Page 116 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼もし旅順封鎖に成功していたら? tac 02/11/18(月) 0:33 ┣Re:もし旅順封鎖に成功していたら? 霞 02/11/18(月) 17:36 ┃ ┗旅順封鎖に成功していたら逆に行動の制限が増えたのでは? TAKA 02/11/18(月) 21:53 ┃ ┗Re:旅順封鎖に成功していたら逆に行動の制限が増えたのでは? 霞 02/11/20(水) 14:36 ┃ ┣Re:旅順封鎖に成功していたら逆に行動の制限が増えたのでは? 勝井 02/11/20(水) 15:37 ┃ ┃ ┗Re:旅順封鎖に成功していたら逆に行動の制限が増えたのでは? まなかじ 02/11/20(水) 23:35 ┃ ┃ ┗Re:旅順封鎖に成功していたら逆に行動の制限が増えたのでは? 勝井 02/11/21(木) 3:10 ┃ ┗Re:旅順封鎖に成功していたら逆に行動の制限が増えたのでは? まなかじ 02/11/21(木) 0:39 ┃ ┗Re:旅順封鎖に成功していたら逆に行動の制限が増えたのでは? 霞 02/11/21(木) 1:06 ┃ ┗旅順の価値 山家 02/11/21(木) 21:17 ┃ ┣旅順要塞の価値の根元は「旅順艦隊」に有り? TAKA 02/11/22(金) 13:01 ┃ ┗Re:旅順の価値 まなかじ 02/11/23(土) 0:08 ┃ ┗私の今の考え 山家 02/11/27(水) 22:29 ┃ ┗Re:私の今の考え SUDO 02/11/28(木) 15:02 ┃ ┗Re:私の今の考え 山家 02/11/28(木) 21:47 ┃ ┗Re:私の今の考え SUDO 02/11/29(金) 12:13 ┣Re:もし旅順封鎖に成功していたら? sinn 02/11/19(火) 1:56 ┃ ┗Re:もし旅順封鎖に成功していたら? tac 02/11/19(火) 11:26 ┃ ┣Re:旅順封鎖には連合艦隊の監視が必要 TAKA 02/11/19(火) 12:14 ┃ ┗Re:もし旅順封鎖に成功していたら? sinn 02/11/19(火) 23:54 ┣あんまり変わらないと思います まなかじ 02/11/19(火) 22:30 ┃ ┣旅順封鎖が成功していたら 山家 02/11/20(水) 19:30 ┃ ┃ ┣Re:旅順封鎖が成功していたら 霞 02/11/20(水) 20:29 ┃ ┃ ┃ ┗Re:旅順封鎖が成功していたら 山家 02/11/20(水) 21:33 ┃ ┃ ┃ ┗Re:旅順封鎖が成功していたら 霞 02/11/21(木) 1:15 ┃ ┃ ┗Re:旅順封鎖が成功していたら まなかじ 02/11/21(木) 0:23 ┃ ┗若干訂正 まなかじ 02/11/20(水) 23:02 ┗疑問 tac 02/11/22(金) 14:45 ┣は?! sinn 02/11/22(金) 16:30 ┣Re:疑問 まなかじ 02/11/23(土) 0:23 ┗Re:疑問 tac 02/11/23(土) 3:14 ┣Re:疑問 SUDO 02/11/25(月) 8:03 ┗Re:疑問 sinn 02/11/26(火) 21:23 ─────────────────────────────────────── ■題名 : もし旅順封鎖に成功していたら? ■名前 : tac ■日付 : 02/11/18(月) 0:33 -------------------------------------------------------------------------
もし日露戦争初期、旅順港封鎖に成功していたら、その後の戦争の推移はどうなっていたでしょうかね? #なお封鎖成功がいつかは考えません。もし第一回で成功していれば、当然「軍神広瀬中佐」も存在しなくなりますが、それはお好みで(^_^;) |
> もし日露戦争初期、旅順港封鎖に成功していたら、 >その後の戦争の推移はどうなっていたでしょうかね? > > #なお封鎖成功がいつかは考えません。もし第一回で成功していれば、当然「軍神広瀬中佐」も存在しなくなりますが、それはお好みで(^_^;) 史実と同じく乃木第三軍は旅順要塞攻略戦に臨むことになります。 第三軍に与えられた任務は旅順要塞を攻略し、 大連を基地とする陸軍の後方地域を安全にする事なのですから、 閉塞作戦の成否はあまり関係がありません。 |
歴史のIFの話ですが、旅順封鎖に成功していてその状況を継続させることが 出来たのならば、多分帝国陸海軍の行動は非常に難しくなっていたでしょう。 基本的には、帝国海軍は「旅順艦隊の行動に制約を加え、本土と大陸間の シーレーンを確保する」「その上あわよくば旅順艦隊を撃滅する」 と言うのが第一の戦略目標の筈です。 又帝国陸軍は「満州(遼陽)でロシア主力軍と決戦・撃滅する」というのが 基本的戦略目標な筈です。帝国陸軍にとり旅順要塞は絶対攻略の目標では ありませんでした。その証拠に旅順に対し児玉源太郎大将は「封鎖用の 竹の本数でも数えていれば良い」という冗談?に使いコメントを 使用しています。 つまり帝国陸軍にとり旅順要塞は封鎖すべき対象であり、帝国海軍にとっても 旅順艦隊は撃滅できればベスト、最悪でも封鎖できればOKという存在であったと 言う事が出来ます。しかし連合艦隊での旅順艦隊誘引には失敗していますし 艦船での旅順要塞攻略は要塞砲の頑強さと「艦対陸の闘いは陸が有利」という この当時のセオリーから考え困難でしょう。又封鎖では潜在的な旅順艦隊の 脅威は取り除けず、連合艦隊は背後を封鎖を突破した旅順艦隊に脅かされる 恐怖から抜けられず行動に制限を受けることになります。 その為に海軍は陸軍に旅順要塞攻略を要請し、陸軍は4個師団の戦力を 最終的に旅順要塞に投入することになります。 上記から考え歴史のIFとして二つの考えが出来ます。 (1)黄海海戦でロシア旅順艦隊を撃滅できた場合。 (2)旅順艦隊撃滅には失敗したが、旅順港封鎖には成功し継続できた場合。 (1)の場合は、連合艦隊は背後を気にせず行動可能になり、行動のフリーハンド を得ることになります。又陸軍も第3軍に投入した4個師団の内半分を旅順要塞 封鎖に使用したとしても、残り2個師団がフリーハンドになります。 その場合2個師団を持って遼陽でロシア主力軍を包囲撃滅することも可能 だったかもしれませんし、当初計画通りロシアウスリー州で支作戦を実施する ことも可能だったでしょう。又北樺太で作戦を実施することも出来たでしょう。 これらのメリットも捨てがたいです。 しかし(2)の場合は連合艦隊は旅順艦隊の亡霊から解放されず、最終的に 旅順艦隊の為の旅順要塞攻略は避けて通れなかったでしょう。そうすると 戦略的には史実と変わらなくなります。 こう考えると旅順艦隊撃滅が出来ていれば、帝国陸軍の選択肢は増えていたことは 間違い有りません。但し「旅順要塞攻略」によって帝国陸軍が得た名声がその後の 歴史上に与えた影響は無視できません。 又旅順艦隊撃滅で帝国陸軍が得た選択肢を最大限に利用すれば、ロシア帝国領土に 侵略可能になり、ロシア帝国領土には一歩も踏み込めなかった事による 講和条約の不利も無かったかもしれません。 しかし同時に旅順要塞攻略後にフリーハンドになった第3軍を最大限に利用して 辛うじて買った奉天会戦の時に第3軍の兵力を使用できなかったら最後の最後で 敗北していたかもしれません。何せ2個師団近い戦力が遊兵として旅順正面に 拘束されていたのですから・・・ 此処まで来るとどうなっていたかは分からないと言うのが実情でしょう。 しかし最終的には旅順を封鎖に留めておくことによる行動の制約が最後の決定的 時点で噴出してくるような気がします。 どちらにしろ帝国陸軍には兵力が不足していたのは事実です。後2〜3個師団 有ればもっと上手く戦えたでしょうが、あれが日本の限界の国力での闘いで あって、ベストを尽くした結果なのですから・・・ |
> つまり帝国陸軍にとり旅順要塞は封鎖すべき対象であり、帝国海軍にとっても > 旅順艦隊は撃滅できればベスト、最悪でも封鎖できればOKという存在であったと > 言う事が出来ます。しかし連合艦隊での旅順艦隊誘引には失敗していますし > 艦船での旅順要塞攻略は要塞砲の頑強さと「艦対陸の闘いは陸が有利」という > この当時のセオリーから考え困難でしょう。又封鎖では潜在的な旅順艦隊の > 脅威は取り除けず、連合艦隊は背後を封鎖を突破した旅順艦隊に脅かされる > 恐怖から抜けられず行動に制限を受けることになります。 > その為に海軍は陸軍に旅順要塞攻略を要請し、陸軍は4個師団の戦力を > 最終的に旅順要塞に投入することになります。 > > 上記から考え歴史のIFとして二つの考えが出来ます。 > (1)黄海海戦でロシア旅順艦隊を撃滅できた場合。 > (2)旅順艦隊撃滅には失敗したが、旅順港封鎖には成功し継続できた場合。 > > (1)の場合は、連合艦隊は背後を気にせず行動可能になり、行動のフリーハンド > を得ることになります。又陸軍も第3軍に投入した4個師団の内半分を旅順要塞 > 封鎖に使用したとしても、残り2個師団がフリーハンドになります。 黄海海戦が起こった八月上旬ではすでに乃木第三軍は遼東半島各地で ロシア軍によって陣地化された高地を奪取しつつ着々と包囲体制を敷きつつありました。 (この間の損害は確か8000人を超えたはずです。) 海戦前日にはすでに旅順市街地へ大口径重砲弾を撃ち込んだりしています。 要塞攻略計画に関してはすでに第三軍司令部が内地にいるころから研究が行われ、 大口径重砲を集中させた攻城砲兵司令部も編成されていました。 黄海海戦の段階では少々遅すぎたのではないのか、 ロシア艦隊撃滅が確認されてもそのまま第三軍は要塞攻略に入るのではないか というのが僕の考えです。 |
> ロシア艦隊撃滅が確認されてもそのまま第三軍は要塞攻略に入るのではないか > というのが僕の考えです。 同感ですね。 「歴史群像」の説ですが、旅順攻略第一次総攻撃が失敗した時点で 旅順は日露戦争のキーポイントのごとく対外的に認識されてしまい、 日本軍としては何が何でも力で落とさねばならなくなった、とあります。 戦費を海外に頼らねばならなかった当時の情勢から考えれば 十分に納得できる話です。 |
> > ロシア艦隊撃滅が確認されてもそのまま第三軍は要塞攻略に入るのではないか > > というのが僕の考えです。 > > 同感ですね。 > 「歴史群像」の説ですが、旅順攻略第一次総攻撃が失敗した時点で > 旅順は日露戦争のキーポイントのごとく対外的に認識されてしまい、 > 日本軍としては何が何でも力で落とさねばならなくなった、とあります。 それは正しいのでは? 現実として旅順艦隊の主力はツェザレヴィッチと、それより前に触雷で沈没したペトロパヴロフスクを除いて健在で、まだポルタワ、セバストーポリ、レトヴィザン、ポベーダ、ペレスウェート、バヤーンが浮いているわけですな。 日本は三笠、朝日、敷島、富士がいて、戦艦戦力ではほぼ拮抗と見てもいいでしょう。 装甲巡洋艦では八雲、出雲、磐手、浅間、常盤、吾妻、日進、春日と8倍の戦力がありますが、ウラジオストックにはロシア、ボガツイリ、グロムボイの3隻がいますね。(リューリックは史実どおり尉山で沈めることができたとします) これに第2・第3太平洋艦隊が第1に合流したとすれば、日本戦艦に匹敵する新型戦艦がボロジノ級4隻を加えて5隻、16ノットクラスのやや旧式な戦艦がナヴァリン、シソイ・ヴェリーキーを加えて4隻、24cm砲の軽戦艦がペレスウェート級揃い踏みで3隻、扶桑と鎮遠よりましな海防戦艦がウシャコフ級とニコライ1世を加えて4隻、装甲巡洋艦もナヒモフが加わって合計5隻、まだ防護巡洋艦と駆逐艦、水雷艇の数では日本優位ですが、とても対抗できるものではありません。 旅順が落ちなければ、連合艦隊はこれだけの戦力を相手に戦わねばならないわけですね。 こと海上戦に関する限り、旅順要塞が落ちるかどうかは死活問題であり、海上戦の敗北は日本にとって補給路の断絶を意味しますから、それが奉天だろうと鉄嶺だろうと四平街だろうと決戦どころの話ではなくなります。 |
言葉が足りなかったようですみません。 歴史群像の説は、第1次総攻撃の失敗で それまではさほど対外的に注目されてなかった旅順がクローズアップされてしまい、 封鎖して後回しにするとかいった手段が使えなくなってしまった。 なにはさておき正面から堂々と力で落とすしかなくなった、というものです。 |
> 黄海海戦が起こった八月上旬ではすでに乃木第三軍は遼東半島各地で > ロシア軍によって陣地化された高地を奪取しつつ着々と包囲体制を敷きつつありました。 > (この間の損害は確か8000人を超えたはずです。) > 海戦前日にはすでに旅順市街地へ大口径重砲弾を撃ち込んだりしています。 > 要塞攻略計画に関してはすでに第三軍司令部が内地にいるころから研究が行われ、 > 大口径重砲を集中させた攻城砲兵司令部も編成されていました。 > 黄海海戦の段階では少々遅すぎたのではないのか、 > ロシア艦隊撃滅が確認されてもそのまま第三軍は要塞攻略に入るのではないか > というのが僕の考えです。 日露戦時の陸軍はまさに猫の手も借りたい状態でしたから、旅順艦隊の撃滅が確認されれば、第三軍から二個師団の引き抜きくらいは平気でやるのではないかと思います。 要塞攻略の準備を整えるのは任務上当然のことで、とくにまだ総攻撃失敗による面子問題も発生しておらず、本来の目的が達成されたからには、準備をしたからといってやらなければならないというものでもないでしょう。 というか、この場合、乃木を司令官に据えたという人事は最良の結果となったかもしれませんよ(笑 |
> 日露戦時の陸軍はまさに猫の手も借りたい状態でしたから、 >旅順艦隊の撃滅が確認されれば、第三軍から二個師団の引き抜きくらいは >平気でやるのではないかと思います。 >要塞攻略の準備を整えるのは任務上当然のことで、 >とくにまだ総攻撃失敗による面子問題も発生しておらず、 >本来の目的が達成されたからには、準備をしたからといってやらなければならない >というものでもないでしょう。 速やかに旅順を攻略し、もって第二軍の後方を安全にするという第三軍の任務の中に、 要塞守備隊はどのくらいの位置を占めていたのか僕にはちょっと分かりません。 やはり封鎖で充分、という戦前の意識が強かったのでしょうか? >というか、この場合、乃木を司令官に据えたという人事は >最良の結果となったかもしれませんよ(笑 ・・・乃木愚将論、どのくらいまで本当でしょうか? どうも質問ばかりですみません。 |
どこにつなぐか迷ったのですが、ここにしました。 旅順の価値ですが、艦隊の価値と要塞の価値に分けて考え、更に陸軍の意識と海軍の意識について考えるのが、私としては、無難なのではないか、と思われます。旅順艦隊の価値ですが、まなかじさまが言われているように、旅順艦隊とバルチック艦隊が合流すれば、日本艦隊を圧倒できます。従って、旅順艦隊とバルチック艦隊の合流は、日本海軍にとって、絶対に阻止せねばならないことでした。従って、日本海軍は旅順艦隊に対する意識はかなり強烈なものがあったように思われます。一方、日本陸軍にしてみれば、海上補給路の確保は海軍に任せて、満州平野での露陸軍との決戦に専念するというのが、基本的な考えです。満州平野での決戦を行おうとするならば、それと全く逆方向にある旅順要塞など少しでも少ない兵力で封鎖するに止めたいというのが、日露開戦前から、日本海軍の旅順要塞攻略要請を受けるまでの日本陸軍の意識でした。ところが、海軍の旅順要塞攻略要請を受け、実際に要塞攻略に取り掛かったところ、大損害を陸軍は受けてしまい、世界で日本の評価が下落する事態を引き起こしてしまいます。こうなると、陸軍は面子を掛けて、旅順要塞を攻略する必要が出てきます。実際、旅順要塞が陥落したというニュースは、日本の評価を上昇させ、ロシアの評価を下落させたのです。前に書きましたが、旅順要塞攻略作戦を一度発動して大損害を受けた結果、陸軍は旅順要塞を何としても陥落させる必要が出てきたのです。従って、旅順艦隊の封鎖が早期に成功していれば、海軍は旅順要塞の攻略を陸軍に要請せず、陸軍は開戦前の計画通り、旅順要塞を南山で封鎖するに止めるのではないでしょうか。 乃木将軍の評価ですが、私としてはWWIの欧米の将軍の戦績から考える限り、世界的に見て、平均以上の将軍と評価しています。以前Ans.Qで叱られましたが、WWIIのセヴァストポリ要塞攻略の際、ドイツ軍もマンシュタイン元帥の指揮のもと第1回総攻撃の際に歩兵による強襲作戦を実行しています。1度、強襲作戦に失敗した後、乃木将軍は、工兵による坑道作戦に切り替え、要塞攻略作戦を遂行しています。白襷隊等の斬り込みを行っているのでは、と疑問をもたれる方もおられると思いますが、私の調べた限りでは、それは海軍等が旅順要塞の早期攻略を迫ったからで、それを乃木将軍の責任に帰すのは、どうにも躊躇われます。ただ、他の黒木、奥、野津将軍等の戦績と比較すると見劣りするのも事実で、それで、不当に愚将呼ばわりされているように私には思われます。 ところで、まなかじさまやTAKAさま等の書き込みを読む限りでは、閉塞船の引き揚げは旅順にいるロシア海軍によって容易に行えるようにも思えるのですが、私としては、そう容易に閉塞船の引き揚げは行えるものなのだろうか、と疑問に思われてなりません。佐世保港内で爆沈した三笠1隻を引き揚げるのに、日本海軍は総力を傾けましたが、1年近く掛かっています。南山付近の封鎖により補給が途絶した状態で何隻も沈んでいる閉塞船を引き揚げて除去するというのは、極めて困難なことではないでしょうか。また、カムラン湾をバルチック艦隊の根拠地にするというのは、当時、可能なことだったのでしょうか。当時のカムラン湾は艦船の整備施設等が無く、バルチック艦隊は長期の航海により痛んだ艦船の修復が行えなかったという話しを聞いた覚えがあるのですが。そして、カムラン湾にロシア艦隊が根拠地を置くというのは、シンガポールや香港にいる英国にとって座視できない状況に思われるのですが、いかがなものでしょうか。 大変長い書き込みをし、本当にすいません。 |
私も基本的に「旅順の価値」という点に関しては、旅順要塞に単独での 戦略的価値は乏しいと考えます。旅順要塞は基本的に旅順要塞の母港を守る為の 旅順要塞であると考えます。 もし旅順艦隊が健在で戦略的価値を発揮すれば、陸軍も大陸と本土間の シーレーンを脅かされることになりますし、出撃されて大連でも攻撃されれば 陸軍の後方根拠地が危機に瀕します。又海軍にしても、実際に恐れていた 第二太平洋艦隊(=バルチック艦隊)と合流されれば、奇跡でも起きない限り 勝算は立たないですし、ウラジオに逃げられただけで史実でウラジオ艦隊の遊撃戦的 通商破壊作戦に苦労して対応していたことを考えれば重大な脅威になります。 その様に戦略的価値の高い旅順艦隊を守る為に旅順要塞は価値が存在 したのではないでしょうか? 又旅順艦隊が撃滅された場合、旅順要塞自体にどれだけの価値が存在したかに成ると 非常に疑問です。もし旅順艦隊が撃滅されれば旅順要塞は守りは堅いが外には打って 出れない存在になります。其処で籠城戦をしても果たして戦略的意味が どれだけあるのでしょうか? 基本的に籠城戦成功のポイントは後詰めの有無です。旅順艦隊撃滅後の旅順要塞に 後詰めを考えれば、奉天・ハルピンのロシア主力野戦軍とヨーロッパから回航中の 第二太平洋艦隊になります。旅順艦隊さえ撃滅できていれば連合艦隊は史実のように ロシアの第二太平洋艦隊に対応できますし、ロシア主力野戦軍も帝国陸軍第二軍を 撃ち破らなければ旅順の後詰めは出来ません。 逆に主力野戦軍が旅順後詰めに南下して来れば、帝国陸軍にしてみれば想定の 南満州での主力野戦軍決戦の機会が発生します。 又旅順要塞を南山に陣地を作り重砲を十分に配置して1〜2個師団ぐらいの 戦力で封鎖すれば、史実で帝国陸軍第二軍が南山攻略に苦労した通り突破は困難 でしょう。逆に要塞から出てきて準備の整った陣地を攻撃してくれるのなら 旅順駐留軍の撃滅の機会が発生する可能性もあります。 以上から考えて下記の様になると考えます。 (1)旅順艦隊撃滅に早期に成功していた場合 → 旅順要塞は南山で1〜2個師団で封鎖。帝国陸軍は遼陽周辺での ロシア野戦軍との後詰め決戦に全勢力を注ぐか、其処で浮いた兵力で ロシア沿海州方面で支作戦を行い、ロシア野戦軍の分散を図り 敵の分力との決戦を行う。 連合艦隊はロシア第二太平洋艦隊との決戦に全勢力を注ぐ。 (2)旅順艦隊封鎖のみに成功した場合 → 連合艦隊は旅順艦隊牽制の任務から外れられない。又シーレーンへの 潜在的脅威も旅順艦隊消滅以外は消え去らない。 その為海軍は陸軍に旅順攻略を要請し、史実通り進む。 (3)旅順艦隊封鎖に失敗した場合 → 史実の通りであるので、史実のように旅順要塞攻略を行う。 史実では旅順要塞攻略は「世界の注目が集まった以上攻略せざる得ない」という 政治的意味合いが強い作戦に変化してきたとも言えます。ですから実質的に 旅順艦隊を撃滅状態にしても、最終的に撃滅が確認できるまでは安心できないし 打ち切る事も出来ず、又旅順要塞攻略=日本の国際的評価の向上という図式が 出来てしまったので、意地でも攻略する状況に成ってしまったと言えます。 (ここら辺は皆さんとほぼ同じ意見でしょう) 只実質的に壊滅状態に陥れれれば(=旅順要塞を攻囲して、着弾観測出来ないにしろ 28cm砲で旅順艦隊を砲撃するのも手の一つ。又観測拠点になる203高地を 限定的に攻撃占領するのも手の一つ)旅順は包囲しておくだけの方が 効率的です。何せ遼陽での勝利により実質的に後詰めは不可能になったのですし 籠城中の敵を攻撃するのは下策ですから・・・ しかし実質的には少しでも存在する旅順艦隊の脅威の亡霊と、旅順攻略の正否に 日本の国際的評価が反映されてしまうと言う政治的状況に、仕方なく下策の 攻城戦を実施することに成ってしまったとも言えるのではないでしょうか? まあ正直言って「封鎖の成功」ぐらいではIFを作る上で史実の流れを変える インパクトに乏しいでしょう。「封鎖の成功」ではなく「撃滅の成功」が 必要であったと考えます。 |
> ところで、まなかじさまやTAKAさま等の書き込みを読む限りでは、閉塞船の引き揚げは旅順にいるロシア海軍によって容易に行えるようにも思えるのですが、私としては、そう容易に閉塞船の引き揚げは行えるものなのだろうか、と疑問に思われてなりません。佐世保港内で爆沈した三笠1隻を引き揚げるのに、日本海軍は総力を傾けましたが、1年近く掛かっています。南山付近の封鎖により補給が途絶した状態で何隻も沈んでいる閉塞船を引き揚げて除去するというのは、極めて困難なことではないでしょうか。 「また使う」というつもりがなければ、水中障害物の除去に過ぎません。 三笠は引上げて「また使う」つもりであったからであり、呉で着底していた各艦艇も解体作業をしてスクラップとして「また使う」つもりがあったからです。 水深が浅いので(だからこそ船で閉塞できるわけですが)潜水夫作業も当時の技術で十分可能です。機雷の爆薬でも使って海底ごとぶっ飛ばしてしまい、動いたところでクレーン船やタグなどで適宜どかしてやればそれでよいのではないでしょうか。 > また、カムラン湾をバルチック艦隊の根拠地にするというのは、当時、可能なことだったのでしょうか。当時のカムラン湾は艦船の整備施設等が無く、バルチック艦隊は長期の航海により痛んだ艦船の修復が行えなかったという話しを聞いた覚えがあるのですが。そして、カムラン湾にロシア艦隊が根拠地を置くというのは、シンガポールや香港にいる英国にとって座視できない状況に思われるのですが、いかがなものでしょうか。 そりゃ、整備施設があるところを貸したら、フランスは日本への敵対行為に加担したことになります。 ロジェストウェンスキーが不平を鳴らしているのはお門違いもいいところで、世間知らずな人だったんですねぇとしか(笑 ただ、ロシア有利な状態であれば、フランスの在インドシナの支援艦船をロシアに譲渡するというかたちで艦隊泊地という程度の根拠地には持っていけたでしょう。 仏露はその程度には緊密な同盟関係にあり、史実のバルチック艦隊カムラン湾到着時にはロシア株の値下がりによってフランスがこれを見切って売りに出してしまう気になってしまっていたのが、支援を全く得られず、かえってフランス巡洋艦に見張られてしまったりする結果を招いたものと思われます。 また、この当時シンガポールには軍港はありません。 それこそ香港の英国支那艦隊を牽制してくれるなら、フランスには願ってもないことのように思えます。 |
まなかじさま、TAKAさま、丁寧なレスをありがとうございました。現在、WBへの接続が大変不安定なため、返事が大変遅くなってしまいました。本当にすいません。あの後、他の方々の御意見も読んで、あらためて考えたのですが。 私としては、旅順港閉塞作戦が完全に成功し、旅順艦隊の封鎖に成功していたならば、連合艦隊主力を旅順港封鎖に充てる必要は無いのでは、と思われてなりません。第2艦隊の一部位を沈没船の除去の妨害に充て、機雷を旅順港外に敷設することに務めることで、旅順艦隊は出撃不能に陥るのではないでしょうか。当時の装甲巡洋艦の主砲の射程距離は、そう戦艦の主砲の射程距離に見劣りするものではなかったと思います。戦艦等の大型艦艇が出港不能なら、わざわざ連合艦隊主力を旅順港外に貼り付ける必然性は乏しいように思われます。 旅順艦隊の作戦方針ですが。まなかじさまは史実で行われた現存艦隊主義に賛成のように思われます。しかし、私としては、マカロフ提督の作戦の方が遥かに妥当のように思われてなりません。なぜなら、南山で旅順要塞の補給路を切断された場合、旅順艦隊はバルチック艦隊来航までに補給切れにより、作戦不能に陥る可能性が極めて高いからです。旅順要塞が開城したとき、旅順にいた兵士等のほとんどは極めて重症の壊血病に掛かっていたそうです。バルチック艦隊が仮に史実より多少早めに来航しても、旅順艦隊の兵員のほとんどは壊血病により倒れ、旅順艦隊は作戦不能になっているのではないでしょうか。それに艦隊が港内に立て籠もった場合、訓練等を行うことは極めて困難になり、また、兵員に劣等感を与え、兵員の練度・士気を大いに低下させると思います。極端な話し、積極的に旅順艦隊が出撃を行い、日本海軍の戦艦・装甲巡洋艦の半数を道連れに沈んでいった方が、史実よりもましな結果をもたらしたのではないでしょうか。少々劣勢だからといって、消極的な作戦に終始していれば、北方戦争のガングート海戦でのロシア海軍の栄光は無く、北方戦争でロシアはあそこまで有利な講和条約を結ぶことはできなかったでしょう。旅順艦隊は、偉大な先輩方のように行動すべきだったように思われてなりません。 そして、バルチック艦隊がカムラン湾を根拠地とする可能性ですが。私としては、シンガポールに英艦隊がいないなら、なおさら英国はバルチック艦隊がカムラン湾を艦隊泊地にしようとすることは、中国へのシーレーンへの脅威になるとして反対しそうに思われます。それに、バルチック艦隊は戦艦の主砲弾等の補給にやはり困難を極めることになると思います。従って、やはり無理のように思われてなりません。 |
まずは時系列を見ましょう 2月 9日 ワリヤーグ 自沈 2月 9日 日本軍水雷艇旅順突撃 パルラダ ツェザレビッチ レトウィザン被雷 2月24日 第一次閉塞 3月27日 第二次閉塞 4月16日 ペトロパヴロフスク 旅順港外で触雷沈没 5月 3日 第三次閉塞 5月15日 初瀬・八島 旅順港外で触雷沈没 5月15日 吉野 春日に追突され沈没 5月31日 第三軍編成 7月27日 バヤーン 旅順港外で触雷引き返し 8月10日 黄海海戦 ツェザレビッチ逃走 8月14日 蔚山沖海戦 リューリック沈没 浦塩艦隊壊滅 8月19日 第三軍旅順攻撃開始 10月15日 バルチック艦隊リバウ出航 10月26日 第三軍第二次攻撃開始 12月 5日 ポルタワ 大破着底 12月 7日 レトウィザン ポビエダ ペレスウェート 大破着底 12月 8日 パルラダ 大破着底 12月 9日 バヤーン 大破着底 12月10日 明石 触雷大破(復帰に一月) 12月13日 高砂 触雷沈没 1月 2日 セヴァーストポリ 旅順港外で自沈 1月 3日 旅順降伏 > 私としては、旅順港閉塞作戦が完全に成功し、旅順艦隊の封鎖に成功していたならば、連合艦隊主力を旅順港封鎖に充てる必要は無いのでは、と思われてなりません。第2艦隊の一部位を沈没船の除去の妨害に充て、機雷を旅順港外に敷設することに務めることで、旅順艦隊は出撃不能に陥るのではないでしょうか。当時の装甲巡洋艦の主砲の射程距離は、そう戦艦の主砲の射程距離に見劣りするものではなかったと思います。戦艦等の大型艦艇が出港不能なら、わざわざ連合艦隊主力を旅順港外に貼り付ける必然性は乏しいように思われます。 8月半ばまでは、日本側の制海権は、浦塩艦隊の有力な巡洋艦群に妨害されてました。まずはこの点を良く理解して下さい。 第二第三艦隊の巡洋艦群はこれに対応して、浦塩艦隊追跡と、輸送路の護衛に従事していました。フリーハンドが欲しかったのは、この2Fと3Fの巡洋艦であり、1Fの戦艦は別に要らないんです。 また開戦劈頭に旅順港に水雷艇が突っ込んで最有力戦艦2隻と厄介な遠航巡洋艦を行動不能にしています。閉塞ばかりが話題になりますが、これでロシア太平洋艦隊が出撃を諦めざるを得ない状況になったと言っても良いでしょう つまり2月3月の時点では日本軍は焦る必要がなかったのです。もしロシア太平洋艦隊が戦力不十分で出てくるならそれこそ歓迎で、この時点で出撃を企図する方がどうかと思います。最悪14対5+1(バヤーン)で殴り合って勝てますか?二等以下の巡洋艦も日本側は10隻以上集まりますので、4月以降にならないとマカロフの積極行動は事実上無理です。 またバルチック艦隊の出航ですが、彼らは新造戦艦の問題で、秋にならないとどっちにしても出航できません(竣工が、ボロジノ8月、アリヨール10月 スワロフ9月です)三隻諦めるなら直ぐにでも出せますが、前年11月に完成してるアレクサンドル3世は機関トラブルが解決してませんから、たぶん出られませんので、第二太平洋艦隊は二級戦艦オスラービアと、古めのシソイヴェリキー、ナヴァリンの3隻ですな、後に出された第三太平洋艦隊の小型戦艦3隻とニコライも出しますかね? これらの艦のうち外洋で通商破壊活動を行って日本側に脅威を与えられるのは、オスラービアだけですし、1隻では2Fの装甲巡洋艦に袋にされかねないです。 また、まだ戦争序盤の状況で、東洋の小国相手に、バルト海の主力艦艇全部根こそぎで出せますか? 主としてロシア側の事情で、第二太平洋艦隊はあの陣容であの時期になったのです。 開戦劈頭においては、両軍とも焦る必要は(特にロシア側)は無かったのです。 次の一手として日本側のアクションは旅順艦隊の始末になった訳ですが、ロシア側としては主として日本周辺の制海権を獲得するべきなのかどうかという問題があります。 ロシア軍は別に、日本周辺の制海権を握る必要はありません。日本側の輸送ルートにちょっかいかけるだけで十分以上で、制海権を獲得する必要は無いのです(これは第一次・第二次大戦の英独の関係と同じ)となると、太平洋艦隊としては、ペレスウェート級とバヤーン、あとはパルラダあたりを外洋に逃がす事ができれば最高で、戦艦5隻をその逃走の支援に用いる事が望ましいと言えるでしょう(態々優勢な日本艦隊と雌雄を決するような危険を冒す必要は無い) 4隻の巡洋艦に苦しんでる状況下で、更に4隻(特にバヤーンは厄介)が外洋に散ったら日本側の輸送作戦は大騒ぎになり、それこそそうなったら1Fの戦艦は旅順前から海峡輸送ルートの護衛に投入せざるを得なるでしょう(つまり結果的に旅順を開放する事になる) マカロフの積極攻勢案は愚策なんです。あまりにも直線的でそしてそれは戦力で勝る日本側には歓迎ですらあるのです。 勿論閉塞が完全成功していれば、日本側の負担は楽になるのですが、本当に閉塞は成功してると確信できますか? 知らないうちに排除されちゃってるかもしれませんよ、つまり旅順の主要艦艇がボカチンするまでは1Fは旅順前から動けるはずは無いのです。 これは203高地が落ちて三日で戦艦が事実上全滅したのに、最後の一隻を確認するまで1Fが張り付いていたことからも理解できるでしょう(確認のためにどれだけ日本側が苦労したかも) 閉塞は、旅順艦隊出航阻止の為のひとつの手立てに過ぎず、多重に手立てを講じて、全てを用いる事が、日本軍には求められていたのです。それこそ閉塞ではなく、水雷襲撃のほうがまだ安心感は強く、そしてそれですら長期を置いたなら修理されてしまうかも知れません。旅順がどうにかなるまで、1Fは旅順を動けないのです。 |
SUDOさま、大変詳しいレスをどうもありがとうございます。 確かに大部分はおっしゃられるとおりだと思います。でも、私としては、あそこまで旅順艦隊が引きこもる必要性があったのか、というのが、どうにも引っ掛かってならないのです。戦艦はともかく、巡洋艦を積極的に出撃させるべきだったのでは、ウラジオ艦隊があそこまで第2艦隊を翻弄できたのだから、という思いがぬぐいされません。 閉塞作戦にしても、実際には当時日本の機雷の敷設能力の関係から、事実上夢物語らしいのは、重々分かってはいるのですが、機雷を史実よりも大量に敷設することで、旅順艦隊の出撃を封じられないのか、という思いがしてならないのです。 それにしても、日露戦争開戦前、陸海軍の関係は円滑なものだったのでしょうか。旅順港閉塞作戦は、米西戦争の際のサンチャゴ港閉塞作戦にヒントを得たそうです。ネット検索でしか確認できていないので、間違っていたら、本当にすいませんが、米西戦争の際、米国はサンチャゴ港閉塞後、陸上からの砲撃により、西艦隊を無力化したそうです。もし、そうなら、日本海軍は、陸軍に対し、旅順艦隊に対する陸上からの砲撃が必要であり、そのためには旅順要塞攻略が必要であることを開戦前にもっと伝えておくべきだったように、私には思われてならないのですが、やはりこれは無理な話なのでしょうか。 |
> 確かに大部分はおっしゃられるとおりだと思います。でも、私としては、あそこまで旅順艦隊が引きこもる必要性があったのか、というのが、どうにも引っ掛かってならないのです。戦艦はともかく、巡洋艦を積極的に出撃させるべきだったのでは、ウラジオ艦隊があそこまで第2艦隊を翻弄できたのだから、という思いがぬぐいされません。 巡洋艦だけで港を出たら、その場で抹殺されます。 巡洋艦の逃走を支援するには、戦艦が日本軍主力部隊を牽制できないと無理です。これが果たせないからロシア軍は篭ったのです。 また巡洋艦が外洋に脱出できても、その時に損傷を被ったら、実際に浦塩艦隊がそうであるように、無力化されます。 隙あらば脱出もあるぞと匂わせておいて、敵主力を牽制しつつ、浦塩艦隊の遊撃を間接的に支援するのが最も望ましい行動だったのは疑う余地は無いでしょう(バヤーン等が旅順に居る事は、旅順を見張る日本側艦隊戦力にも装甲巡洋艦や高速な二等巡洋艦を配する必要に繋がり、これが浦塩艦隊の行動にどれほどプラスになったでしょうか) 旅順の巡洋艦脱出は、日本側の強烈凶悪な巡洋艦戦力にフリーハンドを与える行動でもあるんですよ。 ロシア軍は日本周辺の制海権を獲得する必要は無いのです。つまり戦艦を無理に出す必要は皆無であり、日本側の制海権を妨害できれば良いのです(だから両軍の巡洋艦戦力が凄まじく開いているのです。日本軍は制海権維持のために多数の巡洋艦が必要で、ロシア軍には必要がなかったのです)そして日本軍にとって死活的に重要な巡洋艦戦力の大半をたった二隻の巡洋艦で拘束できているのですから、素晴らしい戦果と言えるのではないでしょうか? 数隻の巡洋艦戦力を浦塩艦隊に充当する変わりに、日本側の巡洋艦戦力にもフリーハンドを与えたら、浦塩艦隊4隻が6隻になる代わりに、日本側警戒行動巡洋艦の数量が倍になり、かえって不利です(しかも優秀艦にフリーハンドが・・・) ロシア太平洋艦隊がしなくてはならないのは、たまに姿を見せて脅威が健在である事を日本側に示す事で、間接的に浦塩艦隊の行動を支援する事だったのです(それがもっとも効率がよい) > 閉塞作戦にしても、実際には当時日本の機雷の敷設能力の関係から、事実上夢物語らしいのは、重々分かってはいるのですが、機雷を史実よりも大量に敷設することで、旅順艦隊の出撃を封じられないのか、という思いがしてならないのです。 これも見張りが必要なのは変わりません。機雷で撃沈できるなら兎も角、数隻を喰ったり傷つけた後は、結局引きこもって両軍にらみ合いでしょう。史実と大して変わらないですね。 > それにしても、日露戦争開戦前、陸海軍の関係は円滑なものだったのでしょうか。旅順港閉塞作戦は、米西戦争の際のサンチャゴ港閉塞作戦にヒントを得たそうです。ネット検索でしか確認できていないので、間違っていたら、本当にすいませんが、米西戦争の際、米国はサンチャゴ港閉塞後、陸上からの砲撃により、西艦隊を無力化したそうです。もし、そうなら、日本海軍は、陸軍に対し、旅順艦隊に対する陸上からの砲撃が必要であり、そのためには旅順要塞攻略が必要であることを開戦前にもっと伝えておくべきだったように、私には思われてならないのですが、やはりこれは無理な話なのでしょうか。 当初から「陸上からの砲撃が必要」と判断する根拠が私に理解できません。 旅順艦隊が行動できなくなった時点で、戦争の焦点は大陸での陸戦に移行してます。 この陸戦で勝てなくて長引いた事、せっかく第三軍の圧力で旅順艦隊が出てきたのに始末できなかった事から、陸上からの砲撃による艦隊撃滅が必要になってしまっただけであり、言うならば陸海双方の能力不足がそういった方策を強要しただけであり、戦前から陸軍は旅順は封鎖するだけで事足りると考えていた訳ですし、それが正しいのではないでしょうか? 我々はあまりにも結果からモノを見ていないでしょうか? |
ちょっと想定への疑問があります。 この「封鎖」とは、閉塞等、艦隊運用を伴わない封鎖ですか? |
> ちょっと想定への疑問があります。 > この「封鎖」とは、閉塞等、艦隊運用を伴わない封鎖ですか? ですね。廃船による閉塞、つまり開戦初頭に行われた「旅順港封鎖作戦」 が成功した場合、です。 |
> > ちょっと想定への疑問があります。 > > この「封鎖」とは、閉塞等、艦隊運用を伴わない封鎖ですか? > ですね。廃船による閉塞、つまり開戦初頭に行われた「旅順港封鎖作戦」 > が成功した場合、です。 しかし閉塞を継続させるには艦隊による牽制が必要不可欠でしょう。 閉塞する先は旅順要塞の要塞砲の射程範囲内ですから、ロシア軍の 廃船排除作業を妨害するには長距離砲での牽制作戦が必要でしょう。 そうすると必然的に戦艦もしくは装甲巡洋艦が張り付くことが 必要になると思います。 そうなってくると必然的に連合艦隊全艦隊でないにしろ、一部の艦隊は 旅順要塞の外側に張り付くことが必要になります。ですから 全面的にではないにしろ連合艦隊の艦隊運用を伴う封鎖になるでしょう。 連合艦隊の艦隊運用は旅順艦隊が消滅しない限り制約を受けることになります。 ですから「旅順港封鎖」に関しては、艦隊運用を伴わない封鎖は 非現実的であると考えます。其れこそ封鎖船を撤去され旅順艦隊に フリーハンドを与えたときの悪夢は其れこそ最悪のシナリオではないでしょうか? (まあ艦隊決戦のチャンスというとらえ方も出来ますが・・・) |
> ですね。廃船による閉塞、つまり開戦初頭に行われた「旅順港封鎖作戦」 > が成功した場合、です。 すべてはココですよね?この「成功」が・・・ 連合艦隊がフリーになり得るかどうか? つまりこの時点で、旅順艦隊の脅威が無くなった! との想定であれば・・・以後の展開(論議)は変わると思うのです。 フリーになり得ないのならば、流れは同じ・・・ だと思います。 ところで・・・バルチック艦隊は、もし旅順艦隊が事実上の戦闘力を喪失 (閉塞完全成功)していれば・・・ そもそも来ていないのではないか? という論点もあります・・・が? |
> もし日露戦争初期、旅順港封鎖に成功していたら、その後の戦争の推移はどうなっていたでしょうかね? うーんと、要するに、第二軍の揚陸を絶対に邪魔されたくなかったのでやった作戦と見てもいいのではないかと。 実際、旅順艦隊が日本軍の作戦行動を妨害できたであろう時期はまさにここでしょう。 しかし、開戦劈頭の水雷夜襲の損傷癒え切らない旅順艦隊は、スタルク提督の消極姿勢もあってこの時期を逸し、結局、第二軍の揚陸は無事に終わったわけで、結果オーライです。 開戦当初からマカロフ提督が指揮していたら、というのはロシア側で散々言われたifだそうですが、さもありなんというところでしょうね。 従って、戦争前半では何も変るところはないでしょう。 黄海海戦の失敗から第三軍が旅順に回されたわけなのですが、これは旅順に引き籠る現存艦隊の撃滅の為、陸上からの攻略がどうしても必要になったからですね。 つまり、いわゆるバルチック艦隊ことロシア第2太平洋艦隊(後に第3が加わりますが)の極東回航という要素が生じて、旅順要塞さえ健在であれば、旅順艦隊をどうしてもウラジオストックに脱出させるという必要がなくなったわけです。 この場合、連合艦隊は旅順の残存艦隊とバルチック艦隊と腹背に敵を抱えることになるわけですから、まずはどうしても各個撃破の観点から旅順艦隊を確実に殲滅しておく必要があります。 従って、閉塞作戦が完全成功となっても港内で艦隊が浮いているという事態そのものを避けなければならない。 TAKAさんご指摘の如く、旅順から目を離すわけにはいかないというのに、連合艦隊全力を以って迎え撃たなければならない規模のバルチック艦隊が着々と近づいているわけですから。 安心して「旅順から目を離していられる」為に、旅順要塞の攻略は不可避の選択だったと言えるでしょう。 |
まなかじさまのご意見に基本的に同意します。ただ、私は旅順港封鎖が完全に成功していると日本海軍が確信できていたら、旅順要塞攻略を日本陸軍は行わなかったのではないか、と思います。 旅順港が完全に封鎖され、旅順艦隊の出撃が不可能になっていたら、バルチック艦隊の旅順港への入港も不可能ではないでしょうか。この場合、バルチック艦隊が来航しても、史実どおりウラジオストックをバルチック艦隊は目指さざるをえません。そして、旅順艦隊がバルチック艦隊を支援することも、この場合不可能ではないでしょうか。そうなると、日本海軍は、日本陸軍に旅順要塞攻略を要請することも無かったと思います。 後一つ、まなかじさまのご意見に疑問があります。第二軍の揚陸が無事に終わった後でも、第二軍に対する物資の補給は不可欠のように思われます。ウラジオストック艦隊が行ったように、旅順艦隊が海上補給線に対する攻撃を行うと言うことはありえないことなのでしょうか。私としては、旅順艦隊が第二軍に対する海上補給線を断つ作戦を積極的に展開していたら、旅順要塞攻略を日本陸軍が海軍に対する不信感から行った可能性もあると思われるのですが、いかがでしょうか。 |
> まなかじさまのご意見に基本的に同意します。ただ、私は旅順港封鎖が完全に成功していると日本海軍が確信できていたら、旅順要塞攻略を日本陸軍は行わなかったのではないか、と思います。 >旅順港が完全に封鎖され、旅順艦隊の出撃が不可能になっていたら、バルチック艦隊の旅順港への入港も不可能ではないでしょうか。この場合、バルチック艦隊が来航しても、史実どおりウラジオストックをバルチック艦隊は目指さざるをえません。そして、旅順艦隊がバルチック艦隊を支援することも、この場合不可能ではないでしょうか。そうなると、日本海軍は、日本陸軍に旅順要塞攻略を要請することも無かったと思います。 > 横から失礼いたします。ここではロシア第一太平洋艦隊のことばかりが 取り上げられていますが、兵力一万五千、装備砲数二百門と判定された 旅順要塞守備隊を陸軍首脳がどう見るかも重要なことだと思います。 南山の戦いで第二軍は四千という田原坂をも上回る損害を実質一日の戦いで こうむっています (ちなみに南山戦後、旅順へ後退した東狙第五連隊は後に二百三高地攻防戦でも 日本軍と闘うことになります)。 さらに先に書いたとおり、剣山、歪頭山といった遼東半島各地の高地は いずれも要塞守備隊によって陣地化されており、第三軍はこれらを攻略し 要塞本体に迫るまでに八千名に上る損害を出しています。 このころになると乃木は四日間で一万の損害を覚悟していたようです。 (これが当初からの正攻法採用につながらなかったのは 残念としか言いようがありませんが。) 旅順は封鎖すれば十分という考え方はロシア陸軍との本格的な戦闘が始まるにつれ、 徐々に軍首脳の頭から消えていったという考えますが、どうでしょうか? |
> 旅順は封鎖すれば十分という考え方はロシア陸軍との本格的な戦闘が始まるにつれ、 > 徐々に軍首脳の頭から消えていったという考えますが、どうでしょうか? 少し私の意見を補足させて下さい。記憶で書いているので、誤っているかもしれませんが、日本陸軍としては、プロシア=ドイツ陸軍の流れから、野戦による戦いを当時指向していました。少なくとも日露開戦までの計画では、旅順要塞に立てこもる守備隊は、南山で日本陸軍の封鎖により、立ち枯れを狙うものであったと思います。わざわざ要塞に立てこもる守備隊を強攻するのは愚の骨頂、南山で封鎖して食糧等の補給を切断すれば、自然と守備隊は補給切れで崩壊する、と日本陸軍は考えていました。1万5千の守備隊は、ほぼ日本陸軍1個師団規模であり、南山で1個師団を封鎖に当たらせれば、充分に対処できるものと思われます。 しかし、日本海軍の旅順港封鎖の失敗により、旅順艦隊撃滅には、旅順要塞を攻略する必要があるとの海軍の要請を受け、陸軍は旅順要塞攻略を決意します。そして、1度攻略作戦を始めてしまうと、あたかもWWIIの独ソ戦のスターリングラードの如く、双方の面子が掛かった場所になってしまいました。ロシアは、日露開戦前、東洋一の要塞と旅順を誇っていました。従って、旅順要塞があっさり陥落するのは、面子丸つぶれの事態を引き起こします。一方、日本も、ロシアの面子を潰して、少しでも有利な講和を行おうとするのに、旅順要塞の攻略は必要になった(一度攻略作戦を開始した以上、途中で断念するのは、ロシアの戦意を高め、日本の面子が潰れます)と思われるのです。従って、旅順封鎖が完全に成功していれば、そもそも旅順要塞攻略作戦は発動されなかったと思うのですが。いかがなものでしょうか。 |
> 旅順封鎖が完全に成功していれば、そもそも旅順要塞攻略作戦は発動されなかったと思うのですが。いかがなものでしょうか。 陸軍首脳の要塞守備隊に対する過小評価が大損害によって覆らない限りやはり本格的な攻囲というわけには行きませんか。うーむ。 |
> まなかじさまのご意見に基本的に同意します。ただ、私は旅順港封鎖が完全に成功していると日本海軍が確信できていたら、旅順要塞攻略を日本陸軍は行わなかったのではないか、と思います。 > > 旅順港が完全に封鎖され、旅順艦隊の出撃が不可能になっていたら、バルチック艦隊の旅順港への入港も不可能ではないでしょうか。この場合、バルチック艦隊が来航しても、史実どおりウラジオストックをバルチック艦隊は目指さざるをえません。そして、旅順艦隊がバルチック艦隊を支援することも、この場合不可能ではないでしょうか。そうなると、日本海軍は、日本陸軍に旅順要塞攻略を要請することも無かったと思います。 もし旅順艦隊が健在でいれば、フランスのバルチック艦隊への態度も変わってきた可能性があります。というか非常に高いです。 日(朝鮮)英(香港)の株と仏(仏印)露(南満州)の株とが極東という市場で仕手戦しているようなものなのです。 旅順艦隊全滅と奉天会戦の戦術的敗北で仏露株が暴落してしまい、フランスはこれ以上の損失を嫌って勝負を投げてしまったのです。 カムラン湾を一時的な根拠地として南方から隙を窺えば、バルチック艦隊の規模からして旅順港への監視を十分に行なうことは困難でしょう。 閉塞作戦は旅順港口を封鎖するというものですが、ここは旅順の要塞砲の射程内にあります。だからこそ閉塞作戦も失敗したわけなのですが、つまり閉塞船のサルベージ作業を妨害するには大口径長射程の砲がなければできない、そういう砲は戦艦か装甲巡洋艦しか持っていないわけです。 しかし、バルチック艦隊が日本主力艦隊を牽制することができたら、旅順のサルベージ作業は妨害されません。 かといって旅順を見張っていれば、バルチック艦隊に海上輸送路を荒されます。 両方同時にやったら、バルチック艦隊に各個撃破を受けてしまうでしょう。 > 後一つ、まなかじさまのご意見に疑問があります。第二軍の揚陸が無事に終わった後でも、第二軍に対する物資の補給は不可欠のように思われます。ウラジオストック艦隊が行ったように、旅順艦隊が海上補給線に対する攻撃を行うと言うことはありえないことなのでしょうか。私としては、旅順艦隊が第二軍に対する海上補給線を断つ作戦を積極的に展開していたら、旅順要塞攻略を日本陸軍が海軍に対する不信感から行った可能性もあると思われるのですが、いかがでしょうか。 まさにマカロフ提督がやろうとしていたのがそれだった、というか第二軍の上陸すら阻んでしまおうという気持ちだったらしいのですが、ペトロパヴロフスクと一緒に沈んでしまって、後任のウィトゲフトはそこまでの気合はなかったようです。 というより、常識的にはウィトゲフトの判断の方がまともです。 旅順艦隊が連合艦隊に優るのは戦艦の数というただ一点のみであり、日本は第三艦隊の巡洋艦と各駆逐隊を合計すれば5〜60隻を集中できるのに対し、旅順艦隊は外洋作戦行動のできる艦船は20隻に満たないのです。 これでなんとかしよう、なんとかなるはずだと考えたマカロフの方が異常でしょう(笑 ウィトゲフトの考えは、要塞陥落が不可避となるまでは旅順に籠る、脱出が余儀ないとなった場合でも可能な限り交戦を避けてすり抜ける、というもので、彼我の戦力比を考えれば実に常識的なものです。 黄海海戦が起きたのは、スタフカの意向と、極東総督にして極東海軍司令官でもあるアレクセーエフの強い命令によるもので、ウィトゲフトは反対していました。 もっとも、ウィトゲフトは旗艦ツェザレヴィッチの艦橋で戦死し、さらに指揮を引き継いでそのまま後任となったウフトムスキーもウィトゲフトと同じ立場を取りました。 マカロフ死後の旅順艦隊首脳部の意見は一致して現存艦隊主義だったものと思われます。 バルチック艦隊が半年早く到着していたら、または旅順があと半年持ちこたえていたら、その判断は正しかったのですが・・・。 |
> 黄海海戦の失敗から第三軍が旅順に回されたわけなのですが、これは旅順に引き籠る現存艦隊の撃滅の為、陸上からの攻略がどうしても必要になったからですね。 事の順序としては、第三軍の上陸進攻を受けて旅順艦隊が脱出を図る、というものだったですね。 このウラジオ回航は要塞守備隊の士気への影響が大きいとして賛否両論激しく戦わされたようです。 とりあえず第三軍は旅順の外郭線に届く前に既に旅順艦隊をいぶり出す効果を発揮していたわけですが、結果として海戦に失敗したので要塞攻略がどうしても必要となった、という成り行きでした。 |
多くの意見ありがとうございます。 おおむね「封鎖成功した程度では意味がない」という意見でまとまっているようですが、そうなると一つ疑問が生じます。 つまり、 「なぜ日本海軍は旅順港を封鎖しようとしたのか?」 という疑問です。 もし封鎖作戦に意味がないのなら、なぜわざわざ船舶を潰してまで(当時の日本の海運力では、無駄に消費できる船舶があるとは思えません)封鎖作戦を実施したのでしょう? 少なくとも海軍には、「一度封鎖してしまえば戦争の期間中は旅順港は使用できないままにおける=旅順艦隊は無力化する」という考えがあった、わけですよね。 そう考えると封鎖成功に意味がでてくるのかな、と。 |
> 「なぜ日本海軍は旅順港を封鎖しようとしたのか?」 > という疑問です。 私は、様々な意見を、興味深く読んでいました。 私の考えと異なる論点も、勿論あります。 が、この一連の論議を見れば・・・ 少なくとも、戦略上 海上輸送路の確保は、陸軍の死活問題。 その脅威は(当面)旅順艦隊。 これを排除するのが、海軍の役割で・・・・ (完全)撃破もしくは・・・封鎖(閉塞)。 という部分へ、どんな別の切り口があるのか・・・ イマイチ分りませんが・・・? |
> もし封鎖作戦に意味がないのなら、なぜわざわざ船舶を潰してまで(当時の日本の海運力では、無駄に消費できる船舶があるとは思えません)封鎖作戦を実施したのでしょう ですから、第二軍主力の揚陸を終えるまで、確実に旅順艦隊を封じ込めておきたかったのですよ。 その第一段として開戦劈頭の水雷夜襲があり、旅順港口の閉塞があり、その後ろに連合艦隊主力が控えるという万全の態勢で臨もうと。 秋山さんらしい周到さじゃないですか。 |
すみません、言葉が足らず誤解を招いてしまったようです。 > つまり、 > 「なぜ日本海軍は旅順港を封鎖しようとしたのか?」 > という疑問です。 むろん、直近の目的としては「旅順艦隊の行動を阻害し、日本海から黄海に至る海域の制海権を維持する」ことにあったことは承知しています。 ただ、それが恒久的なものではなく一時的なものに過ぎないのならば、結局封鎖しても艦隊による監視は必要であることにかわりはありません。だとすれば封鎖したからといって艦隊にフリーハンドを与えることができない。じゃあ輸送船失うメリットは? ということです。何か上記以外のメリットがあり得たのでしょうか? もしそれがあり得るとしたら、封鎖成功の結果として戦争の行方が変化しないでしょうか? #それこそ、旅順艦隊無力化によってロシア側の戦意がしぼみ、バルチック艦隊の回航が行われない、なんて可能性もないではない……そうなったら艦隊決戦主義そのものが抹殺されかねませんね(^_^;) |
> ただ、それが恒久的なものではなく一時的なものに過ぎないのならば、結局封鎖しても艦隊による監視は必要であることにかわりはありません。だとすれば封鎖したからといって艦隊にフリーハンドを与えることができない。じゃあ輸送船失うメリットは? この時点ではフリーハンドは無くても構わないんですよ。 艦隊同士のにらみ合いがそのまま続いて両者動けずで構わないんです(本来艦隊とはそう言うものです) その間にウラジオ艦隊を始末して、陸軍が大陸の決戦で勝利してくれれば、それで良いのでは? バルチック艦隊の来航が無いならば、それで全然問題なしだったのです。 |
> ただ、それが恒久的なものではなく一時的なものに過ぎないのならば、結局封鎖しても艦隊による監視は必要であることにかわりはありません。だとすれば封鎖したからといって艦隊にフリーハンドを与えることができない。 ・・・いろいろな時点でのIFが交錯しますが 閉塞封鎖の監視であれば、連合艦隊所属の艦艇である必要はなく、上村艦隊を充てても構わない。そもそも、単艦でも可能なのが通商破壊作戦であり、それを追う事を思えば、廃船を投入し閉塞のカタチを作り・・・そして、その状況の維持のみであれば「連合艦隊」はフリーハンドになり得る。 さて、戦況の予測ですが、旅順が閉塞されていない(無傷で行動の自由を保持)からこそ、挟撃の為、あるいは援軍としてのバルチック艦隊が回航された訳で 新鋭艦隊である旅順艦隊が無力化していれば、 >#それこそ、旅順艦隊無力化によってロシア側の戦意がしぼみ、バルチック艦隊の回航が行われない、なんて可能性もないではない コチラが可能性が高いと思います。 戦局は、陸軍の人的、物的な余裕が生じて、陸戦での先手をとることが可能になったと思います。 |