「性能標準」(だけ!)から見た海軍戦闘機
−零戦の意外な本質−
旧式兵器勉強家 BUN
bun@platon.co.jp
序
みなさん、こんにちは。 今日は、普段より少し硬い話で恐縮ですが、帝国海軍戦闘機のコンセプトの移り変わりについて、お話したいと思います。帝国海軍戦闘機の歴史には、零戦を筆頭に優秀な戦闘機が綺羅星の如く名を連ねていますが、これらの戦闘機はなぜ、そのような性能を持つに至ったのでしょうか。たとえば、同時期の陸軍の名戦闘機、隼が12.7mm二挺の武装であるのに、何故、零戦は20mm機銃を搭載しているのでしょうか。あの長い航続距離は偶然の産物なのでしょうか。それとも設計者である堀越二郎氏の功績なのでしょうか。
一般に兵器の性能、仕様というものは、偶然にそのようになったもので無く、誰かが何処かで必ず「こうして欲しい」と要求している為にその様な性能、仕様となるものです。
ある飛行機に対して出された「この飛行機はこうして欲しい」という要求の背景には「こういう飛行機が必要だ」という用兵思想があり、設計者達はその思想を背景として具体化した要求を現実のものとする為に努力したのです。
性能標準とは何か?
性能標準とは、軍令部と航空本部が共同で制定した各種飛行機の機種、性能をまとめた航空機開発の大方針のことですが、大正末期に最初の性能標準が作成され、その後、何年かごとに改定され、その時々の新開発航空機の仕様を決定する根幹となっています。
現在、その全てが伝わってはいませんが、残された性能標準とその改定案を見ることで、海軍の航空機に対してのその時々の考え方、使い方がかなり具体的に把握できる格好の資料と言えるものです。日頃、何気なく考える疑問、何々という機体はは何故、何人乗りなのか、何々は雷撃を考慮した機体なのかそうでないのか、といった疑問に答えることが出来る最終の拠り所がこの性能標準なのです。
昭和5年、海軍は模索していた
では最初に昭和5年のものと伝えられる性能標準について考えてみましょう。
所要航空機種及性能標準
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この頃はまだ、海軍航空そのものが未発達で、空中戦の経験も無いまま、漠然と機種、性能を考えていたことが、その内容のシンプルさからも伺われます。戦闘機の用途はただ単純に「空中戦闘」となっており、海軍航空隊が将来体験する戦闘がどのようなものであるか、具体的な展望が無かったらしいことも想像されます。
また、この頃は車輪付きの艦上機を大型の一般軍艦からカタパルトで射出して運用することも考慮されていたことが判ります。そしてもうひとつ注目すべきことはこの時期に既に落下増槽の装備が検討されている点です。落下増槽の装備は九六艦戦のはるか以前に構想されていたのです。
更に偵察機兼戦闘機という機種が存在することにも注目です。これはおそらく複座の長距離戦闘機のことを指すのだと思われますが、水陸互換などという言葉にもあるように、発明品的な万能機の実験構想があったのでしょう。
零戦、制空戦闘機にあらず
次に昭和十一年の性能標準に移ります。
航空機種及性能標準
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この時期は九六艦戦が実用化し、海軍は自信を持って次期戦闘機の構想を練っていた様で、内容も具体的になり、そこから生まれた実機との結びつきも明確に読み取れる内容になってきます。次期戦闘機とは言うまでも無くあの零戦のことで、この年度の性能標準こそが零戦の仕様を決定したと言える重要なものなのです。
ここで大注目なのは、戦闘機の用途と特性の項目です。
よく見ていただきたい。昭和十一年当時の海軍が戦闘機に要求した用途と特性は、実に意外なものです。用途は、「敵攻撃機の阻止撃攘」(撃攘とは追い払うこと)、特性は、「速力、上昇力優秀にして敵高速爆撃機の撃攘に適し」とあり、戦闘機にとって、まず第一の目的が敵の高速爆撃機の邀撃にあったことが明確に記されています。格闘性能などといった用語はひとつも見られません。第二の用途すら、水上砲戦時に味方主力艦隊上空での敵観測機の活動を阻止することですから、対戦闘機格闘戦といった用途は二次的なものなのです。
機体の特性の項目にある言葉、「速力、上昇力優秀にして敵高速爆撃機の撃攘に適し、且つ戦闘機との空戦に優越すること」、このまるで雷電の要求仕様の如き内容の性能標準が零戦を生んだことはよく押さえて置くべき点です。敵高速爆撃機の邀撃に適する高速重武装戦闘機が零戦の正体なのです。
武装の項目にある20mm機銃の搭載も敵大型爆撃機を撃破するために必要とされた武装であり、零戦が隼や他国の戦闘機に比べて計画当初からはるかに重武装である理由なのです。また、零戦の抜群の空戦性能も、元をたどれば、この性能標準で要求された「増槽装備で6時間の滞空能力」を持たせたことが、機体の軽量化、実際の空戦時の身軽さにつながっただけなのではないか、とすら思えます。
局地戦闘機の分化
(昭和十三年九月三十日 横須賀海軍航空隊司令より軍令部次長宛のもの)
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次は零戦が既に試作中の昭和十三年の性能標準です。支那事変が勃発し、その影響で海軍航空を取り巻く情勢が一変した様子が読み取れます。開発予算が急増した為に戦闘機の機種が増えていますし、実戦の戦訓が仕様に反映された形跡があります。
それでも、艦上戦闘機の第一の用途は「敵攻撃機の阻止撃攘」なのです。「敵戦闘機の撃破」は二番目の用途に過ぎません。ここで格闘戦という言葉が性能標準の中に初めて現れますが、これが多分、支那事変で実際に経験した空中戦の実相を反映した部分なのでしょう。海軍の爆撃機重視は変わらない、というか、重視するあまり、今後登場するであろう更に高性能な高速爆撃機の邀撃の為の専用機種、局地戦闘機の概念もここで登場します。
武装については、20mmの開発が難渋した為か、13mm機銃の装備が検討されています。各銃あたりの弾薬搭載量が大きくなる点も魅力的だったのかもしれません。 そして、この十三年の性能標準では月光の母体となる十三試双戦の基本概念が登場しますが、各項目を見ても判る通り、座席数、武装ともに具体的な数値を設定できず、未だ非常に曖昧な状態であったらしく、この基本概念の曖昧さが後に十三試双戦の開発の停滞と頓挫につながったのではないかと想像することもできます。
武装方針定まらず
その次は十四年の性能標準案を見ます。
昭和十四年二月 軍令部
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ここでもまだ艦上戦闘機の第一の用途は「敵攻撃機の阻止」に置かれています。「敵戦闘機の撃破」は二番目の用途です。確かに対戦闘機用途は盛り込まれていますが、この二番目というのが曲者で、翌年の性能標準には局地戦闘機の第二の用途にも対戦闘機用途が盛り込まれますが、雷電を見ても判る通り、第二の用途はあまり重要視されない傾向にあります。
また、武装については20mm案が復活し、13mmと併記されていること、更に記事として武装についての研究の余地について触れていることも注目すべきでしょう。
遠距離戦闘機はいまだにその明確な基本概念が固まらず、前年同様の曖昧な状態であり、一方、前年現れた水上戦闘機の概念は水上局地戦闘機として、かなり明確なものになりつつあることが判ります。
次期艦上戦闘機
次は昭和15年です。
昭和十五年七月十五日 軍令部
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この年は、零戦が完成し、次期艦上戦闘機の要求仕様が検討された年でもあります。武装は13mmに戻っており、戦闘機の20mm装備の目的が敵爆撃機の撃破にあることが改めて確認できます。局地戦闘機は20mm装備です。
さて、どうなったのか、かなり心配な偵察機兼戦闘機の仕様ですが、この年はかなり具体的なものに育っており、何か、その、ひと安心です。しかし、特性の項目に「夜間空戦を重視す」と加わっていることが気になります。十三試双戦が二式陸上偵察機を経て月光につながる萌芽が奇しくも現れているのでしょうか。この構想は後の天雷につながってゆくものです。
水上戦闘機の性格も明確になり、対戦闘機用途を第一に据えた高速水上機として後の強風につながります。この昭和15年の性能標準に敵戦闘機の撃破という用途が記されたことが、後に強風の陸上型である紫電が制空戦闘機として活躍する可能性を残したと見ることもできるでしょう。
また、複座の水上戦闘機兼爆撃機という概念も生まれています。これは後に瑞雲として実現します。
ここで開戦前の性能標準は終わりですが、ここまで一貫して艦上戦闘機の第一の用途が「敵攻撃機の阻止撃攘」にあったことは覚えておくべき項目です。
よく「零戦の後継機は昭和15年には開発に着手すべきであった」と言われますが、もし、仮に、そのようになったとしても、登場する戦闘機はこの15年の性能標準を反映した機体になったに違いないのです。それが有効な機体である保証はどこにもありません。
新カテゴリーの誕生
開戦後の十八年の性能標準案です。
昭和十八年二月二十五日 軍令部
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この年の性能標準は、今までとかなり異なります。艦上戦闘機と陸上戦闘機を統合した対戦闘機用戦闘機としてA戦闘機という類別を置き、ここで初めて敵戦闘機の撃墜を第一の目的とした戦闘機の概念が現れます。ただ、性能的に見てかなり控えめな点が気に掛かります。早期実現を念頭に置いた構想なのでしょうか。また「降下爆撃可能なること」といった汎用戦闘機としての構想がA戦闘機なのかもしれません。加えて、「記事」にある「プレシュアーケビン」とは与圧式の操縦席のことですが、これを搭載した場合にはA戦と艦上戦闘機を区別するとあり、邀撃戦闘機、あるいは高度15000mでの高速飛行を目標とした次世代中攻の護衛機としての用途も考慮されているのかもしれません。
B戦闘機は従来の局地戦闘機のことですが、性能的にはA戦闘機の拡大強化版といった性格の、悪く言えば独立機種としての存在がやや希薄なものになっています。
次の哨戒兼戦闘機という機種については、この時点で既に夜間局地防空という用途があったことに注目、後の電光となった構想です。
また、既にガダルカナルの敗戦の只中である18年を迎えた時点で次期水上戦闘機の項目が残されているのも違和感がありますが、この機種はさすがに試作にまでは至りません。
陸海軍協同試作
(昭和十八年六月二十二日軍令部より海軍省に商議したもの)
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18年の性能標準改定案が出てまもなく、陸海軍協同での航空機開発構想が持ち上がり、陸軍の性能標準にあたる試作研究方針と海軍の航空機種及性能標準が統合されます。
ただ、協同開発方針が決定したばかりのこの時点ではそれぞれの既存の構想が並存する形をとり、陸海軍それぞれの持つ機種の解釈のつき合わせによる機種の統合のみが行われ、実際には陸海軍双方において同一機種で別設計の機体が開発される状況のままでした。ですから機種のつき合わせも不十分で、海軍の戦闘機のカテゴリーからはみ出すキ-83等は遠距離戦闘機として独立しています。
海軍としてはこの時点で戦闘機を対戦闘機用途の甲戦と対爆撃機用途の乙戦、夜間戦闘専用機種である丙戦に分類し、この分類はその後の部隊の装備、運用にまで広く用いられることになります。
甲戦闘機はA戦闘機と同じく艦上機に限らず、対戦闘機用途の制空戦闘機として位置付けられ、次世代戦闘機として機上電探の装備も研究することとされます。十八試甲戦闘機陣風に機上電探が装備されたかどうかは陣風の基本研究の開始がこの性能標準より少し早いことからも少々疑問ですが、研究項目として検討されていたことは事実でしょう。
乙戦闘機は陸軍の高高度戦闘機と合同されていますが、海軍側の位置付けとしては重装備の爆撃機邀撃専用機であったようです。これに当たるのは十八試局戦である震電のはずですが、震電についてもこの性能標準は間に合っていないようで、武装は強力ですが、機上電探の装備などは震電試作機には考慮されていません。この性能標準を体現した機体は、むしろ陸軍でこの時点での乙戦=近距離戦闘機キ-87の後に開発されたキ-94あたりではないかとも思えます。
丙戦闘機は明確に夜間戦闘を目的とした初めての機種ですが既に月光が登場する状況で、天雷の試作も開始されていますので、それらの細部にも反映されたと考えられます。
事実上初の夜間戦闘機として二式陸偵改造機が夜間撃墜を達成した直後に「月光」の命名が間髪入れずに行われるのはこの性能標準が存在し、夜戦のカテゴリーが既に存在していたからに他なりません。
また、あくまで想像の範囲の話ですが、18年2月の性能標準案から現れる20粍二連の旋回銃は、実は月光に取り付けられた斜め銃の発想の母体なのではないでしょうか。海軍の一大研究機関であった横須賀航空隊に縁の深い小園司令が構想段階の性能標準に目を通すことは十分考えられ、それを実戦的な発想で簡易に実現したのがあの20粍の斜め銃なのでは、と考えることもあります。
性能標準を読む
以上、各年の性能標準について、そこから読み取れるものを検討してきましたが、こうした性格の文書は、見る人によって様々な読み方ができることと思います。
しかし、一部の出版物にあるように、ただ単に断片的に引用しているだけでは、単なる薀蓄に過ぎません。こうして手に入る物を全て並べてその流れを追うことで、見えてくる新たな事実もあるでしょう。
今回は各機体の開発における様々な事情はあえて無視して、構想の基本となった用兵思想そのものに近い存在である性能標準のみに目を向けて、個別の機体の研究だけでは視野からはみ出てしまいがちな事柄を検証してみました。
付属の性能標準は戦闘機の部分のみの抜粋ですが、希望が多ければ他の機種の性能標準も追加したいと思います。
今回、内容がいつになく真面目でしたので、期待された方、本当に残念でした(笑)。
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