DOM 氏が軍用機の基本問題について述べるシリーズです
太平洋戦争での「日本の敗因」は語り尽くせないものかも知れない。 では逆に「日本の勝ち」の形は、いったいどんなものだったんだろう? こう質問すると、みな無口になる。 日本に勝ちが無い(^^; それに比べ、連合軍側は「日本の占領」という「たった一つの勝利の形」に絞り、 全力をそれに傾け、結果的に「それを達成した時点」で勝利としている。 「その状態を維持する」のでは無く、「達成した時点」というのがポイントになっ ている。 「維持」は難しいからだ。 だが、そのアメリカもベトナムでは勝利の形を見失っている。 「ハノイを占領」することを許されず、勝利の形が無くなった。 それに比べ、北ベトナム軍は「サイゴン」を占領すれば良かった。 例え、どれほどの犠牲を払っても・・・・・ その時の戦闘に注目してみると、米国の犠牲者は5万、ベトナム側は200万。 戦闘では、アメリカが明らかに勝利していたのだが・・・・ これは、戦闘と戦争が直接関係ないことを示しているのではないだろうか? 冷戦は、戦闘無き戦争の典型だが、明らかに戦闘は勝利に貢献していない。 これが、シビリアンコントロールの本質とも考える。 けして戦争をタブー視することが、シビリアンコントロールではない。 日本人は「戦略」というような大きな視点を持つのが下手な国民と言われている。 「どうなったら勝ち?」には無口でも、「どうやったら勝ち」にし得意らしい(笑) だから、「物量」「補給」「電子兵器」などに敗因を求めたり、ミッドウェイなど の作戦のせいにするような、「小さな視点」の議論ばかりが交わされている。 資料を見る限り、開戦当初の正面戦力比は日本の方が高く、距離を考えても補給の 面も有利であったのは否定できない。 どうも、補給や物量というのは、負け惜しみのように聞こえてしまう。 今の世界を戦略的な視点で世界を眺めるとき、平和が持続する理由を見つけられな いでいる。 戦闘機も航空機と見るか兵器と見るかで、評価は分かれてくる。 私は、戦闘機を兵器と見る視点に絞って行きたいと思う。