|
大前提として、このような議論をする事自体が後知恵の産物です。
そして当時、当事者が史実の判断をした内的理由をきちんと理解できないのなら、
後知恵としても浅はかなだけの、意味の無いテキストにしか成り得ません。
後知恵は後知恵なりに、史実に対し誠実で在りたいものです。
史実の零戦に対する2つの対案のうち
「(最初から金星を主機として設計された)三菱十二試艦戦」については
「史実の零戦の金星への換装」という形で史実でもこのHPでも再三議論されており
故にこのスレではそれらを前提とし、
当スレでは上記の複数の開発ラインの流れの中の物として議論したいです。
具体的な機体としては
語られる事の殆ど無い「(栄を主機とする)中島十二試艦戦」をこそより議論すべし、とします。
Ans.Q航空機関係・1468番で片氏は中島十二試艦戦の機体主任は井上真六技師と推定し
井上技師が中島での十二試艦戦中止の後十二試二座水偵を受け持った事が
中島が中島十二試艦戦を辞退した理由ではと推測しています。
ヰキペヂアの記事に拠れば
中島十二試二座水偵E12Nの設計主務者は井上伸六で、
主翼の設計に内藤子生技師が開発した独自の構造解析法を用いたとの事。
中島十四試艦上攻撃機B6N、中島飛行機社内名称BKの設計主務者は松村健一。
実用機試製計画番号N-50改め中島十七試艦上偵察機C6Nの設計主務者は福田安雄。
中島飛行機が、十二試艦上戦闘機で栄戦、十五〜十六試艦上戦闘機で誉戦を担当する場合、
「犠牲になる」のは先ずやはり天山彩雲辺りになるのでしょう。
|
|
|