英空母の真実(II)
軽艦隊型空母(1939-1959)及び護衛空母編
敵国艦船研究家 大塚好古
kotsuka@mx1.alpha-web.ne.jp
Part I:Light Fleet Carriers
◯ ある不思議な艦
1935-36年におけるアビシニア紛争の際に、英海軍は艦隊が長期間航空作戦を実施するのであれば、艦隊に所属する航空機を補修する工作艦が必要、という戦訓を得る事になります。これは当時の算定で月当たり搭載機数の20%はクラッシュもしくは修理を必要とする損傷を受け、また10%は大規模な修理を必要とする、という数字が出たことと、航空機に対して大規模な修理が必要となった際、作戦中の空母の格納庫ではそのような大修理は不可能と判定されたことが影響しています。
航空機整備艦と呼ばれたこの工作艦は艦隊に附属して洋上での作戦時に他の空母からの損傷機受け入れ、及び予備機及び修理機の受け渡しを行う必要性があったため、最初から空母船型で建造することが求められていました。仕様としては3隻のイラストリアス級空母の作戦支援が出来る事が要求されており(合計99機の航空部隊の支援)、このため格納庫には翼を畳んだ状態で48機が収容できるだけのスペースを持つこととなり、また更に8機の航空機は翼を拡げた状態で各種整備作業が出来るだけのスペースを保持していました。
この艦の飛行甲板にはイラストリアス級と同様に格納庫内の航空機保護として2in装甲が張られ、また舷側垂直装甲は持たないものの、弾薬庫部には3-2inの装甲が張られるなど軽空母にしては充実した防御を持つ艦でもありました。また航空艤装もそれなりのものを持っており、14,000lbs(約6.4トン)の航空機を66ktsまで加速できるカタパルト一基を備えたほか、前後二基のエレベータを持ち、また着艦制動装置も当時の艦隊型空母と同じものを装備しているなど、ほぼ艦隊型空母に準じた装備を持っていました。因みに本艦は当初よりカタパルトを装備する事になっていたことから、艦の速度は13.5ktsとして計画されていましたが、搭載機の収容時に速力が不足する事と、艦隊の支援時にそれなりの速度が必要となる、と判断されたこともあって最高速度を24ktsとする事で意見が纏まっています。
さて1939年初頭にはこの航空機整備艦の設計はまとまっており、1939年6月29日にはハーランド&ウルフ社において起工されています。これがユニコーンとなる艦ですが、本艦はその後1941年11月20日に進水、43年3月12日に竣工の運びとなりました。一方竣工した際には本艦を取り巻く状況は一変しており、航空機整備艦としてのんびりと戦争に参加する訳には行かない状態となっておりました。この当時英海軍は艦隊作戦の支援を行う空母の不足に難渋しており、特に戦艦戦隊の直掩に当たる空母の必要性が声高に叫ばれていました。そんな折り、限りなく空母のように見えて、なおかつ空母のように運用が出来て、更には艦隊と行動を共にするだけの速力を持った艦が完成した次第であり、これを空母として使わないのは如何なものか、という意見が出るのも当然のことでした。かくしてユニコーンは艦隊支援の軽空母として艦隊に編入され、1943年9月のサレルノ上陸作戦以降主に地中海において艦隊空母として作戦に当たっています。しかしながら本来工作艦として設計された本艦には士官搭乗員用の士官室が無いという問題や、航空燃料搭載量がイラストリアス級に比べても少ない(35,000英ガロン)ため、継戦能力に劣るという問題も抱えていました。
ユニコーンの艦影。背の高い独特の艦様が良く分かります。
結局本艦はコロッサス級等の艦隊型軽空母の就役に伴って元来の航空機整備艦の任務に就くようになりますが、艦種は1946年に退役するまで軽空母のままで置かれています。これは恐らく空母としての機能を保持したままであったためと思われますが、英海軍が書類上の処理を嫌ったためかもしれません。この後一旦1946年には予備役に編入されていますが、1949年に空母トライアンフの支援を行うため現役に復帰して極東水域に赴き、朝鮮戦争には航空機整備艦兼工作艦として参加しています。またその際には朝鮮半島沿岸部においては艦砲射撃を実施するなど多彩な任務に付いています(蛇足ながら、これは朝鮮戦争において英空母が艦砲射撃を実施した唯一の例であり、また実戦において英空母が行った史上最後の艦砲射撃の実施となりました)。この間の1953年6月には航空機輸送空母に艦種変更されてますが、本艦は朝鮮戦争終結後の1953年11月まで英本土に戻ることはなく、朝鮮戦争の最初から最後まで実戦に参加した空母という栄誉も得ています。その後本艦は特に目立つ活動は行っておらず、1956年には再び予備役に編入され、1959年には解体のため売却されていますが、数奇な運命を辿った元航空機整備艦は期待された以上にその任務を果たし、その生涯を閉じることになったのです。
◯ もっと空母を
1940年半ばにそれまでの戦訓から、英海軍は艦隊直衛の航空戦力の必要性を痛感します。このため艦隊直衛に当たる航空戦力の整備方法を模索し始めますが、当初は1918年に戦艦・巡洋艦に対して戦闘機を搭載した事例に倣い、戦艦・巡洋艦に対しての戦闘機搭載の可否及び航空戦艦の整備が検討されます。実際に航空戦艦の整備は一時期真剣に検討されますが、ほぼ同等の排水量となる5隻の航空戦艦とライオン級・インドミダブル級各3隻の兵力であれば、後者の方が砲戦・航空戦能力共々航空戦艦を上回る、と判定されたことと、航空戦艦には設計上各種の問題があることから見送られる事になります。この結果空母の増勢計画が検討されますが、大型の艦隊空母は整備に時間と手間がかかることから、簡易に整備できる艦隊空母の整備を模索することになります。この軽空母に必要とされたのは183mの長さを持つ飛行甲板と約137m(長さ)x18.3m(幅)大きさを持つ格納庫、加えて当時の戦艦部隊の最大艦隊速度である25ktsを発揮する事が可能であることでした。この要求を元にして、様々な案が検討されましたが、最後まで残ったのは以下の三案でありました
(1)ホーキンス級巡洋艦を空母へ改装
(2)ウィンチェスター・キャッスル型大型快速商船の空母転用
(3)新型の廉価な無防御の空母新造
これらの案は様々な角度から検証されましたが、海軍造船局長の進言もあって最終的に(3)案に決定したのは1941年12月30日の事でした。この英海軍からの要求を受けたヴィッカース・アームストロング社の設計部門は直ちに21ヶ月で建造が可能な空母のの試案を纏め上げ、1942年1月14日には海軍の造船局に当初案を持ち込んでいます。
しかしこの案は海軍側よりカタパルトの装備を含めた各種の変更要求を受ける結果となり、それに沿った案が1月23日に再度提出されますが、これは必要建造期間が24ヶ月に伸びていました。この案もまた艦隊側を納得させるには至らず、再設計が行われる事になります。2月に提示した案は建造期間が27ヶ月に伸びた案でしたが、これは艦隊側の要求を満たしているものの、建造期間が長すぎる、と言う事で更に検討が行われる事になりました。
結局「通常の艦隊型空母(イラストリアス級)との棲み分けをすべし」第一海軍卿の裁定も有り、この空母は建造期間を24ヶ月と定めた上で、能力を全般的に落とすことが決定し、1942年3月にこの計画案に沿った空母の建造が決定されることになります。
各種試案とコロッサス級要目比較:
1941年試案 1942年試案(1) 1942年試案(2) コロッサス級試案 コロッサス級 マジェスティック級 全長 不明 不明 不明 208m (水線部198m)
212m (水線部198m)
212m (水線部198m)
飛行甲板長 183m 189m 205m 205m 210m 210m 格納庫サイズ(L)x(w)x(h) 137.3x18.3x4.4(m) 137.3x18.3x4.4(m) 137.3x18.3x5(m) 137.3x18.3x5(m) 104mx15.9x5.3(m) 104mx15.9x5.3(m) カタパルト数 0 1 1 1 1 1 排水量(基準/満載) 推定基準11,000トン 不明 不明 基準14,000トン 13,190/18,040トン 14,000/17,780トン 機関出力 不明 不明 不明 40,000馬力 40,000馬力 40,000馬力 満載時最大速度 25kts 25kts 25kts 25kts 25kts 25kts 燃料搭載量 不明 不明 不明 不明 3,190トン 3,000トン 航続距離 6,000nm@20kts 不明 不明 8,500nm@20kts 8,500nm@20kts 8,500nm@20kts 航空機搭載数 15(VF)+15(VTSR) 21(VF)+21(VTSR) (加えて予備機4)
21(VF)+21(VTSR) (加えて予備機4)
21(VF)+21(VTSR) (加えて予備機4)
24(VF)+24(VTBR) もしくは
34(VF)+18(VTBR)(*1)
24(VF)+24(VTBR) もしくは
34(VF)+18(VTBR)(*1)
航空燃料搭載量 40,000英ガロン 75,000英ガロン 100,000英ガロン 96,000英ガロン 80,000英ガロン 75,000英ガロン 最大運用可能搭載機重量 15,000lbs 15,000lbs 15,000lbs 15,000lbs 15,000lbs 20,000lbs 予定建造期間 21ヶ月 24ヶ月 27ヶ月 24ヶ月 24ヶ月 24ヶ月
これにより1942年計画で建造されたのがコロッサス級の16隻ですが、1942年から1944年にかけて飛行甲板の延長や甲板露天繋止方法の変更など、各種の変更が建造途上に行われた結果、建造期間は一番早かったキャメル・レアード建造艦であるヴェネラブルでも25ヶ月を要しており、その他の艦は27ヶ月かそれ以上の建造期間を要することになります。このため起工された16隻のうち結局5隻のみが太平洋戦争の終結までに完成したに過ぎず、またそのうちの4隻が日本本土上陸作戦に備えてオーストラリアで訓練中に終戦を迎えたため、これらの艦は全く戦争に寄与することはありませんでした。またこれらの艦のうち6隻は更なる改正を受けてマジェスティック級となり、加えてパイオニアとパーシアスは建造途上で太平洋艦隊で使用する航空機整備艦として整備されたため、コロッサス級としての完成艦は8隻で終わります。なお、パイオニアは太平洋艦隊に編入されて終戦時にはオーストラリア方面に派遣されていましたが、パーシアスは間に合わずに終わっています。
1944年撮影のコロッサス。軽空母とはいえ堂々たる艦様です。
その後1945年9月になると、空母に対する更に新しい要求が出てきていました。当然これらの要求を取り入れた空母の建造が考慮されますが、取り敢えず当時建造途上にあった軽空母に対してもこれらの要求の一部を取り入れることが決定し、建造途上にあったコロッサス級9隻のうち6隻に対して限定的な改装を施すことになります。これがマジェスティック級空母になりますが、この際に取り入れられた改正点は下記の通りです。
(1)重量20,000lbの航空機搭載を目的とした飛行甲板と格納庫甲板、加えてエレベータ、着艦制動装置の強化
(2)カタパルトの能力向上
(3)ポムポム砲をボフォース機関砲に換装すると共に、射撃指揮装置を搭載
(4)新型レーダーの搭載
(5)水密区画の設計変更
(6)発電機の能力向上
(7)洋上補給機構の刷新
(8)事務施設を含む艦内内装の変更
(9)3基目のクラッシュバリアーを増設
(10)大型航空機搭載のためのクレーン強化
マジェスティック級の諸艦は殆どが建造途上もしくは完成直後に海外に売却されたため、これらの艦は輸出専用空母の様相を呈することになりました。もっとも当初の要求に沿ってオリジナル形態のマジェスティック級として建造・完成したのは3隻のみであり、ハーキュリーズ、パワフルの2隻は進水後建造途上で工事が中止されたため、売却決定後に工事が再開された結果、近代化改装がなされたような形で完成しています。なお、リバイアサンのみは結局完成せずに終わり、1968年に解体のため売却されていますが、その際に撤去されたボイラーとタービンはアルゼンチン向けに改装されていたオランダ海軍のカレル・ドールマン(旧ヴェネラブル)に搭載されて再利用されています。
これらの戦時急造された艦隊型軽空母は途中で設計変更が行われた事も有り、米製航空機を収容することが可能なだけの高さのある格納庫を含め、イラストリアス級の艦隊型空母に比べて同等かある面では上回るだけの航空艤装を持っていました。実際本級の一隻であるオーシャンは朝鮮戦争において、1日で最高123回の航空作戦を実施しており、その間にシーフューリーを18.6秒、ファイアフライを20.2秒の間隔で着艦させています。またカタパルトを使用した場合40秒間隔で航空機を発艦させるなど、当時の米空母を上回る速度での発着艦作業が可能である事を同戦争の際に見せつけており、英海軍の軽空母が空母として優秀であることと、英海軍式の航空艤装が米空母に劣るものでは無い事も併せて立証しています。
その一方で、本級が太平洋戦争の苛烈な航空戦で有効に使えたかと言えば、イラストリアス級を上回る航空作戦能力は評価されるものの、防御力皆無・防御火器不足と言う面から疑問が投げ掛けられています。特に魚雷攻撃を受けた場合には水中防御皆無の本級は甚大な損害を受けることが必定であり、日米の軽空母に比べても損傷に弱いという評価が下されたでしょう。また艦隊型軽空母は戦時急造艦のため商船用の資材を多く用いて建造されていますが、これが就役時に後々不具合として出てくる、という問題点も抱えていました(一例を挙げれば、コロッサス級の飛行甲板は軟鋼で作られていましたが、これが温度変化によって収縮し、クラックが発生するという問題が低温度の水域での演習で発生して問題となっています)。
閑話休題、これらの空母は英海軍から退いた後、大半の艦が海外において第二の人生を歩んでいます。ここではその詳細には触れませんが、各々の艦が何処に譲渡されたかの一覧を下記に記しておきます。英空母海外貸与・売却艦一覧
元艦名 級 引き渡し国名 新艦名 就役年月日 最終状態 ヴェネラブル コロッサス オランダ カレル・ドールマン 1948/5/28 1969年アルゼンチンに売却。1969年8月22日アルゼンチン海軍に「ヴェインテインシコ・デ・マーヨ」として就役、1986年予備役編入。1996年近代化改修中止。1999年売却解体。 ヴェンジャンス コロッサス オーストラリア ヴェンジャンス 1952(貸与) 1955年貸与期間終了につき英国に返還。 ヴェンジャンス コロッサス ブラジル ミナス・ジェライス 1960/12/4 2001年10月9日退役。現存。 ウォリアー コロッサス アルゼンチン インディペンデンシア 1958/11/4 1969年退役、1971年売却解体。 マグニフィセント マジェスティック カナダ マグニフィセント 1948/5/21(貸与) 1957年英国に返還、1965年売却解体。 テリブル マジェスティック オーストラリア シドニー 1949/2/5 1973年除籍、1975年売却、1976年解体。 パワフル マジェスティック カナダ ボナヴェンチャー 1957/1/17 1970年除籍、1971年売却解体。 マジェスティック マジェスティック オーストラリア メルボルン 1955/11/8 1982年退役、1985年売却解体。 ハーキュリーズ マジェスティック インド ヴィクラント 1961/3/4 1997年1月31日退役。記念艦として保存。
コロッサス・マジェスティック両級に所属する艦は本来戦時急造艦であり、短い艦齢でその生涯を終える予定の艦でした。しかしながら、これらの級に属する艦が各国海軍の空母兵力の主役として多年に渡って活躍したことは紛れもない事実であり、その最終艦は21世紀まで就役を続けてその雄姿を海上に浮かべていました。この両級は防御力不足等色々な根本的な欠点を抱えていたとはいえ、航空母艦として多年に渡って就役していたことは、航空母艦としての元設計が優れていた証拠であると言えるでしょう。各国に散ったこれらの元英海軍の航空母艦群は、図らずも当時における英海軍の空母設計能力が高いものであったことを指し示す指標となったのです。
◯ 1943年度の改正、セントー級とハーミズ
1943年になると、将来使用される航空機に対応した空母の建造が検討されるようになり、正規空母でオーディシャス級やマルタ級空母が検討される一方、コロッサス級を基礎とした軽空母も検討が開始されます。特に要求されたのが米製航空機の運用を問題なく可能とするため30,000lbsの搭載機を発着艦させることが可能であることと、艦隊速力28ktsに対応することであり、また弾薬庫・爆弾格納庫に対して装甲防御を施す事も求められていました。因みに速度要求が変化したのは、本級の完成予定は1946年以降であるため、本級が随伴すべき戦艦部隊の構成がKGV以降の艦のみになる事が予想されたためであります。
これらの要求を子細に検討した結果、コロッサス級の設計を一部改正するのみでは対応出来ないと判断される事になり、最終的には新規設計艦によって対応する事が決定されることになります。以上のような経緯を経て、新型軽空母の設計試案が提出されたのは1943年初頭の事でした。試案及びセントー級・ハーミズ要目
1943年試案 セントー級 ハーミズ 全長 224.5m (水線長208.9m)
224.5m (水線長209.5m)
226.9m (水線長209.5m)
飛行甲板長 223.4m 223.4m 推定226m 最大幅 不明
(水線部27.4m)
37.5m (水線部27.4m)
44.1m (水線部27.4m)
格納庫サイズ(L)x(w)x(h) 116x18.9x5.3(m) 116x18.9x5.3(m) 137.3x18.3x5(m) カタパルト数 1 2 2 排水量(基準/満載) 23,800/28,100トン 22,471/27,015トン 23,900/28,700トン 機関出力 76,000馬力 76,000馬力 76,000馬力 満載時最大速度 29kts 28.5kts 28kts 燃料搭載量 4,000トン 4,083トン 4,300トン 航続距離 (入渠後6ヶ月の時点で)
6,000nm@20kts 6,000nm@20kts 6,000nm@20kts 航空機搭載数 16(VF)+24(VTBR) (*2)
全機種含めて36機 (*3)
全機種含めて30機+ (*4)
航空燃料搭載量 不明 不明 不明 最大運用可能搭載機重量 30,000lbs 40,000lbs 50,000lbs
この設計案は精緻に過ぎて建造予想費が高額に過ぎる上、対日戦終了までに完成がおぼつかないのではないか、と第一海軍卿は不満を露にしていますが、それにも関わらず造船局の設計部には作業継続が命じられ、また1943年7月12日には8隻の建造が発令されています。これが当初ハーミズ級、後にセントー級と呼ばれる空母になります。
これらの空母は当然ながら太平洋戦争の終結には間に合わず、工事途上にあった建造艦のうち一番艦のハーミズを含む4隻は建造中止となりました。残りの4隻も終戦後の国防費抑制から遅々として工事は進まない状況に置かれましたが、1947年に装甲甲板の設置や搭載機のジェット化対応を含む改設計が行われる事になり、それを盛り込んだ形で工事が再開されることになります。この結果セントー級として1953年から1954年にかけて3隻が完成した他、特に工事が遅れた1隻は電測兵装を一新したほか、当時最新技術であったスチームカタパルトとアングルドデッキを装備することになり、大改装後のヴィクトリアスとほぼ同等の能力を持つ空母として1959年に完成することになります。これが今のところ英海軍において通常形態の空母として最後に就役したハーミズ(旧エレファント)になります。
新造時のセントー。艦載機がジェット機の時代であることを示してますね。
セントー級はジェット機対応工事を行ったにも関わらず、大型化したジェット艦載機を運用するには艦型が小型に過ぎると言う事で1950年代末には第一線空母としての使用する事は不可能である、と判定されてしまいます。またこれらの艦を大型化したジェット艦載機に対応させる場合ヴィクトリアス並の大規模な改装が必要となると判断されたため、通常形態の空母としてはこれ以上の改装は行われずに終わり、結局ブルワークとアルビオンの2隻は1959年から1960年代初頭にかけてヘリコプターとLCAによって海兵隊を上陸させるコマンド空母に改装される事になります。一方セントーは1960年代中期に同様の改装をなされる予定でしたが、予算不足によりこれは実現することなく終わり、1966年に予備役に編入された後1971年に解体のため売却されています。
一方ハーミズは小型のため搭載機数の制限はあったものの、シーヴィクセンやバッカニアといった新型の大型航空機が運用可能であったため、就役後1964-66年の飛行甲板拡大工事を経て(この際に飛行甲板最大幅が44.1mから48.8mに増大)、1970年まで汎用空母として就役していますが、シーヴィクセンの後継であるF-4Kファントムの運用が不可能であることから1971年にコマンド空母に改修されています。以後1977年には対潜空母として活動していたブルワークが1976年に予備役編入されたことから、その代艦として対潜空母化工事が行われており、その後1980-81年にかけてスキージャンプ甲板設置を含めたシーハリアー運用のための改装が実施されています(この直後の1982年に勃発したフォークランド紛争において、新鋭艦インヴィンシブルを差し置いて英機動部隊の旗艦として本艦が活動していたのを記憶している人も多いでしょう)。本艦はその後も英海軍艦隊航空兵力の一翼を成していましたが、1985年末にアーク・ロイヤルが竣工したのを受けて1986年に退役しています。これによって英艦隊型空母は完全に英海軍からその姿を消すことになりましたが、ハーミズ自身は1987年にインド海軍に売却されて2002年の今も未だに健在であり、インド艦隊の旗艦として、また英艦隊型空母の最後の艦としてその雄姿を海上に浮かべています。
1960年代に撮影されたハーミズ。艦橋上の984型三次元レーダーが目立ちますね。
Part II:Escort Carriers
◯ 通商路護衛空母の萌芽期
英海軍が通商路保護のための簡易な商船改装空母の研究を始めたのは1926年の事になります。この時の案では水上機をカタパルトで発艦させ、収容は自艦のクレーンで行うものとされていますが、この研究が細部に渡って検討された節はなく、やがてこの案は消えてしまいます。1932年になると商船改装空母を通商路保護に使用する案が造船局側から提出されますが、この計画の作業に当たる人員の不足から1934年までこの案が推進されることはありませんでした。この計画案によれば、改装される艦は14,000トンから20,000トンの大きさを持ち、15-20ktsを発揮できる商船を対象としていました。改装の概要は前部にカタパルト・エレベータ・格納庫を各一つずつ持ち、後部に長さ86-91m、幅19.8-24.4mの着艦甲板を設けるものとされていました。因みにこの案では着艦甲板はブリッジと煙突の後方に設ける事となっていましたが、新造時のフュリアスもどきを作ってどうするつもりだったのか当時の担当者を小一時間問い詰めてみたい気がします(笑)。その後1935年2月には通商路護衛空母として必要な性能要求が纏まっており、これを元にしてウィンチェスター・キャッスル(20,000トン)とワイパナ(12,500トン)を改装する試案が1936年に纏められており、改装期間は9-12ヶ月の間と見積もられています。
1935年における通商路護衛空母要求項目:(1)改装する商船は総トン数10,000トンから20,000トンの物が望ましい
(2)高速航行可能なディーゼル船が望ましい
(3)14ktsで6,000浬の航続力が必要
(4)船の全長に達する飛行甲板長を持つと共に、飛行甲板の最大幅は70ft以上とする。また着艦制動装置とエレベータを装備する。
(5)格納庫の容積は12機から18機の航空機を収容出来るものとする。
(6)対空・水上戦闘用として4.7in砲を装備するとともに、併せて近接防空兵器を搭載する。
この後1937年には5隻の商船を対象にした急速改装案を纏める事が計画されますが、造船局における設計部門の手不足により結局具体的な案は纏まらずに終わります。この状況は第二次大戦が始まるまで続くことになりますが、1940年になるとUボートと航空攻撃の脅威から輸送船を守るのが絶対必要条件となったため、英海軍は三つの護衛空母の要求仕様を纏め、それに基づいた形で以後6隻の改装空母が竣工することになります。1940年に出された改装護衛空母要求仕様一覧表:
型式A 型式B 型式C 最高速度 20kts 18kts 16.5kts 航続距離 15,000浬 15,000浬 可能なかぎり長く 航空機最大搭載数 25機 15機 10機 格納庫収容可能機数 16機 12機 4機 エレベーター数 2 1 1 エレベーターサイズ 13.7x10.7m(*5) 13.7x10.7m(*5) 12.8x6.1m(*5) 飛行甲板長・幅 167.7x22.8m以上 152.5x21.3m以上 137.2x18.3m以上 カタパルト 装備 装備 可能であれば装備 着艦制動装置 制動索6基と バリアー2基
制動索6基と バリアー2基
最低制動索4基。 加えてバリアーと
安全索各1基
航空燃料搭載量 最低75,000英ガロン 最低50,000英ガロン 最低33,000英ガロン 搭載兵装 4in単装砲2門、 ポムポム砲または
エリコン機関砲計4門
4in単装砲2門、 ポムポム砲または
エリコン機関砲計4門
4in単装砲1門、 ポムポム砲または
エリコン機関砲計4門
◯ 英製護衛空母の系譜
第二次大戦中に英海軍が就役させた護衛空母は総計6隻ですが、このうち5隻は1940年の要求B/Cに該当する空母であり、実質上Aに該当する艦は作られずに終わっています。英製改装護衛空母要目一覧:
オーダシティ アクティビティ プレトリア・カースル ナイラナ・ ヴィンデックス
カンパニア 最高速度 14.5kts 18kts 18kts 16kts 18kts 航続距離 14.5kts@12,000浬 16kts@16,000浬 16kts@16,000浬 16kts@13,200浬 17kts@17,000浬 航空機搭載数 6機 11機 不明(*6) 18機 18機 格納庫収容可能機数 無し 6機 15機 15機 15機 エレベーター数 無し 1 1 1 1 エレベーターサイズ 無し 12.8x6.1m 13.7x11.9m 13.7x10.3m 13.7x10.3m 飛行甲板長・幅 138.1x18.3m 151.8x20.1m 170.8mx23.2m 153.1x20.1m 157x21.5m カタパルト 無し 無し CII型1基装備 無し 無し 着艦制動装置 制動索2基、 加えてバリアーと
安全索各1基
制動索4基、 加えてバリアーと
安全索各1基
制動索6基と バリアー2基
制動索8基と バリアー2基(*7)
制動索4基と バリアー1基
航空燃料搭載量 10,000英ガロン 20,000英ガロン 74,000英ガロン 52,000英ガロン 52,000英ガロン 搭載兵装 4in単装砲1門、 単装ポムポム砲2門、
エリコン機関砲4門
4in単装砲2門、 単装ポムポム砲2門、
2連装エリコン機関砲10基(20門)
4in単装砲2門、 4連装ポムポム砲2基(8門)
2連装エリコン機関砲10基(20門)
4in単装砲2門、 4連装ポムポム砲4基(16門)
2連装エリコン機関砲8基(16門)
4in単装砲2門、 4連装ポムポム砲4基(16門)
2連装エリコン機関砲8基(16門)
一番最初に完成したオーダシティは要求仕様Cにも達しない簡易な改装がなされた艦でしたが、同艦における航空作戦は運用上かなり困難な面はあったものの良好な成績を収め、護衛空母の有効性を内外に認めさせる事となりました。Uボートに撃沈されるに至るまで、本艦の活動期間は極く短いものでしたが、その間に護衛空母が対Uボート作戦及び独空軍機の迎撃に有益であることを立証し、その有効性から米海軍に護衛空母の大量建造を認めさせたことは本艦の最も大きな功績であったと言えるでしょう。
護衛空母オーダシティ。その艦様からも改装程度が小規模であったことが伺えます。
残りの改装護衛空母のうち、プレトリア・カースルは仕様Bにほぼ適合する唯一の艦であり、充分な性能を持っていたものの訓練空母としてその生涯を終わっています。これは第一線兵力維持のため、艦載機のテストや着艦訓練に艦隊型空母を使用したくない、という判断からプレトリア・カースルが訓練空母として利用されたもので、同艦の性能が不満足であったわけではありません。
残余の4隻は仕様Cに適合する艦であり、これらの艦は実戦に投入されてそれなりの評価を受けています。ただ英製の護衛空母は最良と評されたカンパニアにしても米の物に比べて簡易な改装で済まされており、空母としての能力に劣るだけでなく船体強度が弱い、と判定されています(カンパニアは北極洋の輸送船団護衛に出動した結果、船体に亀裂が生じたため後に船体外鈑に補強材をリベット止めで固定する工事を受けており、その他の艦も同様の工事を受けています)。
なお、1941年末には護衛空母に対する新たな要求が出ていますが、それに基づいた艦を作るような余裕は英海軍には全く無かったことは言うまでもありません(笑)。その要求概要の一覧を下記に記しておきます。
(1)2基のディーゼル主機によって最高速度18ktsを発揮すること
(2)格納庫には翼展長状態及び翼収納状態の航空機各6基を搭載可能とすること
(3)飛行甲板の大きさは167.7x22.8mとし、加えて13.7x10mのエレベータ1基を装備すること
(4)多数の対空兵装を搭載すること
(5)弾薬庫及び航空燃料搭載庫、加えて機関部に防御を施すとともに、主要区画3つに進水しても浮力が維持できること
◯ 旧植民地からの来援
英製の護衛空母の改装数が6で終わったのは米からレンドリース法に基づいて大量の護衛空母がもたらされることになったためであります。1941年1月の時点で、米海軍は英海軍向けとして英海軍の仕様に基づいたオーダシティの発達型である護衛空母6隻を建造すると発言していましたが、実際には米海軍最初の護衛空母は英海軍同様の改装艦となります。これがロング・アイランド(AVG-1)になるわけですが、同艦の実績を踏まえて米の新造護衛空母は設計が行われており、英海軍に最初に引き渡されたアーチャー級護衛空母は実質両海軍の運用実績を反映させたものとなっています。因みに米から英海軍に引き渡された護衛空母はアーチャー級とトラッカー(アタッカー)級、加えてスミター(アミアー)級の三クラスですが、米海軍ではアーチャー級はチャージャー級、トラッカー・スミターの両級はボーグ級に当たる空母になります。
最初に引き渡されたアーチャー級4隻のうち、アヴェンジャーは1942年11月15日に雷撃で撃沈されています。これは調査により弾薬庫配置が適切でなかった事が原因と判定された結果、以後の米護衛空母はその配置を変更するとともに、水中防御をやや強化することになります(しかし、これが充分でなかったことは、後に太平洋における戦いにおいて、リスカム・ベイが伊一七五潜による雷撃によって撃沈されたことからも伺えます)。また同級のダッシャーがガソリン搭載作業中に轟爆沈没したことは、米製護衛空母の取扱に関して英米海軍の間で論争を引き起こす事になります。
ボーグ(プリンス・ウィリアム)級護衛空母のスリンガー。米艦としての艦名はチャタム(CVE-32)です。
米製の護衛空母で問題とされたのは英海軍の標準仕様と異なる艤装が多いことと、英の要求に満たない艤装が多々あること、また燃料の搭載方法が英から見ると危険極まりない方式になっている、という点でした。このため護衛空母はアメリカで完成した後に英側の造船所で改装を行う、というのが一般化しましたが、米海軍としてみれば充分に使える空母を引き渡しているのに、英海軍がそれを改修して就役を遅らせているのはなんぞや、と考えるのは無理からぬところであり、実際英嫌いで有名なキング作戦部長は英への引き渡しを止めて全ての護衛空母を米海軍で運用するべきだ、と強硬に主張しています。英海軍に引き渡された護衛空母が全てC-3型輸送船ベースの艦であり、空母としてより優秀なカサブランカ級やコメンスメント・ベイ級が引き渡されなかったのはこう言った不満が影響したのかもしれません。
一方英側にしてみれば必要だから改修を行っているのだ、という事になりますが、彼等が実施したのは飛行甲板の延長や格納庫の拡大を含めた大掛かりな改修であり、これらを含めて英側における艦隊への引き渡しに至るまでに、米での引き渡しから3〜4ヶ月を要していたため、米側が不満を漏らすのも無理はない面はありました(後にカナダのヴァンクーバーで改装を行うようになってからは改装期間は1.5ヶ月に減少していますが。因みにヴァンクーバーでは同時に3隻の改装を行うことが可能であったと言われています)。
なお、安全面から問題とされた航空燃料搭載方法については、米海軍は英側の積込作業時のミスだと主張してますが、後年の研究で英米ともに言っていることは正しい事が証明されています(設計上安全面に問題はあったが、積み込み作業員のミスもあると判定)。しかしこの事故は護衛空母の航空燃料搭載量を引き渡し時の半分以下へと減少させることになり、護衛空母の継戦能力を大きく減少させる結果となっています。
米製護衛空母は英海軍最良の護衛空母と言われるカンパニアに比べて、航空艤装は含めて空母としての能力は全般的に優れた艦でしたが、その反面建造費用は高いものであり(アクティビティの改装費用の倍以上、カンパニアの30%増し)、またそれに見合うだけの活動を行ったかといえば疑問無しとは言えません。護衛空母はUボート及びドイツの洋上哨戒機を防ぐ一助にはなりましたが、就役が送れたためUボート部隊を壊滅させるに至った原動力となったわけではなく、実際護衛空母の艦載機が沈めたUボートの数は共同含めて16隻に過ぎません。むしろ対艦及び上陸支援に伴う攻撃任務と航空機輸送が主要任務になった面がありますが、艦隊型空母に比べて航空作戦の実施回数も少なく(1日当たり平均16回、最大で27回)、作戦日数のうち23%に当たる日々は艦載機を飛ばすことが出来なかったと言われています。このように英海軍における護衛空母の活動が太平洋における米海軍の物に比べて低調なものに終わっているのは、太平洋に比べて作戦海域の天候が不順であることや、減少した搭載機数等色々要因はあると思いますが、英海軍の運用方針が些か適切さを欠いた物であった面があるのは否めないと思います。米製護衛空母要目一覧:
アーチャー級 トラッカー級 スミター級 最高速度 17kts 18.5kts 18kts 航続距離 不明 15kts@26,340浬 15kts@23,920浬 航空機搭載数 15機 18機 18機 格納庫収容可能機数 15機 18機 18機 エレベーター数 1 2 2 エレベーターサイズ 12.8x10.3m 12.8x10.3m 12.8x10.3m 飛行甲板長・幅 134.8x21.1m 134.8x21.1m 137.2mx24.4m カタパルト H2型1基 H2型1基 H4型1基 着艦制動装置 制動索9基と バリアー3基
制動索9基と バリアー3基
制動索9基と バリアー3基
航空燃料搭載量 36,000英ガロン 36,000英ガロン 43,200英ガロン 搭載兵装 4in単装砲3門、 エリコン機関砲10門
5in単装砲2門、 連装ボフォース機関砲4基(8門)
連装及び単装エリコン機関砲合計14基(22門)
5in単装砲2門、 連装ボフォース機関砲4基(8門)
連装及び単装エリコン機関砲合計21基(35門)
備考:米海軍の同級艦の搭載機数は28-30機、航空燃料搭載量は76,000-90,000ガロンである。
番外編:Merchant Aircraft Carrier Ships(MAC Ships)
◯ 商船隊の旗の下に
1942年初期、輸送船団を商船隊によって自衛させる目的から、飛行甲板を商船に取り付けて、最低限必要な数の航空機を運用出来るようにする案がもたれます。これによって航空機搭載に伴う最低限必要な商船に対する改装の概要及び航空艤装に関する研究が商船造修局において進められる事になり、これに対して海軍省はオーダシティの改装経験を生かす形でこれの支援を行っています。この研究において、最初は149x18.9mの飛行甲板と14-15ktsの速力が必要とされていましたが、最終的には最低で118.9x18.9mの飛行甲板と11ktsの速度があれば良い、という事になり、これらの研究結果に沿って商船の改装計画が纏められ、穀物輸送船とタンカーをベースにしたMACシップの改装が始められます。
穀物輸送船改装のMACシップは129.3x18.9mの飛行甲板と43.3m長の格納庫、12.8x6.1mのエレベータ1基、着艦制動索4基を持っており、4機のソードフィッシュを運用することが可能とされていました。一方タンカー改装のMACシップは飛行甲板長は140.3x18.9mと全長が長く、着艦制動索装備数も6基と穀物輸送船改装船よりやや良好な航空艤装を持っていましたが、格納庫とエレベータは保持しておらず、搭載する6機のソードフィッシュは全て露天繋止という差異がありました。
MACシップに改装された商船は穀物輸送船から6隻、タンカーから13隻の計19隻に及びますが、これらの商船の改装が終了したのは1943年から1944年の事であり、時既に大西洋の戦いは連合軍側の勝利に終わっていました。この為もあって船団に付随したMACシップの搭載機がUボートを攻撃したのは1度のみであり、またこれによって撃沈されたUボートは1隻もありません。しかし終戦時までにMACシップが行動を共にした船団の数は217に上り、またその際に搭載機は4174回の航空作戦を実施しています。MACシップが役に立ったかといえるかどうかは少々疑念はありますし、MACシップ建造の努力をより少ない数の護衛空母改装へと振り向けたほうが良かったのではないかという意見もありますが、少なくとも護衛される船団に所属する船員達の志気を上げる役には立ったでしょう。
蛇足ながらMACシップは航空要員として海軍の兵員が乗り組んでいましたが、船の運行自体は全て商船隊員が行っており、これらの船は英商船旗(Red Ensign)を掲げて波荒き大西洋での作戦に当たっています(タンカー改装船のうち2隻はオランダ商船旗を掲げて作戦に当たっていました)。作戦時においては、商船隊員と海軍の兵員の間に特に目立った軋轢は生じなかったようですが、時折両者の間で小規模な衝突が起きていたと伝えられています。
穀物船改装のエンパイア・マックレイ。MACシップは商船に飛行甲板を貼り付けただけとも言える船ですが、以外と堂々とした船様ではありますね。
平均的なMACシップ概要要目:
穀物船改装船 タンカー改装船 最高速度 12.5kts 11-13kts 航続距離 不明 不明 航空機搭載数 4機 6機 格納庫収容可能機数 3機 無し エレベーター数 1 無し エレベーターサイズ 12.8x6.1m 無し 飛行甲板長・幅 129.3x18.9m 140.3x18.9m カタパルト 無し 無し 着艦制動装置 制動索4基 制動索4基。船によってはバリアー1基を保持 航空燃料搭載量 5,000英ガロン 5,000英ガロン 搭載兵装 12ポンド単装砲1門、 ボフォース機関砲2門、
エリコン機関砲4門
12ポンド単装砲1門、 ボフォース機関砲2門、
エリコン機関砲6門
なお、戦争終結後、MACシップはその務めを負え、全ての船が通常の商船へと戻されています。
(*1)計画では最大搭載機数は戦闘機(VF)34+艦爆/艦雷(VTBR)24。表の数値はシーファイアとバラキューダ搭載の場合(露天繋止含む)。ついでに言うとVTSRは偵察雷撃機を示す。
(*2)戦闘機サイズで48機。これと表の機数は露天繋止数を含む。
(*3)シーホーク16機を含む
(*4)新造時の搭載機数はシーヴィクセン・シミター・バッカニア合計20機、ガンネットASW8機。及びその他ヘリを含めて最大6〜8機で計36機程度
(*5)エレベーターの最大運用重量はA/Bが15,000lbs、Cが10,000lbs。
(*6)プレトリア・カースルには作戦用航空機定数が無いため。私見だが甲板繋止を含めれば恐らく27機程度は搭載できただろう。
(*7)これはナイラナの数値。ヴィンデックスは制動索6基とバリアー1基を装備して竣工している。
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