U.S. Carrier Air Group at War , 1943/1-1943/12

〜 米空母航空団の戦い(1943/1-1943/12) 〜

敵国艦船研究家 大塚好古
kotsuka@mx1.alpha-web.ne.jp



 太平洋を血に染める戦いは開戦以来一年が経過していた。一連の激闘の中でミッドウェイ・ガダルカナルと日米戦の岐路となる戦いでは何れも勝利を収めた米海軍であったが、未だに日本海軍は強力であり、最後の勝利に至るまでには長い道程が必要であった。この話は、日米海軍が海空において激戦を演じた1943年において、米空母航空団が如何に戦ったか、また如何に拡充されていったかという話である…。


Stand Navy out to sea,
Fight our Battle Cry;
We'll never change our course,
So vicious foe steer shy-y-y-y.
Roll out the TNT, Anchors Aweigh.
Sail on to Victory
And sink their bones to Davy Jones,
Hooray!

"Anchor's Away"


1943年1月:

 苦悩の一年は終わり、新しい年がやって来ました。明けましておめでとう御座います。因みにこれが1943年元旦における太平洋艦隊のオールスターキャストで御座います。


1943年1月1日時点における太平洋艦隊所属大型水上艦艇一覧:
(改装及び修理中の艦を除く)

空母「サラトガ」「エンタープライズ」
戦艦「ニューメキシコ」「ミシシッピ」「コロラド」「メリーランド」「ワシントン」「ノースカロライナ」「インディアナ」
重巡洋艦「ルイスヴィル」「シカゴ」「インディアナポリス」「ウィチタ」
軽巡洋艦「ローリー」「デトロイト」「リッチモンド」「ナッシュビル」「フェニックス」「ホノルル」「ヘレナ」「セントルイス」

この他に戦艦「ペンシルバニア」、「アイダホ」及び重巡洋艦「ソルトレークシティ」と軽巡洋艦「サンファン」が恐らく改装・修理後の訓練に従事中。



 この兵力を見れば分かる通り、当時の米海軍にはとても本格的な対日反攻に出るだけの戦力はありませんでした。また太平洋艦隊の兵力は北はアリューシャンから南はオーストラリアまでの広大な海域に展開しており、戦力的には互角以上の兵力を保持していた日本海軍に対して辛うじて立ち向かうのが精一杯の状態にありました。
 因みにこの時期の空母部隊は日米共々ガダルカナルでの戦闘に疲弊しており、休養・再整備の時期となっていたため特に大きな動きは生じておりません。

1943年1月時点での各空母航空団編成:

太平洋艦隊:

サラトガ(CV-3):

航空部隊名
VF-6
VS-6
VB-3
VT-3
搭載機種
F4F-4
SBD-3
SBD-3
TBF-1


エンタープライズ(CV-6)

航空部隊名
VF-10
VS-10
VB-10
VT-10
搭載機種
F4F-4
SBD-3
SBD-3
TBF-1


大西洋艦隊:

レンジャー(CV-4)

航空部隊名
VF-4
VB-4
VT-4
搭載機種
F4F-4
SBD-3
TBF-1


 なお、1943年中のレンジャーはこの時期を含めて地中海及び欧州方面への航空機輸送に当たることが比較的多かった事もあり、空母としての活動はやや低調なものにならざるを得ませんでした。因みにレンジャーはこの部隊編成の航空団で1943年中を過ごしますが、同艦は1944年には練習空母として扱われるようになるため、艦隊型空母として実戦に参加したのはこの年が最後となりました。
 


1943年2月:

 この月にガダルカナルから日本軍は撤退しており、ガダルカナルにおける激闘は漸く米側に軍配が上がる事になりました。その一方、米艦載飛行隊の多くがこの月にガダルカナルに派遣され、激化する中部ソロモン方面に投ぜられています。
 またこの月にサラトガの空母航空団所属航空部隊のうち、戦闘機隊であるVF-6がガダルカナルに派遣されています。これからいくとサラトガとその所属飛行隊の大半は、この時期には戦略予備として控置されて第一線には出ないようにされていた可能性もあります(*1)。

変動のあった空母航空団:

サラトガ(CV-3):

航空部隊名
VS-6
VB-3
VT-3
搭載機種
SBD-3
SBD-3
TBF-1


1943年2月、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に展開している海兵隊所属のF4F


当月よりガダルカナルに派遣された艦載航空機部隊:

VF-6(1943/2-1943/4)
VF-72(1943/2-1943/3、1943年3月29日解隊)
VGS-11/12/16のF4F/TBF(護衛空母の飛行隊より派遣:VGS-11/12/16の派遣期間は下記参照の事)


1943年3月:

 ガダルカナルへの艦載航空部隊の派遣は続けられており、この月にも新しい飛行隊がガダルカナルに投ぜられています。対して空母の活動は低調であり、特に大きな作戦は実施されておりません。また目を引くのは先月のVGS各隊投入と同様に、太平洋艦隊に在籍する大型護衛空母サンガモン級全ての艦(サンガモン・スワニー・シェナンゴ)に搭載されていた航空団が全てガダルカナルへと派遣されていることです。これはこの時期米海軍が護衛空母の能力を艦隊型空母として見た場合について、非常に失望していたためであり、護衛空母の航空団は陸に上げたほうが使い物になる、と判断された事によります。米海軍が護衛空母を再評価するようになるには、五月以降のアリューシャン海域におけるナッソー(CVE-16)の行動の結果を待つ必要がありました。

当月よりガダルカナルに派遣・同地で改編された艦載航空機部隊:

旧VGS-11→VC-11
旧VGS-12→VC-12
旧VGS-16→VC-16(1943/3-1943/6?)
VF-26(1943/3-1943/4)
VF-27(1943/3-1943/4)
VF-28(1943/3-1943/4)
VC-26(1943/3-1943/4)
VT-27(1943/3-1943/4)(*2)
VC-28(1943/3-1943/4)


1943年4月:

 3月と状況は特に変わらず、書く事がありません(汗)。まあガダルカナルに継続して艦載航空部隊が送り込まれているので、これでも書いておきましょう(爆)。この月には1942年10月にホーネット(CV-8)の航空団更新用として編成されたCAG-11が搭載できる空母が不在のためガダルカナルに纏めて投ぜられています。なお、これらのCAG-11所属飛行隊のうち、Sun Downersと呼ばれたVF-11は、後にF-4B/JファントムIIやF-14Aに軍艦旗を描いていたVF-111の先祖に当たる部隊である、というのは特に覚える必要はありません(笑)。

当月よりガダルカナルに派遣された艦載航空機部隊:

VF-11(1943/4-1943/7)
VB-11(1943/4-1943/8)
VT-11(1943/4-1943/8)


1943年5月:

 わーい話題があるぞ(爆)。この月にはエセックス級空母一番艦であるエセックスが漸く真珠湾に姿を現します。この時の飛行隊の編成は下記の通りになっていました。昨年編成された旧CAG-9、現CVG-9がトーチ作戦その他に転用されたにもめげず、エセックスの艦上に予定通り展開していました。またこれから見ても分かる通り、この時期には艦上爆撃機によって編成されていたVS(偵察爆撃飛行隊)は一部の例外を除いてVBに統合されて消滅しています。

新たに艦隊に加わった空母の航空団編成:

エセックス(CV-9)搭載航空団:

航空部隊名
VF-9
VB-9
VT-9
搭載機種
F6F-3
SBD-4
TBF-1


1943年5月、廻航途上のエセックス(CV-9)


 なおこの月にエンタープライズが南西太平洋部隊の戦列から離れており、真珠湾に帰投しています(5/1エスピリッツサント出港の後5/8に真珠湾へ入港。以後7月中旬まで真珠湾在泊)。これ以後当面の間真珠湾において休養・整備及び飛行隊の訓練に入りますが、この措置により当面南西太平洋方面で稼働する米空母はサラトガ只一隻となってしまいます。またこの際にエンタープライズに搭載されていたCVG-10は同艦への展開任務を解かれており、エンタープライズが第一線に復帰する際には別の航空団が搭載される予定になっていました。この時期にエンタープライズに展開の可能性があったのは、この時期同艦での発着艦訓練を実施していたCVG-6かCVG-12ですが、後にサラトガにCVG-12が搭載されたことを考えると、恐らく本艦が搭載を予定していた航空団はCVG-6だったと思われます。


この時期のエンタープライズ(CV-6)搭載予定航空団(予測):

航空部隊名
VF-3
VB-6
VT-6
搭載機種
F6F-3

(機種改変中)

SBD-3/4
TBF-1



 因みにこの月にもガダルカナルへの海軍機投入は継続して行われており、下記の飛行隊がガダルカナルに展開もしくは同地で再編されて作戦を行っています。

当月よりガダルカナルに派遣された・同島で改編された艦載航空機部隊:

VC-11→VF-21(1943/5-1943/7)
VC-12→VT-21(1943/5-1943/7)
VB-21(1943/5?-1943/8)


1943年6月:

 エセックスが艦隊に配備されたことで北部及び中部太平洋方面における予備兵力が出来たと考えられた事もあるのか、先月半ばよりエンタープライズに変わってサラトガが久しぶりに南太平洋方面戦線に姿を現しており、この月にはニュージョージア島攻略作戦の航空支援部隊として参加しています。この時期(1943/5/17-1943/7/31)サラトガは英空母ヴィクトリアスと任務部隊を構成しており、両艦の航空団編成は下記の通りになっています。なお当初はこの編成でしたが、訓練中及び作戦初期の時点において、この当時ヴィクトリアスが装備していた着艦制動装置がアヴェンジャーの重量に完全に対応出来なかったために着艦事故が多発してしまいます。この結果作戦後半時の艦載機運用はサラトガの戦闘機部隊がヴィクトリアスに移動、またヴィクトリアス艦攻隊がサラトガに移動して作戦を行うという変則的な運用が実施されることになります。なお、この時見せた英空母の低能力は米海軍側を大きく失望させており、後年英太平洋艦隊が創設されて米艦隊の指揮下に入る事となった時、なんとかして米艦隊と行動を共にさせないで済むようにされた遠因となります。
 この時期のサラトガに搭載されていた航空団(CVG-3)は、基本的に1942年11月末に南西太平洋方面方面に復帰した時期と同じ編成ですが、偵察飛行隊の爆撃飛行隊への改変(改称?)が進んだことにより、この月にVS-6が爆撃飛行隊へと変わり、VB-13に部隊名称が変わっています(*3)。

 なお、この月には4月に船団護衛任務に就くために、一旦ガダルカナルから退いて所属元空母に転属していた護衛空母の航空団が、再度ガダルカナルに派遣されて来ています。


変動のあった空母航空団:


サラトガ(CV-3)

航空部隊名
VF-6(→VF-3)
VB-3
VS-6(→VB-13)
VT-3
搭載機種
F4F-4
SBD-3/4
SBD-3/4
TBF-1


ヴィクトリアス(HMS Victorious)

航空部隊名
No.882 Sq.
No.896 Sq.
No.898 sq.
No.832 Sq.
搭載機種
Martlet IV

(F4F-4)

Martlet IV

(F4F-4)

Martlet IV

(F4F-4)

Tarpon

(TBF-1)


ヌーメアで撮影されたサラトガ(左)と英空母ヴィクトリアス(右)


当月よりガダルカナルに派遣された艦載航空機部隊:

VF-26(1943/6-1943/8)
VF-27(1943/6-1943/8)
VF-28(1943/6-1943/8)
VC-26(1943/6-1943/8)
VT-27(1943/6-1943/8)
VC-28(1943/6-1943/8)


1943年7月:

 この月にはエセックス級二番艦のヨークタウン、加えて軽空母インディペンデンスとベロー・ウッドが真珠湾に到着しており、太平洋艦隊の実働する艦隊型空母兵力は正規空母4、軽空母2と日本海軍に拮抗するレベルにまで復活してきています。但し、軽空母に対する航空団の割当ては編成上の問題もあって遅れが生じており、実際に軽空母二隻に対して航空部隊が展開、実働可能状態となったのは両艦が真珠湾来着から暫く経った1943年8-9月のことになります。

新たに艦隊に加わった空母の航空団編成:

ヨークタウン(CV-10)搭載航空団:

航空部隊名
VF-5
VB-5
VT-5
搭載機種
F6F-3
SBD-4
TBF-1


インディペンデンス(CVL-22)搭載航空団:(*4)

航空部隊名
VF-6

(→直後にVF-22に変更)

VC-22
搭載機種
F6F-3
TBF-1


ベローウッド(CVL-24)搭載航空団:(*4)

航空部隊名
VF-22

(→直後にVF-24に変更)

VC-22B
搭載機種
F6F-3
TBF-1


1943年7月にメア・アイランド海軍工廠の港外で撮影されたインディペンデンス(CVL-22)


 なおこの月の中旬まで真珠湾で訓練を行っていたエンタープライズは、これらの空母兵力増強により空母兵力に余裕が出来たと考えられた事もあるのか、オーバーホールと改装のため本国に帰還しています(7/20ブレマートン入港)。同艦の改装が終了するのは10月の事であり、真珠湾に戻って艦隊任務に復帰するのは11月の事になります。


 この他の特記事項としては、この月(1943/7/15)には何故かVF-3とVF-6が飛行隊番号を入れ替えており、以降旧VF-3はVF-6、旧VF-6がVF-3と呼ばれるようになります。これは当時旧VF-6がサラトガに、旧VF-3がエンタープライズに搭載される予定であったので部隊番号を入れ替えた、とする説もありますが、実際のところは良く解りません。なお、実際にはこの直後にサラトガがCVG-12を搭載した事から、当面VF-3はF4F装備のままガダルカナルへと派遣されることになります。一方この時期にはヘルキャットへ機材更新がほぼ終了していたVF-6は、エンタープライズの第一線復帰が1943年11月になった事もあって、当面分散して軽空母に戦闘機兵力増強のために展開することになり、以降1943年末まで計4隻の空母に分割配備の上、各空母の艦上から作戦を行う事になります。


当月よりガダルカナルに派遣された艦載航空機部隊:

VF-3(1943/7-1943/9)


1943年8月:

 先月末にヴィクトリアスと共に従事していた作戦が終了した時点で、サラトガはそれまで搭載していた航空団を艦から下ろしており、この月には下記編成の航空団が新たに展開していました。

変動のあった空母航空団:

サラトガ(CV-3):

航空部隊名
VF-12
VB-12
VT-12
搭載機種
F6F-3
SBD-4
TBF-1


 これから既存の空母に航空団に対してもF6Fの配備が本格的に開始されたことが分かります。なお、サラトガに展開したVF-12は開隊当初F4Uを装備していましたが、この時期には空母部隊に対する補給整備の都合上から、空母部隊に展開する戦闘機隊の機種を当面F6Fに統一する方針が出されていたため、南西太平洋方面に来着後F6Fに機種改変を行ったという一風変わった経歴を持つ部隊でもあります。
 またこの月にはエセックス級のレキシントン(CV-16)と軽空母プリンストン(CVL-23)が真珠湾に来着しており、各々の航空団の編成は下記の通りとなっています。


新たに艦隊に加わった空母の航空団編成:

レキシントン(CV-16)搭載航空団:

航空部隊名
VF-16
VB-16
VT-16
搭載機種
F6F-3
SBD-4
TBF-1


プリンストン(CVL-23)搭載航空団:

航空部隊名
VF-23
VS-23
VT-23
搭載機種
F6F-3
SBD-4
TBF-1


 ただこの直後にプリンストンの航空団編成は変更されており、下記の編成に変わっています。


プリンストン(CVL-23)搭載航空団:

航空部隊名
VF-23
VF-6分遣隊
VT-23
搭載機種
F6F-3
F6F-3
TBF-1


 なお、ガダルカナル派遣部隊にもこの月からF6Fの配備が始まっています。

当月よりガダルカナルに派遣された艦載航空機部隊:

VF-33(1943/8-1943/9)


1943年9月:


 この月には新造空母を主体とした空母機動部隊によるヒットエンドラン作戦が開始されるようになります。その鏑矢となったのはポウノール提督指揮下のエセックス・ヨークタウン・インディペンデンスの空母三隻を基幹とする機動部隊が1943年9月1日に南鳥島に対して行った航空攻撃ですが、戦争開始から一年九ヶ月目にして、漸く米海軍は反攻に取り掛かるだけの兵力を得ることが出来るようになったのです。
 加えてレキシントンとプリンストン、更にベローウッドを主力とする機動部隊がベーカー島(TF11:レキシントン欠)及びタラワ島を含むギルバート諸島(TF15)を空襲したのもこの月の事であり、タラワの航空兵力はこれによって一掃されてしまいます。このため日本軍はマーシャル方面から航空兵力を引き抜いて防衛に当てますが、この様に米機動部隊によるヒットエンドラン攻撃は日本軍に多くの出血を強いてその防衛力の弱体化に大きく貢献する事になります。またこの月には軽空母のカウペンスが艦隊に加わり、米空母兵力が順調に整備されているのも解ります。
 一方サラトガはこの月一時的に整備のため後方に下がったようで、搭載していた航空団は一時的にガダルカナルに展開して作戦にあたっています。後恐らくこの月から既存のSBD-3/4使用部隊がSBD-5への改編を始めており、VB-9はマーカス島空襲参加後SBD-5への機種改編を行っています。

新たに艦隊に加わった空母の航空団編成:

カウペンス(CVL-25)搭載航空団:(*3)

航空部隊名
VF-25
VF-6分遣隊
VC-25
搭載機種
F6F-3
F6F-3
TBF-1


概ねこの時期である1943年8月末に撮影されたカウペンス(CVL-25)


マーカス島空襲作戦参加各空母航空団兵力:

CV-9 Essex

(CVG-9)

VF-9
VB-9
VT-9
搭載機種
F6F-3 SBD-4 TBF-1
搭載機数
36 36 19
CV-10 Yorktown

(CVG-5)

VF-5
VB-5
VT-5
搭載機種
F6F-3 SBD-4 TBF-1
搭載機数
36 36 19
CVL-22 Independence

(CVLG-22)

VF-22 VF-6分遣隊
VC-22
搭載機種
F6F-3 F6F-3 TBF-1
搭載機数
12 12 9


ギルバート諸島空襲作戦参加各空母航空団兵力:

CV-16 Lexington

(CVG-16)

VF-16
VB-16
VT-16
搭載機種
F6F-3 SBD-5 TBF-1
搭載機数
36 36 18
CVL-23 Princeton

(CVLG-23)

VF-23
VF-6分遣隊
VT-23
搭載機種
F6F-3 F6F-3 TBF-1
搭載機数
12 12 9
CVL-24 Belleau Wood

(CVLG-24)

VF-24
VC-22B
搭載機種
F6F-3 TBF-1
搭載機数
26 9


爆撃下のマーカス島(南鳥島)


当月よりガダルカナルに派遣された艦載航空機部隊:

VF-12(1943/9-1943/10)
VB-12(1943/9-1943/10)
VT-12(1943/9-1943/10)
VF-38(1943/9-1943/10)
VF-40(1943/9-1943/10)


1943年10月:

 この月には正規空母・軽空母各1隻が艦隊に加わっています。当初バンカーヒルの空母航空団はコルセア装備のVF-17が配置されていましたが、同隊はVF-12がF6Fに機種を改変した理由が主となってCVG-17より外される事となり、陸上基地派遣航空隊としてソロモン方面へと投ぜられることになりました。これによって同隊はこの月にニューギニア方面派遣海軍艦載航空部隊の一部としてニュージョージアに展開する事になり、一方バンカーヒルにはこれの代わりとしてF6F装備のVF-18が配備されています。またバンカーヒルはSB2Cを搭載した初の艦隊型空母ともなっていますが、VB-17の指揮官ジェームズ・"モー"・ヴォーズ少佐は後のインタビューの際に「部隊編成の際にSBDとSB2C好きなほうを選べ、と言われたので新しい機種を選んだのだが、今だったらSBDを選んだだろうな」とこの決断を悔やむ発言をしています(笑)。
 因みに米空母によるヒットエンドラン攻撃は続けられており、この月はウェーク島に対し正規空母及び軽空母各三隻(参加したのはエセックス・ヨークタウン・レキシントン及びインディペンデンス・ベローウッド・カウペンスの各艦)を基幹とする機動部隊(TF14)によって攻撃が行われており、戦闘と事故を含めて26機を失いましたが、在島の航空兵力を一掃する戦果を上げています。


新たに艦隊に加わった空母の航空団編成:

バンカーヒル(CV-17)搭載航空団:

航空部隊名
VF-18
VB-17
VT-17
搭載機種
F6F-3
SB2C-1
TBF-1


モンテレイ(CVL-26)搭載航空団:

航空部隊名
VF-30
VT-30
搭載機種
F6F-3
TBF-1


1943年10-11月頃、作戦従事中のヨークタウン(CV-10)格納庫内でを撮影された整備作業の写真



当月より中部ソロモン方面に派遣された艦載航空機部隊:

VF-33(ニュージョージアに移動:1943/10-1944/1)
VF-17(ニュージョージア及びブーゲンビル:1943/10-1944/4)
VF-38(ニュージョージア及びブーゲンビル:1943/10-1944/3)
VF-40(ニュージョージア及びブーゲンビル:1943/10-1944/3)
VC-24(ムンダ:1943/10-1943/12)
VC-38(ムンダ:1943/10-1944/2)
VC-40(ムンダ:1943/10-1944/2)

 なお、恐らく日本の皆様は誰も気にしない話だと思われますが、大西洋艦隊のレンジャー搭載航空団が最後の攻撃作戦を実施したのもこの月の話になります。10月4日にノルウェーのボーデ港に対して行われたこの攻撃には、第一次攻撃隊としてVF-4のF4F8機とVB-4のSBD20機、第二次攻撃隊としてF4F6機とVT-4のTBF10機で編成された攻撃隊が参加しています。この攻撃に参加したSBD隊とTBF隊は商船合計3隻(計23,000トン)を撃沈または擱坐放棄させ、この他にも4隻に損傷を与えるという戦果を上げています(この作戦時にレンジャーは31ktsで走っていたというけど本当かな(^^;)。


1943年最終状態のレンジャー(CV-4)搭載航空団:

航空部隊名
VF-4
VB-4
VT-4
搭載機種
F4F-4
SBD-5
TBF-1



1943年11月:

 この月にエンタープライズが改装を終えて艦隊任務に復帰してきます。この時点での同艦の航空団編成は下記の通りでした。

エンタープライズ(CV-6)搭載航空団:

航空部隊名
VF-2
VB-6
VT-6
搭載機種
F6F-3
SBD-5
TBF-1


 開戦時にエンタープライズが搭載していた航空団の末裔であるCVG-6が搭載されています。CVG-6の戦闘機隊は元来VF-6ですが、この時期は各空母に分遣して展開していたことも有り、1943年6月に旧VF-6(後のVF-3)とVF-10の要員を基幹として新規に編成されたVF-2が替わって搭載されています。旧VF-6もVF-10も元々エンタープライズに展開していた飛行隊であり、ある意味伝統に適った部隊が揃って展開したと言えるのかもしれません。

 またこの月には南西太平洋部隊の中部ソロモン方面の侵攻作戦進展に伴って第一次・第二次ブーゲンビル島沖航空戦が行われており、また後世にその名も高い米第五艦隊が始めての実戦参加としてギルバート諸島への侵攻作戦に参加したのもこの月の事ですが、これら一連の戦闘によって日本の空母艦載機兵力を完全に撃滅したほか、ラバウル方面の航空兵力減少に伴ってマーシャル・ギルバート方面から航空部隊を引き抜く必要が生じるなど日本海軍の航空兵力は米空母との戦闘によって著しく減少します。一方、米空母の損害はギルバート作戦時にインディペンデンスが航空雷撃によって損傷した他、潜水艦の攻撃によって護衛空母のリスカム・ベイが撃沈されたのみで留まっています。ギルバート侵攻作戦である「ガルヴァニック」作戦の航空部隊編成で目に付くのは軽空母の一部がVF-6を分散搭載していることですが、これは軽空母に対して艦爆の搭載が取り止められて戦闘機を増載する事が決定したことに伴う措置であります。
 この他にこの月で注目に値するのは、新編のVF-1がタラワ防衛用の戦闘機隊として護衛空母に分散して搭載されており、占領直後に同島に展開していることでしょうか。

第一次ラバウル空襲参加各空母航空団編成:

CV-3 Saratoga

(CVG-12)

VF-12
VB-12
VT-12
搭載機種
F6F-3 SBD-5 TBF-1
搭載機数
37 24 18
CVL-23 Princeton

(CVLG-23)

VF-23
VF-6分遣隊
VT-23
搭載機種
F6F-3 F6F-3 TBF-1
搭載機数
12 12 9


概ねこの時期に撮影されたサラトガ(CV-3)での飛行甲板における作業状況を示す写真


第二次ラバウル空襲参加各空母航空団編成:

CV-9 Essex

(CVG-9)

VF-9
VB-9
VT-9
搭載機種
F6F-3 SBD-5 TBF-1
搭載機数
36 36 19
CV-17 Bunker Hill

(CVG-17)

VF-18
VB-17
VT-17
搭載機種
F6F-3 SB2C-1 TBF-1
搭載機数
24 33 18
CVL-22 Independence

(CVLG-22)

VF-22 VF-6分遣隊
VC-22
搭載機種
F6F-3 F6F-3 TBF-1
搭載機数
12 12 9

(*)本作戦時には陸上基地から発進したVF-17及びVF-33が各空母で補給を実施。


ガルヴァニック作戦に参加した各空母の航空団編成(1943/11/10-1943/12/10まで同一):

こちらを御参照下さい。

ガルヴァニック作戦時に攻撃から戻った航空機を収容しているレキシントン(CV-16)


タラワ島占拠に伴い同島に展開した艦載航空機部隊:

VF-1(1943/11-1944/1)


1943年12月:

 米第五艦隊の猛攻は更に続き、12月4日にはクェゼリンに対して大規模な空襲を行っています。この作戦でマーシャル方面の日本軍航空兵力は壊滅し、11月の損害と合わせて後のマーシャル侵攻作戦時に満足な反撃が行えない大きな要因となります。一方でこの作戦時にはレキシントンが夜間航空雷撃を受けて中破しており、またエンタープライズに零戦が突入した結果、同艦が軽微な損傷を負うなど、ギルバート作戦に引き続いて米艦隊にも損害が生じています。この後第五艦隊は12月9日に真珠湾に帰投して補給・整備作業に入ったため、以後1943年中の実戦における活動は無く終わります(*5)。なお、本作戦から帰投後に、軽空母に分散配備されていたVF-6はハワイで一つの部隊に纏められ、1944年1月にはCVG-6の一員としてイントレピッド(CV-11)に配備されることになります。またCVG-6がイントレピッドに移動したことを受けて、エンタープライズには同艦と共にガダルカナル戦後期の苦しい時期を戦った旧CAG-10であるCVG-10が搭載されることになります。

 加えてこの月には更なる増援兵力として2隻の軽空母が艦隊空母兵力に加わっていますが、これらの空母の初陣は翌年1月に実施されたマーシャル諸島侵攻作戦以後の事となります。

新たに艦隊に加わった空母の航空団編成:

ラングレイ(CVL-30)搭載航空団:

航空部隊名
VF-32
VT-32
搭載機種
F6F-3
TBF-1


キャボット(CVL-28)搭載航空団:

航空部隊名
VF-31
VT-31
搭載機種
F6F-3
TBF-1


当月に改編された中部ソロモン派遣艦載航空機部隊:

VC-24→VB-98(ムンダ:1943/10-1943/12)

ギルバート・マーシャル諸島方面作戦を終えて真珠湾に帰投後、休養及び訓練に従事していた時期のベロー・ウッド(CVL-24)




And where is that band who so vauntingly swore
That the havoc of war and the battle's confusion
A home and a country should leave us no more?
Their blood has wash'd out their foul footsteps' pollution.
No refuge could save the hireling and slave
From the terror of flight or the gloom of the grave:
And the star-spangled banner in triumph doth wave
O'er the land of the free and the home of the brave.

"Star Spangled Banner"


まとめ:

 1943年はある意味日本が太平洋戦争でその主導権を握れる可能性があった最後の年でしたが、その兵力層の薄さが災いして主導権を奪い返すことは出来ませんでした。両軍がほぼ互角の兵力で戦いを行った1943年中期の戦いにおいても米海軍は日本海軍に打ち勝ち、1943年末期には陸上基地航空兵力をも空母航空団で打ち破れるだけの戦力を持つことになります。また1944年以降1945年8月に日本が降伏するまで、膨れ上がる一方の米艦隊の戦力に対して日本海軍はじり貧状態に陥り、この兵力差は更に開いていく事となり、日本海軍の戦力では太刀打ちできない状況に陥ります。

 しかし1943年初頭において米太平洋艦隊が日本海軍以下の兵力しか持っていなかった事は紛れもない事実であり、彼等はその劣勢下で1943年初頭の戦いを戦い抜き、その後の太平洋の戦いを勝利に導いていったのです。
 またこの時期に米海軍が行った艦載航空部隊の継続したソロモン方面への投入がその戦いを優位に導いたことは確かですが、これは「い」「ろ」号両作戦で投入した艦上機を失ったのみで戦局の挽回に結びつけられなかった日本海軍とは好対照を成す結果となっています。日本側ではとにかく批判される空母航空機の陸上基地作戦投入ですが、米側がこれを旨く運用していたのは興味深い事実であり、この事は艦載航空部隊を陸上作戦に転用しても問題を生じさせなかった航空兵力の厚みの差を実感させられます。

 本稿は1943年12月31日の太平洋艦隊所属大型水上艦艇の兵力を出して終わりにしたいと思います。1月1日の兵力と比較して、1年間でこれだけの兵力増大を果たしたというのは、あらゆる点で感慨深いものがあります。ある意味壊滅状態にあった米太平洋艦隊は完全に甦り、対日戦を勝利に導く主役として以後活動することになるのです。


1943年12月31日時点における太平洋艦隊所属大型水上艦艇一覧:
(改装及び修理中の艦及び護衛空母を除く)

空母「サラトガ」「エンタープライズ」「エセックス」「ヨークタウン」「バンカーヒル」
軽空母「インディペンデンス」「プリンストン」「ベローウッド」「カウペンス」「モンテレイ」「キャボット」「ラングレイ」
戦艦「ペンシルバニア」「ニューメキシコ」「ミシシッピ」「アイダホ」「テネシー」「コロラド」「メリーランド」
「ノースカロライナ」「ワシントン」「サウス・ダコタ」「インディアナ」「マサチューセッツ」「アラバマ」
重巡洋艦「ペンサコラ」「ソルトレークシティ」「チェスター」「ルイスヴィル」「ポートランド」「インディアナポリス」
「ニュー・オリンズ」「ミネアポリス」「サンフランシスコ」「ウィチタ」「バルチモア」「ボストン」
軽巡洋艦「ローリー」「デトロイト」「リッチモンド」「ナッシュビル」「フェニックス」「ボイス」「ホノルル」
「セント・ルイス」「サンファン」「オークランド」「クリーブランド」「コロンビア」「モンテペリエ」
「デンヴァー」「サンタ・フェ」「バーミンガム」「モービル」


(米空母航空団の戦い1943:了)


備考:

(*1)この時期のサラトガは、ガダルカナル水域で活動を行っているとされる場合もあるが、大半はヌーメアの泊地に篭っていてその活動は非常に低調であるのも事実である。なお、1943年4月にコルセアで編成されたVF-12がサラトガ艦上で空母適合試験を実施したとする資料があるので、サラトガがこの時期真珠湾に一旦帰投して訓練・整備にあたっていた可能性も否定出来ない。この後5月にエンタープライズと交代して南西太平洋方面に展開したと考えれば、一応全ての辻褄が合うことは確かである。これについては今後も調査を継続する予定である。

(*2)元々サンガモン級の航空団(CVEG)はVGS単一編成の他の護衛空母とは異っており、VGF(戦闘機隊)とVGS(索敵・爆撃飛行隊)の二つで構成されていた。これが3月に実施された飛行隊の編成変更により、VGFはVF、VGSはVCに呼称が変更されたが、VT-27のみはヘンダーソン飛行場展開時に元々飛行隊に含まれていたSBDをその編成から外したため、VT呼称とされたものである。なお、VC-26/28はこの時もTBFの他にSBDをその飛行隊に含んでいるため、VCに変更されている。因みに資料によって時折VT-26/28呼称されている場合があるのは、VC-26/28が後に編成されたVT-26/28の母体となったためだと思われる。

(*3)SBD Dauntless Unit in WWIIには、この月の時点でサラトガ艦上にVB-13が展開している事が示されている。ただ当時VS-6に配属されたさる搭乗員様の言によると、本作戦終了後サラトガを降りたときにVB-13に変わったと述べているのが気になるところではある。

(*4)インディペンデンスとベローウッドが搭載していたVC-22とVC-22Bは、VCという呼称から分かる通り元々はSBD-4とTBF-1の混成による編成であったが、この時期に軽空母へのSBD搭載が取り止められた事から最終的にTBFのみの編成となっている。なお、この両隊がTBFのみの編成となった時期は不明確だが、恐らくVF-6が軽空母に分散配備となった1943年8月頃の事と思われる。なお、カウペンス搭載のVC-25もVC-22/VC-22Bとほぼ同時期にTBFのみの編成になったと思われる。蛇足ながら、インディペンデンス級の初期就役艦が搭載予定としていた航空団において、プリンストンの航空団のみがVC編成とせずVSとVTが別れていた理由も現時点では不明である。

(*5)第五艦隊所属の艦隊型空母のうち、11月末に予備空母群(TF50.4)に編入されたバンカーヒルとモンテレイはクェゼリン空襲には参加しておらず、その後臨時に南西太平洋方面艦隊に貸し出されて1943/12/25-1944/1/4にかけてカビエンに対する航空攻撃作戦に従事している。




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Written by Yoshifuru Otsuka(2002/11/23):Last Update 2004/1/23