英空母の真実 (1918-1941)
敵国艦船研究家 大塚好古
kotsuka@mx1.alpha-web.ne.jp
(本文章は、2002年5月に行われたWarbirds油壷オフで発表した内容を、加筆・修正・削除したものです)
始祖の時代:
英空母の始祖は水上機母艦まで遡れます。最初に発艦用飛行甲板を設置したのは水上機母艦のカンパニアであり、本艦は水上機母艦の任務に当たる、一方で1915年には発艦甲板を装備して陸上用航空機の艦上運用の可能性及び有効性の試験任務に当たっています。
航空機が発着艦できる現代の空母の始祖となったのは言うまでもなく大型軽巡洋艦のフュリアスになります(蛇足ですが、当時大型軽巡洋艦は艦隊の将兵からはキュリアスというあだ名で呼ばれる事があったようです(Curious=色々な意味がありますが、多分「奇異な」の意味で使ったのでしょう(*1)))。フュリアスの改装は1917年に行われており、5機のソッピース・パップを収容する格納庫も持つ航空母艦として艦隊に配備されたのは1917年7月になります。なお、同艦が航空機搭載艦としての改装の対象となった理由は、船体強度の問題から、前後の18in砲を同時に斉射することが不可能であった事も影響しています。
因みにこの時の改装では着艦は考慮されていなかった、とする記述が時折出てきますが、そんなことはありません。当時イギリス人はフュリアスぐらい高速であれば航空機の相対的な失速(着艦)速度をほぼ0に出来るのではないかと考えていましたが、これは1917年8月以降実施された着艦試験で企画倒れであることが判明してしまいます(それでも数度着艦に成功しているのは驚くべき事実です)。
流石にこれでは実用性に欠ける、ということが分かり、フュリアスは1917年11月から再度の改装に入ります。1918年3月に艦隊に復帰した同艦は後部にも300ftの長さを持つ着艦用甲板を持つようになり、またその下部に格納庫が増設されたため搭載機数も16機に増大しています。なお、後部の艦載機を発艦位置に持っていくため、前後の甲板を連絡する幅11ftの通路が上部構造物の側方に設けられています。
着艦用の設備は後部に縦索式の着艦制動装置と「ゴールポスト」と呼ばれた安全バリアを併用して着艦させることになってましたが、これも理論通りには旨く働かず、また艦の中央部にそびえ立つ墻楼と煙突が着艦甲板に乱気流をおこし、加えて煙突の排煙がその乱気流に加勢するという状況であり、安全に着艦するのは不可能に近い、と評される有り様にありました。一例を挙げれば13機が着艦を試み、9機がクラッシュしたという記録があります!。
しかしこれでも英海軍は一連の評価試験・訓練の結果本艦が実戦配備可能という評価を下しており、1918年7月以降艦隊防空及び敵陸上目標への攻撃任務についています。1918年7月17日に本艦から発艦した7機のキャメルにより、地上基地にあったツェッペリン飛行船が撃破されたのが空母艦載機による初めて成功した航空攻撃であった事は記憶しておいても良い事項でしょう。
これ以外にも英海軍は巡洋艦ヴィンディクティブを始めとして、水上機母艦に陸上機を搭載するのを進めています。このうちヴィンディクティブはフュリアス類似の改装を受けた艦でしたが、発着艦能力がフュリアスより劣るため水上攻撃用の備砲を残すなど、フュリアスとは異なる面も持つ艦でした。一方水上機母艦の改装は前部に発艦用甲板を持たせるというものであり、これは本格的な空母とは言えないものでした。
(*1)これらの大型軽巡洋艦が艦隊将兵から奉られた有り難からぬあだ名には、Curiousの他にSpuriousやOutrageousというのがありました。どれも酷い意味ですので、ここでは敢えてその意味は書かないでおきます(^-^;)。
基本形の確立:
一方英海軍は1917年の計画で8隻の商船改造空母によって、120機の艦隊航空兵力投入してドイツ艦隊泊地を雷撃する、と言う勇壮果敢な構想を持っていました。この計画は艦隊に付属できる24-25ktsの速度を持つライナーを改装し、各々8ー14機の航空機を搭載するものとされていました。この計画は結局小型水上機母艦の改装で終わってしまいますが、この計画から2隻の艦隊型空母ハーミスとイーグルの建造・改装が実施されたのもまた事実であります。
さて1915年以降、ビアードモア社は自社で建造中であったイタリア向け高速客船コンテ・ロッソを改装して水上機母艦にする案を暖めていました。当初の案は明確ではないのですが、当時の英水上機母艦と同様に前部に発艦甲板を持ち、艦後部両舷には水上機の積み下ろし用クレーンを装備すると言うものでした。ただ本艦は艦の中央部に大型の格納庫(330(l)x48(w)x20ft(h))を持つという点が他の水上機母艦と異なっていました。
この後この計画は更に進められていきますが、完全な空母形態の艦として建造されることになったのは1916年8月のことであり、この時本艦は全通甲板を持ち、その下に大型の格納庫を持つ(18機の雷撃機が収納可能)本格的な空母として改装されることが決定します。この後の空母の基本形態はここで決定されたのです。なお、当初は両舷にまたがる艦橋(真ん中が開いているのでアーチ型艦橋というべきか)を持つ予定でしたが、フュリアスによる航空公試の結果乱気流を発生させる事が分かったため、前甲板に隠見式の海図室が設けられたフラッシュデッキ型空母として完成する事になります。この他に本艦の特徴となったのは大型の格納庫とエレベーター、あと煙突の配置でした。本艦の大型の格納庫とエレベーターは好評でしたが(第二次大戦中、戦闘機の翼を折り畳まずに艦内に収納できたのは本艦だけでした)、何故かこれは後の英空母には継承されずに終わります。逆に排煙を誘導煙突で艦後部に導き、飛行甲板後部上方に排煙する煙突は、艦内通風に留意したにも関わらず艦内に熱がこもり、また着艦時に乱気流を発生するという事で大変不評でしたが、これまた何故かこれは後にフューリアスが全通甲板型に改装される際に継承されてしまいます。またこの誘導煙突方式は日本の加賀やアメリカのレンジャーにも影響を及ぼしており、日本では後に「海鷲の焼き鳥製造機」とまで酷評される結果となります。
本艦の改装は徹底したものであったためか割と時間がかかり、1918年9月になって漸く艦隊に就役します。本艦は1919年にはフューリアス・ヴィンディクティブと航空戦隊を編成し、ドイツ本国の泊地にあるドイツ艦隊攻撃を行う予定でしたが、ドイツの降伏に伴ってこの構想は消滅します。その後本艦は英空母及び艦隊航空隊(この頃は空軍の所轄ですが)の発展に寄与しますが、1926年の改装を経た後1930年に予備役に編入されてしまいます。その後1936-38年にかけて機関換装を含む大規模な改装が行われて、無線標的機の母艦任務を含めて限定的に第一線任務についています。その後第二次大戦中は防御力の不足と、航空機用燃料・弾薬の搭載数が少ないことから、主に航空機運送艦として活動していますが、全く実戦参加しなかったわけではなく、ムルマンスク向け船団において、護衛空母の役割を果たしたこともありました。戦争末期には空母兵力に余裕が出来たことも有り、チャタムで宿泊艦となっていましたが、1946年に売却されるまでは英海軍の艦籍に残っていました。英海軍最初の本格的空母は、良くその任を果たし、その生涯を全うして消えていった、と言って良いのでしょう。
アーガスに続いたのが戦艦から改装されたイーグル及び世界最初に空母として計画された艦であるハーミズになります。この両艦はアーガスと打って変わって巨大な上部構造物を艦上に聳え立たせてますが、恐らくこの両艦は水上戦闘用の砲を装備している関係上、其れの射撃指揮を行う事からも上部構造物が必要とされたた事によるものです。
これについてはやはり上部構造物による甲板上の気流の乱れが懸念された結果、各種試験が行われることになりました。どのように上部構造物を配置するかの検討は1916年から1918年初頭まで行われていますが、この際にはフュリアスのような上部構造物配置や、アーガスで検討されたアーチ型の上部構造物配置等も検討されるのと同時に、現代の空母にまで通じる舷側に寄せて上部構造物を配置する事も併せて検討されることになります。舷側配置に関しては当然右舷に置くか左舷に置くかが問題となり、どちらの案も模型を使用した風洞試験による艦上の気流の乱れの問題に優劣が無いか調査が行われるなど、どちらが良好な配置となるのかについて、真剣に検討が行われています。この結果艦側から見た得失の検討や、艦上の気流の乱れという点では右舷配置でも左舷配置でも特に優劣はないとされてますが、最終的に上構の左舷配置が見送られたのは航空機運用の問題からでした。これは当時英海軍が艦載機に使用を予定していた機体が搭載するロータリーエンジンの回転方向による特性から、着艦に失敗した際の復航する場合左側に離脱するほうが容易である、という意見が航空部隊より出されたことによります。
これら各案の検討結果やフュリアスの艦隊就役後の不成績を踏まえた上で、1918年11月にはアーガスに仮上部構造物を建てる形で実艦試験が行われていますが、この試験により舷側に寄せた艦橋であれば乱気流の発生は、着艦作業に支障ない許容できる範囲に抑えられるという結論が出ています。この後未成状態で1920年に試験的な着艦公試を行ったイーグルの結果も良好であり、これらの結果を踏まえて、かなり大型の上部構造物を建てても問題なし、という結論が出ることになります(イーグルはこの時合計143回の着艦試験を行ってますが、特に事故は起きなかった、とされています)。この結果当時デヴォンポート工廠でゆっくりと建造工事中であったハーミズは、当初のフラッシュデッキ案を取り止めて、大型の上部構造物を持つ空母として完成させるべく設計が変更されることになります。
余談ですが、これは後に日本の鳳翔が艦橋を設置した状態での公試で「乱流が発生するためフラッシュデッキとするのが望ましい」という結果となった事の好対照と言える結果であり、両国の空母に関する考えにおいて、興味深い対比を見せる結果ともなっています。またこのイーグルの公試の結果はアメリカ海軍及びフランス海軍にも譲渡されており、当時彼等が計画していたレキシントン級巡洋戦艦やノルマンディー級戦艦を改装する空母計画案にもイーグルの上部構造物設置に関する各種のデータが取り入れられ、これらの艦は大型の上部構造物を艦の右舷側に聳え立たせて就役する事になります。またこの配置は特に問題が無い事がこれらの艦が就役後の実績によって証明されたこともあって、この配置はアイランド型空母の基本形となるのです(*2)。
1930年代に撮影されたイーグル。大型の上部構造物を持つ艦様が良く分かる写真です。
なお、この両艦は艦隊型空母として設計が行われたこともあり、当初から艦隊に付属できるだけの速度を持ち、また多くの航空燃料・十分な航空機用弾薬を搭載する事が求められています。まあそれでも第二次大戦中には搭載量が不足、と判定されますが、当時としては十分な量を搭載したと考えられています。
因みにこの両艦が装備した着艦制動装置は縦索式ですが、縦索式の事故が多かったこともあって、英海軍は1926年に着艦制動装置の使用禁止・撤去という暴挙にも出ており、これに伴い1926年から30年の間英艦載機は着艦制動索無しで空母への着艦を行うことになります。これは1929年にフュリアスで試作型の横索型着艦装置が試験された後、1931年のカレイジャスによる実用型横索式着艦装置の試験を更に実施した結果、良好な結果を得られたので艦隊の全空母に対して横索式制動装置が導入することが決定された事により、漸く着艦制動装置使用禁止の訓令は解かれることになります。これ以後各空母に横索式の着艦制動装置が装備されることになるのですが、予算の問題もあるのか各空母に対する改装工事の実施は余り早いものではありませんでした。一例を挙げればイーグルは1931年及び1933年に本国で小規模な改装を実施する機会があったにも関わらず、極東艦隊配備後予備役に編入される1935年までそのまま着艦制動装置無しの状態で艦隊任務に就いています。また1930年に予備役に入ったアーガスは、1938年に訓練空母として改装が完了した際に漸く着艦制動装置が装備されています。
表一 英空母各艦の横索式着艦制動装置装備時期:
艦名 装備後再就役年 アーガス 1938年イーグル 1936年ハーミズ 1933年フュリアス 1929年カレイジャス 1931年グローリアス 1934年
(*2)英米仏の空母では以後左舷配置の艦橋が考慮されたことはありません。対して空母の上構配置を左舷にするのを検討・実施した事で有名なのが我が大日本帝国ですが、計画だけなら独ソにも上構の左舷配置を検討した艦があります。
3隻の改装艦隊型空母:
第一次大戦終結の時点で、英海軍にはフュリアス・アーガス・ヴィンディクティブの空母3隻のほか、ハーミズとイーグルの2隻が建造・改装の途上にありました(なお、これらの艦のうちヴィンディクティブは、空母としての能力が不足していると考えられたこともあって、ワシントン条約締結にともない、1923年に巡洋艦に再改装されています。その際に同艦はカタパルトを装備していますが、これは水上艦艇にカタパルトが搭載された初めての例でありました)。その後1922年にはワシントン条約が締結され、イギリスは135,000トンの空母保有枠を持つ事になります。これにより英海軍は25,000トン型空母5隻の取得を目指しますが、取り敢えずこれの中核となったのが大型軽巡洋艦からの改装空母であるフュリアス、カレイジャス、そしてグローリアスの3隻となります。
一番最初に改装が行われたのはフュリアスであり、1920年に全通甲板型への改装が発令されています。本艦はそれまでの空母の実績を取り入れて改装計画案が練られていきますが、ア−ガスやイーグルの報告が間に合わなかったのか、アーガスと同様の装備が目立つ中途半端な設計となってしまいます。実際には飛行甲板は前部・中部・後部で高さが異なり、また誘導式煙突を装備した結果、艦内のスペースが圧迫されて搭載機数・航空燃料の搭載量、また整備関連のスペースが減少するなど、様々な問題を抱えこんでしまいます。まあ本艦は英海軍初の多段式格納庫を持つ、という点では特筆に値する艦であり、アーガスに比べて格納庫の高さが低くなった事を除けば(15ft)より大型の格納庫を持っており、搭載機数を増大させる事に成功しています。もっとも例の誘導煙突のせいで艦内容積をひねり出すため、下部格納庫は一部幅が狭い部分があり(50ft→30ft)、多段式のメリットが減少してしまったのも否定できない事実ではあります。特に問題とされたのは航空機関係の艤装であり、本艦での飛行作業は甲板の形状・着艦制動装置の問題等もあって極めて不評なものとなっていました。結局この問題を解決するため更なる改装が実施されることとなってしまいます。
改装の結果、この時点では段差は解消されなかったものの(これが解決したのは1932年)、甲板の長さが延長されると共に、横索式の着艦装置が装備されて漸く本艦は完成することになりますが、それは1929年9月のことであり、改装の発令から既に9年たっていました。この後各機種による徹底的な着艦公試が行われた結果、艦隊空母として実用に耐えるものと判定が下され、漸く第一線の艦隊空母として就役することになります。この後も本艦は細々とした改装が行われており、1932年の改装で漸く飛行甲板がなだらかな傾斜を持つ完全な平甲板となったほか、1939年の改装で大幅な対空火器の増載、また小型の艦橋の設置が行われています。なお、この小型の艦橋は対空火器の射撃指揮と航空機の誘導指揮所のために設けられたものであり、航海に使う予定のものではありませんでした。話は変わりますが、日本の伊吹が似たような小型艦橋を設置していますが、あれも以外とそういう目的で艦橋を設置したのかもしれませんね。
閑話休題、一方大型軽巡の残り二艦であるカレイジャスとグローリアスは1924年に改装が開始されますが、この両艦の改装に当たってはアーガスやイーグルの艦隊における就役結果が反映されると共に、ワシントン条約の結果アメリカと日本で建造が始まっていた大型艦隊空母への対抗する要求もなされることになります。特に要求されたのは対水上戦闘用の砲装備ですが、これは日米の空母が8in砲を8〜10門搭載する事に対抗するためであります。このためこの両艦の改装計画時には6in〜8in砲の装備が検討されますが、日米の艦に比べて小型の本級ではそこまでの装備は不可能であると判定され、最終的には小口径砲(高角砲含む)のみの装備とされることになります。
本級は基本的にはフュリアスの準同型艦ですが、例の誘導式煙突を含めてフュリアスで問題となる点は改正されており、艦隊型空母としては一応完成したものと見做されています。特に艦内容積に余裕が出来たため、格納庫の拡大に伴う搭載機数の増大(33に対して42)、及び航空燃料や航空機用装備品搭載量の増大は艦隊から歓迎されたようです。ただ元より排水量が増大したため、大型のバルジを設置したにも関わらず喫水がやや下がるなどの問題も生じてはいます。機関の配置や水中防御の配置もフュリアスを含む3隻は基本的に一緒です。因みにこれらの艦の水中防御は対TNT440lbと当時の大型艦としては平均的なものでした。それ故に、第二次大戦においてカレイジアスがこれ以上の弾頭重量を持つドイツの魚雷に水中防御を破られて沈んだのは、ある意味仕方がないことであったのです。
表二 フュリアス・カレイジャス級航空関連艤装比較表:
フュリアス カレイジャス級搭載機数 33 42 上部格納庫サイズ(LxW) 158.6mx15.3m 167.8mx15.3m 下部格納庫サイズ(LxW) 167.8mx9.2m〜15.3m* 167.8mx15.3m 飛行甲板サイズ(LxW) 175.7mx27.9m 175.7mx27.9m 航空燃料搭載量(英ガロン) 20,800ガロン 35,700ガロン *フュリアスの下部格納庫は、一部作業場所や事務区画のスペースがあるため狭くなっている。
改装後まもない時期のカレイジャス。後の状態に比べると上部構造物が簡素であり、また飛行甲板前端のカタパルトが無く、飛行甲板後部が短いのが分かります。
英空母の航空艤装も本級で一応の完成を見ます(もっとも実際にはカレイジャス・グローリアスの両艦とも例の制動装置使用禁止令の真っ最中に改装が終了したため、改装終了後新たに就役した際には着艦制動装置を持たずに艦隊に就役してますが(笑))。因みに横索式着艦制動装置が導入されたのは先述したように1929年の事であり、以降英空母は1930年代にこれを装備する改修を受けています。英海軍が横索式を導入するに至ったのは、1920年代後期に横索式の発明者が、以前パテントを売った米海軍がそれを実用化して使用している映像を見た結果、英海軍用に試作したことに始まります。これは完全な成功作とは言えないものではありましたが、縦索式に比べれば遥かに運用上のメリットがあったため、以降横索式の開発が継続して行われることになります。1931年にカレイジャスに装備されたMkIII型横索式制動装置で一応完成したものとなり、以降の英空母はこれの発達型を装備することになるのです(制動能力は60ktsの速度を持つ8000lbの航空機を停止できるというもの。後にインドミダブルが装備した改良型は60ktsの速度を持つ11,000lbの航空機を停止出来、多少の調整によって20,000lbまでは使用出来る事が実証されていた)。横索式を最初に考えたのはイギリス人だ、という事実があるにも関わらず、英海軍が多年にわたりこれに苦労し続けたのはある意味滑稽な事実ではありますね。
フュリアスの横策式制動装置の図。
なお、フュリアスを含むこれら3隻の航空艤装で特徴的なのは多段式飛行甲板を装備していることでしょう。下部の飛行甲板は戦闘機の急速発進用として使用されるものでしたが、甲板の高さが低いため波が打ち込み、使用不能になることが多く、実際には殆ど使用されていません(また海上の状態によっては傾斜した飛行甲板が艦のピッチングによって海水を掬い上げ、格納庫内に海水が浸入することもあったため、後には格納庫前部を完全に閉塞して使用不可能な状態としています)。
このためもあってか英空母で発艦用アクセラレーター(カタパルト)を最初に装備したのも本級であり、1934-35年の改装で上部飛行甲板に2基が設置されています。これは元来風速が足りないときの補助装置とされていましたが、装備されたカタパルトは7000ポンドの航空機を56ktまで加速できるだけの能力を持っており、当時の艦載機には静止状態からでも発艦させることが可能な十分な能力を持つカタパルトでした。実際に米海軍とは異なって英海軍はカタパルトの使用に熱心であり、以後もカタパルトの開発は継続して行われていきます。
カタパルト装備後のカレイジャス。上部飛行甲板前端に二基見えるのがそれですね。
新型空母の研究:
1923年、大型軽巡洋艦の航空母艦への改装計画を進めながら、英海軍は航空母艦の新造のための研究を開始します。これで検討が行われたのは制限外艦艇となる9800トン型、条約の制限対象となる16,500トン及び25,000トン案の3型式でした。これらのうち9800トン型は性能的に日本の龍驤に近い空母でしたが、1923年の段階で発艦補助のためカタパルトの装備が要求されているのには驚かされます。また25,000トン型は8in連装砲を3基装備するという日米の大型空母に対抗する案でしたが、これがために格納庫の容積が圧迫されて、排水量に比べて搭載機数が少ない、と言う評価を受けます。
海軍省が興味を示したのは16,500トン型であり、以降これをベースにした空母各案が現れては消えていきます。その後1924年には対駆逐艦防御用の5.5in砲装備のため17,200トンに艦型を増大した案が纏まり、これを1925-26年度の計画で建造する動きが出ますが、これは予算その他各種の要因により延期されてしまいます。しかしこの後もこれを元にした設計案が纏められ、航空機搭載量の増大等を含めた改正が行われていきます。そしてこの設計案は最終的に1934年計画で建造されるアーク・ロイヤルとなって結実することになるのです。
新たなる条約締結、そしてアーク・ロイヤル
1930年にロンドン条約が締結された結果もあり、英海軍は建造できる空母の最大排水量を23,000トンと考え、これを上限として先の空母案は更に検討していくことになります。1931年に新空母に対する要求が出されますが、これには上部構造物と二段式格納庫及び飛行甲板を有し、最高速度30kts以上(32ktsが望ましい)、航続距離は10ktsで10,000nmの航続力を持つことが求められていました。搭載機数は大型の艦載機60(後に72)機を格納庫に収容出来ることが求められ、また防御力に関しては格納庫より下部の層が6in砲弾と500lb爆弾に坑堪出来る事と、TNT750lbの弾頭を持つ魚雷に対抗できる水中防御が要求されていました。この要求で搭載機の増大が求められたのは陸上航空基地を含む陸上目標に効果的な航空攻撃を実施可能(及び陸上機の行動圏内で十分な航空援護を艦隊に与えうる事)な事が求められたからだ、と言われています。
この要求は子細に検討され、1933年には2段飛行甲板を採用せず、速度を30ktsに抑えれるという条件をつければ、全長900ft,3基のエレベーターと2基のカタパルトを装備した大型空母が基準排水量22,000トンになんとか収まる、という結論が出ましたが、建造費用の面でこれは実現できずに終わります。
しかし1933年の時点で保有していた6隻の空母のうち、大規模な艦隊作戦に使用可能なのは3隻のみと判断されていたこともあって、艦隊型空母の増勢は必要不可欠と判定された結果、英海軍は1933年半ばに基準排水量22,000トンの艦隊型空母を整備する計画に再び取りかかります。この艦は前の計画より小型(全長800ft)でしたが、同数の艦載機を搭載出来る空母として設計が開始されることになったのです。これがアーク・ロイヤルとなるわけですが、本艦の設計は当初少人数で行われており、最初担当していたのは僅か5名の担当者が割当てられていただけに過ぎなかったといわれています。これは流石に大型艦を設計するのに必要な作業量に比して手不足の感が有り、後には20名がこの艦の設計に携わる事になります。
なお、当初の格納庫内収納機数は72機とされていましたが、1934年に以後就役を開始する新型単葉機を含む搭載予定機種の大型化にともない、最大で66機、通常時60機、搭載航空部隊の編成は48機から52機というものに変化しています。それでも格納庫の面積はカレイジャス級の120%程度まで拡大され、格納庫の幅・高さもカレイジャスより大きくなるなど、より大型の艦載機を運用することを十分に考慮した設計となっていることがこれからも伺えます。
本艦はそれまでの英空母の経験と新技術が投じられた結果、満足出来る設計の艦となりました。対6in及び500lb爆弾防御として側面に114mmと下部格納庫甲板に89mmの装甲鈑をもち、また水中防御も予定通り対TNT750lbの装備が施され、理論上は他国の戦艦並か、もしくは上回る水中防御を持つこととなりました。もっとも後に溶接部分の問題から実際の防御力はこれを下回る、と評価されており、また3軸推進を採用していたため、対魚雷防御の有効性を減じたという評価はなされています(因みにアークロイヤルの喪失はダメコン対策の不備と中央軸からの浸水拡大が原因として大きい)。
この他の特徴としては、本艦の建造では大型の英軍艦として、初めて溶接が多用されていますが、これによって500t以上の重量を節約することが出来たと言われています。
航空関係の艤装もより充実したものとなり、カタパルト・着艦制動装置共々過去の実績を踏まえた最新型が装備されています。特にカタパルトはより大容量化され、全備重量12,000lbの艦載機を発艦させることが可能となっており、当時計画中の艦載機全てを最大重量にて発艦させることが可能なものとなっていました。また航空機の急速発進能力にも秀でており、各カタパルトは40秒毎に艦載機を射出することが可能となり、これに伴って本級の急速発進能力は著しく向上したと言えるでしょう。
因みに本級の飛行甲板配置で奇異に思える点として、エレベーターが中央部に集中して配置されているというのがあります。これは収容した機体を迅速に格納庫に下ろすための処置であり、機体を着艦領域から前方に移動させたら即座に下ろすためにこの様な配置とされたものです。カタパルトの重視を含めて、英海軍はこの時既に発着艦作業を同時に行うことを想定して居たのかもしれません。
なお本艦の評価は「アメリカのヨークタウン級に比べて良好な航洋性・航続力を持つが、搭載機数が少なく、また航空戦の継戦能力に劣る」と言うのが一般的です。このうち搭載機に関してはソードフィッシュ・アルバコアが66機収納できる格納庫なのでイザとなれば相当数が搭載できたと思われますが、継戦能力について言えば航空燃料の搭載量がヨークタウン級の2/3に過ぎないのは事実でした。これは1917年に水上機母艦のベン・マイ・クリーが火災事故で爆沈した事に対し、英海軍が航空燃料の搭載方法に非常に注意していた為であります。この結果英空母で大戦中に航空燃料が爆発する等の問題は起きませんでしたが、継戦能力には劣る事になり、後に太平洋作戦ではこれが問題視されるようになります。
表三 ヨークタウン及びアーク・ロイヤルの要目比較表:
ヨークタウン アーク・ロイヤル 基準排水量 19,900トン 22,000トン 搭載機数 72 54(作戦時通常搭載数) 飛行甲板長 238.2m 219.6m 船体及び艤装品合計重量 14,451トン 13,651トン 航空燃料搭載量(USガロン) 186,860ガロン (156,150英ガロン)
120,090ガロン (100,000英ガロン)
装甲空母の登場:
1935-36年当時、アーク・ロイヤルの建造が進められる一方で、英海軍は将来の航空戦についての研究を進めていました。この時考慮されたのは艦隊の攻撃時・防衛戦時に必要となる航空機を防御する必要がある、というものであり、また航空機の性能が向上したため、航空攻撃に対する艦隊の早期警戒能力にも疑問が投げ掛けられていました。このため当時の最新鋭機であるスクアを使用した模擬実験が行われますが、この結果は高速の航空機による「ヒットエンドラン」は避けがたいものと判定され屡事になります。このため空母の搭載機を守るべく、装甲空母の構想がもたれることになるのです。
1935年の構想は8隻の艦隊型空母と、5隻の小型装甲空母を整備する、というものでしたが、この案は検討の結果対費用効果に合わない、と判定されたため艦隊型空母と装甲空母の融和が図られます。その後設計が進められた結果、この空母は第二次ロンドン条約の制限値一杯の基準排水量23,000トンを持つことになります。これがイラストリアス級の空母になります。
イラストリアス級は基礎をアークロイヤルに置いており、同級を元にして排水量を条約の制限内に抑えつつ、必要とされた防御を施した艦、と考えれば良いと思います。
本級の防御についてですが、装甲空母化に当たって重点とされたのは格納庫内部にある搭載機を守る事であり、良く言われるように飛行甲板を守ったわけではありません。この目的のため3inのC装甲鈑が飛行甲板に張られており、また格納庫側面も4.5inのC装甲鈑が装備されています。これは水平装甲が格納庫を高度7000ftからの500lb爆弾を用いた水平爆撃及び同じく500lb爆弾を用いた急降下爆撃に堪える事を目的としており、垂直装甲が6in砲の砲撃に堪える事を目的として装備されたものです。ただこの水平装甲は水平爆撃は兎も角急降下爆撃や6in砲弾防御としてはやや過大な面が有り、個人的にはドイツのポケット戦艦に遠距離で撃たれても堪えうる、というのを考慮していたのではないかと思います(11in砲に対して甲板装甲は全距離で堪えうるだけの装甲厚がある)。なお、格納庫甲板には更に4.5-3inのNC装甲鈑が張られており、弾薬庫及び機関部分を含む水平装甲はドイツのシャルンホルスト級戦艦を上回るものを持っていました。実際この水平防御は強靱なものが有り、地中海の戦闘でドイツ空軍の500kg/1000kgの爆弾を用いた急降下爆撃によって多数の命中弾を受け、損傷したイラストリアスやインドミダブルにしても、機関部分に損害は生じなかったくらいです(これはドイツの1000kg爆弾の早爆にも助けられていますが…)。この他水線部に4.5inのC装甲鈑、格納庫のバルクヘッド部にも4.5-2.5inの装甲を持つなど、下手な巡洋艦以上の装甲厚を持っていた本級はまさに装甲空母の名前に相応しい空母であったと言えるでしょう。
因みにこの装甲化に対して犠牲となったのは航空機の搭載量であり、排水量上限値に収めるため格納庫が一層になった結果、格納庫への収納可能機数はアークロイヤルの60-66機に対して33機にまで減少します。
これ以外の航空艤装及び防御方式はほぼアーク・ロイヤルに準じたものですが、当初の予定では2基搭載する予定であったカタパルトが1基に減少したのは排水量の制限の結果です。恐らく艦載機数の減少からカタパルトを減少させても問題はない、と判断されたのもあると思いますが(装備した新型カタパルト自身はアーク・ロイヤルの物より強力であり、後の米製の大型艦載機を導入した際にも能力的に十分であったと言われています)。
本級の設計案は1936年6月に提出されており、その後に出された要求を元に7月に小改正を行った案が最終的に承認された結果、12月には詳細設計が出来上がります。この設計に基づいて建造されたのがイラストリアス・ヴィクトリアス・フォーミダブルの3隻ですが、この3隻は装甲鈑の供給能力不足から完成が遅れ、3年から4年の建造期間を経た後に艦隊に就役しています。
話はそれますが、この当時英の装甲鈑製造能力は限られたものであり、海軍の拡張の際に多くの国の企業に対して装甲鈑の発注を行っています(なんとドイツに対しても行っている!)。後にチェコスロバキアに発注した装甲鈑が入手不能となった事は特に大きな問題となり、英海軍の大型艦建造計画に重大な影響を及ぼすことになります(実際この時期に計画された重巡が建造されなかったのは、これが非常に大きな要因となっています)。
さて1937年計画では本級の準同型艦が1隻建造されています。これがインドミダブルですが、本艦は航空機の搭載数増大の要求に応えるためと装甲鈑の製造能力から来る建造能力の抑制をなんとかしようという目論見の元に計画されています。本艦は航空機搭載能力増大のため一層半の格納庫を持つ様に改設計されていますが、このためもあって上部格納庫の高さは16ftから14ftに減少しています。これは後にアメリカ製航空機が導入されたときに高さの不足が指摘される要因となりますが、幸いなるかな下部格納庫は16ftの高さを維持しており、これは後に辛うじてコルセアの運用が可能になるなど運用面で大きなメリットとなります。なお、この改設計により本級の格納庫収容可能機数は45機に増大しています。
ペデスタル作戦時のインドミダブル。後方に見えるのはイーグルです。
本艦の基本的な防御方式はイラストリアス級と一緒ですが、格納庫側面の防御が4.5inから1.5inに減少しています。これは重心の上昇を防ぐのを含む重量対策ではありましたが、装甲鈑の製造能力の限界をクリアする、という要求からの対策でもありました。
1938年計画では同年3月に第二次ロンドン条約のエスカレータ条項が発動した事に伴い、条約下における英米の空母保有枠が40,000トン増大したことから(*3)、残余の空母枠と新規の保有枠を合わせて大型艦隊型空母を整備することが決定されるところとなり、これによってイラストリアス級に比べて更に搭載機数を増す事と高速化(イラストリアス級の要求30ktsに対して32-32.5kts)する事を目指した改型2隻の建造が企図されます。これがインプラカブル級になる艦ですが、本級はインドミダブルの設計をベースにして設計が行われています。ただし第二次ロンドン条約の空母の個艦排水量上限が未だに有効であったため、排水量上限は23,000トンのままであり、この中で搭載機数の増大と機関出力増大を行う必要が生じました。まず犠牲となったのは装甲であり、飛行甲板と舷側の装甲は維持されましたが、格納庫側面の装甲は1.5inに、格納庫甲板の装甲厚は1.5in-2.5inに減少しており、またバルクヘッド部の装甲も2inに減少しています。この他に格納庫の床面積がやや拡大されたものの、下部格納庫の高さが減少(16ft→14ft)して小型化するなどの重量軽減対策がとられています。この結果格納庫収容可能機数は48機にまで増大しましたが、戦時中イラストリアス級各型で、インプラカブル級の2隻のみがコルセアを運用出来ないなど、運用面において問題を残す結果となりました。また航空燃料の搭載量もイラストリアス級・インドミダブルより増大はされていますが、それでも後の搭載機数増大を考えると充分な量を搭載していた、とは言い難い物でありました。実際太平洋艦隊のTF57の一艦として行動した際、本級は全搭載機に対して5回分の航空燃料しか持たない、と判断されていますが、これが原因となって本級を含む英空母は、米空母に比べて頻繁に補給のために後方に下がらずを得ず、結果として大きく行動を制限される大きな要因となっています。
なお、本級のこの他の面は概ねイラストリアス級・インドミダブルに準じていますが、水中防御がやや強化されるなど、微細な変更は行われています。
1944年に撮影されたインディファティガブル。イラストリアスに比べて乾舷が高くなっているのがわかります。
表四:イラストリアス級要目変遷表
イラストリアス級 インドミダブル インディファティガブル級 全長 225.7m (水線部:216.6m)
229.9m (水線部:216.6m)
233.7m (水線部:222.7m)
最大幅 32.6m (水線部:29.2m)
35.5m (水線部:29.2m)
43m (水線部:29.2m)
喫水(満載時平均) 8.6m 8.5m 8.2m 機関出力 111,000馬力 111,000馬力 148,000馬力 排水量(基準/満載時) 23,207トン/28,619トン 23,512トン/29,730トン 24,013トン/32,110トン (計画時満載:28,968トン)
(うち防御関連重量) 4,941トン 4,299トン 3,645トン 燃料搭載量 4,854トン 4,517トン 4,693トン 最大速力(満載時) 30kts 30kts 32-32.5kts 航続力 14,000nm@10kts 不明 11,300nm@10kts 航空燃料搭載量 50,660英ガロン 70,000英ガロン 96,230英ガロン 格納庫サイズ(上部) 126.9mx18.9mx4.9m 126.9mx18.9mx4.3m 139.1mx18.9mx4.3m 格納庫サイズ(下部) 無し 63.4mx18.9mx4.3m 63.4mx18.9mx4.3m 格納庫内収容可能機数 33機 45機 48機 飛行甲板駐機可能機数 18機 20機 24機
(*3)この際に戦艦・巡洋艦等各艦種の保有枠も拡大されたことを受けて、以後英米仏が大規模な建艦計画を立てたことから第二次ロンドン条約は保有枠制限が無いと勘違いされることが多いのですが、実際にはエスカレータ条項発動前はワシントン・ロンドン条約の制限に基づく保有制限枠、エスカレータ条項発動後は1938年3月にジュネーブで行われたエスカレータ条項内容検討会議で定められた保有制限枠があります。因みに英国の場合KGV級は条約の制限に基づく既存戦艦(R級)の代艦であり、イラストリアス級も同様に既存空母(フュリアス・ハーミズ等)の代艦として整備されています。これに続いたライオン級戦艦及びインプラカブル級空母の整備は新枠による追加建造艦として計画されたものです。
なお、第二次ロンドン条約に保有制限枠がある事は、当時の外交文書から確認することが出来ます。これについて日本語で読める文献としては「日本外交文書」(外務省編纂)があり、これの(七)、(八)巻の中で巡洋艦の保有枠に関する文言を見る事が出来ます。
インプラカブル級以後の艦隊型空母:
1935年から38年の間に艦隊型空母の支援用として、第二次ロンドン条約下における空母保有制限の最後の枠内で小型の軽空母(11,000トン、ほぼ日本の瑞鳳型に匹敵する艦)の建造が検討されていますが、これは対費用効果に合わないと判定された結果建造が見送られ、先述のように第二次ロンドン条約のエスカレーター条約発動に伴って保有枠が拡大されたこともあり、残余枠と拡大枠を合わせてインプラカブル級が整備される事になります。
またこの時期に空母改装予備艦として、オーストラリア海軍の水上機母艦アルバトロスが購入されてますが、本艦は結局改装されずに終わり、水上機母艦として活動するに留まっています。
その後1940年度の戦時計画で改インプラカブル級の建造が企図されますが、これは基準排水量を27,000トンまで増大し、より格納庫面積を増大して多数の搭載機を積載する(48→64)とともに、飛行甲板の装甲厚を4inに増大する事とされていました。この計画は色々と検討が行われ、1941年11月28日に一応認証され、更なる開発指示が出ましたが2日後にキャンセルされてしまいイラストリアス級の系譜は此処で終焉を迎えることとなります。
この計画がキャンセルされた理由の一つには1941年10月より新型の航空母艦の設計が開始されていたことも影響しています。これがオーディシャス級またはイーグル級と呼ばれる空母になります。本級は基本的にはイラストリアス級の拡大発展型であすが、新規の設計艦であるためイラストリアス級を元にする設計の制限がなくなり、より大型かつ重防御の航空母艦として設計が進められます。しかし本級は戦時の戦訓を取り入れ、また航空艤装の要求から設計が中々確定しなかったため、建造開始が1944年にずれこみ、また建造自体も終戦等に伴って遅々として進められた過ぎず、結局戦後のジェット化対応を含め1954年にイーグル(元オーディシャス)とアーク・ロイヤルの2隻が完成して終わることになります。この他にマルタ級と呼ばれるアメリカのミッドウェー級CVBに匹敵する大型空母も設計・検討されますが、これらの艦は起工もされずに終わり、オーディシャス級の2隻が英艦隊型空母のラストを飾る艦となって終わります。またこのアーク・ロイヤルが1978年に退役したことにより、英海軍から正規空母の姿が無くなったことは、良く知られた事実であります。
表五:オーディシャス(アーク・ロイヤル(III))級要目(新造時)
全長 245.2m (水線部:228.8m)
最大幅 41.2m (水線部:34.8m)
喫水(満載時平均) 10m 機関出力 152,000馬力 排水量(基準/満載時) 36,970トン/45,720トン (うち防御関連重量) 6,320トン 燃料搭載量 6,510トン 最大速力 30.5kts(満載時) 航続力 6,500nm@24kts 航空用ガソリン搭載量 103,000英ガロン 航空用ディーゼル油搭載量 279,000英ガロン 格納庫サイズ(上部) 111mx20.4mx5.3m 格納庫サイズ(下部) 111mx20.4mx5.3m(*) 格納庫サイズ(上部拡張) 15.9mx19.5mx5.3m 格納庫収容可能機数 60 搭載可能機数(予定) 78(甲板繋止含む) (*)注:上下の格納庫のサイズは基本的に一緒だが、実際の格納庫内の有効床面積は上部格納庫が約2,270平米なのに対し、
下部格納庫は約2,210平米と格納庫内部における各種機器の設置等の理由により上下で異なったものとなっている。
(第一部:英艦隊型空母1918-1941編:終了)
(第二部:英軽空母・護衛空母(1941-1959)及びおまけ:空母搭載機(1918-1945)編に続く…かも知れない)
(Last Update:2003/09/13)
ご意見箱
もしお読みになられましたらば、お名前を記入していただいた上で、OKのボタンを押してください。ご面倒であればコメント欄への記入はいりません。ただ押していただくだけで結構です。あなたのワンクリックが、筆者が今後のテキストをおこしてゆく上でのモチベーションになります。
うまく送信できない方はこちらをご利用下さい→ kotsuka@mx1.alpha-web.ne.jp
Back