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こんばんは。もう2年も前の投稿になるので見ている方がいらっしゃるか分かりませんが、偶然見つけたので補足の回答をさせていただきます。
> 2)ラチエのプロペラは、海軍主導による住友金属−ハミルトンのデファクトスタンダードを嫌う陸軍によって促進されたとされていますが、日本航空工業は、それを含みで当初から陸軍の支援を受けていたのでしょうか?
陸軍の支援を最初から受けていたか、明確なことはわかりませんが譲り受けたラチエで最初に作ったのがキ二一用のプロペラだったこと、陸軍の内部でハミルトンを嫌う派閥の後押しによってラチエは改良・発注された様子であることを考えるとありえないことではありません。また、ラチエの特許を坂東氏が南海電鉄社長の寺田甚吉から譲り受けたことが独立の契機だったようです。
その後も役員や技師に陸軍から入社した人々が就き、終戦までク八やプロペラの設計生産を行っていました。
> 4)坂東、関口、戸川三氏の日本国際航空での地位や、戦後の消息がわかりません。財閥の家系の川西龍二などはともかく、さしたる後ろ盾がない彼らの数奇な人生の結末が気になります。
坂東氏は専務、戸川氏は重役として、関口氏は取締役設計部長をされていました。
戦後、坂東氏は戦犯リストに名前を連ねています。
その他の人々は戦犯にはならなかったものの、公職追放によって日本国際航空を退職。表舞台に立つことなく静かに余生を過ごされたようです。
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