していたらしいですが、 逆を返せば、米国にとっても、日本は大切な顧客だった ということではないかと)。 もっとも、中国問題や満州の利権配分などでこじれ たら、どうなるかわかりませんが……。 |
米国文化に親しむことと米国に親近感を持つことは、多少異なっているのではないでしょうか。現代でも、例えば、欧州では米国文化は親しまれていますが、米国のイラクに対する行動には反対が多数を占める等、欧州が米国に親近感を持っているようには私には思われません。 そして、満州の門戸開放ですが。史実でも日露戦争直後、米国の実業家ハリマンが南満州鉄道の共同経営を持ちかけたことがあるのです。このとき、桂首相や伊藤博文、井上馨といった面々は賛成し、仮協定まで締結しました。しかし、小村外相等が大反対したために、結局、この共同経営は流産してしまいました。 このとき、反対派は、次のように主張しました。日本が血で購った権利に、米国がただ乗りするのは、断じて認められない。 この主張は、1930年代でも説得力を持つのではないでしょうか。「自分の親兄弟が血を流して手に入れた満蒙の利権を、米国にただでくれてやるのか。親兄弟が流した血を何と考える。日清日露の英霊に申し訳が立つと思っているのか。」このように声高に主張されたら、世論はどう動くでしょうか。こういったときに冷静に考えて、それでも油田開発のためには、米国の協力は必要不可欠であるとして、日米共同の油田開発という決断ができるとは、私には思いづらいです。 それに、油田を共同開発することに、陸海軍部は賛成するでしょうか。現在でも、大慶油田の正確な位置を中国は重要な資源地帯であること等を理由に公表していなかったと思います。油田を共同開発するということは、油田の位置や産出量、油質といった情報が、米国にも判明することになります。せっかく、自前で原油を確保できそうなのに、日米共同で大慶油田を開発すると言うことは、米国に相変わらず原油の首根っこを抑えつづけられることになるのです。陸海軍部が、油田の共同開発に賛成するとは、私には考えづらいのですが。いかがなものでしょうか。 確かに、油田を日米で共同開発したほうが、究極的には日本にとっては有利です。しかし、南満州鉄道の日米共同経営が流産した経緯から考えると、極めて可能性が低い話のように思われます。 |
満州(朝鮮)ていう所はその当時電力事情はかなり良いので、電力問題につい ては無視すべき問題です。 また、海軍の製油技術能力が当時日本で1番だった一般に流布されていますが、 本当の所は、どうだったのかな?と最近考えています。少なくとも技術的指向性 を考えると、陸軍、民間の方が正しかったような気がします。南方の含ロウ原油 に対してさえ、悲鳴をあげていたのですから、高オクタン燃料の製造は日本では 無理です。アメリカからの技術導入ですか、ひょっとすると海軍の反対で駄目か もしれません。史実でフードリーの接触分解法導入が出来なかったのは、何より も海軍の反対を説得するために時間を費やしてしまったせいなのですから。 |
満州の利権は米国に少し分けてやっても別に問題はありません。くれてやりましょう。そのかわり米国には関税を下げてもらうなどして米国内で日本企業が商売させてもらうことを認めてもらうことにしましょう。市場としては米国の方が何倍も魅力的です。それに米国の利権を満州に作ってやればソ連も迂闊にちょっかい出してこれませんでしょうし。 |
>クリスティー様 成る程、日本の都合を見れば南進論等無用ですね。 中国から撤兵が成れば至れり尽くせりです。 陸軍内での意見の食い違いを考慮すれば難しいとは思いますが。 >山家様 おっしゃる通り、満州の利権を米国と分け合おうとすれば当然反対派が出てきます。 当然日露戦争直後と同じ様に「日本が血で購った権利に、米国がただ乗りするのは、断じて認められない。」思うのは至極当然の流れですが、日露戦争直後と1930年代では少々周りの環境が違います。 まず、経済の停滞が日露戦争直後と比べて顕著です。 日露戦争直後は大きな負債が重荷になっていますが、英国とは同盟関係にあるし、重工業が本格的に発達しはじめたりとあまり悲観する必要はありません。 輸入出では赤字で、工業を回す動脈である石油を買う外貨にいずれ困る事は分かりきっ ていました。いったん外貨も石油も尽きれば一気に工場閉鎖、失業者の増大、購買力の低下、倒産/破産が相次ぐ、初めにもどるの悪循環が始まります。 こうした現実を見据えれば当時でも米国との提携はやむを得ないと考える人も出てくるのではないでしょうか。 しかし鉄鋼業の生産量を見れば右上がりなので、終戦後の改革が無くても石油の供給源さえ保たれていれば日本が重工業国として発達する可能性は高かったかもしれませんね。 >alphabette様 私も満州に特別に大きな望みをかける必要も無いと思います。 結果論から見れば満州を維持する為に余りに多くの費用(軍事費)がかかる上に、国際的に孤立してしまい、ますます また、戦後の日本が満州とも朝鮮とも中国とも関係なく大きく経済的に発展した事からも言えます。 しかし、市場としては米国としては疑問を持たざるにはいられません。 確かに米国は当時最も成熟した社会で購買力も大きく、市場としては魅力です。 ですが、果たして当時の日本が国際的に競争力を持った商品がありましたでしょうか。 唯一の武器が綿製品でしたが、先のレスに述べたように1930年代後半以後、米国での人造繊維(ナイロン等)の成功をきっかけに急速に赤字になります。 重工業が発達するのはまだまだ先の話。唯一の武器といえば安価な労働力でしょうか。しかし、米国では既に食品でも家電でも機械でも大量生産する基盤が出来あがっているので、New Dealで価格が安定した後も十分安価だったと言えるでしょう。関税が下がっても輸送費も考慮すれば米国製品と比べてもある程度の価格の上昇は避けられません。 市場が解放されていても商品が売れるかどうかはまた別の問題です。 |
訂正します。 「輸入出では赤字云々」の前に「1930年代は」を付け加えて下さい。 それにしても時間がかかった割には自分で読み返しても読み辛い文ですね。 もう少し日本語を勉強しなくてはいけませんね。 |
架空の話しなので、最終的には、可能性をどう考えていくか、の判断になってきますが。 満州事変以前に、石橋湛山の「満蒙放棄論」は、発表されていましたが、実際には、日本は満州事変から太平洋戦争へと突き進んでいきました。そして、満州事変の際、柳条湖での満鉄爆破から朝鮮軍の独断越境、錦州爆撃、熱河侵攻等々と現地軍の独断専行は目に余るものでした。しかし、当時の日本の世論は、現地軍の独断専行に好意的で、国際連盟脱退さえ是認しました。 このような状況の後で、大慶油田が発見されたとして、米国との油田の共同開発を誰が主張し、また賛同が得られるだろうか、と暗い判断をせざるを得ないのです。この前に書きましたが、南満州鉄道の共同経営は、桂首相が賛成し、伊藤、井上の両元老がバックアップするという状況であり、まだシヴィリアンコントロールが効いていた状況です。それでも、小村外相らの大反対で、締結済みの仮協定は破棄されました。 1930年代の日本経済が良好といえないのは事実で、日米共同の油田開発を主張する人が出てくるとは思います。しかし、それが世論の賛同を得られるか、というと南満州鉄道の共同経営破棄の経緯や当時の状況からして、無理なのではないでしょうか。 また、米国は、上記のような事情の中で、積極的に油田開発に乗り出すでしょうか。かつて煮え湯を飲まされたことがあるのです。百歩譲って、日本が米国に共同開発を呼びかけても、勝手に日本に協定を破棄されるのではないか、政府が認めても、現地軍が多大な妨害を行い、利益が上がらないのではないか、それに日本海軍の燃料不足解消に繋がる、と警戒して、油田の共同開発を行おうとしない可能性が極めて高いと思われます。 |
油田開発自体は日本独力でも可能です。アメリカの助けは必要ありません。 石油精製においても熱分解の技術は行なわれていますので、重油、軽油、 灯油、そして自動車ガソリンまでは充分に自給可能です。というよりも、 輸出も充分可能だったでしょう。大慶油田はそれだけの規模のものです。 これを、石油メジャーが許すのか?これが1番の問題です。 大慶油田を開発することにより、昭和14年から始まった石炭飢饉による慢 性的なエネルギー不足、これをクリアー出来るのですから、日本の工業化 はいっそう加速を増したでしょう。また、石油輸入に費やされる外貨、こ れがいらなくなる事により。欧米から技術、プラント、原材料どれだけ楽 に輸入できる事か。 しかし、これも中国と本格的に事をかまえる事より、全ては成立しえない と思われます。 |
最近もネット環境から離れていまして、レスが遅れ、申し訳ありません。 私も、可能性をどう考えていくか、という話だと思います。 > 満州事変以前に、石橋湛山の「満蒙放棄論」は、発表されていましたが、実際には、日本は満州事変から太平洋戦争へと突き進んでいきました。そして、満州事変の際、柳条湖での満鉄爆破から朝鮮軍の独断越境、錦州爆撃、熱河侵攻等々と現地軍の独断専行は目に余るものでした。しかし、当時の日本の世論は、現地軍の独断専行に好意的で、国際連盟脱退さえ是認しました。 皆様のご意見も拝見し、色々考えましたが、(特に日本の)世論は、つまるところ「景気 のよいこと」を好むと思います。それは、例えば現在の不況化において、我が国のナショ ナリズムが以前より強くなってきていること(例えば新聞に「国益」の二文字が現れる頻度 を見ても、感じられることですし、日本人としてのアイデンティティを問う書籍の発刊 頻度も、5年、10年前とは比較にならないものと考えます)。 そして、「国内の不満を外に向けるため」の国威高揚、また、その発展系としての戦争 政策があることは、近代史の多くの事例が物語っているように思います。単純に事例と して挙げるのは、軽率かもしれませんが、例えば2・26事件の原因は、不況から「東北の 自身の妹たちが身を売る」ような状況に、青年将校たちが義憤をおぼえたことも、一因 と記憶しております。 何が言いたいのかと言えば「経済的な不況が、攻撃的政策を生む」ということです。 満州事変から太平洋戦争に至る経緯は、ある側面から見た場合には、不況を解消 する「景気のいい政策」ではないでしょうか。現地軍の独断専行も、それが許される 世論も、閉塞状況にある当時の経済状況が、その土壌を作っていたのではないでし ょうか。そして、多くの日本人にとって「現在の生活に不安がない(=衣食住に困ら ない)」のであれば、過激な意見は必要とされず、そうした主張をされる人の意見にも、 耳を傾けられないものと思います。 そうした日本人の国民性の根幹が、半世紀で変わってしまうとは思えません。日本人 は、世間のムードに流されやすく、また「和をもって尊しとなす」民族だと思います (例えば細川・小泉両総理と、近衛総理への期待、同質のものだと思えます)。 言いたいことは、「世論は、経済状況次第で変化する」ということです。 油田発見による、米国の態度次第でしょうが、共同開発による日本の経済的メリット (雇用が生まれるとか、米国技術が導入されて、生活環境が改善されるなど)が提示され、 成果を挙げたなら、反米ムードは軽減するのではないかと思います。 米国が日本海軍の燃料問題の解消や、国際的な信用度から、開発に手を貸さないの ではないか、というご意見ですが、むしろ逆ではないかと。 「日本が独自開発し、エネルギー問題を解消した上に、安価な燃料を輸出」される よりも、共同開発することで、コントロール化に置いたほうが、メリットがあると 判断するのではないかと思います(FSX計画の推移などから見ても、そういうことを 考える国ではないかと。また、日本軍が豊富な燃料を得た場合ですが、そのことが、 どれほど米英の脅威になるのでしょうか)。 また、メリットがあると判断すれば、米国は日本国内の反米感情を和らげる政策を 取るのではないかと思います。例えば、移民規制・人種差別に対し、緩和する政策を 取っただけでも、日本国内の反米ムードは大幅に改善されるでしょう(そして敵意が ない、と考える国に対しては、どこまでも評価が甘いのが、我が国ではないかと 思います)。また、日本をコントロール下に置かないことは、追々日本からドイツ・ イタリアに石油輸出が行われる可能性なども生まれてくるでしょうし、そうした反米 産油国の存在は、米国にとって、いささか都合が悪いのではないでしょうか。 さらに言うなら、戦前において、日本国内では反共世論が強かったそうであり、 「油田獲得に対して加えられるであろう、ソ連の軍事的圧力に対抗するためにも、 米国との提携が必要」という声が生まれる可能性もありえるように思います。 確たる根拠・時期などは示せず、申し訳ないのですが、満州事変直後に油田が 発見されたなら、その後数年間に起こりえる可能性としては、大まかに (1)米国が日本をコントロール下に置こうとする可能性:60% (2)日本が米国との共同開発を承諾する可能性:40% ぐらいではないかと思うのですが。もちろん(1)は、共同開発以外の政策も含んでの 数値です。そして、(2)に進んだ場合、ソ連の軍事的脅威や、米国の核装備の時期にも よりますが、1940〜50年代に、日米同盟成立の可能性もあるかと思います(油田開発の イニシアティブを巡って対立し、日米決裂→開戦の確率よりは高いでしょう)。 その場合、満州国は穏やかに独立国として承認されることもありえると思います。 人為的に作られた国ではありますが、戦後米ソが作った国々みたいなものでしょう。 |
いろいろ調べているうちに、私自身混乱し(このあたり、イデオロギーがかなり絡んできて、どのあたりが正しいか、見極めにくい)、すっかり時期に遅れてしまいました。私の頭の中の記憶と理解で書いていますので、間違っていたら、本当にすいません。 桂首相とハリマンが締結した満鉄の共同経営の仮協定ですが、私の見る限り、日本の苦しい財政状況に鑑み、資本の半分を出し、鉄道技術も提供し(満鉄は標準軌にする予定ですから、日本の狭軌鉄道をそのまま使えません)、いざという際の日本軍の輸送を優先させることも認める、というこれ程の好条件はないのでは、と思われる内容です。 また、満州事変の際の、リットン調査団が提出し、国際連盟総会で、日本のみが反対した解決案にしても、日本が侵略したのを認めさえすれば、中国の名目上の領有権は認めるが、大幅な自治を認めた国際管理状態に満州を置き、もちろん、日本の権益はそのまま認め、自治政府に日本人が大幅に加わることも認めるという解決案でした。これは、私にとって、かなり日本に譲歩した解決案のように思われてなりません。 しかし、いずれも日本は拒否しました。これらから見る限り、油田を日米共同で開発するというのは、可能性の高い話しなのでしょうか。日本は満蒙に外国の手が入ることを、絶対に認めないように思われてなりません。 また、米国は、日本が満州事変の際に侵略したというのを、認めさせようとするのではないでしょうか。当時、国際連盟総会は、そう認定していました。国際世論が侵略だといっている行為によって、手に入れた油田利権に、そのまま手を出すことは、日本の行為は侵略でないことを是認するように思われないでしょうか。米国は、それを思うと、侵略行為であることを認めさせるのでは、と思われてなりません。従って、日本の行為は侵略でない(今でもそう主張される方がおられるようですが)、という立場を日本がとる限り、油田の共同開発の可能性は無いように思われてなりません。 |
大変興味深い情報、ありがとうございます。仰る通り無理かもしれませんね。 > 桂首相とハリマンが締結した満鉄の共同経営の仮協定ですが、私の見る限り、日本の苦しい財政状況に鑑み、資本の半分を出し、鉄道技術も提供し(満鉄は標準軌にする予定ですから、日本の狭軌鉄道をそのまま使えません)、いざという際の日本軍の輸送を優先させることも認める、というこれ程の好条件はないのでは、と思われる内容です。 日米共同開発があるとしたら、この時点で満鉄を共同経営した後で、 油田が発見されたなら、というケースでしょうか。 この時点での満鉄共同経営は、成立した可能性もあると思うのですが。 |
まず、最初にお詫びと訂正から。 その後、ネット検索をやり直していたところ、岡崎久彦氏の「百年の遺産ー日本近代外交史(26)」というHP(http://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/hyakuisan26.html)を見つけました。これによると、ハリマンの提案の内容ですが、鉄道の所有権は半々とするが、日本は現物出資なので、お金は掛からず、軍事使用の場合は、日本に特権を認めるものでした。どうも、間違った書き込みをしてしまったようで、本当にすいませんでした。 > 日米共同開発があるとしたら、この時点で満鉄を共同経営した後で、 > 油田が発見されたなら、というケースでしょうか。 > この時点での満鉄共同経営は、成立した可能性もあると思うのですが。 調べていくうちに、私ものめりこんでしまい、前回の書き込みの後、何とか満鉄共同経営案について、まとまった書籍資料は無いか、と探しているのですが、中々これという書籍を見つけられずにいます。従って、以下は、上記のHPや他の複数のHPをあらためて読み比べた上での私の考えです。 この時点での満鉄共同経営は、既に仮協定を締結していたこともあり、後一歩で成立するところだったと思います。私としては、このとき桂首相はもう仮協定を締結してしまったことから、小村外相等の反対を迎え込んで、満鉄の共同経営を推し進めるべきだったと思われてなりません。おそらく、日比谷暴動事件等から、ここで満鉄の共同経営受け入れを発表すると、更に世論が沸騰すると考えて、小村外相等の反対を受け入れたのでしょうが、この共同経営案拒否は、その後に大きな禍を引き起こす要因の1つとなったと思われるからです。 この共同経営案拒否は、米国民の反日感情を高める要因となり(もし、中国首相自らトヨタ自動車との合弁企業の設立・経営に賛成し、仮協定まで締結した後で、違約金も何も無しで、仮協定を中国政府が一方的に破棄したら、反中感情が日本国民に起きるでしょう。それに近いことをやったわけです)、排日移民法が州議会でこの後可決されるようになります。そのため、日本の移民は、韓国、満州をより一層目指すようになり、韓国、中国に反日感情を高め、韓国併合、満州事変への路が開かれるようになったと思われるからです。 このとき共同経営を行っていたら、排日移民法の可決も史実より大きく異なったのではないでしょうか。米国への日本人移民は史実よりも増大し、韓国は保護国にはなるでしょうが、植民地になることはなく(米国は韓国の保護国化には賛成でしたが、植民地化には反対でした)、辛亥革命やロシア革命を経て、満州は、中国領ではあるものの事実上日米共同管理地帯になると思われます。そして排日移民の問題からくる反米感情が、日本国内に広まることも無く、日米関係は良好のまま推移すると思われます。 そうなっていたら、米国の技術により、1930年代には、大慶油田も発見・開発されていたのではないでしょうか。もし、そうなっていたら、WWIIがどうなっていたか。日本は、連合国として、米国と肩を並べて、独と戦っていたかもしれません。 どうも、本題からかなり外れてしまい、すいません。 |
内容をよく吟味してから、返信しようと思い、返信が遅れておりました。 こんなに詳しく調べて頂き、ありがとうございます。 歴史のイフとは本当に難しいですね。山家さまの言われることには、 特に異論はありません。もし、1930年代に日米共同での油田開発が実現 していたなら、世界恐慌からの影響も少なくなるか……とも考えたのですが、 それが独伊にプラスとなるとも思えないので、第二次世界大戦はおそらく 避けられなかったでしょうね。その場合、WW2とは、欧州の限定戦争に 留まっていたかもしれません。 しかし、日本抜きの枢軸という仮定で、独伊の戦争計画は変わったかと 考えると、それは私の手に余るイフですね。 |