すてきなオクタン
−帝国陸海軍航空燃料事情−
旧式兵器勉強家 BUN
bun@platon.co.jp
今日は帝国陸海軍の燃料についてお話しようと思います。
世に出回る戦記などを読むにつけ、以下のような記述が目につきます。
「海軍が先進技術を提供しなかった為に陸軍航空隊は低品質燃料で飛行していた」
「誉エンジンは戦争後期に供給された低オクタン燃料の為に十分な性能を発揮できなかった」
「戦争末期の日本戦闘機は燃料不足からアルコール混合燃料で飛行していた」
もっともな気もしますし、少々怪しくもあります。今回はこの辺りを検証してみたいと思います。
陸海軍航空本部協調委員会
とかく対立した部分のみが注目される帝国陸海軍ですが、相互の協力の事実は多く、航空に関しては、中でも指揮権や戦略に関わらない分野での協調は早くから行われていました。今回のテーマは燃料ですから、燃料に絞って考えることにします。
「海軍航空本部 昭和11年11月11日 現状報告」には次のような記述があります。
このように陸海軍の燃料の統一規格は昭和11年の時点で既に検討が開始されているのです。この頃の技術では87オクタン以上の燃料の供給は事実上不可能であった為に当分の間との注記付きで87オクタンへの統一が掲げられています。また、戦争末期に登場するアルコール混合燃料の研究もこの頃から行われています。松根油よりもアルコール燃料の方が早期に実用化した理解できます。
現行航空揮発油規格は種類多きのみならず試験法にも不備の点あるを以て之が改訂を策し先ず陸海軍航空本部協調委員会第六分科会(昭和11年9月11日 海軍航空本部にて開催)において今後両軍の第一線用として要求する航空揮発油の「オクタン」価(CFRモーター法により測定)を87(当分の間主用)、93及び98乃至100の三種に統一し87「オクタン」以下のもの(主として練習機用)は両軍において適宜規格を定め使用のことに大体の協議まとまりたるを以て右を基礎とし11月中旬軍務局において航空本部、航空廠、関係技術者会合の上規格及試験法改訂に関し下打合を行う予定なり
尚 右の席上「アルコール」規格及「アルコール」航空揮発油混合燃料使用の件も併せて研究協議する筈
この頃の代表的なエンジンである寿には85オクタンが供給されており、神風や天風には70オクタンの燃料が供給されていますので、ここで言われる87オクタンの航空揮発油は当時の高性能エンジンの為の高品質燃料だったのです。
参考までに金星三型の各オクタン価燃料による軸馬力の差は以下の通りです。
77オクタン 吸気圧力(m/m)0 690馬力 85オクタン (+)50 730馬力 88オクタン (+)60 740馬力 92オクタン (+)70 750馬力 100オクタン
(燃料廠製)(+)120 800馬力 100オクタン
(米国製)(+)全開 850馬力以上
との結果が計測されていますから、陸海軍共に燃料のオクタン価の向上に必死になるのは当然のことです。当時は国産の100オクタン燃料は試作の域を出ず、その品質も米国製に大きく劣っていたようですが、とにかく77オクタンと米国製100オクタンでは馬力が二割以上も向上しているのです。
更に、こうした燃料の品質向上の努力と併せて、低オクタン価燃料を高性能エンジンに使用する研究も行われています。それはお馴染みの水メタノール噴射のことです。火星の改良型や護などの大馬力エンジンは誉などと同じく100オクタンを前提としたエンジンですが、前述の通り日本では100オクタン燃料の供給は不可能でした。そこで16年夏までに火星、護、誉の各エンジンに水メタノール噴射を実施する実験が行われ、その実効が確認されています。結局入手不可能の100オクタン燃料は「91オクタン燃料プラス水メタノール噴射」で代用されて問題は解決されるのですが、ここではメタノール噴射の技術が、エンジンのパワーブースターとしてではなく、燃料の品質問題から導入されていることに注目するべきでしょう。ドイツ空軍が主に特別装備のパワーブースターとして水メタノール噴射装置を採用しているのに比べ、後期の帝国陸海軍のエンジンが軒並み水メタノール噴射装置を装備しているのにはこうした事情があるのです。
陸軍航空燃料は87オクタンか?
さて、ここで開戦直前の陸軍航空隊の燃料事情を見てみます。以下の表は開戦を前に南方軍に交付された燃料の内訳です。
航空八七揮発油 | 航空九一揮発油 | 航空一〇〇揮発油 | ヒマシ油 | 航空潤滑油 | |
広東 | 10000 | 700 | |||
西貢 | 15000 | 15000 | 1200 | 1150 | |
台湾 | 37500 | 24600 | 249 | 4570 | 2000 |
馬来方面 | 10000 | 14000 | 800 | 800 | |
比島方面 | 10000 | 8400 | 430 | 580 | |
総計 | 72500 | 72000 | 249 | 7200 | 5230 |
通説では87オクタンが標準のはずである陸軍の航空燃料の約半分が91オクタンであることがわかります。一部に100オクタンの高品質燃料(恐らく米国製)が目に付きますがこれは隠密偵察任務を帯びた司令部偵察機用の燃料と考えられます。このように開戦時において陸軍は91オクタンの燃料を新型機に十分に供給することが可能でした。当然、隼戦闘機も91オクタン燃料で作戦飛行に臨んでいたのです。
さて、次に戦争末期の状態を見てみます。
この表は陸軍の飛行学校の燃料在庫です。飛行学校はこの当時教導飛行師団として実戦部隊同様の扱いを受けていましたが、やはり後方部隊であることには変わりがありません。当然燃料の供給もまた最前線に比べると多少は悪かったのではないかと想像できますが、結果はご覧の通りです。
九一揮発油 | 八七揮発油 | 鉱油 | ヒマシ油 | |
明野 | 169000 | 10800 | 10600 | 1870 |
北伊勢 | 159068 | 20500 | 1930 | 512 |
夫滝 | 62100 | 19957 | 1500 | 3040 |
富士 | 29000 | 39200 | 0 | 170 |
八日市 | 68600 | 21400 | 2000 | 不明 |
佐野 | 90500 | 61800 | 2605 | 2002 |
高松 | 73000 | 69550 | 1000 | 8575 |
合計 | 651268 | 243207 | 19635 | 16169 |
このように後方の飛行学校レベルでも主用燃料は91オクタンであり、しかもその割合は開戦直前の南方軍よりも多く、燃料事情としてはその量はともかくも質の面においては向上しているのです。
更に終戦後に大本営陸軍部がまとめた資料には以下のようなものがあります。
飛行場 | 航空九五揮発油 | 航空九一揮発油 | 航空八七揮発油 |
相模 | 100 | 270 | 30 |
立川 | 40 | 330 | 30 |
所沢 | 40 | 210 | 50 |
福生 | 100 | 70 | 30 |
調布 | 100 | 280 | 20 |
成増 | 100 | 200 | |
熊谷 | 300 | 100 | |
壬生 | 150 | 50 | |
豊岡 | 50 | 50 | |
高萩 | 170 | 30 | |
狭山 | 170 | 30 | |
坂戸 | 170 | 30 | |
松山 | 180 | 20 | |
児玉 | 100 | 260 | 40 |
前橋 | 70 | 30 | |
太田 | 40 | 160 | |
新田 | 40 | 340 | 20 |
下館 | 40 | 130 | 30 |
館林 | 40 | 130 | 30 |
西筑波 | 370 | 30 | |
宇都宮 | 40 | 310 | 50 |
那須野 | 280 | 20 | |
水戸 | 40 | 190 | 70 |
豊鹿島 | 70 | 30 | |
八街 | 40 | 30 | 30 |
下志津 | 40 | 130 | 30 |
印旛 | 180 | 20 | |
越谷 | 280 | 20 | |
藤ヶ谷 | 180 | 20 | |
東金 | 40 | 240 | 20 |
松戸 | 30 | 50 | 20 |
柏 | 30 | 50 | 20 |
合計 | 1000 | 6000 | 1000 |
このように終戦時において、関東地区の各飛行場の燃料在庫内訳は圧倒的に91オクタンが主流で87オクタン燃料の少なさが返って印象的な程です。大本営陸軍部は終戦時の保有燃料について次のように報告しています。
航空揮発油 九五揮 約5000キロリットル 九一揮 約20000キロリットル 八七揮 約3000キロリットル 七七揮 約2000キロリットル 合計 約30000キロリットル
この報告が物語っているのは「陸軍航空隊の航空燃料の質は開戦時から年を追う毎に向上し、最終的には91オクタン燃料をほぼ統一的に使用するに至った」という一般のイメージから全くかけ離れた事実です。
疾風と航空燃料
と言うわけで、我らが大東亜決戦機、四式戦「疾風」も、もっぱら91オクタン燃料で終戦のその日まで飛びつづけていたことがご理解戴けると思います。実際に給油の記録を拾っても疾風の部隊は91オクタン燃料を給油していることが確認できます。乙型試作機が631km/hを発揮したのも91オクタン燃料と水メタノール噴射(100オクタン相当)によってのことです。また、米軍の飛行試験で疾風が発揮したとされる高速も、細部をもう一度洗い直す必要はあると思いますが、100オクタン燃料プラス、水メタノール噴射が好結果の一因であることは確実でしょう。米軍は疾風が本来使用する予定よりも良質の燃料で疾風を飛ばしたのであり、疾風が必要としていたのは最初から91オクタンと水メタノール噴射だったのです。その燃料品質は終戦まで維持されていたのですから、疾風の故障多発、性能不良の原因は燃料以外の所にあるのです。
話は少し逸れてしまいますが、今のところ誉の不調に関してかなり疑われるのが潤滑油の問題ではないでしょうか。疾風の部隊で高実働率を誇った飛行第47戦隊では、再生潤滑油の使用を厳禁していたと言われていますし、あまり有名ではありませんが実働率100%を誇った飛行第104戦隊では満州の補給廠に在庫していた米国製潤滑油を使用し、支給されていた航空鉱油乙(再生潤滑油 廃油をフィルターで濾したもの)を廃棄しています。また、陸軍戦闘機隊の総本山的な存在であり、海軍の横須賀航空隊的な位置にもあった明野飛行学校では各機種の故障傾向を分析し、疾風の多発故障としては電気系統の故障と並んで潤滑油に起因する故障の二点のみを挙げています。あくまで仮説ですが、遂に実用化できなかった合成潤滑油など、この潤滑油問題というものは、実は燃料問題よりも遥かに大きな問題だったのではないでしょうか。
紫電改は何オクタンで飛んでいたか?
一方、海軍航空隊は同じ頃、どのような燃料事情にあったのでしょう。次の表は九州方面の各基地の燃料在庫状況です。
昭和20年5月15日現在の九州方面中心の各基地燃料保有状況
(第五航空艦隊司令部作成の資料による)
基地 91オクタン 87オクタン メタノール アルコール 鹿屋 1787 489 0 1 笠ノ原 209 1 0 12 串良 268 33 8 4 鹿児島 289 149 9 0 指宿 332 172 0 0 第一国分 54 599 1 10 第二国分 227 206 10 0 都城東 92 89 0 0 宮崎 1222 664 27 16 富高 376 146 0 26 大分 58 348 66 61 宇佐 89 486 0 98 築城 530 348 21 15 博多 11 37 0 169 種子島 292 0 8 19 喜界島 108 85 19 1 宮古 183 63 11 0 南大東 36 16 5 0 小松 338 2226 36 236 大村 199 145 4 100 合計 6700 6302 225 768 燃料類合計 キロリットル 13995
ここでも91オクタン燃料が87オクタン燃料の在庫量を大きく上回っていることがわかります。やはり紫電改も雷電も訓練時はともかく実戦での飛行には必ず91オクタン燃料が供給されていたであろうことが想像できます。更に面白いのは各基地の中で、旧式機で編成された特攻隊が主用する基地には87オクタンの燃料が集積されており、より後方の練習航空隊の基地ではアルコール燃料の在庫が見られることです。アルコール燃料は戦争末期に確かに実用されていましたが、その実態は限られた基地で限られた機種に対して集中的に使用されていたのです。全ての戦闘機がアルコール燃料で飛んでいた訳ではありません。この表で南部の最前線の飛行場にはアルコール燃料の在庫がほとんど見かけられないのは第一線用の機体にはアルコール燃料は使用されなかったことと、特攻用練習機でもアルコール燃料を使用した場合の航続距離の不足が問題にされていたのかもしれません。
次の表は海軍航空隊の中でも後方の部隊である第十航空艦隊の各基地の燃料在庫を見てみます。この第十航空艦隊は先に挙げた九州の第五航空艦隊の後方部隊として特攻要員の供給を行った練習航空隊を統合した部隊です。練習航空隊の燃料事情はどうだったのでしょうか。
昭和二十年八月一日
第十航空艦隊各隊燃料保有状況
基地 91オクタン 87オクタン 1AL 2AL 霞ヶ浦空 9 102 201 70 谷田部空 247 135 294 1 百里原空 457 73 63 44 松島空 186 0 110 17 元山空 109 0 75 0 第二郡山空 155 77 311 336 神町空 13 8 34 36 霞空 千歳 877 160 55 272 霞空 美幌 247 8 43 12 松空 美幌 231 105 33 5 合計 2531 668 1219 793 燃料合計 キロリットル 5211
やはり練習航空隊であっても使用燃料の主体は91オクタンであることがわかります。練習機に使用が限られていたアルコール燃料も、練習機だからといって全ての機体に使用されていたのではなく、一部の基地の限られた機体にのみ使用されていたことがこの表からも読み取れます。
これらの記録から海軍航空隊もまた、87オクタンで運転されていた瑞星などの時代から戦争末期にかけて「供給される燃料の質は年を追う毎に向上し、戦争末期には91オクタン燃料が主流となるほどに航空燃料のオクタン価は向上していた」ということが言えてしまいます。
と言う訳で、帝国陸海軍航空隊の燃料については、その実態が通説とは大きく異なり、開戦から終戦のその日まで、供給される航空燃料のオクタン価はどんどん向上していったのです。誉の跡を継ぐ形で試作中の更に高性能大馬力のエンジン群を運転する為にはそれは必要不可欠なことでした。そしてただ自然に航空燃料のオクタン価が向上していったのではなく、その陰に払われた努力と犠牲の大きさにも目を向けるべきであると私は思います。
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