帰ってきた性能標準 / 爆撃機編
旧式兵器勉強家 BUN
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みなさん、こんにちは。
今日は長らくお待たせしておりました、海軍機の性能標準・爆撃機編です。テーマが爆撃機ですので、戦闘機よりも内容はやや地味で面白みに欠け、表も大きく読み辛く、文章は長くてクドく、辛抱強くて冷静で早合点しない賢明な読者諸兄におかれましては、もう本当に読むのが苦痛なことでしょうが、どうせ大概の事は私が悪いのです。一式陸攻がお盆の迎え火の如く良く燃えるのも、二式大艇が御殿女中の長刀の如く雷撃装備しちゃうのも、富嶽が用も無いのに一万五千メートルまで上昇しようとするのも、全て私に責任があります。悪かったです。もうしません。今度やる時は気をつけたいと思います。またやりたいと思います。それでは、本題に入りましょう。
昭和五年の春の宵
所要航空機種及性能標準
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昭和五年の性能標準は世に残る性能標準の中で私の一番好きな性能標準であります。何か、こう、新しい航空軍備を最初から作り上げようという意気込みと理想を感じます。また、後年の物のように戦訓という切迫した要求より、どこか現実離れした、発想優先で組立てられた雰囲気の各機種の性能が読んでいて楽しく好もしい印象があります。
さて、この昭和五年の性能標準で注目すべき点は陸上攻撃機の不在と、大型飛行艇の性能です。ここで構想された大型飛行艇は、爆弾4トンまたは54センチ、恐らく1.5トンの大型魚雷2本を搭載した極めて大きな攻撃能力を持っています。陸上攻撃機の構想以前に、海軍の大型攻撃航空機の構想はこうした飛行艇から始まっているのです。ですから海軍の大型攻撃航空機は飛行艇が本筋だったということですね。双発の一式陸攻に較べて二式飛行艇が立派な四発機であるのもこうした伝統に連なるものなのです。雷装可能な大型飛行艇である二式飛行艇が特異な機体という訳では無いのです。
次に見ていただきたいのは硬式飛行船の項です。勿論軟式飛行船の項も存在しますが、それは攻撃兵装を持たない哨戒航空機に当たるものですので別の機会に取り上げます。しかし、この硬式飛行船のスペックには驚かざるを得ません。爆弾10トンを搭載し、旋回機銃20丁以上装備、しかも護衛兼索敵攻撃機を五機搭載した大型硬式飛行船は最大速度と上昇性能を除けばこれはある意味であの幻の巨人機、富嶽を超えています。航続距離10000海里、乗員は三直制で行動は時間単位というよりも日単位、しかも作戦飛行中に軽微な損傷であれば自己修理もするという、まさに空中軍艦の姿がここにあります。また、余談ですが、当時の研究の中には構造を強化した大型硬式飛行船に着水能力を与えて水上艦艇との連携能力を強化する構想もありましたから、もはやこれは航空機というよりも飛行軍艦と呼ぶのが相応しい存在です。海軍の飛行船については、性能標準とは別の機会にまとめる予定ですが、とにかく海軍の大型攻撃航空機のルーツが陸上攻撃機ではないことを押さえて欲しい所です。
現実と立ち向かう昭和十一年
航空機種及性能標準
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昭和十一年の性能標準は一転して内容が現実的です。
大型攻撃飛行艇の姿は無く、攻撃航空機の主力は陸攻に移っています。その陸攻の兵装も昭和五年時の大型飛行艇に較べるとかなり抑制された現実的な数値です。そしてここで初めて現れた陸攻の特性が「操縦性は雷撃に適すること」との一文にある通り、雷撃に重点を置いていることも覚えて置くべき所です。この年の性能標準に漂う現実的というか、やや控えめな雰囲気はこの時代は海軍航空隊が自前の優秀機を開発できず、やや弱気になりつつある九試単戦採用直前の雰囲気を伝えているのではないでしょうか。後は時代を反映して急降下爆撃機である艦上爆撃機の項目が追加されています。艦上爆撃機の「用途」の項には「敵艦艇撃破(特に空母)」とあります。これは艦爆が敵空母の撃破を第一の目的とした機種であることを示しており、その後の性能標準にも受け継がれて行きます。日本の艦上爆撃機とは汎用の爆撃機ではなく、海戦において第一撃を敵航空母艦にかけ、その行動を封殺する為の存在であったことがここでわかります。
次に艦攻の「記事」の4番に「爆弾魚雷煙幕展張器は同一投下器で使用し迅速に交換し得ること」とあるのも重要でしょう。もし、仮にちゃんと性能標準通りの仕様で爆弾、魚雷共通で迅速交換可能に製作していればミッドウェーでああも手酷く敗北しなかったのではないでしょうか?事情は色々ある事柄なのですが、どうにも惜しまれます。
再び夢想に走る昭和十三年
(昭和十三年九月三十日 横須賀海軍航空隊司令より軍令部次長宛のもの)
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十三年度の性能標準案には大型攻撃機の項目が加わり、十一年で一旦消え去った大型飛行艇はその名を攻撃飛行艇と変えて復活しています。そして、重要な注目点はこの年から、攻撃機の特性の第一項目が全て「高速水平爆撃」に変更されている事です。ちょうど、この頃、対艦攻撃用爆弾が専門的な発達を見せ、優秀な徹甲爆弾が開発され始めたのを反映しての特性の変更です。密集編隊による高速水平爆撃を行う任務が追加されたからこそ、各機種の「記事」の中に「編隊行動容易なること」との文言が盛り込まれているのです。軍艦の主砲弾に匹敵する徹甲爆弾を一斉射分、密集編隊で敵艦の上空から照準して投下する高速水平爆撃は、当然のことながら軍艦の主砲射撃よりもはるかに命中率の高いものでした。大型攻撃機と攻撃飛行艇の爆弾搭載量1500kgX2発であり、計画中の1.5トン徹甲爆弾を編隊で投下して敵主力艦への必殺攻撃を実施する、という意味なのです。
また、この性能標準の欄外の備考には各機種共通事項として、防火防弾の強化について触れています。例えば十二試である一式陸攻も実は本格的な試作研究が開始されたのはこの年からですので、この性能標準案の影響下にあるはずです。本来ならば一式陸攻は日本の双発攻撃機で最初に防弾装備を充実させた機体として登場するべき存在だったことになりますが、実際にはほぼ無装備のまま、従来機よりも更に火災の危険の高い燃料搭載方式を採用するに至ります。ですから性能標準を読む限りにおいては、一式陸攻をワンショットライターに貶めた事に関しては海軍当局ばかりではなく、設計側にも十分に責任があったのではないかと考えられなくはありません。あれほどの損害と山本五十六司令長官の戦死さえも、もし仕様通りの防弾装備があれば、防げた可能性が高いのではないでしょうか。
昭和十四年、十五年の動き
昭和十四年二月 軍令部
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昭和十五年七月十五日 軍令部
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昭和十三年の性能標準案はその後の海軍爆撃機群の性格をほぼ規定する内容を持っていましたのでその後の改定は部分的なものに留まりますが、艦爆の爆弾搭載量の増大が、後の艦爆、艦攻の機種統合の下地を形成し昭和十五年の艦攻の「記事」には艦爆との機種統合が見られるようになり、各種装備品の中には写真電送装置等、偵察用機器の充実もまた検討されています。防御火器としては13粍機銃の検討が始まり、支那事変の戦訓の取り入れが進みます。翼端援護機の発想も現れ、大攻の防弾についても燃料槽と操縦者という防御の重点が指示されるようになります。
また、攻撃機の特性の第一は依然高速水平爆撃ですが、十五年には編隊雷撃という用語が現れ、雷撃への期待が復活した気配も見られます。この攻撃機の高速水平爆撃重視指向は、航空魚雷の開発の停滞もさることながら、支那事変勃発後の攻撃機の損害から、水平爆撃ですら対空砲火でこれだけの損害が出る以上、超低空攻撃となる航空雷撃は将来不可能になるのではないか、とする危惧から雷撃無用論が唱えられた、といった航空雷撃を取り巻く環境が反映された結果と見ることもできます。
しかし、十三試大攻が試作される状況下で、将来の大型陸上攻撃機のスペックが段々とあの「富嶽」に近づいているような気がするのは私だけでしょうか。魚雷の多数装備、地上銃撃等、中島知久平がZ飛行機に託したコンセプトは、実は海軍航空本部内に既に存在していた物の延長線上にあるものだったとは考えられないでしょうか。
激戦に驚愕する昭和十八年
(練習機及飛行船を除く) 昭和十八年二月二十五日 軍令部
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昭和十七年の激戦を経験した海軍は自前の攻撃機の大損害に大きな衝撃を受けていたことがこの性能標準からも理解できます。各機種に防弾防火装備について必ず記述があり、今後13粍以上の口径の機銃弾に対しても防御する必要があることが述べられています。
艦攻、艦爆は一本化され、新たに急降下爆撃能力を持った陸上長距離攻撃機である陸爆が加えられています。また、陸爆、中型攻撃機とも、夜間行動が重視されていること、雷撃に関しては、今までの編隊雷撃といった構想優先の戦術から魚雷の発達を見込んだ高々度雷撃に予定の戦術が変更されています。これらも大東亜戦争の開戦以降の厳しい戦訓の反映と読むことができます。
しかし、攻撃面での各機種の特性はさほど変化が無く、開戦後一年が経過したこの時期でも海軍の攻撃機は出来る限り大型の爆弾、または魚雷を以ってする対艦攻撃を重視していたようです。魚雷も従来の九一式(重量はこの頃の型で約1000kg)から1200kg、1400kg、果ては2000kgまで大型化されています。この大攻の搭載する2トン魚雷は連山用の試製魚雷Mを指し、連山が諸外国の四発爆撃機とは異なる長距離対艦攻撃機であることがわかります。四発の大型攻撃機の構想がこうした内容ですので、今度は陸爆の登場とに挟まれた形の中型攻撃機の特徴が曖昧なものになって来ています。陸上攻撃機がその後に大型攻撃機に統合される背景はこうした事情によるのです。また、欄外の各機種開発のプライオリティと航空母艦搭載機の重量、寸法の制限も興味深い所です。
陸海軍機種統合計画
(昭和十八年六月二十二日軍令部より海軍省に商議したもの)
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昭和十八年の大きな変化は陸海軍の航空機機種統合が検討され始めた点です。この十八年六月の時点では、単純に陸海軍の機種を併記したに過ぎませんが、この性能標準を読み込めば、どの機種とどの機種とが統合の可能性があるかは比較的簡単にイメージできると思います。事実、そのように機種統合は行われてゆくのです。
防御面でも、対象を20粍機銃に一本化し、それに対して軽防御、中防御、重防御の三段階のモデルを規定しています。簡潔で判りやすく、標準とは本来こういうものを指すのでしょう。
この最後の性能標準を見ると、今まで様々な機種が検討されてきた海軍の爆撃機も、突き詰めれば僅かな機種に絞り込めたのではないかとの感想を覚えます。海軍の爆撃機コンセプトをこのように肥大させた原因は何だったのでしょうか。特殊兵器として発達した航空魚雷と大型徹甲弾の為でしょうか。あるいはそれらを生み出した戦術思想でしょうか。それとも、海軍航空隊の存在そのものなのでしょうか。
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