U.S. Carrier Air Group at War, 1941/12-1942/12
〜 米空母航空団の戦い(1941年12月〜1942年12月) 〜
敵国艦船研究家 大塚好古
kotsuka@mx1.alpha-web.ne.jp
時は1941年、既に貧乏神は米海軍から去っているように思えた。既に1940年の「二大洋艦隊法」の成立により太平洋・大西洋両艦隊の急速な拡充が始まっており、米国内の造船所は急ピッチに建艦の速度を上げていた。しかし、貧乏神は最後に呪いを残していたのだ。
1941年12月7日、未だ「二大洋艦隊法」で整備が決定した艦艇が就役を開始しないうちにアメリカにとっての戦争は始まった。この話は、米海軍の空母航空部隊が貧乏神最後の呪いと戦いつつ強大な日本艦隊と戦い、戦争の帰趨を決定するまでの一年間の様相を記すものである…。
1941年12月7日:
History in every century
records an act that lives forever more.
We'll recall,as into line we fall,
the thing that hap-pened on Hawaii's shore.
Let's REMEMBER PEARL HARBOR
As we go to meet the foe.
Let's REMEMBER PEARL HARBOR
As we did the Alamo.
We will always remember
how they died for Liberty
Let's REMEMBER PEARL HARBOR
And go on to victory.
Let's REMEMBER PEARL HARBOR
As we go to meet the foe
Let's REMEMBER PEARL HARBOR
As we did the Alamo.
We will always remember
how they died for Liberty(Remember Peael Harbor Song,1941)
1941年12月7日、真珠湾における戦艦メリーランドと転覆沈没した戦艦オクラホマ
極東の某国の卑劣な不意打ちによって太平洋戦争が始まりました。米海軍は自由と勝利への長い道程の間、決して真珠湾の悲劇を忘れることは無いでしょう。
とにもかくにも戦争は始まってしまい、太平洋艦隊の主力である戦艦部隊は真珠湾の戦艦列で仲良く沈んでいるので、とりあえず浮いている空母と巡洋艦を主力として極東の某国と戦わねばなりません。因みにこの時点での空母の配置と飛行隊の構成は以下の通りでした。
太平洋艦隊: CV-2 Lexington(ミッドウェイに航空機輸送中であったが急遽中止、日本艦隊を捜索中)
航空部隊名 VF-2 VS-2 VB-2 VT-2 搭載機種 F2A-3 SBD-2 SBD-2/3 TBD-1 CV-3 Saratoga(米本土西岸にて訓練中)
航空部隊名 VF-3 VS-3 VB-3 VT-3 搭載機種 F4F-3/3A SBD-3 SBD-3 TBD-1 CV-6 Enterprise(ウェークに航空機輸送後、真珠湾に帰投中)
航空部隊名 VF-6 VS-6 VB-6 VT-6 搭載機種 F4F-3/3A SBD-3 SBD-2 TBD-1 大西洋艦隊: CV-4 Ranger(トリニダード周辺水域での哨戒任務を終えてノーフォークに帰投中)
航空部隊名 VF-4 VF-72 VS-41 VS-42 搭載機種 F4F-3 F4F-3 SB2U-2 SB2U-2 CV-5 Yorktown(ノーフォークに在泊)
航空部隊名 VF-42 VS-5 VB-5 VT-5 搭載機種 F4F-3 SBD-3 SBD-3 TBD-1 CV-7 Wasp(バミューダに在泊)
航空部隊名 VF-71 VS-71 VS-72 搭載機種 F4F-3 SB2U-2 SB2U-3 CV-8 Hornet(ノーフォーク近海で就役訓練中)
航空部隊名 VF-8 VS-8 VB-8 VT-8 搭載機種 F4F-3/3A SBC-4 SBC-3/4 TBD-1/SBN-1 実働している空母は7隻、そのうち太平洋には3隻しか配備されていませんでしたが、それまで大西洋艦隊にあって哨戒任務に付いていたヨークタウンはワスプにその任務を引き継ぎ、太平洋艦隊強化のために太平洋へと廻航する事となり、12月16日にノーフォークを後にします。この時本来ヨークタウンの航空団所属のVF-5はF3FからF4Fへの転換訓練にあたっており、また開戦後同隊がノーフォークの防空任務に就いた為もあって本来はレンジャーの航空団に所属するVF-42を搭載して太平洋に向かうことになりました。この代わりなのかこの時期のレンジャーはVF-72を2個目のVFとして搭載していますが、これはこの時期のワスプが就役訓練の最後期であったためだとする説もあります。
ただ大きな問題点として各艦の搭載航空機の新型機への更新が完全に終わっていない、という問題があり、これは改善されつつあったものの未だに厳然と存在しており、VF-5やVS-8に至っては複葉機が未だに就役中でした。米海軍は新型機への更新を急ぎますが、飛行部隊に余裕があるわけでなく、また随時作戦任務は果たさねばならないのでやはり頭の痛い問題でありました。
これに加えて雷撃機の機数不足も深刻化しており、TBFの実戦配備が急がれることになります。(この時点で米海軍は100機+のTBDしか保有しておらず、大型空母に本来の搭載定数を揃えるのさえ無理な状況でした)。
1941年末頃のレキシントン
1942年1月:
1941年12月30日にヨークタウンがサンディエゴに到着したことにより、太平洋艦隊の空母勢力は4隻体制となります。ところがその直後の1942年1月12日にサラトガが伊6潜の攻撃によって損傷、米本土で修理を行なう事になったため結局3隻体制に戻ってしまいます。
しかしこの結果として、サラトガの空母航空団が太平洋艦隊の貴重な艦隊航空隊の予備兵力として活動できることになり、機材更新等の面において計り知れない効果を生む事になりました。まずVF-3がこの直後にレキシントンへと転出しており、同艦本来の戦闘機部隊であるF2Aを装備していたVF-2はF4Fへの機材更新作業をを行うことになりますが、この後暫くの間、サラトガの搭載機はこのような形で各艦の航空部隊のリリーフ役として随所に展開、活躍することになります。
この他目立った動きとして、大西洋艦隊でレンジャー向けの雷撃機隊VT-4が編成され、訓練に入っています。ただこの飛行隊は通常の半分の兵力(9機)で編成されていますが、この数になったのはレンジャーの収容力に問題があったのか、はてまたTBF受領までの訓練用としてとりあえずこの機数を受領したのかは定かではありません。
変動のあった空母航空団: CV-2 Lexington
航空部隊名 VF-3 VS-2 VB-2 VT-2 搭載機種 F4F-3 SBD-2 SBD-2/3 TBD-1
1942年2月:
1月30日のレキシントン飛行隊によるギルバート・マーシャル空襲を皮切りに、空母による日本占領地域に対する「ヒットエンドラン」攻撃が本格化するのがこの月です。この月は空母航空団の編成に特に大きな変動はありませんが、大西洋艦隊においてVT-7が編成され、訓練に入っているのが目立った動きでしょう。ただ同隊は編成時にはTBD5機を受領したのみに過ぎず、これは完全にTBF受領までの繋ぎの訓練機材を受け取った、と見るべきでしょう。
蛇足ながら2月1日のエンタープライズ飛行隊によるウォッゼ空襲により、米艦載戦闘機による最初の撃墜記録(複数)がなされますが、この時の戦果にVF-6隊長であるマクラスキー少佐が関与しているのは記憶していても良い事項です。ところで仮想戦記では良く開戦劈頭に南雲艦隊とエンタープライズの機動部隊を喧嘩させますが、そうした場合概ねマクラスキー少佐がSBDを率いて日本艦隊に突っ込んで行く様相が描かれています。しかし少佐はこの頃まだ戦闘機隊(VF-6)の隊長なので、そういった描写は大嘘だという事になりますね(笑)。
1942年3月:
この月にはレキシントンとヨークタウンは珊瑚海・ニューギニア方面で「ヒット・エンド・ラン」攻撃を続けて行なっていますが、レキシントンは3月中旬に改装のため真珠湾に一時的に引き揚げてしまい、極東の某国海軍と対峙する作戦中の空母は一時的にヨークタウンのみとなってしまいます。
一方ではホーネットがようやく就役訓練を終了し、太平洋艦隊へと転籍となって太平洋へと廻航されます(3月20日サンフランシスコ着)。この頃には同艦の航空団の編成は一応他の空母と同様のものになっていますが、その一方で訓練不足が懸念されていました。
またこの時期にエンタープライズが定期修理に入りますが、それと同時にVS-6が機材更新に入り(VB-6へのSBD-3引き渡し?)、その代わりとして一時的にエンタープライズの航空団の指揮下にVS-3が入ります。
この他の目立った動きとしては、2〜3月に新たな空母航空団(CAG-9)の編成が始まっていることが挙げられますが、これらの部隊が表に出てくるのはまだ先の話になります。
南太平洋で作戦中のヨークタウン(写真は4月のもの)
変動のあった空母航空団: CV-6 Enterprise
航空部隊名 VF-6 VS-3 VB-6 VT-6 搭載機種 F4F-3/3A SBD-3 SBD-3 TBD-1 CV-8 Hornet
航空部隊名 VF-8 VS-8 VB-8 VT-8 搭載機種 F4F-3 SBD-3 SBD-3 TBD-1
1942年4月:
この月はドーリットル中佐指揮の東京空襲作戦が行われるなど、太平洋艦隊の空母部隊が華々しく活動した月であります。先月前線を離れたエンタープライズ、レキシントン共々定期修理・改装を終えて前線に復帰し、太平洋艦隊の空母陣営はようやく4隻体制となりました。
なお、この時レキシントンは機種改変なったVF-2を再び搭載しており、VF-3は再び予備飛行隊扱いとなっています。
一方大西洋艦隊の空母も英艦隊と共に活動を行っており、4月20日にはワスプがマルタ島増援のために英本国からスピットファイア47機を輸送する任務に就くなど地味ながら重要な任務に当たっているのが目に付きます(「Calender」作戦)。
1942年4月18日、ドーリットル爆撃隊を発艦させるホーネット
変動のあった空母航空団: CV-2 Lexington
航空部隊名 VF-2 VS-2 VB-2 VT-2 搭載機種 F4F-3 SBD-2 SBD-2/3 TBD-1
1942年5月:
5月1日はヨークタウンがトイレットペーパーを切らした記念すべき日でしたが、それはともかく戦いはいよいよ激しさを増しており、5月4-8日にかけて、世界最初の空母対空母の戦いである珊瑚海海戦がおこります。海戦の結果は皆様ご存知の通りで、レキシントンを喪失し、またヨーウタウンが損傷しました。
珊瑚海海戦時の参加各空母航空団兵力:
CV-2 Lexington VF-2 VS-2 VB-2 VT-2 搭載機種 F4F-3 SBD-2 SBD-2/3 TBD-1 搭載機数 22 18 18 12 CV-5 Yorktown VF-42 VS-5 VB-5 VT-5 搭載機種 F4F-3 SBD-3 SBD-3 TBD-1 搭載機数 20 19 19 13
珊瑚海海戦時のレキシントン
珊瑚海海戦の結果としてヨークタウンは修理のために真珠湾に廻航されますが、次のミッドウェイ海戦に備えて突貫工事で修理が行なわれてミッドウェイに向かうことになりますが、また航空部隊の損耗と疲弊に伴って搭載する航空部隊をほぼ一新しています。この時ヨークタウンが搭載したのはVS-3を除くサラトガの航空団であり、サラトガの空母航空団が予備兵力として大きな役割を果たしていたのが良く解ると共に、太平洋戦争の初期段階において、この貴重な予備兵力がなければ米太平洋艦隊の作戦に大きな支障が出たであろう事も伺えます。
蛇足ながら、ヨークタウンの航空団のうち唯一元の航空団から残ったVB-5がVS-5に名称変更されて作戦に参加しているのは注意する必要がある項目でしょう。この他にエンタープライズが東京空襲から帰還した際に偵察爆撃隊をVS-6に戻したのが大きな動きではあります。
この他にこの月の米空母の活動としては、大西洋方面でマルタ島への増援作戦に再度ワスプが参加した事が上げられます(5月9日:「Bowery」作戦)。同艦は英空母イーグルとともにマルタ島へ向けてスピットファイア64機を輸送する任務にあたり、ワスプとイーグルから発進したスピットファイアはマルタ上空で制空任務にあたった後、同島に着陸して以降作戦を続行します。この結果を喜んだ英首相チャーチルは「ワスプは二度刺せないなどと言ったのは誰だ?」という感謝電報を同艦に送ったと言われております。
マルタ島増援作戦においてスピットファイアを発艦させるワスプ
変動のあった空母航空団: CV-5 Yorktown
航空部隊名 VF-3 VS-5 VB-3 VT-3 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBD-1 CV-6 Enterprise
航空部隊名 VF-6 VS-6 VB-6 VT-6 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBD-1 なお、この時期から戦闘機隊はF4F-3からF4F-4への更新作業に入っており、部隊の変動が無かったホーネットの航空団もVF-8がF4F-4への機材更新を行っています。
1942年6月:
天下分け目のミッドウェイ海戦が起こった月でありますが、意外と知られていないのがこの月にサラトガが戦列に復帰している事です(6月6日真珠湾着)。サラトガが6月1日にサンディエゴを出港した際に搭載していた飛行隊は下記の様な編成となっていましたが、これは定数を完全に割り込んだ航空団でしか無い上に、米本土では雷撃隊の手配が間に合わなかった節も伺うことが出来ます(*1)。
CV-3 Saratoga:サンディエゴ出港時に搭載した航空団の編成
航空部隊名 VF-2 VS-3 搭載機種 F4F-4 SBD-3 サラトガはこの直後(6月7日)に真珠湾で補給整備を行った後、ミッドウェイ付近で哨戒中のエンタープライズとホーネットに予備機を輸送する任務についています。この際搭載された飛行隊は種々雑多な部隊を寄せ集めたものであり、以下のような編成になっていました。これを見ると、現地にあったとりあえず戦力になりそうな飛行隊は何でも搭載して真珠湾を出港したという所でしょう。
CV-3 Saratoga:1942年6月7日-6月13日間に展開した航空団の編成
航空部隊名 VF-2分遣隊 VF-5 VF-72 VS-3 VS-5
VT-5
VT-8
搭載機種 F4F-4 F4F-4 F4F-4 SBD-3 SBD-3
TBD-1
TBF-1
(注)この時の搭載機数内訳は飛行長用割当て機及び他艦への輸送分を含めてF4F:46、SBD:44、TBD:5、TBF:10であると言われているが、
この時点での実際の搭載機の総数は107とも言われる。この時あと2機何を積んでいたかについては不明である。
この後サラトガは真珠湾に寄港後(6月13日)、6月22日から6月29日に掛けてミッドウェイ島への航空機補給任務にあたっていますが、この際の航空団の編成は再度縮小されて、下記の編成となっていました。この時には陸軍機を含めた多数機を艦上及び艦内に収容させるべく、全ての雷撃機を降ろすとともにSBDの搭載数も若干減少させて、その余積を生じさせています。
CV-3 Saratoga:1942年6月22日-6月29日間に展開した航空団の編成
航空部隊名 VF-5 VS-3 VB-3 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 (注)この時の固有搭載機数はF4F:27、SBD:30に加えて、飛行長用のSBD及び汎用機として搭載されたF4F-7を含めて59機。
なおこの際にミッドウェイまで輸送したのは、VMSB-231のSBD18機と73PGのP-40が25機の計43機でした。
なお、VF-72がサラトガと共に太平洋艦隊に移動した事に伴って、レンジャーの飛行隊もこの時期には編成が変化していました。
CV-4 Ranger
航空部隊名 VF-4 VS-41 VS-42 VT-4 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBD-1 因みにワスプが太平洋に廻航されたのもこの月であり、6月10日にはパナマ運河を通過して太平洋に入って来ています。本艦の搭載する航空団は未だにVB/VSはSB2Uで構成されており、またVTはTBDで編成されていた上に定数以下の機数を持っていたに過ぎないなど、機材更新が進んでいない状態で太平洋艦隊へと廻航されています。しかし廻航後には各々の機材がSBDとTBFへと更新されており、また戦闘機隊も新型のF4F-4装備に変更されるなど、その内容は一新される事になりました(更新後の編成は7月の項目を参照)。
CV-7 Wasp:太平洋廻航時における航空団の編成
航空部隊名 VF-71 VS-71 VS-72 VT-7 搭載機種 F4F-3 SB2U-2 SB2U-3 TBD-1
ミッドウェイ海戦時の参加各空母航空団兵力:
CV-5 Yorktown VF-3 VS-5 VB-3 VT-3 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBD-1 搭載機数 25 19 18 14(*) CV-6 Enterprise VF-6 VS-6 VB-6 VT-6 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBD-1 搭載機数 27 19 19 14 CV-8 Hornet VF-8 VS-8 VB-8 VT-8 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBD-1 搭載機数 27 19 19 15 (*)ミッドウェイ海戦当日の実働機数は12機
ミッドウェイ海戦で日本艦隊攻撃に向かうヨークタウン
この他にこの月の大きな動きとしては新たな空母航空団であるCAG-10が編成されますが、その一方でVF-42のような既存の飛行隊の閉隊が始まります。これは経験のあるパイロットを新規部隊の基幹要員として引き抜いたことや、他飛行隊の補充要員としたのが影響しています。
1942年7月:
この月は各空母の飛行隊構成に大きな変動があった月です。この月を境にして米空母は固定した編成の飛行隊からなる空母航空団ではなく、そのとき搭載できる部隊をとっかえひっかえ搭載して戦場に赴く事になります。また実働可能な空母飛行隊の数の減少から、ホーネットはその搭載する空母航空団の訓練が終了するまで一時的に第一線任務から外れることにもなるのです。
変動のあった空母航空団: CV-3 Saratoga
航空部隊名 VF-5 VS-3 VB-3 VT-8 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 CV-6 Enterprise
航空部隊名 VF-6 VS-5 VB-6 VT-3 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 CV-7 Wasp
航空部隊名 VF-71 VS-71 VS-72 VT-7 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 CV-8 Hornet(航空団は訓練中)
航空部隊名 VF-72 VS-8 VB-8 VT-6 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 この頃には珊瑚海・ミッドウェーの両海戦で大損害を出したTBDに代わり、各空母のVTに新型のTBFが配備されていますが、この結果漸く定数を揃えて編成する事が出来るようになったのは大きな改善点であったといえるでしょう。なお、この月もVF-2が解隊されるなど、補充に苦しんでいる事は代わりがありません。
この時期に撮影された訓練中のレンジャー
1942年8月:
太平洋戦争の天王山となったガダルカナルの戦いが始まった月ですが、当初実働空母の数は3隻でしたが、戦闘による損傷の結果8月末には2隻に減少します(8/24の東ソロモン海戦でエンタープライズが中破、8/31には伊26潜の雷撃によってサラトガが中破。ただし1942年8月17日に訓練を終了したホーネットが真珠湾を出港、ソロモンの戦闘に参加してきています)。
ガダルカナル上陸作戦支援中のワスプ艦上
東ソロモン海戦時の参加各空母航空団兵力:
CV-3 Saratoga VF-5 VS-3 VB-3 VT-8 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 搭載機数 36 18 18 15 CV-6 Enterprise VF-6 VS-5 VB-6 VT-3 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 搭載機数 36 18 18 15 CV-7 Wasp VF-71 VS-71 VS-72 VT-7 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 搭載機数 28 18 18 9 (注:ワスプは戦闘に参加せず。VT-7の定数は15機説もあり)。
1942年9月:
ガダルカナルの戦いは依然として続いており、日米両軍とも多大な出血を続けながら戦闘を継続しています。この月にはワスプが伊19潜の雷撃によって撃沈されており、太平洋方面における実働する米空母の数は僅かホーネット1隻になってしまいます。
伊一九潜の雷撃を受けて炎上するワスプ
またこの月からガダルカナルに対する日本軍の圧力に対抗するため、数が不足する海兵隊航空隊の増援として空母艦載機がヘンダーソン飛行場に配置されることになります。あの激戦の中、一定数量の兵力を維持するために両軍とも似たような事をしていたわけですね。因みに良く日本海軍が空母艦載機を陸に上げて作戦を行なったことを非難する人がいますが、アメリカが同じ事をしていたという事を知った上で非難しているのでしょうか?
因みに最初に派遣されたのは損傷したサラトガの航空団の一部であり、後に沈没したワスプの飛行隊も派遣されることになります。これによってVF-5とVS-3、加えてVS-71がガダルカナルに派遣され、カクタス航空隊の一員として同島における航空戦を戦うことになります。
なお、この時期には既存の艦載機部隊の閉隊も続けられており、大西洋艦隊所属のレンジャーが搭載する空母航空団も縮小されてしまいます。この事からもアメリカも前線兵力の維持と兵力補充に苦しんでいた事が良くわかりますね(これらの閉隊とレンジャーの空母航空団縮小はこの頃艦隊に配属された護衛空母の艦載機捻出のためもあるとは思いますが)。
変動のあった空母航空団: CV-4 Ranger
航空部隊名 VF-4 VS-41 VS-42 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3
1942年10月:
ガダルカナルの戦いは佳境に入り、両軍とも兵力増強に努めています。日本側はガダルカナル奪還のために兵力を集め、逆にアメリカはそれを阻止すべく兵力を投入し、その結果10-11月の間に幾度もの大規模な海空戦が行なわれることになります。
この月には漸くエンタープライズが全艦隊の歓呼の声に包まれつつ戦列に復帰しますが、この時同艦が搭載していた空母航空団は、以前とは完全に陣容を一新していました。
CV-6 Enterprise
航空部隊名 VF-10 VS-10 VB-10 VT-10 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 見れば分かるように4ヶ月前に編成されたCAG-10が展開しています。CAG-10は基幹要員に閉隊した部隊からのベテランを揃えていますが、一般的な錬度はどうだったのでしょうか。南太平洋海戦に参加した日本の搭乗員の中には「とにかく奴等は下手糞です」と感想を述べている人も居ますが、全般的な練度はミッドウェー海戦当時より低下していた可能性も否定は出来ません。
サンタ・クルーズ海戦時の参加各空母航空団兵力:
CV-6 Enterprise VF-10 VS-10 VB-10 VT-10 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 搭載機数 34 18 18 12 CV-8 Hornet VF-72 VS-8 VB-8 VT-6 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 搭載機数 36 18 18 15 (注:本海戦時におけるTBFの稼働機数は24機)
サンタクルーズ海戦で日本機の猛攻を受けるホーネット
この他に大きな動きとしてはホーネットの空母航空団更新用としてCAG-11がこの月に編成されています。しかし同艦は10月26日のサンタクルーズ海戦で沈んでしまうため、後に同部隊はやはり陸上基地に展開して戦うことになりますが、これはここの話の範囲外ですね。
なお、海兵隊航空部隊増強のため9月からガダルカナルに展開していたVF-5とVS-3が損耗のため撤収していますが、米海軍はガダルカナルを守るため引き続き艦載航空部隊のVF-8の一部/VF-71を展開させています。
1942年11月:
南太平洋海戦で損傷したエンタープライズを突貫工事で修理したものの間に合わず、同艦は第一エレベータが使用不能の状態で修理工を乗せたままガダルカナル海戦に参加することになりますが、この戦いで同艦は大きな活躍をする事になり、ガダルカナルの戦いの帰趨を決定付ける大きな要因の一つとなります。もっとも同海戦最中の11月13日にTF16から護衛艦である戦艦2隻を引き抜かれたため、同艦は戦線後方に下がって待機していた、というのが実際のところでした。このためもあってエンタープライズに展開していたCAG-10はガダルカナル海戦の最中にはヘンダーソン飛行場に展開しており(1942/11/13-11/16の間)、加えてVT-8がヘンダーソン飛行場に展開してカクタス航空隊とともに作戦を行っていた事は覚えていて良い項目でしょう。
ガダルカナル海戦時のエンタープライズ搭載空母航空団兵力:
CV-6 Enterprise VF-10 VS-10 VB-10 VT-10 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1 搭載機数 38 16 15 9 一方大西洋でレンジャーと護衛空母が「トーチ」作戦支援のため北アフリカ沖合いに展開したのもこの月であります。この時レンジャーに展開していたのは下記の飛行隊でした。
CV-4 Ranger
航空部隊名 VF-4 VF-9 VS-41 搭載機種 F4F-4 F4F-4 SBD-3
「トーチ」作戦支援のためレンジャーから発艦するF4F
P-40を輸送する必要から搭載機を減少せざるを得なかったのもあったのでしょうが、大幅に定数を割った数の搭載機しか積んでいないのがわかります(このときの搭載機数は艦戦27、艦爆18の計45機)。なお、CAG-9のうちVF-9の一部が展開しているのが分かりますが、これ以外のCAG-9の部隊は当時空母/陸上基地に展開していたその他の部隊に兵力を引き抜かれていた模様です。
1942年12月:
ガダルカナルの戦いは大勢を決しており、また日本の艦隊も10-11月の戦闘の痛手と燃料事情から積極的行動に出ることが出来なくなったため、米空母部隊も一息入れているような格好になっていました。
肝心な時に何時もいないと後年後ろ指を差される不幸なサラトガが本作戦水域に復帰したのはこの頃であり、12月5日にヌーメアに入港しています。その後同艦は12月10日以降東ソロモン水域の哨戒任務に付いており、暫くの間エンタープライズと共に同水域に止まることになります。因みにこの時の同艦の空母航空団は次のような陣容でした。
CV-3 Saratoga
航空部隊名 VF-6 VS-6 VB-3 VT-3 搭載機種 F4F-4 SBD-3 SBD-3 TBF-1
ある意味激戦の一年を過ごした生き残りで構成された空母航空団ですが、これと戦争途中で編成されたCAG-10所属部隊以外の部隊の多くがこの時点で既に解隊されており、また数少ない残余の部隊も再編成・訓練中であった事を考えると、米海軍にとってこの一年はやはり苦難な年であったと言うべきなのでしょう。(戦闘機部隊を例に取るとこの頃までにVF-2/VF-42/VF-5/VF-71<実際には43/1/7>/VF-8が解隊されており、この頃ガダルカナル展開中のVF-72も43/3/29に解隊されています。因みに戦前からある戦闘機隊でこの時期に再編成中なのはVF-3のみでした)。
概ねこの時期に撮影されたサラトガ
まとめ:
1942年12月31日にCV-9エセックスが就役したのを境にするかの如く、1943年以降になると米海軍航空部隊は拡張の一途を辿り、各空母に展開する航空部隊はローテーションを組んで戦闘哨戒任務にあたるようになるなど、極東の某国では考えられない贅沢な戦争を行なうようになるわけですが、開戦から約一年間、米海軍が兵力の補充に苦しみながら戦いを続けていたことは紛れも無い事実であり、この事は図らずも敵として戦った日本海軍航空部隊が強敵であったことを指し示している良い例だといえるでしょう。
その一方で、決して米海軍の空母航空団が「数をば頼んで」戦っていなかった事に我々は注目する必要があるでしょう。彼等は当時持ちうる戦力を全て投入した事は確かですが、その数は決して日本海軍を圧倒するような兵力ではありませんでした。しかし彼等はその中で全力を尽くして戦い、その結果として日本海軍を打ち破り、戦争の流れを決定づける事に成功したのです。
(*1)この時期のサラトガの飛行隊編成は以前の版ではVF-72とVB-5のみが搭載されていたとしてましたが、新資料を入手した結果全く異なる編成であることが解ったため、このように記載の修正を行っています。この時期のサラトガの搭載航空隊について諸説あるのは、やはり輸送任務に就く度に航空団の編成が変化したことが影響しているようです。
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