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真珠湾攻撃は果たして成功と呼べるのか 長門 14/4/21(月) 13:31

Re:日本と英米の利害対立 じゃま 14/6/6(金) 20:06
┣ Re:日本と英米の利害対立 その1 ダッチ・カイザー 14/6/7(土) 12:53
┗ Re:日本と英米の利害対立 その2 ダッチ・カイザー 14/6/7(土) 13:16

Re:日本と英米の利害対立
 じゃま  - 14/6/6(金) 20:06 -
  
> フィリピンは南方と台湾・沖縄の間に突き出たナイフも同然です。満州問題での警告、日中戦争での国民党への肩入れ、仏印進駐への制裁、フライング・タイガースの派遣を行ったアメリカ

アメリカは1942年にフィリピンをコモンウエルスとして独立させるつもりであって、さして重要さはない。
重要だと勘違いしたのは日本でしょう。
それに、アメリカは中国大陸には陸上兵力を全く送らなかった。

> アメリカ軍の伝統です。朝鮮戦争での北朝鮮軍、ベトナム戦争での北ベトナム軍のように最初は相手をよく調べずに手痛い失敗をし、

過去の例を「伝統」で説明するのは、不可能でしょう。
自己言及になってしまう。


> 経験不足で数個師団しかない陸軍、経験不足で旧式の航空機も多かった陸軍航空隊、まあ海軍はルーズベルトの軍艦好きでマシでしたが、アメリカは準備不足でした。アメリカが初期の段階で参戦しなかったのは、誤解されがちなイギリスのチェンバレンの宥和外交の二の舞ではなく、ミュンヘン会談時のイギリスと同じように圧倒的に戦力と軍事費が不足していたからです

いえ、それは完全に間違い。
世界恐慌のあとで、アメリカは軍事費を大幅に増やしている。
軍事ケインズ主義だったのですね。

> 血と金を費やした東の果てです。アジア植民地のインフラや工業への投資、国民党の法幣のための銀の提供などが無駄になってしまいます。

アメリカはアジアの「植民地」には、ほとんど投資していませんよ。
だいいち、植民地主義と帝国主義は区別しなければならない。
アメリカは、アジアには「植民」していません。

> イギリスはそうですが、アメリカはそうではありません。アメリカは蒋介石こそがクリスチャンの愛国者で中国を統一し、アジアに第二のアメリカを建設すると考えていたからです。

そんな珍説は初めてですね。
アメリカが中国に与えたのは物資と成都のB-29基地だけで、陸兵は送らなかった。
蒋介石が参ってしまえば、大陸の百万の日本軍が太平洋戦線に投入される。
それがこわかっただけですよ。

> それでも戦争後半の戦時国債は危うい状況でした。

まったく違いますね。
第一次大戦中に膨れ上がった生産設備と貨幣を動かすのに、戦時国債は最良の手段だった。

> > >国力はアメリカが勝っていても戦争継続力は日本に優位があるのです。
> >
> > 1943年、日本は開戦時の船腹600万トンの半分を失っていて、生産が破綻していました。
> >
>
> それは第一段階作戦終了後に拡大戦略を取った結果、ただでさえ軽視され金も物資も不足していた海上護衛が完全に破綻した結果でしかありません。

海上護衛が破綻したのではなく、海上護衛をやるおカネがそもそもなかったのが
原因ですよ。
作戦の巧拙で説明できることではない。

>日本は日本人の方が精神的に長期戦争に耐えうると考えていました。

それは、まちがっていたわけでしょう?
そもそも、「精神的に長期戦争に耐え」たってあまり意味は無い。
資金と原材料と労働力が尽きれば、何もできないのだから。

> > > 珊瑚海では敵空母二隻、ミッドウェイで敵空母二隻を撃破し(戦果誤認)、アメリカも日本同様に大きな損害を受けているはずでした。この調子で戦えば、アメリカはどこかで出血多量から戦争への意欲を失うと考えられていました。


あの、「その当時はこう考えられていた」と何回も主張なさいますが、意味をなしませんよ。
それは誤りであったわけですから。

> > > ノーと言えるようになった大日本帝国は頭を下げることはできません。
> >
> >  ノーと言ったために、あれほどコテンパンにやられてしまった。
> >  土下座しなきゃいけない場面でしたね。
> > 
> 1923年から対米戦を想定していた国には無理でしょう。また土下座したところで、アメリカが許してくれるかわかりません。土下座するには巨大なり過ぎた、勝ち過ぎたと言ったところでしょう。その辺りは今の中国と似たようなところでしょう。欧米不信と愛国のなせる業です。

どの国の軍隊も、仮想敵をつくって予算を獲得しなければいけない。
日本海軍も一例にすぎない。

土下座の結果がどうなるかは不明だが、開戦すれば負けるのは確実なのだから、
土下座すべきだった。
開戦はあきらかに誤りだった。

> やはり日清戦争、日露戦争の経験と大日本帝国の歴史の浅さ(国際社会での経験不足)、軍部の台頭などの複雑な問題が絡んできます。

複雑だからわからないのだ、と座りこんでしまうと、
何も言えなくなりますよ。
>
> 先を見通すことはいつの時代も難しいことです。
> ジョージ・ケナンは中ソの対立と離反を予測し、いずれ米中はなんらかの形で接近すると1950年代に予測しました。ケナンは赤狩りの餌食にされ表舞台から消えましたが、後年には中ソは離反して、レーガンの訪中と国交改善がなされます。予言者いつの世も不遇なものです。

ジョージ・ケナンの予測は間違っていたけれど、同様に日本政府だって間違っていた。
ジョージ・ケナンも日本政府も、非難に値しますね。

> まあ、歴史を振り返れば阿呆ばかりです。シャーン戦車の装甲が不安だったアメリカ兵は土嚢を積み上げました。タイガー戦車の88ミリの前では無意味です。

シャーマン戦車についていうなら、土嚢は無効ではありませんよ。
弾丸のエネルギーを失わせるのに有用です。
弾丸は装甲を貫通したあと、車内を跳弾となって飛び回りますが、そのエネルギーは確実に減少する。
何もしなかった日本戦車の方がむしろ例外。

それは阿呆と呼ぶのは誰にでもできます。しかし、なぜそうなったのか、何が人々を駆り立てたのか、人々はどう予想して実際にどうなったのか、当時どうしてそうしたのかを考えてみることの方が私は好きです。また答えは一つではありません。
> 同様に日本が戦争に至るまでの道のりからその結果までは限りない要因があります。それについて一言阿呆で終わらせるのも悪くありませんし、結果論でもその人がそれでいいならそれでよいでしょう。ただ、それだけではこのwarbirdで議論する醍醐味に欠けるのではと私は思います。

その手の、「昔の人も悩んでいたんだなあ、同じだよなあ」という、
怠惰な感傷にもぐりこんでしまうのが、一番キケンだといいたい。

開戦の決定は絶対に間違いだった。

死ななくてもいい人がたくさん死んでしまった。
その責任は追求されねばならない。

あの戦争を、天災のような不可避のできごとだと思う人がいて、
「陛下は我々と辛苦を共にされた」
などと、いう。

ポツダム宣言を受諾するのに、国体は保持されるのか否か、官僚が脳天気に議論しているあいだ、家を焼かれ肉親を失った人がたくさんいたのです。
引用なし
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Re:日本と英米の利害対立 その1
 ダッチ・カイザー  - 14/6/7(土) 12:53 -
  
> アメリカは1942年にフィリピンをコモンウエルスとして独立させるつもりであって、さして重要さはない。
> 重要だと勘違いしたのは日本でしょう。

ですから上記に挙げた例を見るように、勘違いするに十分な理由がありました。B-17爆撃機や(わずかばかりだが)増強されたフィリピン陸軍の存在もその理由の一つです。1941年の情勢では「アジアに無関心なアメリカ」の姿を見ることはできません。

> それに、アメリカは中国大陸には陸上兵力を全く送らなかった。
> 
中国の優先度の前にまずアメリカ本土を守らねばなりません。ただでさえ少ない兵力を中国に派遣するのは非現実的です。それ以前に蒋介石には「精強な300個師団」があるので、欲しいのはアメリカ兵でなく資金援助と兵器でした。国民党軍の実態はお粗末でしたが、少なくともそう宣伝する必要がありましたし、資金は将軍の忠誠を買うのに役立ちました。
陸上兵力は送られなくても軍事顧問としてスティルウェル将軍が送られていますし、フライング・タイガースのケースもあります。それに戦争後期からは中国は日本軍を釘づけにする重要な場所でもありました。

> > アメリカ軍の伝統です。朝鮮戦争での北朝鮮軍、ベトナム戦争での北ベトナム軍のように最初は相手をよく調べずに手痛い失敗をし、
>
> 過去の例を「伝統」で説明するのは、不可能でしょう。
> 自己言及になってしまう。
>
人種差別(他民族、他宗教の軽視や無理解)はインディアン戦争の頃からの「伝統」です。まあ、伝統と言うのは語弊があるかもしれませんが、他国との直接戦闘を何度も経験しているアメリカにはよくあることとでも言うべきでしょう。


> 世界恐慌のあとで、アメリカは軍事費を大幅に増やしている。
> 軍事ケインズ主義だったのですね。
>
その軍事費の増大の割りには開戦の時点でアメリカは日本を兵力で圧倒できていません。それにヨーロッパ戦線・太平洋戦線で大規模な反攻をかけるのは1943年からです。明らかにアメリカは大国にしては少ない兵力でした。


> アメリカはアジアの「植民地」には、ほとんど投資していませんよ。
> だいいち、植民地主義と帝国主義は区別しなければならない。
> アメリカは、アジアには「植民」していません。
>
投資にフィリピンでの教育改革やインフラ整備などの例があります。直接的な植民はありませんね。ただ、中国への宣教師派遣やその権益保護の為の砲艦や陸軍(17連隊)の派遣などもありますし、いわゆる(帝国主義の結果獲得した領土・権益)「植民地」であり、なにもせずに見捨てられないことは確かです。


> そんな珍説は初めてですね。
> アメリカが中国に与えたのは物資と成都のB-29基地だけで、陸兵は送らなかった。
> 蒋介石が参ってしまえば、大陸の百万の日本軍が太平洋戦線に投入される。
> それがこわかっただけですよ。
> 
もちろん、日本軍の釘づけも理由の一つです。しかし、中国とアメリカの繋がりは太平洋戦争以前からです。「Who lost china」で調べればアメリカの国民党及び中国政策すぐにわかります。ルーズベルト=ハリー・ルース=蒋介石(宗美歳)の繋がりの深さは有名です。さらにアメリカ宣教師の影響力もあります。ハリー・トルーマンが現実を見るまで中国はアメリカ(の親中ロビー)にとって特別な意味を持つでした。そして、親中ロビーはルーズベルトを筆頭に影響力を持っていました。

> > それでも戦争後半の戦時国債は危うい状況でした。
>
> まったく違いますね。
> 第一次大戦中に膨れ上がった生産設備と貨幣を動かすのに、戦時国債は最良の手段だった。
「戦争はそれまでに会計年度予算990億ドルのうち880億ドルをむさぼっていた。だが、政府が徴収した歳入は460億ドルにすぎなかった。第七回国債ツアーがかなり大きな数字をもたらすことがどうしても不可欠だった」
モーゲンソー国務長官
金があっても戦争の費用は政府の予算外だと考えられてしまいましたので、戦争国債に頼らざるを得ません。いつ終わるともしらない戦争に国民がいつまで付き合ってくれるかはわかりません。もっとも「硫黄島の星条旗」によってその問題は吹き飛んでしまいましたが。


> 海上護衛が破綻したのではなく、海上護衛をやるおカネがそもそもなかったのが
> 原因ですよ。
> 作戦の巧拙で説明できることではない。
>
ですから「金も物資もなく」と書いてあります。海上護衛は南方と日本に関してはギリギリアウトでしたが、第一段階作戦での拡大の結果破滅的になりました。ですが、そのことは真珠湾攻撃と関係のないことです。1941年当時は日米ともに太平洋での長きに渡る戦いを予想していませんでした。どちらも短期で終わると思っていましたし、日本もまさかあれほどの勢力拡大がなされるとは思ってもいなかったのですから。

> それは、まちがっていたわけでしょう?
> そもそも、「精神的に長期戦争に耐え」たってあまり意味は無い。
> 資金と原材料と労働力が尽きれば、何もできないのだから。
>
もちろん間違っていました。それは日米で予想されませんでした。なぜなら第一次大戦の総力戦は間違いであり、今後は大量の物資を消費するような直接的な火力戦ではなく、間接アプローチ的な機動戦が速やかに戦争を終えると考えられていました。ポーランドとフランスで実証されたことで、戦争は第一次世界大戦の悪夢を繰り返すことないはずでした。

> あの、「その当時はこう考えられていた」と何回も主張なさいますが、意味をなしませんよ。
> それは誤りであったわけですから。
>
もちろん誤りです。しかし、その種の誤りを孕みつつも勝利したケースもあれば、そのまま敗北に直結するケースもあります。誤った考えだったから失敗した、戦争に負けたとは一概に言えません。誤った内容でもどこかで転換点があります。太平洋戦争の転換点は真珠湾攻撃ではないと考えています。ある種、政治に似ています。民主党政権の失敗は「知っていた」と言う人もいれば、「裏切られた」と言う人もいる。それは今だから言えることであって、その当時の情勢を考えれば色々と見えてくるものもあるのです。

> > 1923年から対米戦を想定していた国には無理でしょう。また土下座したところで、アメリカが許してくれるかわかりません。土下座するには巨大なり過ぎた、勝ち過ぎたと言ったところでしょう。その辺りは今の中国と似たようなところでしょう。欧米不信と愛国のなせる業です。
>
> どの国の軍隊も、仮想敵をつくって予算を獲得しなければいけない。
> 日本海軍も一例にすぎない。
>
> 土下座の結果がどうなるかは不明だが、開戦すれば負けるのは確実なのだから、
> 土下座すべきだった。
> 開戦はあきらかに誤りだった。
>
もちろんそうでしょう。長期的に見れば、敗北の可能性も高く、土下座すべきですし、開戦を回避すべきだったと思います。しかし、1941年の開戦に至るまでの経緯の中でそれが実現する可能性はゼロです。可能性は何一つ見当たりません。太平洋戦争に至るまでの道のりは一つの決断でどうにかなるものではなく、様々な政策や情勢を経て到達したものでした。それを当時の人に避けろと言うのは酷と言うものです。

> > やはり日清戦争、日露戦争の経験と大日本帝国の歴史の浅さ(国際社会での経験不足)、軍部の台頭などの複雑な問題が絡んできます。
>
> 複雑だからわからないのだ、と座りこんでしまうと、
> 何も言えなくなりますよ。
> >
複雑だからわからないのではなく、説明すれば限りなく長くなるし、一つの一つの要因が決定打であった訳ではないということです。だから、「今の時代で戦場の霧もなく外交政策や国の認識を知っている人が、歴史の流れを無視して一つの事柄だけを取り上げて、こうすれば良かったなんて言うのはちょっとどうかな。もっとよく調べれる必要があるのではないか」と言いたかっただけです。

> ジョージ・ケナンの予測は間違っていたけれど、同様に日本政府だって間違っていた。
> ジョージ・ケナンも日本政府も、非難に値しますね。
いいえ、ジョージ・ケナンの予測は当たっていました。ケナンの中国政策が採用されていれば、朝鮮戦争の流れや中国義勇軍流入の結果も別のようになっていた可能性があります。なぜなら「共産国は一枚岩で戦争が起きれば全面核戦争になる」と言う誤った考えが蔓延するアメリカではケナンの「中国接近論」は裏切りでしたなかったからです。しかし、今から見れば、共産国との対決の方法は必ずしも(アメリカ流の強硬策)一つではなかったことは明白です。この共産国への認識はリンドン・B・ジョンソンがベトナムで払うことになります。

> シャーマン戦車についていうなら、土嚢は無効ではありませんよ。
> 弾丸のエネルギーを失わせるのに有用です。
> 弾丸は装甲を貫通したあと、車内を跳弾となって飛び回りますが、そのエネルギーは確実に減少する。
> 何もしなかった日本戦車の方がむしろ例外。
>
では、なぜアメリカ軍では土嚢の禁止令が出ていたのでしょうか。それにあれほど多くのアメリカ軍戦車が対戦車砲・戦車砲・野砲に撃破されたのか。土嚢によって撃破される確率は減ったのか。そもそもハルダウン戦術を取る戦車が車体下部に土嚢をなぜ積むのか。土嚢によって大きく失われた機動性は、土嚢によって得られるわずかな装甲の安心感より大きい要素だったのではないか。明らかに土嚢にはマイナス面の方が多かった。それは断言できます。それでもイタリア兵もイギリス兵もアメリカ兵も土嚢を積みました。誤りか否かなら誤りです。しかし、それでも兵士たちは土嚢を選んだのです。
日本軍ですが、土嚢のことなど考えもしなかったでしょう。代わりに車体をハルダウンさせて戦ってはいました。しかし、土嚢を積んだM4シャーマンが90式野砲に手痛い打撃を受けたことは確かにです。沖縄戦に至ってはシャーマン戦車の三割以上が擱座で失われています。土嚢の重さと抜かるんだ地面のどちらが原因か難しい問題です。


> その手の、「昔の人も悩んでいたんだなあ、同じだよなあ」という、
> 怠惰な感傷にもぐりこんでしまうのが、一番キケンだといいたい。
>
> 開戦の決定は絶対に間違いだった。
>
> 死ななくてもいい人がたくさん死んでしまった。
> その責任は追求されねばならない。
>
> あの戦争を、天災のような不可避のできごとだと思う人がいて、
> 「陛下は我々と辛苦を共にされた」
> などと、いう。
>
> ポツダム宣言を受諾するのに、国体は保持されるのか否か、官僚が脳天気に議論している
あいだ、家を焼かれ肉親を失った人がたくさんいたのです。

私自身は大叔父が戦争で死んでいるので、戦争の悲惨さや無意味さへの(体験者や団塊世代にははるかに及ばないが)認識はもちろん持っています。もちろん「馬鹿なことをしたなあ」と言う思いはあります。南方の話を聞くと特にそうですね。けれども、それは歴史や軍事について研究する時は切り離しています。
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Re:日本と英米の利害対立 その2
 ダッチ・カイザー  - 14/6/7(土) 13:16 -
  
確かにじゃまさんのように太平洋戦争への「義憤」に駆られる気持ちはわからなくはありません。政府や軍の内実を知れば知るほど嫌いになりますので、「太平洋戦争は自衛のためだった。アジア解放の聖戦だ」なんて口が裂けても言えません。逆に日本軍嫌いですし(嫌いものほど叩くためによく調べてしまうのですが)、非難しようと思えば好き放題言えます。
ただ、研究するならばフェアな立場を取りたいのです。好き嫌いの視点から探せば、いくらでも自分に有利なものを見れるし、見たくないものは見なければいい。けれどもそれはフェアとは言えません。戦争で苦難を経験した人のことを思えば、戦争責任や戦争が間違いだったという話は彼らの仕事です。しかし、それ以外のことはまた別問題です。否定され、とっくの昔に死んだ国を動かしていた人々や歴史のダイナミズムに彼らはあまり目を向けません。無論、肯定する気もありませんが、その一方で何がどうしてそうなったのかを調べる必要はあると思います。膨大な資料の山々を「誤った戦争だった」の一言で無視するのは、過去への冒涜です。「誤った武田勝頼」、「誤った北条氏政」のようにミスを犯し、破滅を引き起こした歴史上の人々は無限にいます。「誤った」の一言で済ますのは簡単です。
では、勝利はどうなのか。日清戦争や日露戦争の勝利は勝ったから正しかったのか。それともあの勝利がさらに状況を悪化させたのか。勝利は正しかったが、勝利の後の対応に誤りがあったのかではないか。それとも勝利したことが誤りだったのか。では、負ければ良かったのか。負ければ誤りを正せたのか。敗北がさらなる誤りを招いた可能性もあった。
詰まる所、真珠湾を回避した「正しい」日本の姿も不明瞭です。戦争を回避し、生き残った「正しい大日本帝国」。しかし、中国問題や国民・軍部の不満、欧米敵視は未解決のままでしょう。中国大陸で流した血は太平洋で流されなかった血よりも重要になります。いずれまた似たような事態が生じる可能性もあります。そして、太平洋戦争を回避した不満からさらなる戦争へと続く可能性があります。そう言えば、欧米を敵視するが、禁輸されても戦わない国が幾つかありました。はたして、イランや北朝鮮は大日本帝国の生き残った姿なのか。それともスペインのようにいずれ民主化していたのか、中国やロシアのように独立した強権国家になったのか。見てみたいような見てみたくないような。
なんだか言葉遊びのようになってしまいましたが、歴史の「正しい」や「誤り」は簡単には断言できません。事実を積み上げたり、仮説を立てたりして実像を明らかにしていくものです。そこにあるのは善悪ではありません。
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