1948年のメッサーシュミット
−AviaS-199倒錯の美学−


旧式兵器勉強家 BUN
bun@platon.co.jp




憧憬


 メッサーシュミットBf109がドイツ空軍戦闘機隊を代表する機体であることに皆さんも異論は無いでしょう。初期のコンドル軍団上がりのハッタリの効いたエースの逸話に彩られたE型の物語も楽しければ、最も洗練されたラインを持ち、「アフリカの星」の伝説や東部戦線に於けるJG54のグリーンハートに飾られたF型もまた魅力的です。しかし、華やかな物語には縁遠く、実は細部にも謎が多く、70年代末までその詳細が解明されていなかったG-14以降、K型までの末期の機体により興味を覚える方々も多いことでしょう。枠の少ないエルラ・ハウベ型キャノピーに、大型木製垂直尾翼、小さな機体には不釣り合いな程に太いプロペラブレード、低圧タイヤを格納するための膨らみを持つ主翼などその魅力を構成するパーツは数多くあり、僅かな違いではありながら、G-14が一番、とかK-4がベストといった細かな(傍目にはどうでもいいような)好みが別れる所でもあります。しかし、メッサーシュミットBf109G後期型、K型には、実はもう一つの姉妹機が存在します。
 それはチェコスロバキアで戦争直後の数年間に生産されたAvia S-199です。戦後に生産されたメッサーシュミットとしては、映画「アフリカの星」や「空軍大戦略」に出演したスペイン製の機体各型が有名ですが、これらイスパノ製メッサーシュミットが通常のV型エンジンに換装され、オリジナルの機首のラインを大きく崩しているのに対して、Avia S-199は倒立V型エンジンを搭載し、各部も戦時中のBf109の面影を濃く残した独特の風貌で「これがK型に続くBf109のL型だ」と言われても、どこか納得してしまいそうになるような非常に魅力的な機体です。即ち、カッコイイのです。

 何しろ、何処がカッコイイと言って、ドイツ機ファンの間では「高ければ高いほど良い」とされる垂直尾翼は、オリジナルの背の高い大型木製垂直尾翼を標準装備していますし、「太ければ太いほど渋い」と認められたタイヤは低圧のバルンタイヤで、その格納の為に主翼の上面には帯状の膨らみが力強く盛り上がり、「精悍さはその数に比例する」と言われた突起物はG-6からG-14の特徴でもあるカウリング上のMG131機銃の機関部を逃げた二つのコブが存在する上に、更に追加の突起が走り、「幅が広ければ広いほどにカッコいい」と定められているプロペラは、オリジナルのG型より更に太いプロペラブレードを持ち、キャノピーはオリジナルのエルラ・ハウベよりも思い切り良く枠を省略した半水滴風防であり、何とアゴの下に装備されていたオイルクーラーが何処へ消えたか知らないけれど、とにかく見当たらない為に、突起物が増えたにもかかわらず何処かスマートな印象の機首のラインもまた、不思議な魅力を醸し出しています。異様で倒錯した美を誇るG後期型の衣鉢を継ぎ、その異様美に於いてはまず五割り増しといったカッコ良さです。

 では何故、このようなオリジナルよりプロペラが幅広でカッコイイ、突起が多くてカッコイイ、尾翼が高くてカッコイイ、20mmガンポッドも当然標準装備、タイヤも太くて全部あるハイウエイスターか、アウトバーンの星か、とも言える機体が戦後のチェコスロバキアで生産されたのか、そして、そもそもAvia S-199とは何なのか、ようやく考えてみることにしましょう。


春夢


 チェコはドイツに併合後、Ar96等の練習機中心の航空機の生産を担って来ましたが、戦局の逼迫により、実戦機であるBf109のチェコでの生産が計画されます。プラハ周辺の工場群で生産されたBf109のコンポーネントはAvia社の工場で組み立てられる計画でしたが、実際に生産機が供給され始めたのはプラハ陥落直前の1945年3月のことでした。
 そして、まもなく第三帝国の崩壊、終戦となり、チェコは独立を取り戻しますが、一旦滅んだ国を再建する為には自国の再軍備と、経済の復興が必要でした。
 そこで目を着けられたのがチェコ国内に残されたドイツ軍用の兵器生産設備と予備部品の山なのです。これらを利用すれば容易に再軍備が可能で、しかも同じ様な境遇にあるヨーロッパの小国に輸出し、貴重な外貨を稼げるかも知れない、といった希望が全ての始まりでした。
 一旦事を決めるとチェコは即、実行する国の様で、まず、設備を整えたまま終戦を迎えたBf109の生産ラインの復旧を考えました。チェコ国内のドイツ軍補給拠点に残された部品類は言うに及ばず、様々なパーツ、機体そのものの収集は東欧全土に及ぶ規模で行われ、最終的には概ね500機分に相当する部品の集積となったと言われています。これはAvia S-199の最終的な生産数とよく符合しますので多分大袈裟な数字ではないでしょう。凄い実行力です。BUNはこういう即断即決即実行の姿勢に感動します。小さい会社を自分で興す人達に共通の情熱を感じますね。
 そして、それらを再組立し、チェコスロバキア製戦闘機、または戦闘練習機として生産し、オリジナルのBf109G-14相当の機体をAviaC-10として、複座型練習機仕様のG-12相当の機体はAviaC-99として製造され、各国への輸出が大いに期待されたのですが、それが、その、何とこれが、売れない。ちっとも売れない。そう、タダの一国も振り向かず、タッタの一機も売れなかったのです。在庫として既に20機以上が倉庫に眠っているというのに…。
 しかし、よくよく考えて見れば、売れる筈もありません。そもそも第二次世界大戦直後の世界戦闘機市場にはBf109という、名声はあるものの、基本設計のやや古い機体より、更に高性能の機体がそれこそ二束三文で売りに出ていたのです。着想が良く、実行力も立派にあったのですが、マーケティングが致命的に悪いという、失敗するベンチャー企業の見本の様な結果に当局はショックを受けた様ですが現実というものは更に厳しく、悪い時には悪い事が、弱り目には祟り目が付き物で、またもや厄介な問題が発生します。それはエンジンの供給でした。


不撓


 もともとBf109G型はダイムラーベンツDB605A系エンジンを搭載していましたが、このチェコスロバキア版であるM605の生産が部品不足により停止してしまい、今後の生産の目途も立たないという事態となってしまったのです。ただの一機も売れないままにエンジンが無くなってしまうとは…。
 普通、やめます。私だったらやめます。もう、この辺で、戦闘機をやめて洗濯機を造るのが常識ある工業国なのですが、チェコという国は先にもお話しました通り、マーケティングはカラキシですが、独自の発想と工夫には非常に長けたベンチャー企業(失敗するタイプの)です。とりあえず正面に立ちふさがるエンジン供給という大問題に敢然と取り組み、とにかく、たとえ造っても一国も振り向かず、一機も売れないチェコスロバキア製メッサーシュミットの生産を再開する努力を始めてしまいました。
 さあ、エンジンは何にするのか?高価な西側製エンジンは買えません。いくらチェコでもそれでは商売にならないことが理解出来ました。ではソ連製エンジンはどうか? いいのがありそうですが、ああ残念、売ってくれません。ではどうするか?チェコスロバキア当局は、この問題に対してまるで最初からそうする積もりであった如く、以下の方策を打ち出します。
 それは何故か豊富に存在していた爆撃機用のユンカースJumo211FのBf109への移植でした。このエンジンも、実は使い道などまともには考えていなかったのですが、何分こういう国ですので、捨てるにはもったいない高性能エンジンとその部品はとにかく集積されていたのです。


猖獗


 さて、この、少し大振りでなおかつ重いエンジンを小さなBf109に搭載する為には機体にかなりの改造が必要となりました。まず、プロペラはJumo211Fに合わせてVS11の幅広ブレードが使われます。でもこのプロペラはスピナが細く、ブレードが中心近くまで太いのです。困りました。私ならやめて呑みに行くか、パソコン消して仕事に戻りますが、チェコはやめません。そして何と勇気あることに、細くなったスピナに合わせて機首を無理に一段絞り込むという設計変更を実施します。そう、世界は広いもので、飛行機趣味も長くやっていると、こういう「スピナに合わせて設計した機首」という珍しい物にも出会えますので皆さんも、たとえ会社は辞めてもこの道楽だけは細々と続けて行きましょう。
 次に問題となったのがエンジンマウントでした。G-14/AS以降のBf109は大型のDB603用のスーパーチャージャーをDB605に装着したDB605AS系またはDB605Dを搭載した為、左舷のエンジン架がそれを逃げて上方に湾曲しているので、機首上面の機銃口付近から操縦席直前まで、大きくなだらかな膨らみが機首を覆っていました。一方、Jumo211Fの場合はエンジン架はそこそこ真っ直ぐなのですが、そもそもエンジン架そのものが機首に納まらないのです。こうなって来ると従来型の膨らみは用を為しません。そこで、機首にはG-6、G-14の標準であったMG131の機関部だけを逃げた肉まん状の膨らみ二つに戻り、その膨らみから機首先端に向けて一直線に、はみ出したエンジン架の上部そのものの形に突出させるという荒技でクリアすることとなりました。機首上面でこんなあり様ですので機首下面も推して知るべし、というもので、倒立V型エンジンのカムカバーが機首の先っぽではみ出してうまく納まりません。そこで、G-10やK-4といったDB605D搭載機にあった機首下面の小突起が再現され、そこにはJumo211Fのカムカバー先端がピッチリとはまっています。
 実は機首の問題はこれだけではありまぜん。重いJumo211Fを搭載した為に何とか鼻を軽くしようと試みたのか、あるいは単に部品が無かったのか、考えられませんが空力的洗練の為なのか、Bf109の機首下面のアゴ型オイルクーラーが何処かへ消えています。もっとも、初期型の数機は機首下面のオイルクーラーは一応装備していたと言われていますので、当初はそのままで行けたらそれで通すつもりであったのかもしれません。一般に細かいことは気にしないタイプである私BUNは、このオイルクーラーが消えている事に気付くのに二年、行方を探して更に五年の歳月を無為に費やしてしまいましたが、最近ようやく、このオイルクーラーの行方が判りました。そうです。消えたオイルクーラーはJumo211Fへ換装の為に引き払った同軸機銃の機関部があったエンジン後方のスペース付近を居抜きで借り、場末ながらも店を出していたのです。熱交換器と名前を変えて…。
 両翼付け根下面のラジエーターからの冷却水がここを通過してエンジンに向かうついでにオイルも冷やしていたという訳でした。ですからS-199には機外に露出したオイルクーラーは無いのです。


色々


 こうして、独特の精悍さを備えた戦後型チェコスロバキア製メッサーシュミットBf109、その名もS-199(当時はC-210と呼ばれた)はロールアウトしたのです。1947年4月のことです。
 出来上がったS-199はG-14後期型(胴体左舷の無線機点検ハッチの位置からG型が基本と判る)の特徴を備えた通好みのディティールとして木製の大型垂直尾翼(あとでわざわざ木で造るのが面倒になったのか、金属製に変更された)、低圧タイヤ(これも後期型はMig15によく似たホイールに変更されている)、エルラ・ハウベ(俗に言うガーラント・フード。しかし、これも後期生産型からは左右と上方に膨らんだ枠の無いセミバブルキャノピーに変更されており、この型のキャノピーは後方にスライドして開閉される。)、また、プロペラ軸内の機銃が搭載できなかった代わりに両翼下にMG151/20のガンポッドが標準装備(翼内にも7.92mm機銃が各一門搭載可能。)、胴体下面にはドイツ機ファンにはお馴染みのETC-500ラックを介して増槽、爆弾の懸吊可能、そして照準器はあのRevi16というオマケ満載状態の魅力的な機体となり、戦後のマニアをよがらせる結果となりました。
 また、燃料系は胴体後部にあった円筒状のMW50パワーブースター用の水メタノールタンクも通常の燃料タンクとして使用され、その代わり使用燃料は95/135オクタンに指定されています。チェコの燃料事情は末期のドイツ空軍より遙かにマシというか、常識的な状況だったということでしょう。
 機体の塗装は、上面下面共にダークグリーン(ドイツ空軍のドゥンケルグリュン82だとする説もあり)一色塗装か、または明るめのグレイグリーン(同じくグラウ02、いわゆるRLMグレイ)一色塗装の二種類があり、ドイツ的な色味を残しながらも、まるで戦車の様でかなり異質な印象があります。デンマーク空軍が装備したJ35ドラケン等がこんな感じでしょうか。
 新生チェコスロバキア空軍に装備された機体は主力戦闘機として1950年代にソ連製ジェット戦闘機の導入が始まるまでチェコの空を飛び続けることになります。総生産数は450機にのぼり、平時の戦闘機生産数としてはかなりの実績と言えます。


営業


 まるで運命から見放されたが如き苦境に陥ったチェコスロバキア製メッサーシュミットですが、捨てる神あれば拾う神あり。製品力が無いときは営業が全て。歴史の陰に隠れてチェコの航空機産業のエージェントは世界に飛んだのでしょう。祖国の復興と発展を賭けて、どこかにきっとある隙間市場を見つける為に。
 そしてようやく一国だけ見つかったのは当時建国したてで「独立戦争中」の新興国家イスラエルでした。政治的な制約から西欧の新型軍用機を大量購入できないイスラエルはアラブ側連合軍に対抗する為に是非とも航空戦力の拡充が必要な状況でした。しかし、手に入らない。西側諸国は売ってくれない。ソ連も売ってくれる筈もない。そんな苦境に立つイスラエルにただ一国、密かに手を差し伸べ、交渉を開始したのがチェコスロバキアでした。秘密裏に進められた商談は一気に成立。1930年代に設計された、代用エンジン搭載の応急戦闘機が一機につき190,000ドルで売れました。支払いは当然現金で決済された模様ですが、詳しいことはサッパリ判りません。しかし、ただひとつ言えることは、この当時、たとえばノースアメリカンP-51Dならばその半額どころか、政治状況によってはタダでも手に入ったのですから、チェコスロバキアも随分と足下を見た商売をしたものです。こういう商いは恨まれますから、皆さん、やっちゃ駄目ですよ。
 また、想像に過ぎませんが、もともとイスラエルの商談があったからこそS-199の開発が行われた、というかC-10以来の計画のかなり初めの方からイスラエルとの下交渉が存在したのかも知れません。それはさておき。
 イスラエル向けS-199は世間をはばかってその名を練習機C-210と名を変え、この20mm機銃二挺、13mm機銃二挺、7.92mm二挺爆弾250kgを搭載可能の世界で最も重武装の「練習機」はチェコからC54で分解輸送され、その第一陣4機がイスラエルに到着したのは1948年の3月のことでした。到着した機体は待ち受けていたAvia社のエンジニア達の手で組み立てられ、武装が取り付けられ、スピットファイアやマッキMC205等が待つ中東の空で、対地攻撃に空中戦にと活躍することになります。イスラエル空軍は戦争の終了間際にP51やスピットファイアが導入されるまで、C-210を重用し、C-210は事実上の主力戦闘機の地位を占めています。忘れてはいけません。S-199はBf109と違い「戦争に参加して勝ったことがある」戦闘機なのです。


法螺


 では、最後にAvia S-199のデータを書き記すことにいたします。
 私はカタログデータにあまり拘らないタチなので、サラッと流します。


Avia S-199
全幅9.924m
全長8.94m
翼面積16.5平方m
空虚重量2,750kg
全備重量3,317kg
エンジンユンカースJumo211F(M211F)1370馬力
最大速度460km/h〜480km/h
急降下制限速度600km/h
最大巡航速度440km/h 1,000m  400km/h 5,000m
上昇時間5,000m 7分30秒
実用上昇限度9,000m
航続距離860km(300リットル増槽付)
着陸速度190km/h
武装MG151/20 MG131 MG17 各二挺  爆弾 250kg

 無線装備その他はBf109G-14に準じた(というか独軍装備そのものを搭載したと思われる)かなりのレベルでの充実を見せている。
 偵察用写真装備もまた独軍と同様の装備が可能であり、実施されている。



 エンジン換装とガンポッド搭載による速度低下もさることながら、着陸速度190km/hというのが効きます。複座練習型のC110やCS-199が当初から生産された理由はこの辺にあったのでしょう。

 最後に一言。以上の如くS-199は非常に魅力的なマニア好みの戦闘機ですが、しかし、チェコがこの機体を1948年当時の金で、一機190,000ドルで販売した経緯もまた人生に於いて勉強になるというものです。


参考文献
「母が子に語るチェコ戦闘機隊の装備と編制」 ベラ・チャスラフスカ
「販社としてのチェコ空軍」 Avia航空機販売(株)営業部
「オコシの手引き」 中古車再生業組合
「細腕繁盛記」 花登筺



ご意見箱

 もしお読みになられましたらば、お名前を記入していただいた上で、OKのボタンを押してください。ご面倒であればコメント欄への記入はいりません。ただ押していただくだけで結構です。あなたのワンクリックが、筆者が今後のテキストをおこしてゆく上でのモチベーションになります。

お名前:
E-MAIL:
コメント:

うまく送信できない方はこちらをご利用下さい→ bun@platon.co.jp


Back