作戦要務令第四部は、他の部(綱領・総則・第一部・第二部・第三部)と異なり、セキュリティレベルが更にひとつ上の軍事極秘に指定される。
内容が分野ごとに5つに分割されているのはこのためで、参照の利便性というより秘密保持の便を図るものである。
また従って、作戦要務令の一部とはいいながらも、第三部までが「軍令陸第十九号」で指定されていたのに対し、第四部各巻は「軍令陸乙第三号」として指定され、書類上は別個に制定されているという体裁になっている。
制定にあたっては「勅語ヲ仰ガズ」とされており、極度に機密保持に気を使っていた。
さて、そのようにガリガリの機密なのに、毒ガス戦はともかくも、トーチカの潰しかた、河の渡りかた、森や湿地の進みかたといった、特に何ということもないように見える内容が含まれるのは一見して奇異かもしれない。
しかし、これは対ソ戦を真直ぐに想定している。
トーチカ陣地はソ満国境の要塞線を想定している。
渡河する大河とはアムール河(黒龍江)でありウスリー川(烏蘇里江)である。
森林とは東部満州〜沿海州に広がる針葉樹・落葉広葉樹の混交性タイガであり、湿地とは旧の東安省方面を中心とする湿地帯やタイガ内に点在する湿地である。
毒ガス戦は兵力劣勢を補うために必要とされた。
また上陸作戦は後の南方作戦を見据えたものではなく、沿海州の要所を海上侵攻によって占領するためのものであった。(サンゴ礁海岸への上陸も僅かに触れられてはいるが)
戦略的、また戦力的に劣勢を強いられている対ソ戦では徹底的な奇襲と先制急襲が求められており、そのカギとなるのがこの作戦要務令第四部に収められている諸要領の円滑な実施にあると、陸軍は信じていたのである。
徹底的な奇襲と先制急襲には、企図の秘匿が絶対条件である。
従って、あまりにも具体的に過ぎる第四部の内容はそれだけで企図を暴露するおそれがあり、ために極秘の扱いとなったのである。
しかしまた、当時の陸軍、ひいては関東軍には、ここに書かれた内容を実施してのけるだけの能力を持たされたことはついぞなかった。
上陸作戦だけは大東亜戦争の初期に大いにその威力を発揮したものの、それ以外の分野は惨憺たる有様である。
トーチカ陣地を潰すための重砲はそれぞれ数門しかなかった。
渡河材料も必要量を全く満たさなかった。
むろん、湿地突破材料も同様であり、森林突破のため文中で触れられている特殊材料、すなわち伐開機は遂に実用に達しなかった。
毒ガスもまたそもそも数量が圧倒的に不足しており、その運用部隊の規模も必要量には遥かに達しないものでしかなかった。
実力は全く伴っていなかったのである。
ただ、これはこの要務令で示されたものは制定時点での努力目標であったという事実で多少は弁護される。
しかし、それは対ソ戦専用とも言えるが故に、南進に転じ、仏印へ向って進軍を始めた瞬間から、これらの内容は名目としてだけ見ても完全に画餅に帰した。
第四部制定の昭和15年3月から、9月の北部仏印進駐までの半年足らずの間に、日本の戦略方針は一大転換を遂げてしまったのである。
作戦要務令第四部は、これにより、今度は単にソ連に知られると厄介事の種になりかねないという理由で極秘扱いとされる立場に転落したのである。
まなかじ