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雷電は紫電改より高性能か? 備後ピート 11/10/4(火) 19:40

自己レスと補足 NG151/20 11/10/23(日) 20:33
┣ 航空機製造事業法によるくびき 11/10/24(月) 4:04
┗ Re:自己レスと補足 16/9/19(月) 1:47

自己レスと補足
 NG151/20  - 11/10/23(日) 20:33 -
  
 片様、他皆様
 
 その後、「戸川不二男」単独で再度検索したところ、
大阪時事新報 昭和12.5.6の記事を見つけました。

新聞記事文庫 : 大阪時事新報 1937.5.6(神戸大図書館による)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00323524&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

 私の疑問の一つが、日本国際航空が生産していたラチエの
プロペラは、いつから、日本航空工業時代から導入されて
いたのかでしたが、紹介文中に

>フランス・ラケエー会社のプロペラ製造特許権買収も成って

とあり、当初から製造権を入手していたことを知りました。


 残る疑問は、

1)海軍主導を嫌って川西を飛び出した坂東氏らに、軍への依存(莫大な軍需と最先端技術の提供)なしに、部品ではなくフルラインナップの機体メーカーになれる成算を本当に持っていたのでしょうか?

2)ラチエのプロペラは、海軍主導による住友金属−ハミルトンのデファクトスタンダードを嫌う陸軍によって促進されたとされていますが、日本航空工業は、それを含みで当初から陸軍の支援を受けていたのでしょうか?

3)日本国際航空のその後を鑑みても、当時の日本で軍需や行政の支援に拠らない純粋な民間航空が成立する余地が有り得たのでしょうか?

4)坂東、関口、戸川三氏の日本国際航空での地位や、戦後の消息がわかりません。財閥の家系の川西龍二などはともかく、さしたる後ろ盾がない彼らの数奇な人生の結末が気になります。


 皆様のご教示を頂ければ幸甚です。

 NG151/20拝
引用なし
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航空機製造事業法によるくびき
   - 11/10/24(月) 4:04 -
  
>  また日本航空工業の活動実態、製造実績も、ネット検索の範囲では発見できません。合併後の日本国際航空工業が戦争末期にキ-105を作っていたのは以前から知っていましたが、軍需を嫌った彼らも結局は軍需の軛から逃れられなかったのでしょうか?

川西を辞めるこのグループの人たちは、はじめ川西財閥の資金で別会社を作ろうとしていました。坂東氏が川西龍三氏の慶應同級生ということから始めたことでしたから、その先の支援も約束があってのことだったのです。ですが、これがうまく行かず、結局別のスポンサーを求めることになります。これが南海電鉄社長寺田甚吉氏でした。
昭和12年4月川西を辞めるにあたっては円満退社という形を取ってもらい、翌5月には寺田甚吉単独資本による日本航空工業株式会社が設立されます。
しかし、時代悪く、7月以降日中戦争が勃発し、13年3月には国家総動員法と、それに連動した航空機製造事業法が成立し、あらゆる航空機製造は国家統制の下に置かれることになります。

日本航空工業は、大日本航空での運用を狙う民間用輸送機TK−3(寺田航空機の略)を開発します。こうしたことが、川西を出た彼らの「道」だったわけです。
完成したTK−3は、航空局の堪航証明書を取ることが出来ましたが、肝心のユーザーである大日本航空の実用審査で不合格とされてしまいます。ここへ陸軍が手を延ばし、TK−3の改良型がキ59として試作内示されます。以降、陸軍管理工場となり、陸軍からの発注に沿う以外に会社を維持することは不可能になります。
(つづく、ということにさせて下さい)
引用なし
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Re:自己レスと補足
   - 16/9/19(月) 1:47 -
  
こんばんは。もう2年も前の投稿になるので見ている方がいらっしゃるか分かりませんが、偶然見つけたので補足の回答をさせていただきます。

> 2)ラチエのプロペラは、海軍主導による住友金属−ハミルトンのデファクトスタンダードを嫌う陸軍によって促進されたとされていますが、日本航空工業は、それを含みで当初から陸軍の支援を受けていたのでしょうか?

 陸軍の支援を最初から受けていたか、明確なことはわかりませんが譲り受けたラチエで最初に作ったのがキ二一用のプロペラだったこと、陸軍の内部でハミルトンを嫌う派閥の後押しによってラチエは改良・発注された様子であることを考えるとありえないことではありません。また、ラチエの特許を坂東氏が南海電鉄社長の寺田甚吉から譲り受けたことが独立の契機だったようです。
その後も役員や技師に陸軍から入社した人々が就き、終戦までク八やプロペラの設計生産を行っていました。


> 4)坂東、関口、戸川三氏の日本国際航空での地位や、戦後の消息がわかりません。財閥の家系の川西龍二などはともかく、さしたる後ろ盾がない彼らの数奇な人生の結末が気になります。
坂東氏は専務、戸川氏は重役として、関口氏は取締役設計部長をされていました。
戦後、坂東氏は戦犯リストに名前を連ねています。
その他の人々は戦犯にはならなかったものの、公職追放によって日本国際航空を退職。表舞台に立つことなく静かに余生を過ごされたようです。
引用なし
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