帝国海軍潜水艦伝習所
開講の挨拶
主機械兄弟がわかれば伊号がわかる主機械別潜水艦リスト
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この表で注目すべきなのは、戦時建造艦の主機械です。乙型は途中より二号10型から一号8型へスペックダウンしながら戦時型主機械である二十二号に移行しています。
この二十二号からの主機械は低出力ですが、それまでの2サイクルから4サイクルに変更されており、よく言われるように単純に「日本潜水艦は主機械が2サイクルである為にシュノーケルの搭載に向かなかった」という訳ではないことがわかります。これら戦時型主機械を搭載した艦は出力の大幅低下により、海大六型で達成し、甲、乙、丙型に受け継がれた伊号潜水艦の最大の特徴である水上23ノットクラスの高速航行能力がありません。
しかしこの主機械の戦時型への切り替えは出力の低下によるデメリットだけではありません。水上での最大速度こそ低下していますが航続距離は極端に増大しており(乙型の場合14000浬から21000浬へ)水上高速を諦めたことで大幅なメリットを得ています。長距離潜水艦である巡潜の系譜に連なる艦としては極めて正当な進化との見方も可能でしょう。また、伊400型の常識離れした航続距離も実はこの戦時型主機械の採用に依るものです。
このように伊号潜水艦の戦時建造艦の本質は単純な簡易型ではなく、海大型の目指した水上高速航行能力を捨てて巡潜の系譜に立ち戻った本格的長距離潜水艦としての明確化であり進化でもあったのです。
これら低出力の戦時型主機械は出力不足が祟り、最大速の低下が顕著に見られますが、この出力不足は水中航行用の電動機に用いる二次電池への充電能力(通常8時間で完了)を欠くという問題を生み出します。そこでこれらの艦には今まで電池充電用の補助発電機として搭載されていた600馬力程度のディーゼルエンジンが二基に増やされています。丁型を除く伊号巡潜型はこの補助発電機にシュノーケルを取り付けていました(丁型は片舷主機に直結)。以下が代表的な補助発電機です。
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さて、この特型補助発電機ですが、よく見ると先の主機械一覧の呂100型の主機械とスペックが似ています。呂100型は戦争後半に輸送、攻撃にかなりの活躍を見せた、ブロック建造方式を採用した日本版Uボートともいえる戦時量産型潜水艦ですが、その呂100型の主機械、二十四号六型とは、何と伊号潜水艦の充電用補助発電機そのものであったのです。
水上高速航行を狙った大出力主機指向で始まり、シュノーケル対応可能の小型補助エンジンに終わる。これが帝国海軍潜水艦主機の歴史の勘所です。テストに出ます。
第一講おまけ
「シュノーケル、秘密兵器にあらず」
大戦末期に潜水艦の一部(丁型、特型、甲型、乙型 潜輸小)に装備されたシュノーケルは秘密兵器ではなく、20年2月18日の朝日新聞題字下のコラムに「空気マスト」として紹介されています。これは当時、ドイツがシュノーケル装置を公式に発表したことによるのですが、未だ装備率の低かった帝国海軍にとっては、微妙な報道だったと思われます。(Uボートのシュノーケル装備率も1944年夏でさえ半数以下でした。)
「そ、そりゃあ、伊号も積んでるサ」といったところでしょう。
第二講
バッテリーはYUASA!
−水中高速艦のルーツと現実−
次に電池について簡単に触れましょう。
潜水艦の電動機を動かす為には強力な電池の搭載が不可欠でした。その為に色々な電池が開発され、電動機とともに発達して行きます。研究開発は横須賀工廠電池実験部と民間では湯浅蓄電池製造株式会社、日本電池株式会社が当たっています。
しかし、ここで見落としてはならないのが甲標的の存在です。
甲標的は水中高速を狙った特殊潜航艇ですが、昭和9年に試作型「A標的」の製造に取り掛かっており、開戦時、秘密兵器ではあっても、新兵器ではありませんでした。しかし、水中高速性能は優れ、試作型のA標的で水中25ノットを記録しています。これに搭載された超大容量蓄電池が特D型といい、帝国海軍最後の攻撃型潜水艦である潜高(せんたか)伊201型の電池がやはり特D型です。この超大容量電池は本来、甲標的向けに造られた電池ですから大型艦への搭載には向きません。にもかかわらず、水中高速潜水艦には甲標的で開発された電池技術が無理を承知で応用されているのです。実際、伊201型では4176器の電池を36群にも並列し、しかも積み重ねてある為に温度差が生じ維持管理に莫大な手間が掛かる上に、再充電回数が少なく80回(ちなみに一般的な一号十四型は400回)しか再充電できず、実用性を酷く損なう状態だったとされています。この型の潜水艦が就役した後、遂に出撃の機会が無かったことはこうした事情も響いてのことです。
このように時に夢の潜水艦の如く語られる潜高(せんたか)伊201型ですが、航続距離はほぼ呂号並みに短く、その実態は、極端に言えば特殊潜航艇の流れを汲む局地防衛用潜水艦であったとも見ることができます。
このように水中高速潜水艦を実現するためには単に船体形状のリファインだけでなく、甲標的用特D型のような超大容量電池の超大量搭載が必須の課題だったのです。さあ復唱しましょう。
「潜高 伊201は甲標的だ。」
第三講
伊号は大き過ぎるか?
−空気浄化への試行錯誤−
伊号潜水艦は大航続力と水上高速を狙った結果、列国の標準型潜水艦よりかなり大型の艦となり、敵から発見されやすく、また戦闘時の運動性も低く対潜水艦戦術の発達した戦争中盤以降事実上役に立たなかったとの指摘もありますが、この伊号の大きさについて若干の検討を加えたく思います。
潜水艦は外気と隔絶された水中で行動する艦ですから、一定の時間を経ると必ず艦内の空気は汚染され乗組員の活動に影響が出る宿命にあります。
発生する有害ガスは、まず電池から発生する水素ガスがあり、故障、被害が無くとも発生し、濃度が4.1%以上に上がると爆発の危険が生まれます。米軍艦でも水素ガス濃度が1%を超えると艦内は禁煙となります。更に直接に有毒な硫化水素ガス、一酸化炭素に加え、戦闘時の浸水等による電池破損の際には塩素ガスの発生もあり、艦内は有毒ガス発生源に満ちていると言ってよい状態です。その中でも問題なのが艦内で乗組員が活動すると必然的に増加する二酸化炭素でした。
こうした艦内の空気の汚染を防ぎ浄化する装置(二酸化炭素吸収、酸素発生)の検討は早くから実施されてはいました。
伊号搭載の空気清浄装置(L型缶と呼ばれるもの)は長時間潜航時に空気の汚濁が進んだ時点で使用開始し4時間に渡り有効で艦内の二酸化炭素濃度を潜航初期の状態に戻す能力がありましたが、通風ファンの騒音と清浄缶の発熱があり接敵中には使用が困難で、正確な検出器の不備(いつ使って良いか判らない)もあり、装備率は高くとも実戦での使用例は非常に少ないままで終わりました。
その後大戦後期に至って、空気清浄缶に使用する薬品を再使用が効かず反応率も悪い「苛性ナトリウム」から、使用後熱風で再生が効き、反応率も100%近い「炭酸カリウム」に変更し、酸素ボンベによる酸素供給併用となりましたが、相変わらず騒音問題は解決できず、無音潜航は不可能でした。しかし19年秋には、帝国海軍は不断の努力の末に無音潜航に対応できる空気清浄法を実現します。
その方法とは帝人岩国工場で製作された、そのまま艦内に散布して使える「アルカリセルローズ」(よく解りませんが「炭酸カリウム」を繊維に絡めたものではないかと思います)を缶から取り出し「手で床にそっと撒く」という、気さえ遣えばほぼ無音の空気浄化法でした。このアルカリセルローズはそのまま蒸発するものではありませんから床は随分と散らかったこととは思いますが、全く慶賀の至りと言えます。大戦末期の伊号潜水艦の一部はこの缶入りアルカリセルローズを120個搭載(20時間使用分)して出撃していました。
このように艦内の空気清浄は苦闘の連続でしたが、極端に言えば艦内の空気の汚染を遅らせる為には一人当たりの空気の量が最大の頼りだったのです。下の表は各型の時間当たりの二酸化炭素上昇率です。
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これを見ると、二酸化炭素の上昇率は艦内での一人当たりの気領の大きさにかかっており、特殊潜航艇等、艦が小型になるほど数字は悪化し、回天は運用が異なるとはいえ最悪であることが理解できます。また通常型の潜水艦にしても伊400型、や甲型、乙型はともかくやや小型の海大型から数値が悪化し始め、呂100型は特殊潜航艇のレベルに迫っていることに注目してください。日本の小型潜水艦が如何に無理を冒して造られているかが読み取れると思います。このように中型小型の潜水艦が長時間潜航に耐える本格的潜水艦である為の条件が意外に厳しく、伊号の大きさにもそれなりの背景があることが御理解戴けたと思います。何たって空気が無いんじゃ仕方が無く、伊号潜水艦も私も、別に意味無く太っている訳ではないことが了解できることでしょう。
第四講
伊号の航空兵装はバカ装備か?
−不当に評価される航空兵装−
伊号潜水艦のの特徴として一部巡潜にカタパルトを装備し、かなり本格的な偵察機を搭載した点が挙げられますが、無用の装備、実用性無しとして何かと批判の的になっています。確かに戦闘が激化した戦争後期には潜水艦が水上機の発進、揚収をしている余裕は無くなり、カタパルト自体も回天装備の為に撤去されてしまいますが、果たして潜水艦搭載の偵察機は全く無駄な装備だったのでしょうか。
潜水艦搭載航空機の目的は計画当初から明確に「要地偵察」でした。伊号に搭載された零式小型水上機はその為に開発され、潜水艦搭載小型水偵用に開発された空一号無線機(これは潜水艦搭載機用の無線機だった)を搭載し、戦争中期までこの任務に就いています。
開発目的が明確で、運用も当初の目的通りに行われたのですから、次に実績について見てみます。潜水艦からの航空作戦は開戦から主に18年11月頃までに行われ、最後は伊10(甲型、本型の為に零式小型水上機は開発された)が実施した19年6月12日、マリアナ沖海戦直前のメジュロ泊地偵察でした。この間、合計17隻の伊号潜水艦による54回の航空作戦が企画され、そのうち52回が実施、48回の成功を収め、40回は機体を無事収容しています。真珠湾偵察3回、有名な爆撃行2回を含むこれらの航空作戦の成績は日本軍の偵察機としてはかなり優秀な部類に入ることは論を待ちません。何と言っても、零式小型水上機というほぼ非武装に近い最大速度200km/h台の機体で実施した敵要地偵察の成績が上記の成績なのですから。
目的が明確、運用が予定通り、残した実績が極めて優秀。こんな兵器が日本海軍に他にあったでしょうか?
第五講
日独対抗? 潜水艦の居住性
−諸設備、制度から見える伊号潜水艦の本質−
「ベッドは人数の半分しかありません。前の奴の匂いの中に入り込むんです。」といった台詞が映画「Uボート」の中にあったと思いますが、実際、Uボート(Z型)では兵士用の寝台は部署によって異なるものの概ね定員の半数程度で、ハンモッグを吊って「魚雷の上で寝る」ような過酷な生活でした。ホットバンクと呼ばれるこの悪習はひとりUボートに限ったことではなく、英国海軍等でも同様でした。それでは日本の伊号潜水艦の生活設備はどうだったのでしょうか。
話は段々と、「地味に」、「細かく」、「どうでもよく」、なって参りましたが実は筆者としては、佳境に差し掛かったつもりでおります。
棚型寝台
伊号潜水艦では士官下士官兵を問わず一人に専用の寝台が与えられていました。前の人間の匂いと体温の中に潜り込む、悪名高きホットバンクではありません。
士官用と兵士用は殆ど変わらない構造、寸法ですが士官用のみカーテンを閉められました。専用の寝台を人数分確保することはスペースの限られた潜水艦では大変なことですが、あえて実施されているところに伊号潜水艦の本格的長距離作戦用潜水艦としての性格の一端があらわれています。
水洗便所
一般的な伊号の便所は同容量の浄水タンクと汚水タンクを持つ水洗式でした。これは重要だと思われます。Uボート(そのコピーである初期の巡潜も同様)は水圧に抗してポンプレバーを操作し、汚水を艦外へ排出する方式でしたので、潜望鏡深度以上に潜った場合は水圧に抗し切れず使用不能となり、乗組員は主にバケツで用を足していたと言われています。またこうした用途に使用されるバケツは何故が倒れてしまうものでした。
潜航中のトイレ使用可能という計り知れない長所を備える我が伊号潜水艦の便器は和式大便器(艦橋にある艦上便所には小便器も設置)で、被弾時破損しやすい陶器を避けて材質は鉄板にメッキを施し、風呂に入れない環境下で皮膚病他の感染症を防ぐ為にあえて洋式を避けており、どことなく新幹線の便所にも似ています。
蛍光灯
戦争中の新造伊号潜水艦(15年以降の艦が該当すると思われる)の照明は意外にも蛍光灯が主体でした。
蛍光灯は通常の電球に比べ長持ちし消費電力も少ないことから潜水艦の照明にはうってつけでしたが、採用のもう一つの狙いは潜水艦内で長期間の航海に耐えなければならない「乗組員の健康増進」でした。
紫外線を含む蛍光灯の光は太陽光に準ずると考えられ、日光に当たることの少ない潜水艦乗組員に太陽の代用品として供給されたのです。その為に紫外線の波長も太陽光に準ずるよう調整され、潜航中でも「水上航行中の如き気分」となることを期待されていましたが、残念ながら舷窓も無い潜水艦は水上航行中でも潜航中でも艦内の明るさそのものは大して変わらず、照明が何であれ気分は重苦しいままであったようです。
空調完備
「伊号潜水艦には冷房など無い」とか「大和は唯一冷房を備えた艦で」といった記述を戦記などで見かけますが、これは誤りです。
老朽艦を除く帝国海軍潜水艦にはフレオンを冷媒とした空調装置が搭載されており、常時稼働しています。南方海域を活動することも予定していた伊号潜水艦には必須の装備でした。これによって艦内は何とか摂氏30度付近の温度に保たれていたのであって、高温多湿の環境が「冷房が無かった為」に発生したのではありません。この高温多湿の悪環境は冷房があった故に達成された水準なのです。
調理設備
調理設備は調理室に電気釜が一つ、電気式レンジが一つ装備されているのが普通でした。この装備はUボートが二つのレンジを装備しているのと大差なく、調理能力はほぼ同等であったと思われます。しかし、数日に一回、焼き方を変えて作りだめするUボートのパンより、我が伊号においては少なくとも毎日温かい御飯が食べられたことは重要です。また、電気釜で問題となる味についても炊きあがりを気にして改良が続けられています。こうした改良は、火力の増大とお釜の形状の改善という、現在の炊飯器と同様のテーマで検討されています。「お米が立つ」ようなおいしい炊き立て御飯を帝国海軍も目指していたのです。
即席麺の開発
潜水艦の食生活を少しでも改善する為の努力は終戦まで続けられ、その中でも重きを置かれたのは、主食のインスタント化でした。これは平常時でも接敵時でも短時間に必要量だけ供給できる利点を持ち、保存上からも極めて好都合であったからです。
そして遂に昭和19年頃から即席麺の供給が開始されます。同時に即席ライスの試作も開始され成果を納めます。即席麺技術は戦後、更に発展しインスタントラーメンとなって現代に至ります。即席ライスはほぼそのままで幼児用菓子として森永製菓から販売されたとの記録が残されています。さてUボートとの比較ですが、当時のドイツ人は陸上、潜水艦内を問わず、うどんを啜ることは無かったと推測されますので、このラウンド、伊号潜水艦の不戦勝です。
伊号はヤマトか?
遠く宇宙を旅するヤマトが艦内に農園を持っていた如く、出航後数日で消費し尽くすか、腐敗して捨てられてしまう生鮮野菜を補うべく、伊号潜水艦の一部には専用に作られたプランターによって水耕栽培が実施された記録があり、食事の際に味噌汁等に浮かんでいた(浮かぶ程度の供給だった)とのことです。伊号潜水艦はこうまでして「遠く」を目指したフネなのですが、艦内に余裕の少ないUボートでは考えられないことです。
無いものはつくる。まことに頭の下がる尊い発想だと思います。
ダイエットもテーマだ
通常、帝国海軍の食事は一日4400キロカロリーを目安としていました。通常これだけカロリーを摂取すると間違いなく太るのですが、艦隊勤務の過酷さが高カロリー食を必要としていました。
しかし、潜水艦は事情が異なりました。
運動不足を解消しようと体操等を日課に組み入れていそうな気がしますが、実態は異なります。もともと風呂に入ることは望めず、洗濯も思うに任せない潜水艦生活では、余計に動くと当然余計に汗をかき、汚れた服は「臭う」といったレベルを超えて汚れます。また精神的緊張はあるものの、水上艦に比べ専門職的仕事が多く、あまり運動が必要ない上に食事も偏りがちでしたので、肝機能の低下が激しく、高カロリー食は弱った体に負担となるだけでした。そこで潜水艦乗組員用の新しい基準が戦争中期頃より採用され、一日のカロリー摂取量は今までの半分の2400キロカロリーに削減されました。この程度に抑えれば、地上で生活する私も少し努力すれば痩せる可能性があります。
ガムでも咬んでな・・
意外な話ですが、帝国海軍潜水艦では常時ガムを咬むことが許されていました。というのも生鮮野菜が不足し、歯磨き等恐らく縁がない潜水艦の生活では乗組員は歯槽膿漏等に罹りやすく、効果はともかく、少しでもそうした疾病を予防するためにガムの配給が行われていました。これはかなり本気で実施されていた様で素材の天然ゴムが枯渇した戦争末期には合成ゴムベースのガムが配給され、歯にくっつきやすい欠点を持ちつつも配給され続けた模様です。ひょっとすると風船ガム松ヤニ起源説に代わり、伊号潜水艦起源説が成り立つかも知れません。独のゴム事情は日本より悪かったはずですので、確認しておりませんがガムは無かったのではないでしょうか。ですから訪独潜水艦は、あまり相手にされない日本製の兵器等ではなく、是非ガムを持って行くべきだったと悔やまれてなりません。
医者が乗っている
Uボートには衛生マニュアルを持った衛生担当の看護兵が乗り組んでいましたが、軍医は乗艦していません。Uボートでは戦闘での直接の負傷の可能性が低く、またもともと考えられていた作戦海域が比較的近海であることと、乗組員が水上艦より若く病人の発生は少ない、との前提で軍医を省略していました。
日本潜水艦には正規の医師が軍医長として乗艦していました。そして、伊号には衛生下士官が、それ以下の艦には衛生兵が看護長として乗り組んでいます。伊号の乗組員がUボートに比べ平均してやや多いからでもありますが、小さい艦でも軍医は乗艦していますので、両国の潜水艦作戦に対する思想の違いと考えるべきものと思います。
しかし、大西洋を渡る戦時の軍艦であるUボートに軍医がいないとは、まるで無医村の如く心細いことです。
軍医長は皮膚科・精神科
艦上での軍医と言えば主に外科のイメージがありますが、潜水艦の場合、戦闘中に艦内で負傷するような事態が発生した場合、即時沈没の可能性が高く、負傷者の手当をすることはまずありませんでした。その代わり、乗組員の健康管理等には水上艦以上の配慮が必要で、脚気(ビタミン剤だけでは対応できず、軍医も発症したという)等の予防等、困難な課題があり、出航前に漢方薬を買い集めて乗艦する軍医も多かった様です。
また湿度が高く気温も30度程度であった潜水艦内では長期の航海中に汗疹、水虫、インキンタムシ等の皮膚病が発生しやすく、元からのタムシ持ち、水虫持ち(これが結構多かった)も含めてほぼ100%の罹患率だったとの論文が残されています。これらの治療、予防は環境が環境だけに困難でしたが、更に大変なことに暗くて狭くてしかも怖い(接敵潜航中)潜水艦では精神を病む者が多かったのです。
先生活躍す
戦局の悪化した昭和20年頃になると、肉体的に過酷な長距離の航海の機会は少なくなって来ましたが、そのかわり全軍特攻の重苦しい雰囲気の中、精神を病む場合が多く発生します。呉軍港で停泊中の伊203が突如「出航用意」のラッパを鳴らし始めたのは疲れ果てた信号長が戦争神経症を発症した為でした。
また、二十年五月、回天特攻隊「振武隊」を搭載した伊367は回天発射後、心労から艦長が十二指腸潰瘍で倒れ、他の乗組員も精神的緊張から感情を高ぶらせ艦内にパニックが発生、暴動状態となりましたが、乗艦していた軍医の必死の説得と献身的な努力によって平静と秩序を取り戻し、時には発熱した操舵員に代わり自ら舵輪を握って舵を取り、艦を母港に帰投させています。
第五講おまけ
「宿命の許す範囲で努力せよ」
さて、ここまで来て賢明な諸兄は既にお気付きの事と思いますが「潜水艦乗組員」というものは、単なる部署、配置ではなく、「宿命」なのです。
締め切った空気の悪い部屋で自分の機械と向き合い一日中を過ごし、床は散らかり、食事はインスタントで、外へ出ない限り風呂にも入らず、口臭はガムでカバーし、疲れれば万年床化したベッドに潜り込み、昼夜逆転するような暮らしで不健康、ともすれば精神の均衡を喪いがち、という諸兄のライフスタイルこそが「潜水艦乗組員」そのものなのです。
先週は合コンに出た? 実は彼女もいて車もあるしドライブもする?
そうですか…成る程、しかし残念ですが、それはただ乗艦が「ちょっと入港した」に過ぎません。宿命は宿命と、せめて海の男らしく、キッパリと諦めましょう。
結語
本格的長距離潜水艦としての伊号潜水艦
今まで述べてきた雑多な話題の一つ一つが伊号潜水艦が本格的長距離潜水艦であることを証明しているのではないかと思います。このような設備、努力を行った潜水艦群は世界でも希な存在であると言えます。
第二次大戦中の潜水艦は、本来近海用であったUボートが脱出用ダイバーズロックにまで燃料を搭載し、その上片舷運転でようやく北米大陸北部沿岸まで航海したように、また米潜水艦も太平洋上の島嶼を補給基地として当てにした比較的航続距離の短い艦であったように、結局のところ中距離型潜水艦に終始しました。
その中で本格的な長距離潜水艦を目指した日本の伊号潜水艦、中でも巡潜の系列は特異な存在で、本来、内地の母港(南洋諸島は条約により軍機基地化が制限されていた)から北米沿岸の艦船攻撃を余裕をもって実施できる強力な存在でした。
最後に哀しいデータを御紹介いたします。
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このデータは米軍が日本潜水艦の撃沈を確認することが極めて困難だったことを示しています。この未確認撃沈戦果の多さは艦の性能差ではありません。これは日本潜水艦が独伊の潜水艦の様に、戦闘に敗北しつつある局面での自棄的な浮上砲戦や水上降伏を行うことが殆ど無かったことに起因しています。多くの戦いに於いて日本の潜水艦は必死の復旧作業で損傷を堪え、反撃のチャンスを信じてを最後まで海中に留まり、やがて沈黙の内に海底に沈んで行ったという事実を語っているのです。
潜水艦こそ連合艦隊の艦船中、日本艦ばなれした印象を放つ程に、最も勇敢に粘り強く戦った艦種でした。
付録
帝国海軍潜水艦要目表
巡潜1型の航続距離の長大さ、発射管数、魚雷搭載数に海大型(海軍式大型潜水艦)との性格の違いが際立つ。
注目点 乙型戦時型の航続距離、水中行動能力の高さに注目、ガトー級の水中航続距離は意外に小さく「水上艦」指向。 また、ガトー級は海大6型程度の艦であることにも注目。表には無いが主機械は2サイクルジーゼルエレクトリック推進。
注目点 伊400の航続距離と、そして、同艦が後期の艦としては極めて重雷装で魚雷搭載数も多く、魚雷戦にも対応した艦であることも注目。 また、潜高伊201は実質呂号程度の艦で航続距離は短いが水中行動能力は高く、近海での激戦を想定していると思われる。 潜輸小はシュノーケルを恐らく標準装備。 |
本データをもって、一部終了とさせていただきます。
有り合わせの資料を使っての戦時急造ではありましたが、好評であれば続編も有り得ますので、ご感想お寄せください。
参考資料
「世界の艦船」各冊
「潜水艦史」戦史叢書
「海軍水雷史」海軍水雷史刊行会
「日本海軍潜水艦史」日本海軍潜水艦史刊行会
「第二次大戦の潜水艦」三省堂図解ライブラリー(絵本ですが、勉強になります。トイレ図も参考になるお奨めの書)
「UボートZ型」大日本絵画
他
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