グラマンF4F ワイルドキャット 1940
当初複葉戦闘機(XF4F-1)として計画されたが、ライバルのブ社XF2A-1がより高速を 狙った単葉を採用したため、こちらも急遽単葉に改設計した XF4F-2に改めた。 だがテスト結果は悪く開発は難行し、ついには初期型単葉機案は放棄されました。 しかし海軍はXF4F-3としてさらに試作を発注し、グラマン社もこれに応えて全面的な 再設計した機体が認められ、ようやく1940年にF4Fとして制式採用されました。 しかし 一方の日本海軍では、零戦が中国大陸で大活躍していた時期でもあり、 米国の艦戦近代化という面では、確実に4年以上の遅れを喫したことになります。 この3型も性能的にはいまひとつで、輸出などで どうにか維持されていきます。 エンジンを問題の多いライト社製からP&W社製にかえ、主翼を折たたみ式、機銃6基に 武装強化した4型が、米海軍の命運をせおう戦闘機となりました。 零戦に対し あらゆる飛行性能は劣っていたが、20mm機銃に比べて本機の12.6mm 機銃は1発あたりの威力は小さいものの、初速、発射速度、携行弾数等の総合火力 においては勝っていた といえます。 なおグ社で生産されたのは約1200機にすぎず、むしろFMの名称で戦争後半に ジェネラル・モータース社で生産された武装減軽量化型のほうは、約6000機と圧倒的に多い のですがG社製のような活躍はできませんでした。
|