1966年までメッサーシュミット
−イスパノメッサーの長い春−


旧式兵器勉強家 BUN
bun@platon.co.jp




「空軍大戦略」のメッサーシュミット


 今日はチェコのメッサーシュミット、AviaS-199に続いて、スペインのメッサーシュミットのお話です。映画「空軍大戦略」でバトル・オブ・ブリテンのBf109Eを好演した本物のメッサーシュミットのことを覚えている方は多いでしょう。機首の形状が異なるメッサーでしたが、空中に上がれば紛うかたなきメッサーシュミットそのものでした。このメッサーシュミットがロールスロイス・マーリンを搭載したスペイン製の機体であることは良く知られています。中には「あのマーリン付きのスペイン製のメッサーシュミットは知る人ぞ知るハンス・マルセイユを主人公とした映画『アフリカの星』にも出演していて、『アフリカの星ボレロ』が何とも…」という熱心なファンもいらっしゃるでしょうが、実はあの映画に出ていたのはマーリン・メッサーではありません。どうでもいいようなことではありますが、世の中の事情は複雑なのです。と、いうことで、今日はこの機体について簡単にまとめてみましょう。


1939年の終戦


 実際にはスターリンの画策した国際共産主義戦略の一環として各国に存在した人民戦線に物好きな文学者達が荷担して小説を残した為に、実際以上にロマンチックなイメージで語られるスペイン内戦が終結した後、政権を握ったフランコの空軍に残されたのは、「継続戦争」終結後のフィンランド空軍よりも更に雑多な単発戦闘機で構成された、どうにも統制のとれない戦闘機隊でした。メッサーシュミットBf109はB型とE型、ソ連製のポリカルポフI-15の各型に加え、イタリア製のフィアットCR32等を中心に、細かく分ければ20種類近い装備に彩られたスペイン空軍戦闘機隊は、当然、装備した機種と同じ数だけの補給部品供給問題を抱えた、どうにもならない状態のまま、急速に進展する世界の戦闘機事情を横目にただ旧式化を重ねるばかりでした。
 このような状況下で、新型戦闘機の導入による戦闘機隊の合理化と近代化はスペイン空軍にとって最も重要の課題であり、最も困難な課題でした。


戦闘機隊の長い春


 スペイン内戦というと、ナチスドイツの送り込んだコンドル軍団の名が有名な為にドイツ軍装備のイメージが強くありますが、実際にはスペイン内戦に大きく介入し、大兵力を投入していたのはファシズムの先輩国であるイタリアでした。内戦の終結以前の1938年からスペイン国内ではフィアットCR32のライセンス生産が開始され、1942年頃まで生産が続行されています。CR32はたしかに傑作複葉戦闘機ではあるものの、いくら何でも1930年代末期にライセンス生産しなくても良さそうなものですが、現実にはイタリア製の単葉戦闘機よりも複葉のCR32の方が実戦では強く、使い勝手も良い為にはるかに活躍し、多くの実績を残していましたので、その内戦の現地でCR32がライセンス生産されることはそれ程不思議なことでは無かったのです。さて、どうしたものか…。
 しかし、戦闘機の機種更新といった明日でも出来ることを、そうそう急いでやる物ではありません。スペインには戦闘機は無くとも、美味しいワインがあり、豊かな海産物と野菜果物に満ちているのです。そもそも、スペインの葡萄作付け面積は世界一で、その葡萄から醸造されるワインの生産量も、イタリア、フランスに次いで世界第三位の座にあるワイン大国なのです。スペインでのワインづくりの歴史は遙か紀元前にも遡ることができ、途中イスラムの支配にあった時代を除き、スペインワインの歴史は連綿と続いており、ワインは嗜好品としてだけではなく、滋養強壮薬として処方箋付きで飲用された程に大切に扱われたといいます。だいたい、ワインは薬なのですから、幾ら呑んでも、ただもう、体にいいばかりで、何の問題もなく、仕事が滞っても明日すれば良く、宴会が重なればハシゴすればいいだけのことで…

 などと言っている間に1942年も暮れようとしています。ああ、ワイン呑みつつ、3年も経ってしまいました。ラテンの国ではよくあることです。また、困ったものですが、状況は全く進展を見せません。が、これもラテンの国ではよくあることですからさほど問題視されなかった様です。
 とは言いながらも、空軍戦闘機隊は年を追う毎に、いえ、激戦が繰り広げられているピレネー山脈の向こうでは月を追う毎に新型機が登場し、新しい戦術が発展しているのですから、とにかく急速に旧式化、無力化して行きます。交戦国なら大慌てで策を練るところですが、そもそもスペインは戦争をしていないのですから、実はまだまだ余裕もあり、何とかなるような気もします。取り敢えず、今年の決断としては、ひとつ、勇気を以てライセンス生産を続けていたフィアットCR32複葉戦闘機の生産を取り止めてみることにしました。その後に生産する機体の予定は全く無く、見通しも無いのですが、このままCR32をずっと造り続けていても、ひょっとしたら、多分、きっと、意味が無いかも知れないからです。セビリアのイスパノ社は戦闘機の生産ラインを閉じることになりました。1942年にスペイン空軍首脳が下した良い決断のひとつが、これです。


傍流メッサーシュミットの宿命


 親枢軸中立国であったスペインにとって、新型機の導入元の第一候補はイタリアでしたが、名機CR32以降、イタリアの戦闘機は数は出るものの、いずれもパッとしないまま、遂にエンジンの供給をドイツから受ける身になり果てた1942年の状況では、イタリア戦闘機の導入は見込めません。
 残るはただ一国、ドイツからメッサーシュミットBf109の供給を得る道だけが残されていましたが、Bf109F、50機の供給を受けたものの、東西両戦線で激戦を戦うドイツからの継続的な供給は難しく、やはり、スペイン国内でのライセンス生産が望まれ、ドイツとの交渉が開始されました。
 1943年に入り、交渉は成立し、Bf109G-2のライセンス生産契約が交わされました。今までCR32を生産していたイスパノ社が機体の生産を受け持ち、ダイムラーベンツDB605Aエンジンの供給はドイツが行うというものでした。そして最初の25機は分解状態のままドイツから運ばれ、イスパノ社でノックダウン生産に入る予定でした。
 しかし、第一陣の25機分の機体部品が到着した以外、ドイツからは何も届かなかったのです。しかも、到着した機体部品は全て尾部の関連部品が一切欠品となっていました。スペイン政府は、この重大な契約違反と納期の遅延に対して、厳重な抗議をドイツに対して繰り返しましたが、貴重で高価なDB605Aエンジンは全てピレネー山脈の向こう側で行われている大戦争の為に消えてしまい、遂に一台もスペインには届きません。しかも、抗議と催促を繰り返すうちに、今度はヨーロッパの空からドイツ空軍自体が居なくなってしまったのだからたまりません。
 さて、このようにして傍流メッサーシュミットに付き物と言われる「エンジン探し」が始まったのですが、スペインの場合、自国は戦争をしていませんが、周りは世界大戦の真っ最中でしたから、それは容易なものではありません。当然、候補エンジンは限られ、ただ一機種に絞られました。それは戦前のフランスの航空機用エンジンで、MS406やD520の搭載された12Yのスペイン版改良型12-Z-89、1300馬力でした。しかし、このエンジンはDB605の倒立V型に対して正立のV型エンジンである上に、若干狭角のV型でもあるので背が高く、機首に収めるのは至難の技で、まず、このエンジンが積めるのか、そして飛ぶことができるのか、を古くなったBf109E型をテストベットにして実験し、実用性が確認されました。そして、本格的な試作1号機が造られましたが、この1号機の機首はモラーヌソルニエ等のエンジンを積んだ為に外形のデザインまで影響を受けてしまったのか、モラーヌの機首をメッサーシュミットに接いだ様な奇妙な形となっています。もう一ひねり必要な試作1号機でした。既に時は1945年3月、独軍戦線はライン川の東岸にまで後退し、ピレネー山脈の向こう側には米軍戦闘機が乱舞していました。一方、時が止まった様なピレネーのこっち側でようやく新エンジンを搭載したメッサーシュミットはHA-1109J-1-Lと命名されましたが、肝心の新エンジンの12-Z-89が、理想とはほど遠い内容で実出力と信頼性が低く、実用までには問題山積で、とても量産には入れない状況です。
 しかし、今までCR32をライセンス生産していた国がいきなり当時の一流戦闘機をエンジンごと生産しようとしたのですから、これくらいの不具合は在って当然、しかも、ヨーロッパ、というかピレネー山脈の向こう側の世界では戦争の季節は過ぎ去りつつあったのですから、何も急ぐこともありません。国家存亡の危機(といった事態も、ひょっとしてあるかもしれない、と考えてもそれ程無駄ではないかもしれない、と何となく思えるようなユルユルの危機感)は遙かに遠のいたことは確かでした。そんな中でロールアウトしたHA1109J-1-L生産1号機は、何とスイスがこっそりとライセンス生産していたドイツ式のVDMプロペラを手に入れた他、様々な改良が行われましたが、不具合は収まらず飛べません。この機体が初めて離陸できたのは1947年になってからのことでした。
 しかし、我が大日本帝国の事情と照らして見れば、こうした事態に向き合ったとき、DB605Aに代わる1300馬力の高性能液冷エンジンを自国で調達できたスペインという国はやはり、豊かな国だったのではないでしょうか。
 そう、豊かなスペインを代表するのが豊富な海産物をふんだんに使ったスペイン料理でしょう。スペインのワインはtintoと呼ばれる赤ワインが有名なのですが、やはり魚料理に相性のいい軽快な味わいの白ワイン豊富に揃っており、女子供だけでなく、アルコールなら何でもいい大人達にも大いに愛飲されています。最近の世界的なワインブームは、スペインの白ワインにも影響を与え、近頃では長期醸造タイプの味の濃い白がもてはやされる傾向にありますが、酒仙というものは、酒を味わうよりまず量を競うのが本式ですので、赤でも白でも注がれたら呑まねばなりません。料理との調和などと、レストランが高い酒を売りつける方便を真に受ける馬鹿は放っておいて、男はひたすら呑めばいいのです。大体、酒呑んでる間に大食いする奴は立派な酒呑みにはなれる訳が無く…

 ああ、ちょっと話がそれた間に1951年になってしまいました。欠陥をそのままにHA1109J-1-Lの量産をするかしないかと逡巡して、あれから6年、思えば長い歳月でしたが、状況は1945年3月がまるで昨日の如く変わりなく、緊張感の無い時間だけがゆっくりと過ぎていたのです。


エンジン・シルブプレ!


 しかしそんなスペイン戦闘機シーンにも、「待てばカイロのピラミッド」とナポレオンの語録にある如く、朗報がひとつありました。フランスからのエンジン供給の見通しがついたのです。フランス製の新エンジンは12-Z-17と呼ばれ、離昇1300馬力の出力は従来の12-Z-89と変わりませんが、このエンジンの大きな特徴はちゃんとカタログデータ通りの性能を発揮する点でしたから、即、エンジン換装が決定され、デ・ハビランド油圧式プロペラと組み合わせた試作機が製作されました。
 そう、これが良かった。最大速度は高度4200mで650km/hに達し、実用上昇限度は1万m、上昇力も良好というオリジナルのBf109G-2を凌ぐ性能を発揮するに至りました。
 新エンジン12-Z-17を搭載した機体はHA1109K-1-Lと呼ばれ早速200機の量産命令が下ります。今度はエンジンがまともでしたので、全ては順調に運び、改造型、発展型の設計も開始されました。
 最初の改造型はHA-1110K-1-Lで、複座の練習機ですが、大きな特徴としては枠の少ないバブル型のロングキャノピーが挙げられます。複座型には試作のみですが、HA1111K-1-Lという機体もあり、複座化で減少した燃料搭載量を翼端にウイングチップタンクを装備して補うようにしています。
 次に主翼の再設計が行われ、両翼内に20mmのイスパノHS-404機関砲を搭載し、前縁スラットのすぐ内側にエアフロー・フェンスを設けています。スペインは平和でしたので、あまり武装については触れませんでしたが、実は今までのイスパノ製メッサーシュミットの武装は12.7mmのブレダ機銃を機首に二挺装備しただけだったのです。空戦しませんから、いいでですよね。エンジン換装した傍流メッサーシュミットのもうひとつの宿命「軸内機銃撤去後をどうするか」に対するスペインの回答がこの新主翼です。
 新主翼搭載機はまた、名称が変わり、HA1112-K-1-Lとなります。また、この新主翼には22ポンドの「Oerlikon」対地ロケット8発が懸吊架を介して搭載可能です。
 ああ、あとそれから、型式呼称は最後に一覧をつけますから「何が何だかわからない」方も御心配なく付いてきてください。大丈夫です。スペイン空軍内でも面倒くさくて「HA1112K-1-Lが一機待機中」等とは決して呼ばなかったことは確実です。
 かくして、遂にスペイン空軍は一流のレシプロ戦闘機を創設以来初めて大量に装備することが出来たのです。何はともあれ、目出度い事です。地球の裏の方では朝鮮半島上空で繰り広げられる激しい空中戦の情報が入って来てはいましたが…。


最高性能Bf109の誕生


 でも、そんな遠い国でのスペインとはサッパリ関わりのない戦争も終わる1953年、更に高性能のエンジンが手に入る事になりました。それは名機ロールスロイス・マーリン500-45エンジンとロートル製プロペラでした。これはもう、自他共に認める名エンジンですので、スペイン空軍はこのエンジンを全面的に採用し、主力爆撃機であるスペイン製He111のエンジンにも採用し、マーリン500-45はスペイン空軍機の標準エンジンの様相を見せます。マーリン搭載機はHA1112-M-1-Lと呼ばれイスパノ・メッサーシュミットの最終型となりましたが、これは同時にメッサーシュミットBf109の長い歴史に、遠い昔の試作1号機が積んだケストレルと同系統のロールスロイス製エンジン搭載型が幕を引いたということでもありました。
 四翅ロートルプロペラを装備し、HA1112K-1-Lで採用されたイスパノHS-404機関砲と対地ロケット弾架を搭載した新型主翼のHA1112M-1-Lでしたが、キャノピーと垂直尾翼はBf109G-2時代の枠の多い旧式キャノピーと通常型垂直尾翼を最後まで使用していました。背の高い後期型垂直尾翼はスペインには伝わらなかったのかもしれませんし、重量増加をうまく避けて改設計されたイスパノ・メッサーシュミットには必要が無かったのかもしれません。ただ、複座練習型で1957年に初飛行したHA1112M-4-LはHA1110K-1-Lのエンジンをマーリン500-45に換装した機体ですが、この機体の垂直尾翼のみは背の高いBf109の後期型によく似たタイプに改造されています。
 マーリン500-45、1400馬力エンジン搭載型の最大速度は675km/h、初期上昇率は1700m/分と実用上昇限度10200mと極めて良好で、最高速を持続でき、しかも重武装、上昇力ではBf109K-4をも凌ぐ高性能な機体でした。
 マーリンへの換装作業は1958年まで続けられ、少なくとも143機以上が改造されたと思われますが、中にはHA1112K-1-Lの仕様のまま残された機体もあったようで、この細い、どこかオリジナルの面影を残した機体は、映画「アフリカの星」でエース、ハンス・マルセイユの乗機と彼の所属したJG27の装備機として出演しています。撮影はスペイン空軍の協力でアンダルシアとカナリー諸島で撮影されました。以前、プラモの作例でわざわざ機首下面の膨らんだマーリン搭載型メッサーシュミットに改造して「アフリカの星」の中のマルセイユの不時着シーンをジオラマで再現した作品を見かけたことがありますが、残念ながら要らぬ苦労だった訳です。HA1112-K-1-Lは正立V型エンジンの為、排気管の位置が高く、JG-27「アフリカ」のエンブレムが排気管の下部になっている他はオリジナルのイメージを良く残した機体で、飛行場上空を三機編隊でパスする姿等は、本家のBf109と区別が付きません。また、マーリンを搭載したHA1112M-1-Lも映画に出演していますが、この機体ですら、胴体を調べるとドイツ製のBf109G-2だったりしますので、機首の膨らみから来るイメージで「ニセ物」扱いするのも可哀想でしょう。何と言われようが「本物のメッサー」なのです。


1966年までメッサーシュミット


 こうして、スペイン空軍でのメッサーシュミットの使用は1960年代に入っても第七戦闘爆撃ウイングの二個スコードロンで続けられました。この第七戦闘爆撃ウイングはその前身がフランコ空軍の戦闘機隊でしたので、Bf109の最初の量産型であるB型から、一族の最後のバリエーションであるマーリン搭載型まで、何と30年近くメッサーシュミットを使い続けた歴史的な部隊と言うこともできます。これらの機体が引退したのは1966年の春のことです。これが、極めてのんびりと育てられ、その分長命でもあり、遂に一度も実戦を経験しなかったスペイン製メッサーシュミットの本当の現役引退となりました。
 しかし、イスパノ・メッサーの歴史はまだ終わりません。
 スペインの空を去った彼女等は、今度は「バトル・オブ・ブリテン」に参加して宿敵スピットファイアと空中戦を繰り広げ、その映像が少年時代の我々にスペイン製メッサーシュミットの存在を初めて伝えてくれることになるのですから…。


−誰も知らない、知りたくもない−
イスパノ社製メッサーシュミット各型概説



HA1109J-1-Lイスパノ12-Z-89装備の最初の改造機。失敗作。
HA1109K-1-L12-Z-17エンジンに換装した機体。何とか成功。
HA1110K-1-L非武装の複座練習機。
HA1111K-1-L試作練習機。ウイングチップタンクが特徴。
HA1112K-1-L20mm翼内装備の新設計主翼。「アフリカの星」出演。
HA1109M-1-Lマーリン搭載型試作機
HA1112M-1-Lマーリン搭載型量産機。映画「空軍大戦略」出演。
HA1112M-4-Lマーリン搭載型複座練習機。二機のみHA1110K-1-Lより改造。



参考文献
「ラテン国家に於ける戦闘機開発の遅延と停滞」NATO航空情報部戦史課編
「納期遅延はビジネスチャンスに化けた!」雑誌ビッグトゥモロウ1944年3月号記事
「私が見たフランコとフラメンコ」小唄勝太郎
「阿弗利加の星」川崎のぼる/梶原一騎



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