−真実一路 新春恒例頼むから本気にすんなよ対談−
知られざる帝国海軍潜水艦活動記録

敵国艦船研究家 大塚好古
kotsuka@mx1.alpha-web.ne.jp

旧式兵器勉強家 BUN
bun@platon.co.jp




BUN「みなさん、あけましておめでとうございます。今年も新年を祝い、敵国艦船研究家の大塚好古先生が恒例の年頭新発見報告を行います(以下略)今回も何やら妙な発見をされた、という事ですが」

大塚「ええ、先日アメリカとドイツの潜水艦戦に関する記録を付け合わせていたら、妙な物が浮かび上がってきまして」

BUN「またUボートが浮上降伏したのですか。我慢強い帝国海軍潜水艦にはあり得ない話ですね…」

大塚「いや、ちゃんとした日本潜水艦の話です。浮上する前にすぐ沈んでまう日本の潜水・・

BUN「痛かったですか?」

大塚「いいえ、痛くありません」

BUN「話を戻しますが、呂五〇一潜の沈没に関する新たな事実でも出たのでしょうか」

大塚「それとも違いますが、1943年初期から1944年中期にかけての大西洋方面における潜水艦による商船の被害を付け合わせていくと、ドイツ潜水艦では無い不明とされる戦果が散見されるのは御存知ですよね」

BUN「いや、余り良くは知らないんですが…」

大塚「旧来これは喪失したドイツ潜水艦が報告前に挙げた戦果であるとか、事故であるとか、イタリア潜水艦が挙げた戦果だが、同国の敗戦のどさくさに紛れて解らなくなった戦果だと言われていたのですが、ドイツ側の記録と米側の記録を付け合わせると、どうもそれ以外の要因があると思われるのです」

BUN「ふむ、どのような事実が?」

大塚「ブラジル・南大西洋方面に展開したドイツ側潜水艦部隊の記録と、沈没した商船に関する記録を精査すると、日本潜水艦が同方面に展開していた可能性があるのです」

BUN「それは何か根拠があるのでしょうか?」

大塚「二〜三年前に潜水艦研究家の某先生のところへ、

「1943年8月にブラジル沖で撃沈された商船は日本潜水艦による可能性がある。調査されたい」

というメールが米国の研究者から来たことがあります。この際の調査では『該当記録無し』としたのですが、その後の調査でそうとも言い切れない可能性が出てきたのです」


BUN「ほう?どのような証拠が?」

大塚「1942年中期に行われた三国軍事同盟委員会の決定に、

「ドイツはインド洋方面に潜水艦部隊を派遣して同方面で通商破壊を行う。日本はこれに協力するとともに、喜望峰またそれ以遠における潜水艦作戦を考慮する」

という文言があったんですわ」


BUN「それに基づいて日本が潜水艦を出したと?」

大塚「今回の調査の結果、その可能性が否定できなくなってしまいました」

BUN「その潜水艦を出した事を示唆するような資料は実際にあるのでしょうか?」

大塚「これとこれが該当するんじゃないかと(ごそごそと封筒から書類をとりだす)」

BUN大塚「おおおおっ!!

BUN「…博士、私にドイツ語を読めと?」

大塚「あ、失礼しました。これは1943年5月中旬以降にブラジル及び南大西洋方面に活動する予定の潜水艦の一覧表なんですが、ここに妙な艦がいますよね?」

BUN「あれ、本当だ。U何潜でなくてI-51ってのがいますね」

大塚「これが伊号じゃないかと思うんですよ」

BUN「しかしIということで、イタリア潜水艦の可能性はありませんか?」

大塚「(表の下を指さす)ここにイタリア潜水艦の名称がありますが、イタリア艦は艦名で書かれてますから別物だと考えて良いと思います。ほれ、見てくんなまし」

BUN「博士、一体お国はどこなんですか(苦笑)。でも確かにそうですね」

大塚「(更に書類を出す)。更にこれはインド洋方面で作戦を行っていた第八潜水戦隊が出した1943年6月の書類なんですが…」

BUN「日本語の書類があるならそっちを先に出しなさい」

バゴン!

大塚 「(+。+)イテテ。まあそれは兎も角此処を御覧ください」

BUN「むぅ、どれどれ。『現在伊五一潜は新嘉波での整備作業中。作業終了後出動の予定』?」

大塚「謎の伊五一潜がここでも出てくるんですよ」

BUN「でも伊五一潜って確か戦前に退役してるはずじゃありませんでしたっけ?」

大塚「海大一型ならそうですが…、これは違う艦です」

BUN「何か型式が解る書類か写真でも…」

大塚「ドイツ海軍のアーカイブから出てきたのがこれです」

BUN「おお、Uボートとの会合写真ですね。これは巡潜丙型改二かな?伊五二潜の写真ですか?」

大塚「裏の日付とキャプションを斜め読みして下さい(ニヤソ)」

BUN「1943年、…読めないんですが(T_T)」

大塚「1943年には伊五二潜は未だ建造中ですよね」

BUN「…そういやそうですね。するとこれは?」

大塚「キャプションによれば『レシフェ東方の水域で合同した日本潜水艦伊五一潜』ですね」

BUN「…いつからドイツ語まで読めるようになったんですか」

大塚「こんな事もあろうかと、事前準備として辞書で単語を拾って読んどきました」

BUN「…久々にピストンパンチ、行きましょうか?。なんなら零戦の外鈑で叩いても…」

大塚「…遠慮しておきます」

バキィ!

BUN「さて写真が残っているのでは存在することは疑いも無いですが、その伊五一潜と称される潜水艦の正体はなんでしょう?」

大塚「推測ですけど、伊五一潜と言うのは作戦時の秘匿名称であって、作戦に従事する艦の艦名を秘匿する為に伊五一という使ってない番号を割り振ったんではないですかね」

BUN「すると実態は他の艦では無いかと?」

大塚「ええ、実を言うと二〜三隻の潜水艦が伊五一潜と称したのだろうと思うんです」

BUN「それにはどのような根拠が…」

大塚「1943年9月にレシフェを基地とする巡洋艦部隊より、米大西洋艦隊司令部宛に出された下記の様な報告があるんです。

「過日レシフェ港上空に正体不明機侵入す。同機は西方より侵入し、港内上空に達す。正体不明機は港内上空において探照灯で照射された後、急降下で離脱して再び西方に離脱。この直後巡洋艦『ミルウォーキー』搭載機及び陸上基地発進の偵察機にてレシフェ港西方を捜索したが何も発見できず。不明機は潜水艦発進偵察機の可能性有り」

 これだと甲型か乙型が大西洋に派遣されたと考えられますよね。ところが写真の伊五一潜は丙型改二です」


BUN「該当しそうな艦はあるんですか?」

大塚「伊一〇潜が丁度その頃インド洋に出てますね。遣独潜水艦がやったように喜望峰沖合かインド洋の西端で燃料補給をすれば充分にレシフェへの偵察作戦実施は可能でしょう」

BUN「実際の活動状況とかの記録は無いんですか?」

大塚「八潜戦には明確な記録が無いんですが、ドイツ側の南大西洋派遣潜水艦に関する資料だと、伊五一潜が1943年7月-1944年1月にかけて数次の哨戒任務に協力したことになっています」

BUN「それ以後の行動についてはどうなのでしょう」

大塚「この書類をば…。第八潜水戦隊から伊三七潜に出た命令書なんですが、1943年2月中旬に伊三七潜は伊五一潜に対して補給を行った後、マダガスカル方面での通商破壊を実施するよう命じていますね」

BUN「ふむ、その状況だと伊三七潜からの補給の後、ペナンかシンガポールに入り、休養整備というところでしょうね」

大塚「そういうところでしょう」

BUN「ふぅむ…。もっと調査を行って、この潜水艦の正体を明らかにしたいものですね」

大塚「ええ、哨戒任務の後半を担当した伊五一潜は、今まで建造されてない事になっていた艦の可能性もありますので…」

BUN「といいますと?」

大塚「丙型改は1943年末以降の就役ですから、例のレシフェ沖で撮影された写真の日付が合わないんです」

BUN「言われてみればそうですが…」

大塚「◯急の丙型で建造されていない事になっているのがありますよね」

BUN「伊四九〜五一ですか?途中で計画が変わって新乙型と共通化部分を多くした新丙型のS49Bになる予定だった艦ですよね」

大塚「その後何故か◯追ではS49Bでは無く、丙型改二としてS37Dが建造されて伊五二潜以降の丙型改二になりますよね。そこいらからの憶測なんですが、その三隻のうち一隻はS49Bとしてではなく、S37Dとして建造されたのでは…と」

BUN「時期的にはどうですか?」

大塚「◯急艦の乙型一番艦である伊四〇潜が1943年7月竣工ですから、建造開始時期によりますけど、間に合わないことは無いでしょう」

BUN「確かに仮定としてみても余り無理はありませんが…。更に調査が待たれますね」

大塚「ええ、更に明確な資料が出て欲しい物です」

BUN「ところで、伊五一潜は新造艦の可能性もあるのだとすれば、戦後残ってないわけですから戦争中に喪失したことになりますよね。そうなると最期はどのようなものだったのでしょう?何かこれについての資料は無いのでしょうか?」

大塚「これが今回一番苦労しました(ニヤソ)」

BUN「というと、何か収穫があったんですね?」

大塚「まず米海軍の対潜作戦による記録を調べたのですが、戦後のJANACの調査を見る限り、特に疑わしいのはありませんでした」

BUN「という事は少なくとも太平洋では喪失していないと」

大塚「その通りです。そこで念のため米海軍の大西洋における対潜作戦の記録を見ましたが、これも疑わしい記録は特にありませんでした」

BUN「あれれ、それでは消息不明では」

大塚「師匠、日本は米海軍だけと戦っていた訳ではありませんぞ」

BUN「は?すると英海軍ですか」

大塚「結論を先に言うと、疑わしい記録があるのは英海軍でした」

BUN「ふむ、で詳細は?」

大塚「まず例によって第八潜水戦隊の記録を調べましたら、1944年7月に『伊五一潜はインド洋派遣ドイツ潜水艦の為の連絡任務を実施するため、八潜戦の直轄艦とする』という命令が出てました」

BUN「ドイツ潜水艦との連絡?インド洋での補給任務ですか」

大塚「いや、これにはもっと深いものがあるんです。この直前の日独軍事会議において、日本側が『インド洋方面への更なるUボート派遣を要請する』と述べているんですが、独側はエレクトロボートへの転換時期なのもあってUボート乗員の都合がつかないのか、一旦これを拒否してます」

BUN「ふむ」

大塚「そこで日本側から、再度呂五〇〇型の貸与を要請しているんです」

BUN「呂五〇〇型というとIX型に属するUボートですか。…もしかして伊五一潜でその乗員を輸送するんですか?」

大塚「どうもそのようで、1944年末から45年初頭にかけて再度Uボートの派遣が決定されています。この際に派遣が決まったうちの2隻はドイツ側乗員のU234とU876なんですけど、その他の艦の中には乗員着次第決定、というのがありますので」

BUN「ふぅむ、でもこの時期だとフランスには行けませんよね。最低ノルウェイに行く必要がありますけど、燃料持ちますか?」

大塚「どんとうぉーりー、大丈夫です。丙型改二の伊五二潜は撃沈される前の6月16日に北緯10度、西経31度の地点に達してますが、その段階で12,000浬分の燃料残があると報告しています。そこからノルウェーまでざっと換算しても4,000浬、多少遠回りしても5,000浬以内ですから充分に燃料は持ちます。謎の潜水艦伊五一潜も同型のようですから充分燃料は持つでしょう」

BUN「ほおお、そんなに燃料残が?」

大塚「ええ、今回調べていて以外だったんですが、昔から良く言われる『伊五二潜はノルマンディ上陸のためフランスに向かうことが出来ず、そしてドイツに行くだけの燃料も無いので立ち往生』というのは完全にホラでした。ついでにいうと、ノルマンディ上陸後も伊五二潜はロリアンに向かうように命ぜられており、そこに搭載物資が既に到着しておりますね。伊五二潜が届ける戦略物資をどうやってドイツ本土に持ち込むかは考え無い事にして、日本側だけから見れば、作戦成功の可能性は充分にあったと。…まあこれはおまけとして」

BUN「ふむふむ、長駆独本土に向かうにしても燃料搭載量は問題はないと。流石は我が海軍の誇る巡洋潜水艦です」

大塚「話を戻しますがその後伊五一潜は遣独の準備を整え、7月末か8月にシンガポールを出港したようです」

BUN「ふむ、その後は?」

大塚「ここらはもう八潜戦の記録も失われているのが多くて良く解りません」

BUN「それでは最期も良く解らないんですか?」

大塚「いや、それは疑わしいのを見つけてあります」

BUN「ほう、どんな内容でしょう」

大塚「1944年12月11日深夜ににフェロー諸島北西の沖合を哨戒していた沿岸航空隊所属のリベレーター哨戒機が夜間浮上航走中の潜水艦をレーダーで探知してます。同機はレーダーの反応を頼りにして目標に接近した後、リーライトで潜水艦を照射したんですが、後に搭乗員が出した報告によると『とてもUボートとは思えない巨大な潜水艦が浮上していた』というんですわ」

BUN「ほう!」

大塚「その後同機は機銃掃射の後爆雷を投下しますが、潜水艦が予想外に大きかったことも有り、リーライトを予期していたより早期に照射してしまったので、その照射で敵機の接近に気付いた潜水艦が巨体に似合わず素早く潜航した結果逃げられた、と言ってます」

BUN「ふむふむ」

大塚「その後リベレーターはこれを基地に報告すると共に、再探知できないかとソノブイを投下します」

BUN「ちょっと待って下さい、あの時期にソノブイあったんですか?」

大塚「へい、ドラム缶みたいなでっかいソノブイですが」

BUN「ふうむ」

大塚「するとやはり大型の潜水艦と思われる反応がカーンと帰ってきたそうで。それを見たリベレーターの乗員は『新型のUタンカーか?』と思いその旨を更に報告してますね。その後攻撃を反復する一方で、僚機や付近の艦艇を呼び寄せます」

BUN「英国の対潜部隊は執拗ですなぁ」

大塚「運良く近くを護衛駆逐艦からなる対潜任務群が航行中だったので、その対潜任務群はリベレーターの誘導に従って現場に急行します。同隊所属の駆逐艦が現場に接近して対潜哨戒を始めるとパッシブソナーが問題の潜水艦を敢無く探知、この時ソナー手は『なんだこのやかましいUボートは!』と言ったとか」

ドグァ

大塚 「その後数時間にわたる空海一体の対潜作戦が行われます。最終的には護衛駆逐艦が投下した爆雷によってその潜水艦は止めを刺されたようで、ソナーに機械音が入らなくなり、大量の重油と破片がその付近海域に拡がります。これをもって撃沈したものと見做され、護衛駆逐艦からは『大型のUボート(新型のUタンカー?)を共同で撃沈』という報告がなされます」

BUN「…ふむ、勇戦敢闘後沈められたわけですか。ところでそれが伊五一潜である可能性というのは?」

大塚「その海域に拡がる漂流物を採取したら、ゴムの梱包があったというのがありまして」

BUN「おお、それは可能性が高いですね」

大塚「またこの時期物資輸送艦として極東水域から派遣されたUボートで同時期に到着する予定の艦が無い事、加えてドイツからインド洋に派遣されるUボートがU234とU876の二隻のみとする事がこの直後に決定されてますので、伊五一潜の可能性が高いのではないかと思います…」

BUN「しかし、それが伊五一潜だとすれば、目的地直前で沈められたわけですから、乗組員はさぞや無念だったでしょうなぁ…」

大塚「全くですねぇ…(遠い目)」

BUN「最後にこの潜水艦に関する何か面白い話はありませんか?」

大塚「以外な事実なんですけどね、伊五一潜の挙げた可能性のある戦果を合計すると、あの時期のUボートに比べると遥かに良い戦果を上げているんです」

BUN「数次の哨戒任務を実施した上、Uボートを上回る戦果を上げたとは、立派なものです。その正体不明の戦果とは、どのくらいのものだったのでしょう?」

大塚「ここらはドイツ側の記録でも連合国側の記録でも余り明確ではないんですが、伊五一潜が参加したとされる1943年7月から1944年1月までにかけて、先程の8月の例を含めて数隻の不明船があります。その全部を合わせると米潜水艦の戦果でも撃沈総トン数で5位以内に入れますね。まあその全てが該当する戦果にはならないでしょうけど、そのうちの何隻かは伊五一潜の戦果と考えても罰は当たらんのではないかと思いますし、結構な撃沈トン数になると思います」

BUN「ほう、我が伊号潜水艦は長駆大西洋まで進出して通商破壊戦に参加し、赫々たる武勲を挙げた可能性が充分にあるわけですか」

大塚「断言するには行きませんが、可能性はあるでしょうね。あとこれはおまけですが、1943年6月から1944年8月までの間、連合軍の潜水艦による船舶損失数を海域別かつ月別で見ると一番多いのはインド洋です。インド洋で作戦を行っていた日本潜水艦部隊は、その投入数を考えればこの時期ドイツ軍を遥かに上回る戦果を挙げていた、というのは知っていても良い事実じゃないですかね」

BUN「成程、日本の潜水艦部隊は一般に言われるように通商破壊作戦に従事せず、あたら戦力を無駄にすり潰していたわけではなく、世界でもっとも戦果を挙げうる実力を持った精強な潜水艦部隊であったという事実が明確になったわけですね」

大塚「(いや、そこまで言う気は無いけどさ…(^^;)」

BUN「…何か言いたい様ですが(零戦の外鈑を手にする)」

大塚「気のせいです(汗)。私も1943年6月から1944年8月にかけてのインド洋方面の日本潜水艦部隊は良い働きをしていたと思いますよ(ごりごり)」

BUN「また一つ、我が海軍が他国に勝るとも劣らぬ精鋭であったことが証明されたわけですね。それでは本日はどうも有難う御座いました」

BUN「大塚さん、どうしたんです!乱暴はいけませんよ、乱暴は!」

大塚「・・・・」

ドカ
スカ
バキャ



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